信仰を守る
ここはキリスト教徒の多い所である。そもそもアメリカ大統領の就任式でも裁判の宣誓のときもキリスト教が登場するお国柄だ。学校ではアメリカに忠誠をつくす!と毎朝胸に手を当てて言わなければいけないがThe Pledge of Allegiance)、そこにもone nation under God indivisible という一節が出てくるのだ。幼稚園でおやつを食べるときも簡単なお祈りがあるし、キリスト教の行事は欠かさず学校で習ってくる。この国にキリスト教徒じゃない人はおらんのか?と勘ぐりたくなってしまうほどである。
さて、ちーやかお、のんまでもアメリカは「自由の国」だと教わって来た。だから、ほんとうはキリスト教を信じなくてもいいのだ。どうもこれはThe Pledge of Allegianceと矛盾しているようにも思うのだけれど、実際キリスト教徒ではない人もいるのだから仕方がない。
クリスマスのように宗教的な行事であっても、良いところだけ取りいれるのは日本人の得意とするところである。キリスト教徒にとってはものすごく大切な行事なのだが、それをクリスチャンであるなしに関わらず、お祭りのように楽しんでいる。だいたい日本人の多くが神棚と仏壇が同じ家にあっても不思議とは思わないし、新興宗教の多くはいろいろな宗教の教義を取り込んで教義を作っている。どうも「ただひとつの神だけを神とする」という概念とは無縁のようである。
宗教は時として非常に強い意思によって貫かれることがある。宗教上の理由から輸血を拒否する人の裁判は日本でも報道されたし、何日か前にはカリフォルニアで集団自殺というニュースもあったっけ。
さて、がきんちょの友達の中にはごく少数だけれど、キリスト教を信じていない子供がいる。キリスト教を信じていないというより、キリスト教ではない宗教を信じていると言うべきか。で、その子達は学校で行われるキリスト教の行事にどう対処するのだろうか。
彼らは行事のある日には欠席するという手段をとるのである。学校に来ない!のんのクラスでは、たとえばクリスマスの前にはサンタクロースやクリスマスツリーのスタンプやらパズルを使って遊んだが、その子達のために先生は恐竜や花、宗教とは関係無い教材を用意している。そしてパーティー当日には学校を休むのだ。この傾向は高学年になっても同じで、ちーのクラスメートはクリスマスパーティーが始まる前に早退したそうである。宗教に対してのこの厳粛さは私にはとても新鮮な印象だった。
そういえば、私は新学期にのんの先生から宗教上の制約があるかどうかを聞かれた。典型的な日本人家族の私たちはもちろん制約はない。