銀杏(ぎんなん)
茶碗蒸しやがんもどきに入っている銀杏は苦手である。食べて食べられないことはないが、進んで食べようとは思わない。仕方なく食べていたという具合である。自分で茶碗蒸しを作る時はたとえ銀杏があったとしても入れない。ところが昔、飲んべえだったおとうは炒った銀杏に塩をつけてはお酒のおつまみにしていた。
補習校のあるサウスカロライナ州立大学にはイチョウの木があって、毎年この時期たくさんの銀杏をつけるそうだ。補習校の先生にそれを聞いたちーはおとうに聞いた。「お父さん、銀杏好き?」おとうは「銀杏か?塩をちょっとつけて食うとうまいんだよなあ!」で、親孝行なちーは銀杏を拾ってくると言ったのだ。「臭いから少しでいいよ。」私はそういってジップロックの袋を渡した。
補習校に迎えに行くと、ちーは新聞紙の包みを抱えて帰ってきた。「こんなにいっぱい?」「うん!」新聞紙に幾重にも「これでもか!」というくらい包まれていても匂ってくる。はっきり言ってうXX臭いのよ。食べたい人が剥けば良いのに、どうして私がしなくちゃいけないのよ!
銀杏は119個あった。果肉は柔らかくて取り出すのに苦労はなかったけれど、ホント臭いのよ。119個取り出しているうちに気分が悪くなってきた。次に周りについている果肉を落とさなければいけない。京都のある寺では大量の銀杏を古くなった洗濯機で洗っていた。知人がその寺の敷地内に間借りしていたので何度か訪ねたが、ガラガラという音と匂いには困ってしまった。風向きによっては匂いが直撃するし、窓を閉めても建てつけの悪い古い下宿は匂いが充満してしまうのだった。
郷愁に浸っている場合ではない。ゴミを捨てに行こう!Dodge "Grand " Caravanの窓を全開にしてゴミ捨て場に飛んでいく。家に戻ってもしばらく気分は良くならなかった。がきんちょが銀杏を食べるとは思わないので、おとうがその119個をすべて食べる運命である。それにしても「茶碗蒸しの銀杏が大好き!」という人はいったい何%いるのか?苦手な人の方が多いと思うんだけどなあ。なのにどーして入っているのよ!それとも好き嫌いでは解決できない深―い意味が銀杏にはあるというのだろうか?