計算はおもしろい、かも
週2回ほど3年生の算数の手伝いをしている。先生は毎日来てくれて構わないといっているが、ノンの方のボランティアもあるので、まあ2回。おとうは「お前に頼むなんてよほど人手不足なんだなあ」と言った。確かに。算数を苦手としている子供たちをマンツーマンで、主に計算練習をしている。3年生ということなので、九九をしているのかと思ったが、今のところ引き算である。20未満の数から一桁の数を引くのだが、これは今丁度ノンがやっているところである。2年生が指を使ってやっているのは納得するとしても、3年生が同じように指を使うのを目の当たりにすると、個人差の大きさにめまいがしそうである。
例えば簡単な足し算。3+5の場合。指を1本ずつ立てて3を作る。私としては3くらい一気に出して欲しいと思う。が、それはいいとしよう。だから私を必要としているのだ。次に5を足していくのだが、もちろん片手をぱっと開いて5とするはずがない。3を作ってある手の残りの指から、1、2、と立て、反対の手の指に移って3、4、5、と数える。それもいいとしよう。私は必要な人間なのだ。で、5本の手と3本の手で8と一気に答えるかというと、そうはいかない。また1、2、3、と8まで数え終わったところで、「8」と言ってくれる。そういう子に繰り下がりのある引き算をさせるのが私の仕事である。別に間違っているわけではない。ちゃんと答えが出せるのだ。ここは南部よ。レジに並んだって、待つのはあたりまえなのよ。でも、この調子では、毎日のプリントを済ませるのは並大抵ではないだろう。それに遊ぶ時間がなくなっちゃう!
で、「早く済ませると良い事があるに違いないから、頭を使って早く計算できるようにしよう!」と子供たちに言っている。そのそばから子供達は、例えば9−8、7−6、といった計算まで指を使って考えている。0から9まで順番に書いてひとつずつ増えているということから説明した。考えてみれば子供たちの方が器用だといえるのかもしれない。14−8という計算も、どうしてるのか定かではないけれど、指を使ってやっているのだ。「14くらいならまだいい。でももっともっと大きな数になったらどうするの?」私は紙に52−8と書いてみたことがある。その子は指を立てながら数え始める。途中で挫折。で、繰り下がりの話をした。学校でももちろん習ったことである。子供たちは知っているし、理解してはいるのだ。
ウチのガキンチョにしても、計算は難しいし、何よりめんどくさい。繰り上がり、繰り下がりではやはり「やだー!!!」と悲鳴を上げたものである。その時は計算問題にお話をつけてやった。11−2「ノンノンはジイジイとお留守番をしていました。ノンノンは飴をバラでひとつと10個入りの袋をひとつ持っていましたが、ジイジイとひとつずつ食べることにしました。幾つ残りますか?」考える方法は2通りである。10から2をひいて1を足すという考え方と、11からとりあえず1をひいて、残りの1を10から引くという考え方。たいていの日本人は11−2ごときでこんな風に考えを巡らすことはないけれど。ノンは答えた。「袋を開けて、ジイジイのとノンノンのをとる!」じゃあ、ジイジイが苦ーい薬を飲んだ後で“早く飴をくれー!!!”って言ったらどうする?と聞いてみた。「うーん。先にバラのをジイジイに渡して、それから袋を開けてノンノンのをとる。」この調子で、しばらくの間絵を描いたり話を作ったりしていたものである。
アメリカの子供もただの計算問題では遅くても、飴やらおもちゃの話で問題を作ると早く計算ができるようである。だから、borrowingを「袋を開けて」なんて言い方をしてしまっているが、こんなやり方でいいのだろうか。結構楽しいので、クビにならないといいなあと思うこの頃である。