太陽の使者 鉄人28号 こばなし・その19   〜 選択 〜

「すみません。ちょっと待っててください」
 ノックの音に背を向けたまま返すと、扉があいた。
「正太郎くん」
 本棚の前でかがみこんでいた金田正太郎が、驚いて立ちあがる。
「マッキーか。ごめん、大塚警部だとばっかり……」
 淡い朱色のスーツ。髪を結いあげた敷島牧子の姿に、正太郎が言葉を切る。
「私、もう行くわ」
「え?」
「みんな今日はいそがしそうだし、やっぱりいいわ。もうタクシー呼んじゃったから」
「終わったら送るって云ったじゃないか。せっかちだなあ」
「いいのいいの。で? なに捜してるの?」
「え……」
 あちこち山のようになっている室内に視線を泳がせて、正太郎がばつが悪そうに頭をかく。
「ええと、……卒業証書を」
「あきれた。一週間でもう消えちゃったの? ここは魔の樹海だわねえ」
「めちゃくちゃ忙しかったから……。このところ、特にさ」
 牧子は息をつき、つかつか部屋に入ってくると、物置と化している机の上に手をつっこんだ。
「どうせこのあたりじゃないの? ……ほらあった。はい」
 正太郎はきつねにつままれたような顔で手のなかの筒を見おろす。
「……ありがとう」
「まったく。自分の部屋くらい、ちゃんと自分で整理整頓なさい。あんまりママに迷惑かけないでよ?」
「……はい」
 正太郎の神妙な顔に、牧子が表情をゆるめる。
「よし。じゃあ、ほんとに行くわね」
 右手をさしだされ、正太郎がまばたく。
「ほら握手よ。あ・く・しゅ」
 いつの頃からか、視線は見降ろす角度になっていた。握手を交わした記憶などない。幼馴染みの細い手をゆるやかに握って、正太郎が拗ねたような表情をみせる。
「なんだよ。急にあらたまって」
「なに云ってるの。しばらく会えないのよ? もっと別れを惜しみなさい」
 結んだ指を、牧子が力強く握りしめる。
「正太郎くん。家のことも、パパのことも、よろしくね」
「……ああ」
「お互い、頑張りましょう」
「逃げだしたくなったら、すぐ帰ってくるんだろ?」
「パパみたいなこと云わない!」
「いてっ」
 牧子の蹴りがスネに入り、ふたりの手が離れる。
 笑って、牧子は敬礼してみせた。
「じゃあね。行ってきます」
 くるりときびすを返し、牧子は出ていった。
 ぱたりと扉が閉じる。
 右手をながめて、正太郎が息をつく。
「……本当に、行っちゃうんだ」
 と、表から名前を呼ばれ、正太郎があわてて外にでると、こちらに手をふってみせた牧子がタクシーに乗り込むところだった。
 パトカーが隣に停まっていて、大塚茂がタクシーの車窓にとりついている。ひらひら揺れる白い手のひらを合図に、タクシーは出発した。
 母屋のほうを確認しても、大次郎も歌子の姿も見あたらない。あっさりした別れが、じつに牧子らしかった。
 正太郎はまた知らず息をついてから、足早に坂道を降りていった。
 大塚は感慨深げに腕を組んで、敷地をでていくタクシーのほうを眺めている。
「警部。おはようございます」
「おう。……あのマッキーが、医者とはなあ。で? どうしても、寮とやらには入らにゃいかんのか」
「そういう学校なんだそうです。毎日長い距離を通うより安心だからって、マッキーがわざわざ選んだんですよ」
 腕をといた大塚が、ふむと、妙にしげしげ正太郎を見る。
「正太郎くん」
「はい」
「それで……、なんで医者か、君は知っとるのか?」
「ええ。友だちが入院して、なんか思うところがあったとか」
「いやいや」
 大塚が重々しく首をふる。
「マッキーは、……そう云ってましたけど?」
「たいせつな人が、な」
 言葉を切り、大塚は正太郎の真正面に向きなおった。
「大切な人が怪我をしたとき、おろおろ見とるだけなのは嫌だからだと、わしにはそう云っとったぞ。ずっと支えていきたいんじゃろうなあ、誰かさんを。……おい。誰かさんってのは君のことだぞ?」
「え?」
「いったいどうなっとるんじゃ。君たちは」
「どう……、って、なにがですか」
「いい機会だ。わしゃあ君の本音を聞きたいとずっと思っとったんじゃ」
 大塚に一歩つめよられ、正太郎が思わず一歩あとずさる。
「はい?」
「眼の届かんところで、この先どんな出会いがあるかわからんだろう。将来の約束くらい、したんだろうな?」
 やんわり云っても通じないことは経験上よくわかっている。大塚茂は、ど真ん中に直球を投げ込んだ。
 さすがに理解したらしい。あわてたように正太郎が視線をはずす。
「だから、マッキーとは、そんなんじゃありません」
「またまた。誰がどう見たって、あれは君に惚れとるぞ」
「まさか」
 苦笑する正太郎に、大塚は本気であきれた。
「冗談じゃない。現場であれだけ勘のいい君が、どうして肝心なとこでそう鈍いんだ?」
「けーぶ。……でも将来なんて云われても、ぼくはいま目の前のことだけで精一杯ですから」
「それは、わしだって責任を感じとるが……、じゃが、それはいつまでたってもそう変わらんだろう」
 大塚が溜息をつく。
「正太郎くん。君にはもっと、自分自身の将来について考えて欲しいんじゃがな」
「そのために、警部は来てくれたんですよね?」
 はっとして、大塚はとたん弱々しい表情になる。
「うう。そうだった。……まずはこっちの問題が先か」
「そうですよ。でも、警部?」
「ん?」
「マッキーがここから出ていくなんて、おおごとじゃないですか。それはけっきょく許したのに、博士は、どうしてぼくのICPO入りは猛反対するんでしょうね」
「ICPOの正式なメンバーになるんだ。それこそ一大事だろう」
「いまと、そう違わないじゃないですか」
「なにを云っとる」
 本気か冗談か危ぶむように、大塚は正太郎の顔をのぞき込んだ。
「君は仕事として、命がけの職場を選択するんだぞ?」
 言葉にしてみると、大塚も妙な心地になる。
 ICPOのメンバーとも、警視庁のなかでも今やすっかり皆に同僚扱いされている正太郎は、間違いなくその現職の誰よりも多く危険な現場を経験しているのだから。それに今日まで正式な手続きが延び延びになってしまったのは、つい昨夜までずっと休日返上の事件つづきだったからだった。
 それで?と云う顔で次の言葉を待っている正太郎に、大塚は頭をかいて言葉を継ぐ。
「いや、まあ……。君が正式にICPOに所属すれば、鉄人をもっと気軽に利用できると勘違いしてるような輩がわんさかいるからな。博士が心配しとるのは、それがでかいんじゃないか? それに……」
 大塚はつづく言葉を飲み込んだ。
 正太郎の並々ならぬ努力でなんとか高校卒業まではこぎつけたが、近年は学校に通うより大塚と過ごす方が多かったかもしれない。だが名だたる敷島博士の元で日々学んでいれば受講は最低限でよいと申し出た大学はいくつもあったと聞く。大次郎としては勿論そちらを選んでほしかったのだろう。
 あまりにこう多忙つづきでは二足のわらじが酷だと感じることは大塚でさえ少なからずあった。正太郎にとって何が一番いいのか、敷島大次郎の胸中はさぞ複雑なものがあるのだろう。
 大塚は、正太郎がまったく迷わなかったことが不思議だった。
「まあ、なんにせよ君が決めたんだ。わしは、できる限り応援するさ」
「ありがとうございます」
「うう。まずは、大事な書類にハンコをもらわんとな。どれ、行くとするか」
 正太郎の背中をぽんぽんはたいて歩きはじめた大塚は、大仰に深呼吸しながら胸の前で十字を切った。
「……お嬢さんをください」
「はい?」
 正太郎がきょとんとして大塚を見る。
「わしはいま、頑固親父にそう申し込みに来たムコ気分だぞ」
 ふきだしてから、正太郎は肩をすくめてみせた。
「よろしくお願いします」
 大塚が現場にいられるうちに、これまで支えてもらった恩をできるだけ返したい。正太郎がICPO入りを決意したのは、鉄人のために度々ウエから睨まれていた大塚が、現場から外される日もいよいよ近いのではないかという話を耳にしたからだった。
「で、どうなんだ? 博士のほうは」
「……あ、ええ。紙切れ一枚。いつだって無かったことにできる、って」
「ん?」
「はかせに、今朝云われました」
 正太郎の苦笑に、大塚が天を仰ぐ。
「ほんとに頑固じゃからなあ。てことは、とりあえずハンコはついてくれるのかな?」
「まあ、たぶん」
 正太郎がこうと決めたら絶対に曲げないことは、長年一緒にやってきた大塚にはよくわかっていた。それは敷島大次郎も同じだろう。ただ、すこしは拗ねてみせたいのかもしれない。
 大塚はやれやれと息をつく。
 金田正太郎の選択は、各方面で大きな波紋を呼んでいる。
 現場に顔をだすことなど決してない魑魅魍魎どもとこの若者と、いったいどんな化学反応が起きるのだろうか。大塚茂は本音ではこの変化に少なからずわくわくさせられていた。
 この選択が正解だったと、なつかしく今日を思い起こす日が、かならず来る。
 変わらない明るい笑顔を眺めつつ、なかば祈るようにそう考えながら、すっかりあたたかくなった風のなかを、大塚は正太郎と肩を並べ、敷島邸へと向かう丘をゆっくり歩いていった。

 

     (おわり)

 


■で、大塚警部はこのあと敷島博士にいっぱつ殴られるんですね(笑)。
 正太郎くん18歳。高校卒業直後の春の一幕でした。

      2015.02.14 WebUP

 

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