質問がわからない

 たった3年日本を離れていただけで、しかも毎年必ず一時帰国をしているし、アメリカ でだって日本語のテレビを見ているというのに、ここへ来て、日本語で困ってしまってい る。

 私は銀行へ行った。手持ちの500ドルを円に変える為。偽札発見器?にすべての札を 通した銀行員のお兄さん。私に「500ドルで?」と聞いた。うーん。まさか使い道を聞 いているわけではあるまい。500ドルでいくら欲しいのか聞いているわけでもあるまい。 500ドルが不足だと文句を言われる筋合いもない。という事は持ち込んだのが500ド ルで間違いがないかという確認ではあるまいか。で、私は「お渡ししたのは500ドルで す。」と答えておいた。

 美容院へいった。今日はカットをしたい旨を受け付けで言った後、かかりの人が来てた ずねる。「カットで?」銀行へ行った直後だったから、この場合もきっとカットでいいの かという確認なのだろうと察しがついたけれど、どうしてみなこうも「単語プラスで」で 語尾を上げるだけの質問をするのだろう?

 例をあげればキリがない。英語話の場合も単語だけで質問にしてしまうことはいくらで もある。その場合、本当に単語だけである。日本語の場合も「500ドル?」「カッ ト?」と聞かれれば、躊躇することはなかったと思う。ところが、助詞の「で」がつくと 私は述語が続くものと身構えてしまうのだ。推察するに、接客業に従事する若者は丁寧語 や敬語を普段使い慣れていないため、もっとも短い形ですませようとする傾向があるのだ ろう。しかし、単語だけですませるのは接客業としてはふさわしくない。それで、助詞の 「で」をつけることによって究極の質問形を実現したに違いない。「500ドルです か?」「カットですか?」といってくれればこんなに気になりはしないのに、「すか」が つかないのだ。

 それにしても、ずーっと日本にいれば、こういう手合いの接客に疑問を感じることは無 く過ぎてしまったに違いない。それもなんだかおかしな話しではある。