太陽の使者 鉄人28号 〜 SS 〜

     Fragrant olive 〜金木犀〜


「本日は、ほんとうに、ありがとうございました」
 深々と頭を下げると、しずかな拍手が起きた。
 黒一色を纏った人々が立ち上がりはじめ、場内が急ににぎやかになる。
 壇上から降りながら、敷島大次郎は最前列の片端へと視線をやった。
 今日のためにしつらえた、黒い上着と半ズボンのスーツ。
 慣れない窮屈な格好をさせられているというのに、今朝ネクタイを結んでやったときからずっと、彼は敷島歌子の傍らでおとなしくしていた。
 はじめて目にするような大勢の人に、ただ驚いていたのかもしれない。しかし、今もなお中央に掲げられた大きな遺影にじっと注がれている瞳は、もう父親とは会えないのだと話してやったその意味を理解したようにも思える。遺体も戻らぬままの告別式ではあったが、赤児の時分に母を亡くしている彼は、やっと3つに届いたばかりの歳で、父の運命を悟ったのかもしれない。
 もっとも大次郎は、その父親が殺され犯人もわからないなどということは、彼がもっと成長するまでは絶対に隠し通すつもりだった。
「敷島君。ご苦労だったね」
 とりまきを引きつれた大柄の男に声をかけられ、大次郎は無表情を努め頭を下げた。
「ご出席、ありがとうございます」
「やつれたな。ちゃんと休んでいるのかね」
 たしかにあの日からほとんど眠ってはいなかったが、男の言葉はおそらく本題を切りだすための時候の挨拶でしかない。大次郎はさりげなくあたりへ目を走らせたが、この場を抜けだす口実は見あたらない。
「ところでだ、敷島君。昨日研究所へ越したそうじゃないか。つまりやっと君も、」
「いえ。あそこは正太郎くんの家ですから」
「君が研究所へ移るのは当然だ。しかし、なにも息子の後見人まで引き受けなくたって……」
「彼も望んでくれたことです」
「あんな子どもが、自分で判断できるかねえ」
 ひとりごとめいた言葉に無言を返され、男が顔をしかめる。
「まあ金田のためを思うなら、君はなにより研究のことを考えたまえよ」
 きつく指を握りしめ、大次郎は身体がぐらつくような目眩をこらえた。研究研究と連呼され、嫌でも、あの研究所で起きた惨状がまざまざと浮かんでくる。
 事件の第一発見者は敷島大次郎だった。部屋中に散乱した図面や書類。その上にいくつも深紅の血痕をひろげ、横たわっていた身体。あとのことはよく覚えていない。金田博士は殺された。そうはっきり理解できたのは、形式的とはいえ自分の身の潔白を証明しなければならなかった苦い拘束時間のなかでのことだった。
「だからどうかね、敷島君。あたらしい助手の件、わしにまかせてみる気になったか」
「それは先日も申しましたとおり、この先の見通しがつき次第、ご相談させていただきます」
 わきあがる感情を表にだすまいと、さらにこぶしを握る。事件翌日にはもう、研究のことだけを平気でせっついてきた人物だ。どうやら自分は金田博士より御しやすいと値ぶみされてしまったらしい。博士を殺した犯人も、研究内容の強奪が目的だったことだけははっきりしている。 きたるべき未来のためになされていた研究は、一歩道を違えれば強大な兵器にもなりうるものだった。 師とあおぐ金田博士を失い、これから先さまざまな思惑を持つ人々からも残された研究を守らねばならない大次郎は、底知れない孤独を感じていた。
 冷え切ったこぶしに、あたたかなものが触れる。
 見ると、それは金田博士の遺児・正太郎の小さな手のひらだった。
 とつぜん酸素を与えられたような心地で、大次郎が膝を落とす。
「どうしたんだい? 正太郎くん」
「……はかせ。あの……」
 かすれるような声は、それ以上つづかない。大次郎が小さな身体をひょいと抱えあげる。
「申しわけありません。本日は、これで失礼します」
 あっけにとられている人々に会釈し、大股で歩きだす。あわてて駆けてくる敷島歌子を目で制し、廊下から芝の中庭へと抜け、丘を登っていく大次郎を、正太郎がのぞきこんでくる。
「おはなし、してたのに……、ごめんなさい」
 不安そうなのは自分の顔つきのせいだと気づき、暗澹とした感情をふり払って大次郎は微笑んだ。
「いいんだよ。わたしも、きみと話がしたかったんだ」
 誘うような芳香は、なだらかな斜面に咲き競っている金木犀の花だった。
 なお歩いて、会場がすっかりみえなくなったことを確認してから、正太郎を地面へ降ろす。またわずかに目眩を感じながら、大次郎はうっすらと橙に染まった芝のうえに腰を降ろし、ひとつ、大きく息をついた。
「みんな、おとーさんに、あいにきたんでしょう?」
 大次郎はまばたきして、正太郎を見た。
「ああ。そうだよ」
「でも、おとーさん、いなかったから……」
 ちょうど目の高さに、ゆれる幼い瞳がある。
 そのほそい腕を引き、膝のうえに座らせる。小さな重みが、まだ悪夢のなかにいるような非現実感を薄めてくれるような気がして、大次郎は胸に伝わるぬくもりを、そっと抱え込んだ。
「正太郎くん。きみのお父さんは、まだ警察のひとのところにいる。みんな、今日は会えないとわかって来てくれたんだ。心配しなくていいんだよ」
 やわらかな黒髪を指ですきながら、暮れはじめた空を仰ぐ。
 研究所で暮らしていたこの子が、父の最後の姿を見ずにすんだことは、せめてもの救いだった。正太郎は事件発覚後すぐに敷島家が引き取り、現場検証を完全に終えた昨夜やっと研究所へと戻った。おかげで夕べもいまだ、とつぜん父親が消えてしまったことをどう考えていいのかわからないようではあったのだが。
「きみのお父さんは、わたしたちとは違う世界へ行ってしまった。そう話したろう。……お父さんは、今日も、明日も、これからずっと、もう……、きみと会うことはできない」
 ふりむき見あげた瞳は不安そうではあったが、しかし正太郎は、しっかりうなずいて見せた。
 こんな幼さで、やはり彼は、どこまでも自分を守ってくれるはずの存在の喪失を、理解し受け入れたのだ。頭が下がると同時に、これから父親の不在を補っていけるのか、どうにもこころもとなく思う自分が情けない。大次郎はゆっくりとまた息をついた。
「お父さんがいなくなって、淋しいだろう。でも正太郎くん、きみはひとりじゃない。これからも、わたしはずっときみのそばにいるし、それに歌子も牧子も……」
「まっきー?」
 今日はじめて目にするような明るい表情に、ひどく救われる。
「ああ。きっと今ごろ牧子は首をながくして、きみの帰りを待っているよ。……これからはずっと、牧子も、わたしも、きみの家族だ」
 父が消えた家で、あたらしい家族と暮らすということに、おそらくまだとまどっているのだろうが、正太郎は素直にうなずいてくれた。
 赤児のときから研究室のなかで育てられていた正太郎は、大次郎にとって実の娘より一緒にすごした時間が長いといっていいほど身近な存在だった。妻の歌子も牧子をつれてよく正太郎の面倒をみに来ていた。だから、父親以外に身よりのない正太郎の後見人の申し出は、すぐ認められたのだった。
 子どもをダシにして研究を独り占めする気だと、悪意のある噂も耳に入っている。誰にどう思われようと、金田博士の残した研究と、そして正太郎は自分が守ると、大次郎は腹をくくっていた。
 ただ、研究の行く末に関しては、途方に暮れるばかりの難題が山積している。まさしく五里霧中。そこを大次郎は、これからたったひとりで歩んでいかねばならない。
「きみの、お父さんと……」
 ネクタイをゆるめながら、ながいながい、ため息がもれる。
「先生と、会えなくなってしまって、……わたしも、とても淋しいよ」
 淋しい。それがぴったりの心境だった。言葉にすると、身体中の力が抜けていく。
「はかせ?」
 正太郎がおどろいた顔で立ちあがる。すぐ脇にきちんと正座して心配そうに見あげてくる様子が可笑しいのに、笑えない。あの日以来、はじめてこぼれた涙は、とめどなくあふれてくる。
 顔を隠すように視線を落とし、大次郎は無意味にただ、芝に散っている蜜柑色を目で追った。
「すまない。だが……、先生がいなくなってしまうなんて、思いもしなかったんだ……」
 あれほど情熱をささげていた研究をなかばに、こんなに幼い息子をひとり残して、金田博士がこの世を去ってしまうなど、予想できるはずがなかった。頼りない自分にすべてを託すなど、博士こそ夢にも思いはしなかっただろう。
「……わたしたちは、一緒に、とてもたいせつな仕事をしていたんだよ。……まだまだ、これから、先生とたくさんのことを考えていかなければ……、いけなかったのに」
 子どもにわかりはしないだろう詮ない愚痴も、涙も、留めることができない。
「これから、ひとりで……。なぜ、どうして先生が……」
 右の頬に、やわらかな指がふれた。
「おしごと、って、おとーさんの、ゆめ?」
 ふいをつかれて、大次郎が顔をあげる。
 涙を拭おうとしているのだろう、懸命に腕をのばして頬をなでてくる小さな手のひらに、不思議なくらい激情がかき消えていく。
「……ああ、そうだ。……そうだね」
 大次郎が、よわよわしいため息をつく。
「先生は……、あの研究の完成が、一生の夢なのだと、よくおっしゃっていた」
 幼いわが子にも金田博士はそんな話をしていたらしい。おぼろげにでも、正太郎はその言葉の意味を理解しているのだろうか。
「はかせ。おとーさんのゆめ、つくって、くれますか」
 大次郎をみつめる双眸の瞳と、精一杯つむがれた言葉には、打たれるような真剣さがあった。
 おそらく金田博士は幾度も幾度も、息子に夢を語っていたのだろう。その情熱だけは幼い子どもにも感じとれるほどに、力強く、何度でも。
 頬をぬぐい、ゆっくりと息をついて、大次郎の口元にやっと微笑みが浮かぶ。
「ああ」
 立ち止まっていては、なにも始まらない。
 それが、金田博士の口癖だった。
「わたしのできるかぎり……。いや、先生の夢は、このわたしがかならず、完成させてみせるよ」
「おねがいします」
 礼儀正しく頭をさげる仕草に、おもわず笑いがこみあげる。研究所で自分が金田博士に対していた口調ばかりをおぼえてしまい、正太郎はとても丁寧な物言いをする子だった。仕事場ではきびしかった博士が、息子が喋りだすと面白がってよく笑っていたものだ。
 あの、あたたかな、なつかしい笑顔が浮かぶ。
「正太郎くん。もしも、お父さんの夢が完成したら、きみも力を貸してくれるかい」
「はい」
 元気な答えが返った。まっすぐ相手をみつめる力強いまなざしが、父親にほんとうによく似ている。
 こんな子どもに約束をとりつけようなどという気はなかったが、背中を押してもらったようで力が湧く。
「ありがとう。正太郎くん」
 肩を引き寄せ、子どもには不似合いな黒いネクタイを外してやる。ほっとしたような顔で、正太郎が笑った。
 研究が完成したとき背負わされることになる重い父の遺志を、この子はまだなにも知らない。
 そのとき。自分は、この子にうらまれるのではないだろうか。
 あびるような金木犀の香りのなかで、まだ形もみえないような漠然とした不安をおぼえて、大次郎は小さな身体をそっと抱きしめていた。

 * * *

 整備室に入ると、案の定、あかりが灯っている。
 しかし室内に人影はない。
 硝子の壁のあちら、格納庫の暗がりに目を留めて、敷島大次郎がぎょっとする。鉄人28号の鋼鉄の左手が、こぼれる涙を受けとめるように、あごのあたりまで上がっていた。
 あわてて計器盤にとりつき、マイクの電源を入れる。
「正太郎くん!」
 おもわず大声がでて、巨大な指先のあいだから身をのりだすようにしていた少年がバランスを崩す。あわてて中指にすがりつくのを見届けるまで、大次郎はその場に凍りついてしまった。
『あー、びっくりした……』
 スピーカーが、気がぬけるほど、のんきな声を拾う。
 その声の主、金田正太郎は足場を確かめ身を起こし、笑顔でこちらへ手をふっている。
『博士、おかえりなさい。はやかったんですね』
 ようやっと緊張が解け、大きく息をつき、大次郎は格納庫に落下防止装置をつけねばと頭の隅で考えながらマイクを握りなおした。
「驚かせてすまなかったね。しかし、そんなところでなにをしているんだい」
『ああ。博士、ここ見てくださいよ』
 少年が背伸びし指さしたのは、鉄人の、人で云うなら口元を覆うマスクの右上辺あたりだ。大次郎はコンソールの前に腰を降ろし、格納庫を全灯に切り替えた。あざやかな藍色の装甲が照らしだされる。さらにいくつか機器を起ちあげ、カメラ操作で目標地点の画像を拡大してみると、深くはなさそうだが、かなりの長さの溝がたしかに判別できた。
『ほら。こんなに……』
 ひどくしょんぼりとした声に、おもわず可笑しくなる。
 正太郎はここの設備のほとんどを、すでにひとりで使いこなせるようになっている。鉄人の全身をくまなく点検することなど、こちら側で座ったまま簡単にできるというのに、彼はわざわざ格納庫に入り、どうしても実際に自分の目で確かめなければ気がすまないのだ。
『ごめんな。鉄人』
 つぶやくような声がスピーカーから漏れる。まるで生身の傷をいたわるように、銀色の亀裂をゆっくりたどる指先。その手で触れることで、彼は物言わぬ鉄人の痛みを自分のなかに刻みつけているようだった。
 やれやれと息をつく大次郎の瞳がやさしく緩む。
「これは気づかなかったね。わたしがいないあいだ出動はなかったんだろう? とすると神戸の……」
『たぶんそうです。すみません』
 荒仕事の多い鉄人が傷つくことなど当たり前なのだが、正太郎はいつもあやまるのだった。
「いいんだよ。それより、もうあがってきなさい」
『でも、もうすこしで……』
「あとはわたしにまかせて。それに、もうとうに夕食の時間だよ」
『えっ、あれ? ほんとですか』
 目をまん丸くして、正太郎があわててVコン操作にとりかかる。地上へと降りていく鋼鉄の手のひらを見送って、大次郎はゆっくり立ちあがり、かたわらの白衣をはおった。ここには時報つきの大時計も必要らしい。襟元をただしながら笑みがこぼれる。
 ばたばたと整備室へもどってきた少年は、モニターをのぞきこんでから、心配そうな目を向けてくる。
「だいじょうぶ。これくらい、今すぐ修理できるよ」
「いえ、また今度でいいですから。博士、おつかれでしょう」
「せっかくきみがみつけてくれたんだ。直してしまおう。小さな傷でも、いざというときどんな影響を及ぼすとも限らないからね」
 大次郎の言葉に、少年がぱっと明るい顔になる。
「ありがとうございます」
 来年の春には、もう中学だ。
 ほんとうに、大きくなったものだ。
 ふとそんな感慨にとらわれたのは、金木犀が香る庭先を抜けてきたせいだろう。
 ありがたいことに、あの遠い日の不安は、いまでは笑い話でしかない。こんなにもはやく託すこととなった鉄人を、正太郎は拒むどころか、父の形見とそれはたいせつに想ってくれている。
 修理にとりかかろうとして、大次郎はまだ留まっている視線に気づいた。
「きみは先に行きなさい」
「あの、博士。……今日って、むりやり帰ってきてくれたんじゃないですか?」
 ためらうような声に、大次郎が驚く。そんなことを気にしていたのかと。
「ああ、なに。とくに問題がなければと、先方にも前々から了承を得ていたんだよ。わたしにとっても、明日は大切な日だからね」
「ありがとうございます」
 正太郎がほっとしたように微笑う。
「博士」
「なんだい」
「もしも……。もし、博士が、ぼくを引き取ってくれなかったら、どうなってたのかなあって考えたら、……なんだか、怖くなりました」
「どうしたんだい急に」
 明日は、金田博士の命日だ。だからいろいろと考えてしまうのだろう。そう察しつつ明るく問うと、正太郎は考え込むように視線を外した。
「さっき……、ずいぶん昔のことを思いだして」
「むかしのこと?」
「博士が喪服だったから……、あれは、お父さんのお葬式だったんでしょうか」
 すこし首をかしげて、正太郎が視線をもどす。
「でも外の芝のうえに座っていて。……博士、泣いてましたよね」
 口元をおさえ、大次郎がおもわず天をあおぐ。この少年はときどきふいに、すごいところへ直球を投げ込んでくるのだ。
「……よく、おぼえてるねえ」
 ため息まじりの言葉に、正太郎が微笑う。
「おぼろげに、すこしだけですよ。でもあのとき……、博士は、ほんとうにお父さんのことを好きだったんだなあ、って思って」
 逃げだしたいような心境の大次郎を、少年がまっすぐみつめる。
「だから、淋しいのとか不安なのとか、いろいろ怖くてたまらなかったのが……、なんだか、このひとが一緒にいてくれれば大丈夫だって、すごく安心したんです。……そんなことを、思いだして」
 返す言葉がみつからない。
 研究を守ることと正太郎を守ること。量りにかければ、あのときはおそらく前者の方ばかりに必死だった。それにただ己の感情におぼれただけの涙を、この子はそんなふうにとらえて自分を頼ってくれたのかと、心底恥ずかしくなる。
 息をついて、大次郎は少年の肩に手を置いた。
「……だがね。きみがもし別の場所へ引き取られていたとしても、きっとわたしは時がくれば、きみに鉄人を託していたと思うよ」
「でもそうしたら、ぼくは逃げちゃったかもしれません」
「なんだって?」
 思わぬ答えに、大次郎が驚いて手を浮かす。正太郎は冗談を云っているようには見えない。
 しかし、鉄人を託したあのとき、彼はほとんど迷う様子も見せなかったはずだ。
「だって、いきなり、ほとんど記憶がないお父さんの形見だなんて云われても、ぼく、きっと怖くて断ったんじゃないかと……。博士がいてくれて、お父さんがずっと暮らしていた、この家で育ったから、だからぼくは鉄人を引き受けられたんだと思うんです」
 そんなふうに、選択肢を違えていたら鉄人を拒否したかもしれないと、そう正太郎が考えているということに、愕然とさせられる。
 だが彼の推測は的を射ているのだろう。大次郎がよわよわしく、ため息をつく。
「……それなら、どちらがきみのために良かったか、わからないねえ」
 まばたいて、正太郎が眉をひそめる。
「なに云ってるんですか。博士も鉄人もいる今のほうが、絶対いいに決まってるじゃないですか」
 あっけにとられるほどあっさりと云ってくれた言葉に、どれだけ自分が救われたか、彼にはわからないだろう。おもわず涙腺にわきあがってきたものをまばたきでごまかしながら、大次郎は深々と頭を下げた。
「……ありがとう。正太郎くん」
「ぼくのほうこそ、ありがとうございます」
 丁寧なおじぎが返される。顔をあげた正太郎の、ほがらかな笑みが、彼の迷いのなさを確信させてくれる。
 ほんとうに、大きくなったものだ。
 大次郎はまたしみじみと、心があたたまるような幸福をおぼえた。
 無理矢理知らされることとなった父親の死の真相をも、彼はまっすぐ乗り越えた。あの、おぼつかない足取りのおさな子は、いまでは大次郎を支えてくれる存在にさえなっているのだ。
「博士。じゃあ、こういうときは、どうしたらいいんですか?」
 さもわくわくしたような声に我に返り、大次郎が微笑む。
「ああ。あそこは特に強度のある金属を使用しているからね。このまえ肩を破損したときの修理法を、おぼえているかい」
「ええと、たしか、ここの……」
「あーっ、もおパパ!? なんで白衣なのよ」
 同時に振り返ったふたりが、駆け込んできた敷島牧子ににらまれ凍りつく。
「ああ、牧子。いや、ちょっと鉄人がね……」
「鉄人より、ご・は・ん!」
 牧子は可愛いおろしたてのワンピース姿で、腰に手をあて仁王立ちだ。
「だからあたしが行くって云ったのに。パパと正太郎くんじゃ、いつまでたっても鉄人から離れようとしないんだから。だいだい正太郎くんも、なんど呼びだしたと思ってるのよ」
「ご、ごめん。あっち側にいて、聞こえなかった……、みたいで」
 頭をかきながら、正太郎がしどろもどろに答えている。笑いをこらえ、大次郎が白衣を脱ぐ。簡単な修理だ。あとですこし時間を見繕えばすむことだ。
「牧子。わたしが悪かったんだよ」
「そうよ。せっかくパパが早く帰ってきて、ひさしぶりに家族そろって食事ができると思えば、これなんだから」
「だから、ごめんってば」
 正太郎がつい笑いだしてしまい、牧子の頬がますますふくれる。
 物心ついたときからずっと一緒に育ってきた同い年のふたりは、ほんとうの兄妹のようだ。
 そして『家族』と自然にくくれるほど、正太郎はとうに敷島家の一員となっている。
「遅れたふたりは、デザート抜きですからね」
「ええっ、かんべんしてくれよ」
 なさけない声をだした少年の肩をたたき、大次郎が笑う。
「さあ。いそがないと歌子まで怒りだしてしまう」
「ご愁傷さま。もうとっくに怒ってるわよ」
「うわ。どうしましょう、はかせ」
 にぎやかに整備室をでていきながら、それでもほんの一瞬、硝子窓の向こう側へと投げかけた、少年のなごりおしそうな表情が、大次郎の目に留まる。
 静まりかえった部屋。
 硝子窓の向こうに残された、鋼鉄の巨人。
 それを見あげている金田博士の満足そうな表情まで、はっきりと思い浮かぶようで、敷島大次郎は満ち足りた心地で、ゆっくり歩きはじめた。
 駆けていく少年たちが、口々に自分を呼ぶ。
 その先から確かに、ゆるやかに流れてくるのは、金木犀の花の香りだった。

 

     (おわり)

 


 ■あとがき■

 金木犀の開花時期は9月末から10月ごろ。正太郎くん3歳のお誕生日付近、そして11歳(小6)の秋のお話です。

 正太郎くんは歌子さんのことを「おばさん」と呼ぶので、博士もむかしは「おじさん」時代があったのかもしれませんが…。いやいや、やっぱり博士は「はかせ」でしょう!
 太陽の使者の正太郎くんは普通の少年でした(←いちおう)。でも幼いときから同居している敷島夫妻に対しても、やたら丁寧な言葉遣いなのは、やはりそれは「金田正太郎だから」だとは思うのですが…。でも新説、“敷島博士の口調が移った”! いかがでしょうかっ(^_^;;;?

 正太郎くんが住んでいる丸木小屋。あの怪しい隠し部屋を見るに、あそこはかつて金田家が研究所で暮らしていたころの、敷島博士の仮宅だったんじゃないかな〜などと想像します。きっと忙しくて自宅にはほとんど帰れず研究所で過ごす日々が…。つまり敷島大次郎さんは、正太郎くんが生まれたときからずっとそばにいてくれたのです!(←断言)
 母はなくとも、金田パパとふたりで親のような存在で、だから正太郎くんは父の死も甘受して、その後の大塚さんもそうですし、まわりの大人みんなに育てられたような環境によって、あんなに素直でまっすぐで優しい良い子に育ったのですねえ! …ねえ?
 はい。妄想づくしで申し訳ないです(^_^;)

  2005.05.16 WebUP / 2005.08.19 鉄人頁へ移行 / 2006.02.13 ちょこっと訂正 / 2015.01.05 少々訂正

 

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