地震



 春休み明けの月曜日、ミーを学校に送っていくと、ミス・デイが「今朝の地震に気づいた?」と話しかけてきた。「今朝、地震があったのよ。6時ちょっと前。3.9だから小さかったけど。感じない人が多かったと思うわ。」はて、3.9って何だろう?マグニチュードかいな?

考えてみれば、地震の可能性のないところなど、この地球にはほとんどないと思っていた方がいいのだから、サウスカロライナで地震があっても不思議ではない。でも、「カリフォルニアに住んでいた」というようなごく一部の人を除いて、地震というものを経験したことがない人ばかりが暮しているのだ。だから、この日はどこのクラスでも地震の話が出たようで、おとうも会社で会議の折にそんな雑談が出たと言っていた。

今日の新聞に地震のことが載っていた。地震大国日本に生まれ育った人間は、地震についてのある程度の知識を持っている。たとえばマグニチュードとか震度とか、地震が起きた時どうすればいいかなど。ところが新聞に載った記事はじつに心もとないというか、なんだかいい加減なのだ。

新聞には震度が紹介されている。震度2は微弱で、ビルの最上階にいると中には感じる人がいる程度。震度6は強く、木が揺れ、家具が動き、少し被害がある。新聞には震度12まで(飛び飛びだが)紹介されている。ちなみに震度12はCatastrophic. Total destruction.と言う表現だ。これらは日本とは基準が違うようだが、気にかかるのは、震度の後にマグニチュードが書いてあることである。震度2はマグニチュードでだいたい3.5、震度10ではおよそ7.3といった具合。だが、震度はあくまで揺れ具合というか、実際どれほど揺れたかを数字に置き換えたもので、マグニチュードは地震の規模のはずである。震度が測定する場所によって変わるのに対して、マグニチュードはひとつである。同じマグニチュードの地震を比べても、震源の場所や深さ、断層のずれ具合、地盤の違いで、震度は違うのだ。今回の地震はマグニチューD^が3.9とあるのだが、震源の深さには触れていないし、各地の震度も載っていない。おとうは「震度計なんて置いてないんじゃないか?」という。かも知れない。 新聞には他に地震が起きた時の心構えがあった。ビルの中にいる場合は、ドアフレームのしたにいくか、外に出てビルから離れるように、とあった。揺れている最中に外に出るのは危険なんじゃないか?今は亡き私の祖母は、関東大震災の経験から、いつでもポットにお湯を入れていたし、その上やかんにも水が入れてあった。私が一人暮らしをすることになったときも、「いつでもやかんに水を入れておくように」と言われたのを覚えている。祖母は地震が来ると火の元を確かめ、一番近くの窓かドアを開け放して、テーブルの下にもぐりこんだ。晩年はテーブルの下まで行くことはなかったけれど、近くの者に火の元と窓を開けることを言いつけ、手を合わせていた。

ミセス・ヒューストンは言った。「この辺りは、地震に備えて家を建てていないから、ちょっと大きな地震が来ただけで被害が大きくなると思うわ」サウスカロライナでもっとも最近起きた地震は1995年で、多少なりとも被害を伴ったものは1945年だそうである。1886年にチャールストンで起きた地震はマグニチュード7.5、死者100人をだしたが、これはミシシッピー川以東では最大のものである。「私達が断層の上に住んでいるのだということを認識することが大切」と専門家の忠告は一応載っているが、記事は「エキスパートのあなたは地震の間なにをしていましたか?」という記者の質問に「眠ってましたよ」という専門家の答えでのんきに終わっている。これでいいのかなあ?