教会の英語教室

 土曜日の朝から、みーは鼻水をたらしていた。熱もなく元気に遊んでいたし、ゴミ捨てやら買い物には、おとうといっしょに出かけていた。でも、夜になっても鼻水は止まらず、寝苦しそうな様子におとうは「こりゃ、明日の教会は無理だな。」といった。
 外国人のための聖書講座が始まってしまったから、家族揃ってさぼることは、よほどのことがない限り出来なくなってしまった。でもおとうは休むつもりだ。宿題をする気配が無い。
 案の定、おとうはみーにかこつけてさぼった。「みーはすごい熱だから、俺が面倒をみる」すごい熱なんて無かったけど、ま、いいか。私といたがるみーをおとうはうまくまるめこんだ。
 聖書講座は生徒が実質的に私一人で、先生の質問は当然私に集中する。聖書の事だから、実際の生活に使われそうな単語では無いものが多い。先週おとうが質問した、peopleとpeoplesの違いを説明させられたり、料理をするときにエプロンやミトンをするのは何故かを聞かれた。これが聖書とどういうふうに繋がるのか疑問だったが、英語の勉強だと割り切ることにした。
 英語が好きだったり、使い慣れている人にはわからないだろうけれど、いきなり何かを質問されるとまともな答えが出ないのだ。だから、自己嫌悪に陥って、1時間ほどの聖書講座でエネルギーのほとんどを消耗してしまう私なのであった。
 先生は50才くらいの女性で、韓国に住んでいたことがあって、日本人も教えたことがあるそうな。とても良い人である。モグラ生活に甘んじている私には喜ばしい出合いだと感謝している。
 へとへとになって、慣れない高速をぶっ飛ばして家に戻ると、安静にしているはずのみーがバック・ヤードから叫んだ。「おかえりー!」