太陽の使者 鉄人28号 〜 SS 〜

     雪の日


 鉄人で病院に乗りつけたりしたら、職権乱用かな。
 想像して、ちょっと笑ってしまう。

 小高い山頂にある敷島邸は、すっかり陸の孤島だ。
 この小屋も高床式のデッキまで深々と雪がつもって、もう母家へ行くだけで遭難しそうだ。いっこうにやまない雪は、昼間苦労して往復した道をすっかり埋めてしまった。やっぱりあのまま母家にいるべきだったかな。
 カーテンを閉め、暖房が強になっているのをもう一度だけ確かめる。
 やたら寒くて、喉が痛くて、頭がずきずきして。体温計がみつからなかったから熱があるか分からないけど、どうやらぼくは、風邪をひいてしまったらしい。
 また毛布にもぐりこんで、深い溜息をつく。
 冬休みの旅行中に事件で呼びだされ、帰ってみると博士たちはまだ札幌に足止めされていた。この雪だ。飛行機は明日も飛ばないかもしれない。
『なんとかは風邪をひかないって云うわよねえ』
 マッキーのからかう声が甦る。
 熱をだして寝込んだような記憶が、ぼくにはまったくなかった。病院なんて怪我のときくらいで、だからふらふらする感覚さえ物珍しくて、はじめは面白がっていたけど、今じゃ毛布一枚が重く感じるほど全身だるくてしょうがない。
 こういうときは無理にでも食べたほうがいいんだろう。でも母家もたいしたものは残ってなくて、今日一日で口にしたのはミカンふたつとツナ缶だけ。出前をとるのよ、とおばさんに云われたけど、わざわざ届けてもらっても無駄にしてしまいそうで、やめた。とにかくぜんぜんおなかが空かない。居間でみつけた風邪薬の効果はわからないまま終わってしまったし、これって普通の風邪なんだろうか。
 いちいち不安になる自分が、なんだかおかしい。そのくせ博士が連絡してきたときには平気なふりをするんだから、ぼくは意地っぱりだ。でも云ったところで、心配かけるだけだから。
 ふいに、びっくりするほどしわがれた、自分じゃないみたいな咳がわきあがってきて、とたんに止まらなくなる。おもわず起きあがり、うつぶせになると少し楽になったけど、床に落ちた毛布のかわりに凍りつきそうな空気につつみこまれて、ふるえあがってしまう。
 ひょっとして暖房、こわれたのかな。
 部屋のなかで凍死……、なんてまさか。あわてて毛布を拾い、ついでに枕元のラジオをつけて、ぼくはまたそろそろと横になった。
 とにかく眠ろう。
 どこか南の国の海辺から中継している賑やかな会話に意識を傾けながら、喉元がうずくのを無理やりおさえこんで、ぼくは強くまぶたを閉じた。

 ようやく訪れた眠気が、とつぜん吹きとんだ。はね起きたとたん、殴りつけられるような頭痛。
 もつれる足で、トイレにつくなり吐いた。胃になにも入ってないから、ほとんど苦しいだけだったけど。
 吐き気がようやくおちついても、体のふるえが止まらない。
 流しで水を含んだとたん、また咳があふれてくる。息ができない。視界がまっ暗になり、気がつくと、ぼくは床の上にうずくまっていた。
 どうしよう。
 目尻をぬぐって息をつく。懸命に意識をそらそうするのに、どうしても消えてくれない不安。
 いま……、なにかが、あったら。
 博士もいない。ぼくだけだ。
『ぼくは風邪なんかひいてられないんだよ』
 マッキーにそう云ったっけ。
 両手で腕をぎゅっと抱きしめて、ゆっくり立ちあがってみると、泥のなかに沈んでいるように体が重い。うるさいほどの耳鳴りと、泣きたくなるような頭痛。こんなときどうしたらいいのか、ぼくにはさっぱりわからなかった。
 ぼんやりと電話の前に立ち、そらで覚えている番号をたどる。
 大塚警部は休暇中だ。正月そうそう事件で休みをつぶしたばかりなのに、迷惑はかけられない。だけど……。
 画面に、見たことのない男の人が映る。
 もし本部にいてくれたら。そんな期待は外れた。
 緊急かと尋ねられて、あわてて否定する。
「……あの、なにか連絡が入ったらでいいです。伝言をお願いできますか」
 具合が悪くて寝ているので、何かあったらずっとコールして起こしてください。奇妙な伝言をして通信を切る。
 なんだかよけい心細くなってしまった。
 だけど警部の自宅に連絡するほどの事態じゃないし、それに考えてみればこんな雪の日に泣きついたって、困らせるだけだった。
 ふらふらとまたベットに戻ると、ラジオはオーケストラの演奏に変わっていた。スイッチを切ったとたん、しんとなる。
 窓辺へ行ってカーテンをたぐり、暗い外をのぞくと、しずかに降りつづいている雪のむこうに、白いひとの群れのような杉林だけが見える。
 このままずっと雪がやまなくて、もし、ここに一人とり残されてしまったら。ありえない想像に恐くなって、あわててベットにもどる。
『これだから、ガキは……』
 最近現場でよく一緒になる若い男のひとが口癖のように云う言葉。あのひとが今のぼくを見たら、やっぱり舌うちしてつぶやくに違いない。
 ゆっくり息をはいて、ぼくは目を閉じた。
 深い雪の下の整備室で、きっといつもと変わらずにいる鋼鉄の顔を思い浮かべてみる。
「だいじょうぶ、だよ」
 つぶやくと、すこし気分が落ちついた。
 なけなしぜんぶ吐いたのに、やっぱり空腹感はない。すっかり冷たくなってしまった布団のなかで、ただただ寒くて丸くなる。自分の呼吸でわずかなぬくもりを作りながら、ぼくはしみじみと、敷島博士やおばさんのことを思った。ふたりがここにいてくれたら、きっとぼくはどんな病気だって安心していられる。“お父さん”、“お母さん”って、そういうものなんだろう。たぶん。
「よかった」
 咳と一緒に、息をつく。
 今はひとりでも、待っていればみんなちゃんと帰ってくる。いつもはうるさいマッキーさえ、いないと淋しいもんだと考えて、ぼくはなんだかおかしくなった。

 窓がカタカタ鳴っている。
 風がまた強くなったらしい。
 なにかが落ちる鈍い音に、完全に目が醒めた。
 雪が、屋根から落ちた音……?
 耳をすましても、もう風の音しかきこえない。
 なのに強い予感がして、ぼくはそっと身を起こした。
 外に、誰かいる。
 暗がりのなかで時計を見ると、午前一時をすこしまわったところだ。考えてみればこの大雪で、警備システムも正常に作動しているかどうか……。どうしてそんなことに今まで気づかなかったのかと驚いて、ぼくはさらに呆然とした。
 帰ってきたとき、扉の鍵を閉めただろうか。たしか上着は入口に放ったままで、銃もあそこだ。
 気配が気のせいなら笑い話ですむけれど、Vコン狙いの泥棒だったりしたら、風邪で寝てました、じゃすまない。
 とにかく鍵を確かめて、上着をとってこよう。
 わきあがる咳をなんとかおさえる。
 しずかにベットから降りると、つめたい空気に押されるようによろけてしまう。ベットに手をつき、しばらく瞼をとじて、暗闇に目を慣らす。
 疑いだすと、扉の向こう側にも誰かが立っているような気がしてくる。Vコン置き場はぼくと博士以外入れないんだから、もう取りに行ったりしない方がいい。窓から逃げようかと考えて自分の素足に気づく。これで雪のなかを……?
 半分くらいはまだ『笑い話』の方だろうと思っていたぼくは、文字通り飛びあがってしまった。窓がきしんで鳴る。小さくても、それは風の音なんかじゃなかった。
 誰かが、窓をあけようとしてる。
 もう物音にかまわず隣の部屋にかけ込むと、上着をつかんでとって返す。呼吸をととのえ、やけに重たく感じる麻酔銃を両手で握りしめ、銃口で、ゆっくりとカーテンをめくる。
 そして、ぼくはその場にくずれおちた。
 窓が大きく開き、強い風と雪のかたまりが吹き込んでくる。
「どうした! 大丈夫かっ?」
 ほんとうに身体中の力が抜けてしまって、やっとのことで、その必死な形相を見上げる。
「……警部。こんな夜中に、いったいどうしたんですか」
「それはこっちのセリフだ。正太郎くん、立てんのか。待ってろよ」
 目の前に、どさどさと白い袋が落された。大塚警部の大きな体がきゅうくつそうに窓から入ってくるのを、咳こみながら、ぼんやりながめる。
「やれやれ。玄関の方はすっかり雪でうまっとるぞ。眠っとるなら電話は起こしてしまうし、朝まで待とうかとも思ったんじゃが……おお、すまん。すっかり部屋が冷えてしまったな」
 窓をしめ、雪まみれの上着をあちらへ放り投げるなり、警部はぼくの額に手をあてた。
 つめたくて、気持ちがいい。
「だいぶありそうだ。……ん? なんだ驚かしてしまったか」
 まだ右手に握っている銃に気づいて、警部がとりあげ机の上に置く。
「すまなかったな」
「……いえ」
 なんとか立ち上がろうとした身体を押さえて、警部はいきなりぼくを抱きあげた。
 くらくら目眩がして、またひとしきり咳こむ。
「まったく、君が風邪とは……。吹きさらしの現場に長時間つめたからなあ。すまんすまん」
 つめたいベッドに横たえられて、警部の青いセーターをなごり惜しく見送る。
「てっきり母家にいるとばかり思って捜したんじゃぞ。なんだってこんな寒い離れに居るのかね」
「タイミングを……、逃しちゃいまして」
 警部は静かに息をついた。
「風邪ひきがこんなところで寝ていたら、ますます悪くなるぞ。朝になったらあっちへ移ろう。食事は? 昨日はどうした」
 ええと、と云ったきりなにも云えないぼくを見て、警部はまた息をついて、ゆったりと笑った。
「食欲はあるかね」
「……はあ」
 云われて、すこしおなかがすいているような気がしてくる。
「なにが食べたい。云ってみなさい」
「じゃ……、お味噌汁、とか」
「ようし。待ってろよ」
 ぼくの髪をくしゃくしゃかきまぜて、毛布をかけなおしてから、警部は持ってきた包みを拾いあげて流しへ消えた。

 しばらくすると、なんとも云えないいい匂いがただよってきた。
 ベットの上で起きあがり、手渡されたマグカップには、ほんとうに味噌汁が入っていた。白味噌で、長ねぎと油あげとワカメ。ひと口飲むと、胃のなかに熱いものが落ちていく感覚がわかる。
 にこにことぼくを見守っている警部を見て、そういえばあれだけ寒かった部屋が、不思議とあたたかくなっているのに気づく。
「警部って、料理するんですか」
 すこし声がかすれていたけど、だいぶ喉が楽になった。水分不足だったんだろうか。
「ああ? 意外かね」
「いそがしくって、作る暇なんてないんじゃないですか?」
「まあ酒のつまみ程度だがな。じゃが、味噌汁には自信があるぞ」
「ええ。すごくおいしいです」
 こんなに空腹だったのに、どうして平気だったんだろう。ぼくは二回もおかわりをした。
 母屋で氷を拝借してきたという水枕をもらい、体温計ではかると熱は三十九度あった。
 食欲がなければ無理して食べる必要はないんだそうだ。熱は体が悪いものと戦っている証で、無理やり下げてもまた上がってかえって負担になるから薬は飲まないほうがいいとか、口にするなら汗がでるように暖かいものがいいだとか、警部はいろいろ教えてくれた。
 ようするにこれはただの風邪なんだ、と云ってもらうと、やたらとふくらんでいた不安も嘘のように消えた。
「警部って、なんでも知ってますね」
 ぼくの言葉に、警部が照れたように笑う。
「わしも寝込めば一人だからなあ。一人きりってのは、心細いもんだ」
 本当にそうだった。でもこんなことにならなかったら、きっとぼくは同じ話を聞いても実感が湧かなかったと思う。
 大塚警部は独身だ。大切なひとを事故で亡くしたからだって、いつか博士が云っていた。家族までいたら身がもたん、とか本人も云う。けど警部は絶対に、やさしくて頼りになるいいお父さんになるだろうから、子どもがいないのはなんだかもったいない気がする。
「正太郎くん。なんでわしの家に連絡してこなかったんだ?」
 あたらしい寝巻きに着替えていると、警部がふと思い出したように云った。椅子をきしませ乗りだしてくる、すこし恐い顔に、苦笑いを返す。
「……あの、……せっかく、お休みなんだし……」
「休みじゃから、すぐすっとんで来れるだろうが」
 やれやれと云いながら、大きなため息をつかれる。
「君は遠慮深くていかん。どうしてそう水くさいんじゃろうなあ」
「いえ……べつに、遠慮とかじゃ……」
 結局ぼくの伝言は、夜の定時連絡で警部にまわされたそうだ。
「聞いたときには心臓が止まったぞ。具合が悪い、なんてほかでもない君が口にするからには、よっぽど悪いんだろうとな」
「そんな大げさですよ」
「いいかね」
 大きな手がのびてきて、ぼくの髪を荒っぽくかきまぜる。
「困ったとき、だれかを頼るのはぜんぜん恥ずかしいことじゃあない。それに正太郎くん。君は、わしの一番の相棒なんだぞ」
「……警部」
 そんな言葉をもらったのは初めてで、ぼくは驚いて、あらためて警部をみつめた。
「わしは、いつも君を頼りにしとる。だからだ。いざというときくらい、わしも君に頼られたいんじゃがなあ」
 おだやかに云う警部の、でもなんだか悲しそうな目を見て、ぼくはあらためて自覚した。
 仕事でもないのに。
 警部の自宅に連絡しなかったのは、そんな気持ちが確かにあったからだ。
 いちばんの相棒。
 そんなふうに云ってもらえる資格、ぼくにはないんじゃないだろうか。
 こんな大雪の真夜中に、警部がどんなに苦労して、ぼくを心配してここまで来てくれたのか。それを今はじめて考えた自分が、なさけなくなってしまう。
「しょ、正太郎くん……」
「……すみ……ません」
 あわててうつ向いても、こぼれた涙は隠しようがない。
 ぼくは意地っぱりで、本当にどうしようもなく子どもだ。
「ど、どうした、どこか痛むのかね」
 立ち上がったひょうしに倒した椅子につまずいて、警部があわてている。ぼくはおもわず笑って、ふるえる息をついた。
「ありがとうございます。警部」
 出動要請がかかると、必ずといっていいほど警部はそばにいてくれる。ぼくの身辺警護から現場の指揮までこなし、事件がなくても支部長としての仕事で夜でも休みでも本部に連絡すれば大概つかまるくらい、警部はいそがしい。だけどいつだって、警部はぼくの負担をすこしでも減らそうと気を配ってくれる。ほんとうにすごいひとだった。普通はこんなに偉い人がいつまでも現場にいるものじゃないんだそうだ。きっとぼくが一人前になるまでは安心して現場を離れられないんだろう。あと何年、一緒にいられるかわからない。そうなんとなく覚悟はしてるけど、大塚警部が現場を離れる日なんて、まだまだ来ないでほしかった。だれにも云ったことはない。でも甘えた本音を自覚するたび、落ち込んでしまうのだけれど、今夜は、自分が警部に甘えられる子どもだということが、素直に嬉しいと思った。

 いつのまにか、すこしうとうとしていたらしい。
 見ると、ベッドのわきの椅子に腰掛けたまま、大塚警部が眠っている。上着を一枚はおったきりで、みるからに寒そうだ。
 そっと肘をついた、ベットのかすかなきしむ音だけで、警部は目をあけた。
「ん? どうした」
 腕組みをといて警部がのぞきこんでくる。
「毛布、ぼくはこんなにいりませんから使ってください。警部が風邪ひいちゃったら大変ですよ」
「そんなもん、ここ何十年もひいとらんから平気じゃよ」
「ぼくだって熱だした記憶なんかないんですから。この風邪、強力かもしれませんよ」
 警部は、いつも現場で見せるような、あの思わず安心させられてしまう笑顔をうかべた。
「暇にまかせて体を鍛えとるから、大丈夫じゃよ」
「でも……」
 考えてみれば、この離れにはほかに休む場所なんてない。
 ぼくはあわてて身を起こした。
「じゃあ、一緒に寝ませんか?」
「ああ?」
「あの……、そうしたら、あったかいし……」
 風邪ひきと寝るなんて嫌だよな。云いだしてから考えて、しどろもどろに云う。
「ふむ。汗くさいのと一緒じゃ、かえって悪くしちまわんかな」
「え?」
「いや車が登れんでな。ふもとから歩いてきたんじゃよ」
 ふもとからここまで、ふつうに歩いても三十分はかかる。それで、あんなに雪まみれだったんだ。荷物を抱えて大雪の坂道を登ってくるのは、ひょっとしたら雪山登山くらい危険なことだったんじゃないだろうか。
「……すみません」
「こらこら。あやまりっこなしだ」
 笑って警部は立ち上がった。
 じゃあ遠慮なく、とベッドに膝をのせた途端、きしむものすごい音がした。思わずふきだして、頭を小突かれる。
 なんとか落ちない具合には落ち着けたらしく、しばらくすると、毛布よりあたたかいぬくもりと、ゆっくりとした呼吸が伝わってきた。
 旅先で泊まるときにはいつも一緒だけど、こんなにくっついて寝るのははじめてだった。
 お父さんのことはほとんど覚えていない。でもきっとこんなふうに、そばにいるだけで安心できる、そんな夜が、幼いぼくにはちゃんとあったんだろう。どこかなつかしい、ちょっとくすぐったい、不思議な気分になる。
 いつ眠ったのかおぼえがないけれど、もう一度お礼を云ったら、なにも云わずに髪をくしゃくしゃなでてもらったことだけは、うっすらと記憶に残っていた。

 ぼくは驚くほどたっぷりと眠ったらしい。目を醒ますともう昼近くになっていた。
 警部はとうに起きていて、ちゃんと寝たと云うけど、きっとあまり眠れなかったに違いない。
 体を起こしてみると、熱が下がったのがはっきりとわかった。頭痛もだるさもほとんどなくなっている。なによりおなかが空いてたまらなくて、ともかく母家に移って食事をすることになった。
 青空の下にひろがる一面まっ白なまぶしい庭は、まるで別世界だった。
 歩けると云ったのに、結局ぼくは毛布ごと警部に抱えられて連れていってもらうことになってしまった。深い雪をかきわけて進んでいく規則正しい振動に、またすぐ眠たくなってくる。
「どうしたね?」
 思わず笑ってしまったぼくに、警部が怪訝そうな顔をする。
「あ、いえ。……大塚警部に子どもがいたら、きっと甘やかしすぎるんじゃないかなあ、って思って」
「なんじゃと? 厳しくたくましく育てるに決まっとるわい」
「そうかなあ」
「わしは、君のほうがおかしいと思うぞ」
「え? おかしい……ですか?」
「いやいや。つまりだな」
 警部はすこし考えてから、ぼくを見た。
「人間は、ひとりでは生きられん。それも君くらいの歳なら、いくらでも大人に甘えていていいもんだ。じゃが君は、めったにそういうことがないから、つい甘やかしたくなるんじゃろうな」
「そんな……。だって、ほらこんなにいっぱい甘えてるじゃないですか」
「むりやり甘やかしとるからだろう。子どもは甘えるのが仕事。こんな言葉、君は知らんだろうな」
 警部はひとりで納得したようにうなずいている。これはぼくが子どもだからなんだろう。子どもらしくないと云われる方が、ぼくには嬉しかった。
「ぼく、警部のことも博士のことも、本当に頼りにしてますよ」
「そういうこととは違うんじゃよ」
「ぼくは……、はやく警部に追いつきたいんです。子どもだからって甘やかさないでください」
 『これだからガキは』。そう云われても仕方がないくらい、今のぼくはもどかしいほどまだ子どもだ。いろいろな人に迷惑をかけてきたし、悔やみきれないような失敗もたくさんある。でも、ぼくを信じて守ってくれる警部たちのためにも、ぼくはほんとうに、できるかぎりの駆け足ではやく大人になりたかった。だけど警部の歳の半分もないやつが生意気を云うと、あきれただろうか。熱の余韻で口をすべらせてしまった、そんな後悔がうかぶ。
 ぼくをまじまじとみつめてから、警部は、でも笑ってくれた。
「云っただろう。君はわしの大事な相棒だ。いったいぜんたい何に追いつきたいのかね」
 子猫をなでるようなやさしさを、すこし淋しく思いながらぼくも笑うと、警部は困ったように眉をしかめた。
「わかっとらんな? いままでわしがどれだけ君に助けられてきたと思っとるんだ」
「でも。それは、鉄人の力です」
「なにを云っとるか」
 すこし声を強めて、警部はぼくをにらみつけた。
「操縦しとるのは君だろう。正太郎くん。君はもっと自分がやっとることを自慢していいんじゃぞ」
 だって本当に、鉄人がいるからできたことばかりだ。でもそれ以上口にするのはやめた。大塚警部が、ぼくの心中を察したように深い息をつく。
「その頑固なところは誰に似たのかな。じゃが、云っちゃなんだがそれだから、君をやっかむやからが……」
 云いかけて、とつぜん警部は立ち止まった。
「……いかん」
 しばらくかたまっていた警部は、呆然とした顔のままぼくを見た。
「すっかり忘れとった」
「なにをです」
「いや、実は……、君のことで、……ゆうべ、敷島博士に連絡をとったんじゃよ」
 思考の焦点があうまで、ちょっとの間を要した。
「じゃ……、知らせちゃったんですか?」
「その、正太郎くんがひとりなのかどうか、確認したかったもんでな」
 本当にすまなそうに云って、警部は雪道を大股で進みだした。
「いかんいかん。博士のことだ。きっと死ぬほど心配しとるぞ」
 そのときぼくも警部も、あたりに響きわたっている空をたたくような音に気がついた。見上げるとひとつ、青空にちいさな黒い影が浮いていて、だんだんこちらへ近づいてくる。
「警部。あれって……、もしかして」
「……十中八、九、敷島博士だな」
 復旧した朝一番の飛行機で帰ってきて、羽田でヘリを借りた……、とか。
 あらためて大きな肩につかまって、ぼくは神妙な顔で申し出た。
「警部? これでも甘やかしすぎじゃないって思いますか」
「いやあ……。博士は、その、ちょっとやりすぎかなーと、わしも思うぞ」
 敷島博士は心配で心配で飛んできてくれたんだろうけど。おもわずふきだすと、ぼくたちは笑いが止まらなくなってしまった。
 上から見えるだろうか。大きく手をふってみせる。
「云いたいやつには、云わせておけ」
 ふいに警部が、つぶやくように云った。
「君はいつだって精一杯やっとる。大人には、もしかしたらできないくらいな」
「警部……?」
「わしは、君に大人になって欲しくないとさえ思うよ」
 大塚警部はゆっくりと首をふった。
「いや。君は、変わらんと思うがな」
 なんだか照れたような顔をして、警部はまた空を見上げた。その横顔がふと、写真だけでおぼえているお父さんに似ているような気がして、あらためてみつめる。はじめて、気がついた。
 警部と一緒に過ごしてきた時間は、普通の親子より、よっぽど長いんじゃないだろうか。警部は、ぼくの焦りや不安なんてぜんぶわかってるのかもしれない。
 ヘリはすこし手前の上空で着陸態勢に入った。
 雪がいっせいに舞いあがる。
 目をあわせ、警部がやっぱりだという顔で笑う。

 大塚警部。そして、敷島博士。
 ぼくには、世界一のお父さんがふたりもいる。
 むりに背伸びをする必要なんて、ないのかもしれない。
 たくさんの分岐点をひとつひとつ、正しかったのかどうか今でも迷うけれど、それでもぼくは心の底から云える。
 ぼくは、今のぼくでいられて、本当によかった。
 このうえもなくあたたかい心地で息をついて、ぼくは、まぶしい青空に舞う粉雪を見上げた。

 

     (おわり)

 


 正太郎くん12歳の冬。
 警部だっこ編(^_^ゞ

  2000.01.03 UP / 2005.10 そっと改訂 / 2015.1 少々改訂

 

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