ホームスクールその1



 チーが「ベッキーね、来年は学校に行かないんだって!」と私に教えてくれたのは、去年の暮れのことである。「でも、まだ内緒にしていなくちゃいけないんだって。」ということで、私はベッキーのお母さんに尋ねたくてウズウズするのをずっとこらえていた。今年度もいよいよ最後の学期に入り年度末も近づいたので、今朝ベッキーのお母さんにそのことを尋ねてみた。

「ベッキーもアレックスもホームスクールにするのよ。最近学校に行かないでホームスクールにする子供が増えているの。」彼女は言った。そう言えば教会で英語クラスの先生をしてくれているデイビッドの子供たちも学校には行ってない。この間のイースターランチの時にその話をしたばかりだ。デイビッドが教えているという。コンピューターも役に立っているそうな。「自分でしたい勉強が出来る。宿題がないから、遊ぶ時間もいっぱいある。」彼はそう言っていた。

ベッキーはチーと同じ5年生である。「勉強は嫌い。本を読むのも嫌!」と言って憚らない。去年までは、クラスが違っても使っている教科書は同じだったので、時折、チーとベッキーは一緒に勉強をした。これは英語が弱点だったチーと算数が苦手なベッキーがお互い教えあって勉強するといいのではないか、と先生方が考え、勧めてくれたことだった。チーは時が経つにつれて英語を身につけて行ったが、ベッキーの勉強嫌いはどんどん募っていくばかりだった。ベッキーのお母さんは言った。「今の学校はシステムの中で動いているのよ。ただ、そのシステムに子供を乗せているだけ。よく理解していない子もそのまま押して行ってしまう。ベッキーは勉強がわからないのに授業を聞いていなければいけない。時間の無駄よ。アレックスだってそうよ。たかが6歳の子に3つの数の計算が必要だとは思わないわ。2桁の計算だっていらないわよ。時計の見方も何もかも1年生のうちにどんどん教えるなんて!」吹き出すように出てくる、出てくる。

カオが1年生のときは、繰り上がり、繰り下がりのない1桁の計算が延々と続き、年度末にちょこっと2桁が出てきたのだった。時計の見方は2年生になってからだった。たった2年しか経っていないのに、カリキュラムはだいぶ変わっているのかもしれない。ノンの算数のプリントにはいろいろな図形の1部分が塗られていて、それがそれぞれの図形の何分の1にあたるかを答えるというものがあった。いわゆる分数の考え方で、カオは3年になって初めて習ったはずである。

「科学技術は発展している。より高度な知識が子供たちには求められている。私達が子供の時と同じだとは考えないでほしい。」これは年度始めにチーのaccelerated classの説明会で聞いた言葉だ。でも、ベッキーのお母さんは言った。「私が子供だった時と比べると勉強しなきゃいけないことが多すぎる。だけどそんなにする必要ないでしょ?」確かに子供の時間を奪ってまで、勉強させる必要などないように思う。私も子供だった頃、もっと宿題が少なかったらいいのにと何度思ったことか。ウチのガキンチョはその何倍も宿題を抱えている。気の休まる暇などないほどに勉強に追われている。そんなにしてまで、科学技術の発展を支える意味があるのだろうか?