逆カルチャー・ショック



 ミス・ケイのレッスンで読んだエッセイの話である。

カルチャーショックには4つの段階がある。第一はハネムーン・ピリオド。ホテルに滞在し、母国語を話す人との接触に限定され、すべてが新鮮に思われる。新しい環境に対する感動と期待でいっぱいの時期。第二段階は親しんでいたすべてのもの、言葉や習慣、食べ物やちょっとしたしぐさなど、すべてが遠のいたことによって、不安を感じると同時に新しい環境に嫌悪感を抱き、あるいは失望する。この時期を乗り越えられないと、新しい環境で生きていくことはできず、母国に帰る算段をするしかない。三番目は、それでもこの新しいところで生きていくため、乗り越えていかなければいけないと、前向きに立ち向かう時期。第四は、言葉や習慣の違いを乗り越え、新しい環境に適応する。適応するだけではなく、さらにはこの環境を楽しむようになる。

このエッセイはこれで終わらなかった。4つの段階にわけられるといいながら、もう一つ、第四のピリオドの人が母国に帰った時のことに言及している。いわゆる逆カルチャー・ショックである。

ミス・ケイはポーランドに1年間滞在したことがあるそうである。ポーランドはクレジットという制度がなく、すべて現金で買い物をしなければならない。何を買うにもじっくり考え、迷い、なんども足を運び、また考え、さらに考えて買う。現金がなくなると、生活必需品ですら買い物ができなくなってしまうのだから、買い物に慎重にならざるをえない。これにひきかえ、アメリカでは買おうかなあと思うとクレジットでさっさと買ってしまう。気に入らなければ返品し、でなければ誰かに売ってしまえばいい。こういう環境からすべて現金払いのポーランドに行ったミス・ケイは、1年の間にすっかり「考える人」になってしまったのだ。帰国してから、グローサリーストアでシリアルを買うのにさえ、どのシリアルにするか、どの大きさがいいか、と迷って、迷い過ぎて買い物ができない状態になってしまったんだそうな。「自分が1年前までずっと住んでいたところなのに、その環境に適応できないっていう事実が余計ショックだったし、本当に病気になってしまったんだと思ったの。」そして私にも「きっとなるわよ、逆カルチャー・ショック。私は治るまで2ヶ月かかったの。ノリコはきっともっと重いと思うわよ。」と言う。

私の場合、いつまでたっても第三段階でストップしている可能性が高いのだけれど、それでもここでの生活を楽しんでいる。だから、日本に帰って逆カルチャー・ショックになる可能性は非常に高いと予想できる。しかも、日本から流れてくるニュースは暗いものばかりだ。子供の学校のことを考えても、暗い話題ばかりで憂鬱になってしまう。心の底から、ここでの生活をエンジョイしているガキンチョたちは、もっとひどい逆カルチャー・ショックが待ち受けているに違いない。せめて、日本から明るい、心がうきうきするようなニュースが聞きたいもんですな。