太陽の使者 鉄人28号 こばなし・その 37   〜 居残り 〜

 鉛筆でつつかれていた頭が、まっすぐなおる。
 本来の使われ方で動きだした鉛筆は、今度は淀みなく動き続けている。
 ほっとして見た窓の外は、紅く染まっていた。
 見事な景色に気づきもしない横顔に、そこまでと思わず声をかけたくなる。
 一緒に夕陽を眺めるほうが、教育者として正しいのではないだろうか。ぐらつく思考の最中、彼は静かに鉛筆を置き、息をついた。
「終わりました」
 まだ約束の時間には早いが、表情をみれば自信はあるのだろう。
「おつかれさま」
 テスト用紙を受け取って、こちらも晴れ晴れとした気分で外を指さす。
「頑張った君に、ごほうびみたいだよ」
「うわ……」
 金田は声をあげて立ち上がった。
「染まりましたねえ」
 目を輝かせる様子に、へえと思う。
 この子は、たぶん素晴らしい夕陽など、世界中で何度も見てきているだろう。
 それでもこの何でもない日の夕陽に声をあげて喜べる素直さが、まったく金田らしい。
 テスト用紙に目を落とせば、ちゃんと取り組めていることがうかがえた。
「君は、本当に努力家だねえ」
「え、いけそうですか?」
「たぶんね」
「やった!」
 このテストの出来次第で明日からの補講のあるなしが決まる。いそがしい金田はやはり居残りは極力避けたいのだろう。
「補講は嫌いかい?」
「いえ。でも、こういうテストだけでも余計な時間をいただいてしまって、先生にはいつもご迷惑をおかけしてるので……」
 意外な言葉に驚いてしまう。
「授業が受けられないのは、別に君のせいじゃないだろう」
「でも、」
「協力できることがあったら、私は嬉しいんだよ。補講くらい毎日やってもかまわないから、ひとりで無理するなよ」
「ありがとうございます」
 ほっとしたような表情で、金田が頭を下げる。
 本当に迷惑をかけていると思っていたのか。こちらの方が恐縮してしまう。
 夕陽に戻したおだやかな横顔。
 謙虚で、大人びていると感じることも多い。
 それは、想像もつかないような危険にさらされ、悲惨な光景を幾度も目にしてきた結果なのかもしれなかった。
 そう思うと、何事も起きないこの夕刻は、この子にとっては貴重な輝くような時間なのかもしれない、などと勝手な想像にふいに胸をつかまれ、紫の混じりだした空を見上げたとき、教室のドアがノックされた。
「終わった?」
 敷島牧子だ。テニスラケットを肩にかけ、今日は部活だったらしい。
「ああ。もう帰っていいぞ」
「よかった! 先生、うち門限厳しいんで、もうちょっと早く切り上げてくれないと困ります」
「すまんすまん」
「マッキー、先生のほうが、ぼくにつきあってくれてるんだぞ」
「だってー。いいから正太郎くん、支度、支度!」
 物心ついたときから一緒だったというこの二人は、まるで兄妹だ。いや姉弟か?
 不思議と二人揃うと、金田は年相応の子どもらしい印象になる。面白いコンビだった。
「ほらそこ。消しゴム忘れてるわよ」
「あっ」
 敷島一人あらわれただけですこぶる賑やかだ。
「それじゃ先生、また明日!」
「先生、ありがとうございました」
「気をつけて帰るんだぞ」
 金田がきちんと扉を閉めて出ていく。廊下を……走ってはいけないが、今日はまあいいだろう。廊下を走る足音が遠ざかると、静寂が戻る。
 息をついて、手にしたテスト用紙を見る。金田の努力の結晶だ。たった一枚の紙だが、重い。
 明日の朝には、みんなの前で誉めてやろう。
 歓声と拍手が湧きあがる教室が、いまから目に浮かぶ。
 教室を出て、からっぽの廊下をゆっくり歩きだす。
 どうか明日も、子どもたちがみな学校に揃う平穏な日であるようにと、心から願いながら。

 

     (おわり)

 


 ■あとがき■
 採点してみたら「えっ!?」とは……、なりませんよねえ勿論(笑)。
 明日も、平穏な一日を

     2022.9.12 WebUP   /  2025.2.14 こばなし集へ移動

 

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