クラス・マザー



 アメリカに来ることが決まって、私は何冊か本を買った。「アメリカで困らないため」の本で、ためにならなかったといえば嘘になる。持っていることがちょっとした安心につながるので、感謝してはいるのだ。だが、本には「アメリカのマヨネーズはクリーミーすぎて、日本人の口には合わない」とか、「キューリは種が大きくておいしくない」なんて書いてある。そーゆー主観的なことは当てはまらないことが多いわけで、実際、マヨネーズもキューリもおいしく食べている。

 さて、学校から年度始めに渡される手紙の中に、クラスのボランティアの申し込みがある。今回すでにチーとカオが持ってかえったので、「クラスのパーティーにお菓子などを寄付する」というところと「パーティーに参加して手伝う」という項目にしるしをつけておいた。実はもうひとつ、「クラス・マザーになります」というのがあるんだけれど、英語のできない母にはまったく無関係の項目だとおもっていた。クラス・マザーの仕事がどんなものか、実のところ詳しくは知らないのだけれど、フィールド・トリップの付き添いの他、パーティーに先立ってボランティアに電話して、お菓子、飲み物、紙皿などのパーティー用品、ちょっとしたグッディーズなんぞを揃え、当日のボランティアを確保するのが主であるらしい。ベッキーのお母さんは3年前、クラス・マザーをしていたし、好きな人は毎年引き受けている。クラスによってはクラス・マザーが3人も4人もいるところもあるし、運が悪いと誰もなり手がなかったりする。今まで、ガキンチョのクラスはずっとそういう不運はなかったのだが。

 カオがある日学校から帰って「誰もクラス・マザーになってくれる人がいなかったんだよ」と言った。「ケーシーがお母さんに頼んでみるって言ってたけど、だめだったらどうしよう。ねえ、お母さん、クラス・マザーになってよ!」ジョーダンじゃない。私に勤まるはずないでしょー!カオは「パーティーができなくなるんじゃないか、たとえできたとしてもケーキがなかったらどうしよう、寂しいパーティーなんていやだ!」そう考えているのよ。ケーシーのお母さんがなってくれるといいねえ。私はそう言っておいた。翌日カオはケーシーのお母さんがクラス・マザーにならなかったと報告してくれた。そして「お母さんがなるかもしれないって先生に言ったら、とっても喜んでたよ」と言った。え?お母さんって誰の?「もちろん、カオカオのお母さん!」カオはドングリのような目で私を見上げ、ニヤッとわらった。

 困っている私におとうは追い討ちをかける。「そんなもん引き受けて、できるわけねーだろう。俺は知らねーぞ。俺は手伝わねーぞ。俺は関係ねえからな。」私が「黙らないと先生に(クラス・ファーザーになります。トシヤ・サイトー)って手紙を出すわよ。」とすごむと、おとうは静かになった。チーとカオに添削指導をしてもらって(情けないったらありゃしない)先生に手紙を書く。(クラス・マザーになる人がいないと聞きました。今も候補者がいなくて、そして私にも勤まるとお思いでしたら、私がクラス・マザーになります。)で、引き受けることになった。連絡事項は口頭だけでなく、カオにも話すこと、念には念を入れて、メモも渡すことが最低の条件だろう。それでも、不安である。アメリカで暮すための本には「クラス・マザーは無理だが、アシスタントなら勤まるかもしれない」とあった。あー、あたしゃ、知らないぞー!