見えなかったところ
ある日、おやつを食べていると、自転車に乗った黒人の男性が我が家の前で止まるのが見えた。自転車に乗っている子供はよく見かけるし、たまに大人も自転車を楽しんで乗っている事がある。でも、この人はあきらかに交通手段として自転車を使っている。Tシャツがとても汚れている。この人は何日か前にも見かけたことがあった。1軒1軒回って声をかけていたが、フロントヤードに私もがきんちょもいたのに、我が家を素通りしたのだ。ちーは怒ったようにいった。「きっと、私たちのこと英語が出来ないと思ったんだ!」それが、ついに今日やってきたというわけか?
「チャイムが鳴ってもすぐにドアを開けてはいけない。お母さんが開けていいよって言ってからね。」普段から言い聞かせているはずなのに、みーがチャイムが鳴るとすぐにドアを開けてしまった。おやつをがめつく頬張っていた母は「ウーーーー!」としか声が出なかったのが情けない。すぐ開いたはずなのに、その人はすでにポーチの階段を降りたところまで下がっていた。がきんちょが言った。「忍者みたい!」口をほとんど開けない南部独特の喋り方でナニかをつぶやいた。ちーが「芝を刈らせてくれって言っている」と通訳してくれた。「8ドルでどうだ?」これは私にも解った。「きれいに、ちゃんと刈れるからさせてほしい」彼は言った。でも、断った。
「人を見かけで判断してはいけない。」これは子供たちに常々言っていることだし本当にそう有らねばいけないと思う。でも、会社から帰ってきたおとうは私の話をきいて「本当に芝刈りが目的だったんだろうか?」と言った。その人は悪いことは何もしていないのに、私たちは疑いの気持ちを持ってしまったのだ。実際、彼がチャイムを鳴らしてすぐに下がったのは、自己防衛からなのだと思う。彼の汚れた服は、今まで会った人とは全く異質なものだった。
サウスカロライナには飢えている人が45万人とも50万人いるとも言われている。そういう人達の為に缶詰めなど、傷まない食品の寄付が時折学校や郵便局を通して募られる。今度の土曜日がその日である。郵便受けに寄付する食料を入れておくと集配に来たときに持って行ってくれるという仕組みである。私の知っているアメリカは、陽の当たるごく一部分にすぎないのだ。