苦手な日本語 なんとかしなくちゃ



 学校へ行くために家を出たカオが「ライブラリー!」と叫んで家に戻った。私は「今日は水曜日よ。」と何度も言った。ライブラリーは学校の正規の科目で、カオの場合木曜日なのだ。借りている本を持っていくのは明日でいいはずなのに。

その日、迎えに行くとカオが「今日はWednesdayだったじゃない!」と言う。だから、今日は水曜日だって言ったのに…?そこで母はハタと気がついた。「ちょっと、カオ、 水曜日の意味が分からなかったんじゃないの?」カオは「ギクッ」と言って笑った。

こりゃ、まずい。それは分かっていた。だから、夏、日本に一時帰国した時も、カオが喜びそうな本を買って持ってきたのだ。なのに、カオったら、読みゃしない。今じゃ、教科書も満足には読めないのよ。

少しでもいい。日本語を楽しく読める瞬間が欲しい!で、最近お弁当に小さなメモを入れることにしたのだ。たいてい縫いぐるみが書いた手紙と言う形式を取る。ところが、当然のことながら、そんなこっては充分ではない!母は考えた。カオの性格はよく分かっている。カオの喜びそうな物話を書いてやればいい。「袋とじ縦書き」モードにして、プリントアウトして綴じりゃ、立派なモンになるわよ。

母は書き始めたのよ。2ページ半書いたところで、カオの反応を見るべく試し刷りをしてみた。はじめは「これ何て読むのよ。」「何てー意味よ。」「これ、誰がしゃべってんのよ。」と文句をたらたら並べていた。ところが、いつものキャラクターが出始めたところで、カオは次第に喜んで読むようになった。喜んでくれたのはいいが、「次はどうなるの」「カオカオが出てこなきゃいやだ!」ああだ、こうだ、うるさいことこの上ない。それでなくても創造力にかける母だもの、急に力が抜けていくのよ。なんで、私がこんな苦労をしなくちゃいけないの!?

だいたい、国語の教科書に載っている文が面白くなさ過ぎるのがいけないのよ。逆恨みに近いかもしれないけれど、たかだか3年生の子供に、主人公が死んでいくような物語が必要なのかと考えてしまう。「ちーちゃんのかげおくり」も「ごんぎつね」も私は大嫌いよ。これで、もうちょっと大きくなると川端康成や太宰治、三島由紀夫、芥川龍之介なんてえのが、教科書に出てくるに違いない。みんな自殺した人なのよ。分別がつくようになって、自分で読むのなら、とやかく言わないけれど、大人が子供の教科書に選ぶのには、どんな素晴らしい文学であっても、大反対。せめて、子供には明るくて、面白くて、たまにはドキドキするのがあって、生きていくのが楽しくなるような話ばかりを読ませてやりたい。それでなくても、歴史や政治の勉強をするようになると、イヤーな事件が出てくるんだものね。

ああ、だれかおねがいだから、カオが大喜びで読んでくれる本を紹介してちょうだいな。