友人の死



 サウスカロライナで3年半暮していると、それなりに知り合いが増えてはいるが、友人というとさほどいないのが現状である。言葉の壁もあるし、専業主婦なんてほとんどいないのだからしかたがないともいえる。その数少ない友人の一人が先週死んだ。

 彼女がガンである事は2年ほど前に本人から聞かされた。乳がんの手術をうけたのだが、転移していたのだ。しばらくは彼女が病院へ行く間、子供たちを預かったりしていたが、次第に入退院を繰り返すようになり、子供はチャイルドケアに行く事になった。アメリカではガンの治療も通院でする場合があり、彼女は薬の溶液の入った箱をベルトで体に巻き付けてあるのを「ほら、こんなチューブをさしたまま歩いてんのよ。」と見せてくれた。時折、気が紛れるからとノンとミーを彼女の家に呼んでくれた。本当はチーもカオもと言われたのだが、彼女の下の子が興奮しすぎるので遠慮していたのだ。

 中国人である彼女はクリスチャンではなかった。キリスト教の土壌とは無縁の環境に育った彼女は「一人の神様が世界を作ったなんて、到底信じられないな」と言っていた。ところが死ぬ2週間前に洗礼を受けていたのだ。彼女と親しかったミセス・ヒューストンもその話は聞いていなかった。彼女の気持ちを聞くことはもうかなわないけれど、葬儀では彼女の手紙が紹介された。「愛する子供たちのためにずっと頑張っていた。今も頑張らなければと思いながら、痛みと戦う事にもう疲れてしまった。愛する子供たちといつか天国で会えるのだ。子供たちを愛しています、イエスを愛しています。さようなら。」そんな趣旨だった。彼女がそう信じて死んだのなら、絶望の中で死んだわけではないのなら、それは確かに彼女にとっての救いだったのだろう。

 「ねえ、死んでいくってどんな気持ちだと思う?」「痛い。夜も眠れなくてつらい。」そんな彼女に私は何もしてあげられなかった。彼女はもう苦しまない。痛くもない。この事実だけが残されたものにとっての救いである。