413 Hope Street 夫婦



 ミス・ケイの宿題で見ているテレビ番組は、Party of Fiveの他にもう一つ、413 Hope Streetである。これはニューヨークの青少年のための施設を舞台にしたドラマで、想像を絶する話が毎週くりひろげられる。ミス・ケイ自身も大都会で暮した経験はないので、実際のニューヨークやシカゴ、アトランタなど大都会がどんなもんなのかはわからない。でも、ドラマで題材になったような事件は、時折サウスカロライナでも報道されているところをみると、違うのは質ではなくて発生件数という事かもしれない。

施設(シェルターと呼んでいる)の住所が、このドラマの題名の由来である。所長のミスター・トマスは何年か前に一人息子を亡くしている。息子の履いていたテニスシューズ目的の強盗殺人である。犯人は捕まらなかったのだが、かつて非行少年で今では更正し、シェルターでカウンセラーとなった青年がその犯人だった。その青年は自分が殺したのが尊敬する所長の息子だったと知って、苦しみながら所長夫妻にそれを打ち明けるというのが先週の山場の一つであった。

ミスター・トマスは事実を知って仕返しをしたいと言う妻に、「自分もそう思っていた。でも、片方は既に殺されてしまった。今また、もう一方を殺す(destroyという言葉を使っていた)べきではない。」と言った。そしてそれから、彼は「今まで、息子を失った悲しみを共有する事で一緒に暮していた。仕返しをする必要がなくなった今、君を愛していない事に気がついた。君もそうだろう?」と言った。ミセス・トマスは「私も愛してはいないわ。」と言い、二人は抱き合って涙をながした。それから、ミスター・トマスは荷物をまとめて出て行ってしまったのだ。???私はなんだか訳が分からなくなってしまった。聞き間違えたのか?愛してないと言われ、愛してないと言い、それでも抱き合うものか?仕返しをする、しないで意見が分かれたのを聞き逃したのか?ミス・ケイによると聞き違いも聞き逃しもないということだった。

今までトマス夫妻は支えあい、慰めあって生きてきた。相手をいたわる様子からとても素敵な夫婦だと思っていたのに…。あれが愛情じゃないって言うの?ミス・ケイに聞いたら、「悲しみを共有していたのと愛は違う」と言うのよ。そんな事言ったら、人類愛みたいなもんでつながっている日本のほとんどの夫婦は、立場がないじゃないの。「結婚するころの愛情は、年月が経つうちにだんだん変わってくるものでしょ?トマス夫妻のが愛じゃないというなら、日本の多くの夫婦は愛がないって言わなくちゃいけない。」私が言うと、ミス・ケイは「それなのにいっしょにいるの?それこそ寂しいじゃないの!」と反対にびっくりされてしまった。

そう言えばこの時期、デパートでは時計や装飾品売り場がとても混雑する。おもちゃ売り場よりすごいのだ。去年、サンタに腕時計をお願いしたチーのため、私は時計売り場に行ってビックリした。だって、ちょっと前までどっさり並んでいた腕時計がごっそりなくなっているんだもの!残り少なくなったショーケースの婦人物の時計を中年の男性が眼を血走らせて物色している。あのエネルギーは結婚前の、あともう一歩必要なころのものと似ている。アメリカ人の妻を持つ日本人が言っていた。「贈り物は欠かせませんよ。離婚されたら大変ですからね。気を使いますよ!。」アメリカの離婚率が高い理由もうなずけるような気がした。