養子
以前、学校のブック・オーダーでTell Me Again About the Night I Was Bornという絵本を買った。子供って、何度でもしつこいほどに自分が生まれたときのことを聞きたがる。で、内容も知らないまま、題名が気に入って注文をしたのだ。
本が届いて、ガキンチョに請われるまま読み始めて、おやっと思った。両親が寝ている時、赤ちゃんが生まれたという電話で起こされたという。飛行機で病院に行き、赤ちゃんを引き取りに行くという。その本は、子供のいない夫婦が若くて子供を育てられない女性の産んだ赤ちゃんを養子に迎えて育てる話なのだった。ガキンチョは本を読み終えてから、つぶやくように聞いた。「ねえ、おかあさん。お母さんは子供をもらったことある?」
ある日、ぽぽパパと会った時、ぽぽママが養子を迎える決心をしたと聞いた。それから何ヶ月も過ぎて、赤ちゃんの写真を何葉か見せてくれた。病院で撮ったもので、ぽぽパパとぽぽママが抱いている。「6ヶ月前に赤ちゃん斡旋会社に登録したんだ。ぼくたちには子供ができなくてね。ワイフがどうしてもあきらめきれなくて。子供は20歳の女性が産んだんだけど、彼女は17歳で一人産んでいて、2人はとても育てられないからって、養子に出すことにしたんだ。産んですぐに、赤ちゃんに会わずに養子に出すんだよ。信じられないだろ?」
それからほどなく、ぽぽパパとぽぽママは赤ちゃんを見せに来てくれた。生後1週間と4日である。小さな小さな男の子は暖かくて、甘い香りがして、抱いていて心地良かった。ぽぽママはとても幸せそうだ。産みの母がどんな気持ちで決断したのか知る由もないが、育てられずに困っている者と、授からなくて悲しんでいる者の利害が一致したのである。その斡旋が利益を追求する会社によるものだということだけでなく、完全なボランティアで行われたとしても、私は心に割り切れないものを感じるだろう。
ここに来てすぐ、ぽぽパパ夫婦に会って、ぽぽパパのぽぽママに対する態度が騎士然としているのに驚いたものである。ぽぽママが車に乗ろうとするものなら、サッと先回りしてドアを開け、完璧にエスコートしたのだ。ぽぽパパから赤ちゃんの話を聞いた時、彼はいつでも「ワイフが」と言った。養子はぽぽパパの子供にもなるはずなのに、「言い出したのは彼女だけれど、二人で決めた。」というような言い方は決してしなかった。英語ではこういう言い方になるもんなのかと、その場では納得したつもりだった。赤ちゃんを連れて帰る時、ぽぽママは後ろのシートに赤ちゃんのラックを取り付けた。ママがその隣りに乗り込んでドアをまだ閉めないうちに車は動き始めた。ただ急いでいただけなのかもしれないけれど…。
アメリカでは通常、先に紹介した絵本のように、養子であることを本人に隠すことはしない。離婚・再婚が当たり前の社会で血のつながりに依存しては家庭生活が成立しないからか、もともと血縁関係をあまり重視していないのか、養子であること自体は大きなモンダイではないようだ。キリスト教ではたとえ自分の子供でも神からの預かり物という考え方をする。それも養子を受け入れやすくする背景になっているかもしれない。おとうはつぶやいた。「なんだか人身売買みたいだな」