隠れた秀才  それから



 のんに通信教育の4月号が届いた。新1年生ののんはこれが届くのを首を長くして待っていた。ちーとかおの4月号が一足先に届いてからというもの、メールボックスを覗いてはがっかりする日が続いていたのだ。

 ちーとかおはアメリカへ来て以来、この通信教育が嫌いですっかりため込んでしまって、3月には5ヵ月分をまとめて出す!という快挙をやってのけた。(もちろん母にしこたま叱られてね。)彼らにはのんが待ちこがれる気持ちが理解できないらしい。「きっと最初だけよ」「そうそう、すぐため込むことになるって!」「宿題だってどっさりあるんだもんね!」「ね!」

 国語と算数の教科書だけは3月にもらってあったが、これはその翌日には全部読んでしまったし、生活科の教科書もかおのを借りて読んでしまった。そして4月号が届いた日、早速のんは付属のカセットテープを聞き、ワークシートにとりかかり、添削問題もすべて終えてしまった。私はこれでのんが「末は博士か大臣か」なんて思わないけれど、初めて「勉強好きの子」を持った幸せを堪能している。まあ、つかの間だっていいじゃないの。

 おとうが子供のころ、家に本があまりなく、今ほど遊びも多様な時代ではなかったから、教科書を貰うとその日のうちに読んでしまったそうな。今ののんを見て、おとうはそんな昔のことを思い出したようだ。おとうは本を読むのはあまり好きではないので、教科書がおとうの唯一の愛読書だったのかもしれない。

 アメリカでも日本人の多い地域では日本語の本が手にはいらないではないけれど、ここは日本語の本だなんてとんでもない。本好きののんにはかわいそうな環境である。それでも子供の本は補習校に少しあって、小学生以上の子供は一度に2冊ずつ借りられる。今まで幼稚園児だったのんはこれからやっと本が借りられると大喜び。姉達の借りてきた本と合わせて毎週6冊読める!と張り切っている。

 前に「やっている割に身についていない」と書いたけれど、嬉々として勉強している様は収穫が多かろうと少なかろうと褒めてあげたいと思う。私にはついぞ知り得なかった勉強の楽しさ、満喫してちょうだいな。