出発当日
1995年4月15日、いよいよ単身で出発だ。今までの海外出張と大きく違うのは荷物だ。短波ラジオ、テスター、ドライバー、電話、カメラ、双眼鏡、クレジット・カードの上限アップ、この辺はだいぶ違う。ノートブック・パソコンとAT&Tコーリング・カードはいつもと同じだ。
駅でおばあさんが声をかけてくる。
「ご旅行ですか?荷物が大変ですねえ。どちらまでですか?」
「アメリカです。」
「長いんですか?」
「海外転勤になったんで、家族で住む家を探さなくっちゃいけないんです。」
「えっ! そうですかあ。それは大変ですねえ、でもいいですねえ。実は私の孫がフランスにいて。。。 どうか、お気をつけて行ってらっしゃい。」
途中、沿線で家がボウボウ燃えていた。ほんものの火事である。成田はサリン事件の影響で荷物チェックが厳しくなっていた。思えば1月にUnited Air Line に乗ったとき、成田で爆弾電話のためチェックが厳しくなり、シカゴでの入国検査の混雑も災いして、結局乗り継ぎに間に合わず、デルタに変更し、AT&T コーリング・カードで飛行機の変更を家に連絡したら、日本は神戸の地震でパニックだと言われた。世の中、いろいろあるもんだ。ついでに、今日は部分月食がある日だ。正確な情報は分からないけれど、月食の時刻から考えれば、飛行機から見えても不思議はない。座席も進行方向に向かって右側、つまり南東から南側、の窓際がとれた。
日本時間午後8時45分頃、見事な部分月食がDelta 52(?) 便から見えたのであった。普通の月や惑星や恒星を飛行機から見たことはあったが、月食を見たのは初めてだった。まったく、世の中、いろいろ起きる。家から出て24時間くらい経ったろうか?ようやくコロンビアのホテルにチェックインでき部屋の鍵をもらった。が、部屋の鍵が開かない。フロントのおじさんが間違ったと思ったので、フロントまで戻り、
"This is a wrong key. I couldn't open the door." と言うと、おじさんはニッタリ笑い、
"I'll show you" と言って、わざわざ部屋のドアを開けてくれた。なんのことはない、鍵穴を間違えていただけだった。泥棒対策用のおとりの鍵穴か? 真夜中疲れているときにはやめて欲しいもんだ。