社会科の勉強  母の悪あがき



 日本語は漢字で表記するものが多いため、子供には理解するのが難しい。去年のscienceでも、matter, mass, なんて言うのが出てきて、説明するのが大変だった。小学生にはもの、もののおもさ、とでもいって教えるのだろう。そうして覚えても「実はものではなくて物質と呼び、もののおもさの事は重量っていうんだよ」といずれ新たな名前を覚えなければならない。これがすべての科目で母の頭痛の種となって顔を出す。反対に言えば、英語の場合、単語を覚えてしまえば、たとえプロになったとしても同じ単語を使えばいいのだ。一生ものなのである。

 またもやsocial studyの話で恐縮だが、ちーは国民の権利として、「言論の自由、信教の自由、集会・結社の自由」を学校で習った。「これらの権利には他の人の権利を守り、法に従わなければならない、という責任が伴う。」これらの権利がなかった過去の日本では、どんなことが起こっていたかを説明して、これらがいかに大切であるかを説いた。「基本的人権といわれる所以である。」説明をしながら9才のがきんちょに話すことではないと思った。難しくってこっちがめげてしまう。

 私も昔、社会科が好きではなかった。授業は面白くもない教科書を読むばかりだったし、覚えるのは得意じゃない。でもある日、歴史の本を読んで教科書にはない面白さを知った。絶え間なく争いを繰り返す人間の愚かさも知った。歴史を学ぶということは、過去に犯した過ちを繰り返さないためだと思うのだけど、今の学校教育ではそういう教育は期待できない。だから、戦後半世紀を経た今も、成熟した国家になれない。今度20日に総選挙があるそうだけど、きっと投票率も高くないに違いない。「誰がなったって変わりゃしない」が本音だ。

 受験の弊害ばかりが目につく中で、皆「何とかしなきゃ」って言いながらちっとも良くならない日本。アメリカにだって問題はたくさんあるだろうけれど、教育に関してだけ言えば、ここの方が良い。だから、ここに居られることを感謝して、ちーの勉強の手助けをしている。どれほど役に立っているかはわからないが。

 ちーがあわてて私を呼びに来た。「お母さん、Social Studyで習った、"right" とか"responsibilities"とか、テレビで言ってるよ。本当にSocial Studyの授業をやってるみたい!」テレビでは大統領選のdebateを放送していた。やっぱり、何もしないよりは良いのだ、ということにしておこう。