太陽の使者 鉄人28号 こばなし・その8

     星のささやき


 振り返っても、村の灯りはもう見えない。
 森を抜けたら一気に視界がひらけた。立ち止まって、懐中電灯の灯りを消す。
 星座なんかよくわからないくらい、ものすごい数の星だ。
 ぽつぽつと見分けたものも、北極に近い空では見慣れた位置とはすこしずつ違っている。
 みとれていると、空を横切っている薄いもやのような筋が、みるみるうちにひろがって茜色に光りだす。
 波打ちながらゆれる、光の渦。
 すごい。
 何度か見たことはあったけれど、こんなに見事なオーロラははじめてだ。
 一週間もここにいたのに、ゆっくり夜空を見あげることはなかった。
 思わず、息をつく。
 言葉だけじゃ、きっとぜんぜん伝えられない。
 かえって博士を残念がらせてしまいそうだ。
 またおおきく息をつくと、なにかが足下に落ちた。
 懐中電灯で照らしてみても、なにも見あたらない。雪についた足跡があるだけだ。
 ……あ。
 防寒着の口元をすこしあけて、思いきり息を吐きだしてみる。
 かすかな音がした。
 ゆっくりと霜を踏んだときのような、ちいさな、ちいさな音が。

「星が、ささやくんですか?」
「そうだよ」
「空にある、……あの星が、ですか?」
 冗談かと思ったら、敷島博士はおだやかな笑顔のまま、うなずいた。
「正太郎くん。きみは、ダイヤモンドダストを見たことがあるだろう」
「はい。大気中の水蒸気が凍って、太陽の光で輝いてみえるんですよね」
「そう。ダイヤモンドダストは氷点下10度くらいから見られる現象だ。50度を下回るとね、吐く息まで凍って、耳元でかすかな音をたてる。サハでは、それを“星のささやき”と呼ぶそうだよ」
「へえ……。ああ」
 やっと話がつながった。
 サハ共和国。大塚警部と向かうことになったシベリア東部の国の名は、はじめて耳にした。
「それなら、マンモス博物館を見てくるといい」
 敷島博士に報告すると、すかさずそう返ってきた。
「たしか国立大学のなかにあったはずだ。考古学や民族史の展示も、きみには面白いんじゃないかな」
 博士が知らないことってあるんだろうか。
 北半球の最低気温を記録したものすごく寒いところだとか、古代人が残した壁画や、永久凍土の話。あれこれ聴いてから、じゃあ時間を少し融通してもらえるよう警部に頼んでおこうかと云われて、あわててしまった。
 今回の要請は、なんでも大塚警部のだいだい(……たしか警部は大を10個くらいはつけていた)、ダイ恩師の依頼だとかで、積年の恩を返せるとすごく嬉しそうだったから、ぼくが観光気分でいて警部の面目をつぶしてしまってはいけない。そう云うと、博士はそれならと、“星のささやき”の話をしてくれたのだった。
「氷点下50度は、いまの時期なるかどうかわからないがね。夜、外にでる機会がもしあったら、耳をすましてみるといい。それくらいなら、かまわないだろう?」
「そうですね」
「うーん。いったい、どんな声でささやくんだろうねえ……」

 ぼくが云うのもなんだけど、星と名がつく話をするときの博士は子どもみたいだ。あのときの顔を思いだして、また口元がゆるむ。
 来てみれば早朝からびっしり作業があって、夕方には切りあげるものの毎日へとへとですぐ寝てしまったし、やっとぜんぶ終わったと思ったら明日はもう帰国だ。なんとなくもったいなくて、こっそり抜けだしてきただけで、いまのいままで敷島博士の話はすっかり忘れていた。
 なんだか頑張ったごほうびをもらったみたいで、嬉しくなる。
 頬や耳がちりちりする感覚も、そうまだ気にはならない。またおおきく息を吐いてみると、くすぐったいような笑いがこみあげてきた。
 この前までぜんぜん知らなかった国にいて、オーロラの下、ひとりで耳をすましている。
 ほんとうなら期末試験の真っ最中で、いまごろは一夜漬けに追われているはずだった。ここにいる現実のほうが、なんだか夢みたいだ。
 ふわふわとした心地で歩いていたら、けっきょくレナ川まで来てしまった。見覚えのある道を下っていくと、空の一角が黒い影に覆われる。
 鉄人は、もちろん夕方別れたときのまま川の淵に立っていた。
 足首まで雪に埋まっている足元までなんとかたどりついて、厚い手ぶくろ越しだけど、藍色に触れる。
 なんだかほっとした。
「ごめんな。ずっと野宿になっちゃったな」
 とつぜん、針金をはじくような音が響く。
 上空から。
 しばらくして、また響く。
 いそいで全身見渡せるくらい距離をとって見あげる。
 音だけだ。別に、なにも異常はない。
 また近づくと、物音は、鉄人のなかからきこえるようだった。
 膝のあたり。
 今度は右腕。
 胸。
 肩のあたりからも。
 停止させてから3時間は経つけど、まだ熱が残っていて、たぶんあちこちの回路が鳴ってるんだ。
 身構えた力を抜いて、旋律めいた金属音に耳をかたむけながら、おかしくなる。
 まるで、ささやいてるみたいだ、って。
 やれやれくたびれた、なんてぼやいてるのかなあ。
 あれだけ崩れた遺跡をこの気温のなかで修復できたのは鉄人のおかげだ。寒さがゆるむまで作業を待っていたら取り返しがつかなかったと、教授はものすごく喜んでくれた。ぼくはけっこう室内で作業させてもらえたけど、おまえは一日中、夜までこの寒さのなかだもんな。
 ほんとうに、ありがとう。
 人格はないと何度念を押されようと、どうしてもわきあがってくる思いは、もうそれがあたりまえだから、自然なんだからいいやと思う。
 鉄人に感じる尊敬も愛情も、ぼくのなかでは博士や警部に感じるものとすこしも変わらない。
 はるか上空のマスクに笑いかけると、まるで応えるように鋼鉄の瞳が輝いた。
 びっくりして、さしだした腕をつかまれ、もっと驚く。
 気がつくと、ジープのなかだった。
 助手席から呆然と鉄人を見あげる。
 光ったと思ったのは、車のライトの反射だった。
「まったく」
 運転席で、シートにうずもれ額に手をあてているのは、大塚警部。
「なんだってこんなところまで……。しかも歩いて!」
 車内の溶けるようなあたたかさと、警部の大声で、現実感がもどってくる。
 教授とつもる話もあるだろうからしばらくいいだろうと出てきたけど、思ったより時間が経ってしまったらしい。
「すみ……」
 うまく口がひらかない。手袋をとり、フードを降ろして頬をこする。
「すみません。あの、ちょっと、散歩を、……と思って」
「どこがチョットだ。そもそもここは散歩って気候じゃないだろう。しかもこんな遠くまで、ひとりで! 君は放っておくと、すぐ鉄人のところだ。こんなことなら無理矢理にでも村のなかに鉄人を置かせてもらうんだった。まったく……」
「す、すみません」
 時計を確認すると、敷島博士に連絡を入れる時間はとっくに過ぎていた。
 通信機も使えないから、ずいぶん心配かけてしまったんだろう。
 おおきく溜息をついて、大塚警部が手荒にサイドボードをあける。取りだした水筒からそそいだカップを、目の前につきだされた。
「ありがとう、ございます」
 ココアだ。
 あわてて作ってくれたのかな。すごく、甘い。
 あったかい液体が染みわたると、身体中が冷えきっていたことにいまさら気づいて、息をつく。
「敷島博士に君がいなくなったと云ったら、なら鉄人のところでしょう、だと」
「……はあ」
「まさかそれはないだろうと、宿の近くをうろうろしてしまった。けっきょくは鉄人のところだ」
「……はい。すみません」
 神妙な顔をしてみせながら、でも、なんだか変だなあと内心首をひねる。
 警部、なんでこんなに怒ってるんだろう。
 たしかにここの寒さも雪も甘くみちゃいけないけど、凍傷の危険の判断もこれでばっちり会得したなあとか昼間は笑ってたし、村から離れてもここまで特に困ることもなく歩いてこれた。
 やめた煙草をなつかしんでいるような顔で長い溜息をつくと、大塚警部はやっとぼくを見てくれた。
「飛行機は、あさっての便に変更した」
「え? なにかあったんですか」
 問題が起きて、それで……? 一瞬あせったけど、大塚警部がのんびり手を振る。
「なんにもないない。だから、明日一日は君の好きなようにしていいってことだ」
「え?」
「許可がいるような場所へ行きたいのなら教授が手配してくれる。わしはどこでもつきあうが、ひとりがいいなら好きにしたまえ」
「けい…………、ぶ」
 思わず、ふきだしてしまう。
「正太郎くん?」
 大塚警部の、子どもみたいな拗ねた顔が、おかしくて。もうしわけないけど、涙まででてくる。
「すみま、せ……」
 どうしよう。笑いの、発作がとまらない。
「なんだなんだ。なにがそんなにおかしいのかね」
「だって……。あの、警部?」
「だからなんだ」
 息をついて、目尻をぬぐう。
「ぼくは、ほら試験もありますし。明日帰れるほうが助かるんですけど」
「テストなぞ後でいくらでも受けられるだろう。こんなところで一週間も働きづめだったんだ。一日くらいゆっくりしたって問題にはならん」
「なにか……、きいたんですか? 博士から」
 じろりとにらまれて、また笑いそうになってしまう。
「『観光気分でいて警部の面目をつぶしてしまってはいけない』、と君が心配していた話なら、きいたがな」
 ちょっと、敷島博士には文句を云いたくなる。まんま伝えなくたっていいのになあ。
「君は、どうしてそう気を使うんじゃ」
「いえ。べつに、そういうわけじゃ……」
「教授は、たしかに大事な恩師だ。だがな。正太郎くん。君は、わしのダイダイダイダイ、ダイダイダイダイ、ダイダイダイダイダイ……」
 こわれたレコードみたいにダイを繰り返してから、警部がひと息つく。
「ダイダイ、ダイ恩人だろうが。それに、君の見聞をひろめることは、ゆくゆくは鉄人のためにもなる。敷島博士が勧めるようなところは、できるだけ見ておくほうがいい。無理だと思っても、相談のひとつくらいしてくれたっていいだろう」
 やっといつもの調子にもどって迫ってくる警部を押しとどめる。
「はい。ありがとうございます」
 くすくす笑うと、頭にこつりと拳を乗せられる。
「こら。ここは礼を云うところじゃないぞ」
「そうですか?」
「すみません、だ」
「じゃあ、すみません」
「やれやれ」
 ものすごく歳が離れてるのに、つい軽口をたたいてしまう。警部の人柄に甘えてるって自覚はあるけど、怒られるのもじつは嬉しい。……なんてことは、ぜったいないしょだ。
 大塚警部がジープを発車させる。
 小さくなっていく鉄人が闇にまぎれてしまうと、つい溜息をついて、そこで、はっと思いだす。
「警部、とまって!」
「な、なんだ?」
 急ブレーキをかけて、外になにかあるのかと警部があわてた顔できょろきょろしている。
「エンジンも切ってください」
「なんだって!? いったい……」
「はやく」
 懐中電灯を点けてダッシュボードの上に置く。
 細い灯りだけをたよりに、素直にエンジンをとめてくれた腕をつかまえ、警部に顔をよせる。笑わないように、細心の注意をはらいながら。
「警部。じつはぼく、敷島博士から極秘の任務を云いつかってきたんです」
「なに任務? 極秘とはいったい……」
「静かに」
 ひとさし指をたてて見せると、つい、もう笑いがこぼれてしまってあわてて身を引く。
「外へでましょう」
「なにっ? しょ、正太郎くん……」
 外に降り立つと、空にはまだ見事な光の帯が残っていた。
 大塚警部もずっと忙しかったし、今夜だって、ぼくを捜しながら雪道を運転してたらきっとオーロラも星も目に入ってないんじゃないかな、って。
 うなりながら出てきた警部が、ぶるっとふるえて防寒着の襟元をあわせる。それから、空を見て。
「お?」
 しばらくして、やれやれ訳がわかったぞというような苦笑が向けられる。
 ぼくも笑って、さくさくと雪を踏んで車をまわりこむ。
 そっと息をつくと、耳元で、星がささやいた。

 

        (おわり)

 


  ■正太郎くん13歳(中1)。12月。まだ中学は3学期制なんですね(笑)。

      2010.08.28 WebUP / 2012.3.5 お茶頁へ移動 / 2017.4.18 ちょっぴり修正

 

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