ゴジラ
ゴジラを見に行った。人間が縫いぐるみを着て演じていた昔のゴジラより、今回のコンピュータ・グラフィック・ゴジラはずっと細身だということは知っていた。こっちの新聞に詳しく出ていたのだ。
映画の冒頭、ゴジラが放射能の影響によって生まれたという昔ながらの「誕生秘話」が語られる。日本の漁船がゴジラに襲われるのだが、そこに出てくる日本語にガキンチョはびっくり。カオなんぞは私に「ねえ、これ最後まで日本語なの?」と聞く。私がすぐに英語になるはずだと答えると「ああ、良かったあ!」だって。どーゆー意味なんだ?
私には3歳違いの兄がいるので、お付き合いで私もゴジラを見に行ったものである。小さかった私にはゴジラが登場してくる時の低音がたまらなく恐ろしく響いた。ゴジラはどーゆー訳か加山雄三の「若大将シリーズ」と一緒に上映されていた。凝り性の兄はゴジラを見て、次に若大将を見て、その後もう一回ゴジラを見る、というほとんど丸1日費やすような見方をしていたので、私もゴジラにはある種の感慨を持っているのだ。昔のゴジラは回を重ねるごとにというか、人気が出てきたからなのか、次第に客に媚びるようになった。人気があるのなら媚びる必要はないとも思うのだが、より一層のウケを狙うのだろう。ゴジラが漫画の「おそ松くん」に出てくるイヤミのシェー!というヤツを真似するに至って、兄が「面白くねえ!」とはき捨てるように言ったのを今でもよく覚えている。
今回のゴジラがニューヨークのビル街をすり抜けて行くのを見ながら、私はこの映画がゴジラではなく、ジュラシックパークの続編であると考えを切り替えることにした。そうすれば、細身というだけでなく、よりティラノザウルスに近いアイツの姿を許すことが出来るし、マディソン・スクェア・ガーデンで生まれたのがベイビー・レックスだとすんなり納得できるというものである。この映画はあくまでも娯楽映画なのだから、昨今のインド・パキスタン両国による核実験に思いを馳せるような問題提起そのものもなにもありゃしないのは、そりゃ無理もない話である。しかし、冒頭に置かれた放射能汚染の設定そのものがまったく無関係に思われるし、ゴジラという名前ですら、ニュースにすっぱ抜かれたビデオの中で日本人の漁船員がつぶやくのが、取ってつけたようで何とも馴染まない。これは完全にあのゴジラとは無縁の映画になっているのである。
ジュラシック・パークの続編なら、なにも21ドルも払って見に行くこたあ、なかったなあ!