セミが嫌いなワケ
私がセミを嫌いになったワケを紹介しよう。話は私が4歳の夏にさかのぼる。そのころ、私は3歳違いの兄と母に連れられて、知人の家で夏の何日かを過ごすのが恒例であった。その家の裏は雑木林になっていて、虫たちの宝庫だった。周りの人たちから「昆虫博士」と呼ばれたほどの虫好きの兄には天国のようなところだったろう。兄は何十匹というセミをカブトムシやらクワガタとともに家に持ち帰った。
兄は本当に虫が好きだった。その日も虫に囲まれて眠るという、無上の幸せを想像し、ただ実現させたかったのかもしれない。兄は、ついに蚊帳の中にその何十匹というセミを放ったのだ。それが兄一人の部屋であったなら、私はいまこれほどのセミ嫌いになってはいるまい。しかし、私はその蚊帳の中にいたのだ。蛍光灯に向かって、飛べる幸せを満喫している何十匹のセミと一緒に。それ以来、しばらくの間、セミの夢をみてうなされた。布団の模様がセミに見えて、夜中に何度も飛び起きた。
セミが鳴いた。東京では、これが東京かと思わせるほどセミがたくさんいるところに住んでいた。一本の木に10匹以上いることも稀ではなかった。死にかけたセミがアパートの廊下にうようよいて、私は生きた心地がしなかった。
サウスカロライナは東京より自然がいっぱいで、私はセミもどっさりいるに違いないと覚悟をしていたのだ。なのに、声はたまにするのだけれど、見かけないのよ。よくよく考えてみると、ここは木がうんざりするほどあって、蝉口密度(?)が低いと言うことかもしれない。オスとメスが出会い、子孫を残すチャンスが少ないことも考えられる。東京のセミは、残り少ない木に集まらざるを得ないっていうことなのだろうか?東京で自然だと思っていたのは実は不自然なことだったのか?