太陽の使者 鉄人28号 こばなし・その 34   〜 特訓 〜

「はーかーせ」
 耳もとで呼ばれ、おどろいて顔をあげる。
「ああ警部。これから稽古ですか?」
 わたしの言葉に、大塚警部は何故かあきれた表情で大仰な溜め息をついた。
「その本にクギづけでウワノソラーッて感じでしたが、やっぱりだ。その台詞、きょう二回目ですぞ」
「……それは、失礼しました」
 まったく覚えがなかった。あわてて立ちあがる。
「では……」
 口調からすると、怪我とか事件とか、なにか差し迫ったことではないのだろう。
 しかし柔道指南に着いた時点では声をかけていく警部が、帰りも寄ることはまれだった。
「なにか、ありましたか」
「はい。例によって正太郎くんの“もう少しだけ”、がつづきましてなあ。きょうは正味二時間はみっちり稽古した、そのうえ、……その〜」
 一瞬およいだ視線が、私にもどる。
「着替えながら、ちょっと射撃の話になりまして。先日のことを正太郎くん、やっぱりまだ気にしとるんですよ。だもんで無下に断わることもできませんで……」
 すまなさそうな表情で大塚警部が首に手をやる。
「つまりその……、裏山で、軽く実地で説明することになってしまいまして……」
「そうですか」
 あの件は自分の責任だったと正太郎くん以上に落ち込んでいた警部のことだ。なにかできればという思いはよく理解できた。
「それで……」
 わたしの態度にほっとしたような顔で、警部は窓の外に視線を投げた。薄いカーテン越しに、紅色の空がひろがっている。なるほどもう夕方か。
「博士。たいへん申し訳ないんですが、わしはもう時間切れでして。あと10分とか云ってましたが、正太郎くんのことだ、一人じゃいつまで頑張ってるか知れやしない。お手数ですが博士、ぼちぼち行って切りあげさせてやってくれませんか」
「ああ。わかりました」
「すみませんねえ」
「いいえ。こんな時間までお引き留めしてしまって、こちらこそ申し訳ありませんでした」
「いえいえ。じゃ、たのみましたぞ」
 帽子のつばをちょっと持ちあげ、きびすを返した警部が、ふと足をとめて振り向く。
「まったく、博士にそっくりですな」
「はい?」
「あの集中力、そっくりですよ。まったくもって感服するんですが、いかんせん正太郎くんはまだ……。いかん。ほんとに時間切れだ。では!」
 大きな背中は、あわただしく部屋から出ていった。
 正太郎くんは、まだ子どもなのだから。
 警部はそう云いたかったのだろう。
 本を閉じ、思わず溜め息をつく。
 そろそろ半年になる。まだやっと半年だ。
 この数か月で、この溜め息はすっかり習慣になってしまった。
 なによりまず自分の身を守ること。そして無理な訓練はしないこと。
 鉄人を託したとき一番に交わした約束は、どちらも守られているとは云いがたかった。
 どんな訓練も、頑張るというよりあきれるほど打ち込んでしまう。
 無茶がすぎては正太郎くんの身体にもさわる。それが心配なのだと、いさめたことが幾度あっただろう。
 コートをつかみあげながら窓をみれば、見事に紅く染まった雲の端は、うっすら暗くなりはじめていた。

  ◇ ◇ ◇ 

 このところ朝晩は冬が戻ったような冷え込みが続いていた。
 コートをはおって正解だったとひとりごちながら木々を見回し、ブナの木立のすみに背中をみつける。
 正太郎くんは、声をかける前に走りだした。
 特製の麻酔銃を両手でかまえ、舞い落ちる枯れ葉を見事に撃ち抜く。
 一番弱い設定にしてあるのは光の筋で見てとれたので、つい見守ってしまう。
 強い風が巻いた。冬を越してもまだ枝にしがみついていた枯れ葉がいっせいに舞いだし、次々射抜かれていく。
 筋がいいと、警部が誉めていた。
 わずかのあいだに、すっかり様になってしまった。
 複雑な思いがわきあがる。
 身を守るためには必要なことだが、射撃訓練は警部と一緒に警視庁の施設だけでと、この家では必要のない限り銃には触れないということも約束したはずだった。
 柔道だけでなく、警部はあらゆることを教えておこうと時間を作ってくれている。そういった特殊な時間は否応なしに増えていくのだから、ここで過ごす時間はせめて、できるだけ穏やかなものにしてやりたかった。
 麻酔銃とはいえ当たり所が悪ければ怪我をさせる危険もある。それが現実となってしまった先日の事故から、もうひと月近く経つが、正太郎くんはまだ気に病んでいるのだ。今日は警部が許可したようなものだ。自信につながるのなら、今日のところは許してやるべきだろうか。それとも、きちんと叱って……。
 迷っているうちにまた風が起こり、宙を見ながら走りだした正太郎くんは、いきなり派手に転がった。
「正太郎くん!」
 駆けよったわたしを、まんまるに見開いた黒い瞳が見あげてくる。
「はか、せ……?」
 吐く息がうっすら白い。
 冷え込んだ森のなかで、こんなに汗をかいて。
 なぜここまでするのかと、一気に叱りつけたい心境になってくる。
「なにか、あったんですか」
 おさまらない息をはずませながら、さしだした右手を力強く握りかえし、正太郎くんが緊張した面持ちで立ちあがった。
「……いや」
 硬い表情をしていたのだろう。事件が起きたのではと身構えさせてしまったようだ。あわてて表情をつくろう。
「なにも、起きてはいないよ。きみが……、その、怪我でもしたんじゃないかと思ってびっくりしただけだ。大丈夫かい?」
「ああ、はい。根っこにつまずいちゃいました」
 苦笑いしながらひざをはたこうとして、手にしている麻酔銃に気づいた正太郎くんは、はっとした顔で背筋を伸ばし、大きく頭をさげた。
「すみません! ……あの、これは……」
 息をつき、おだやかな声を心がける。
「警部から聞いたよ。だが、そろそろ終わりにしたらどうだい」
「……はい」
 うつむいて、銃を上着に納める、そのじゅうぶん叱られたような表情に、喉元まで出かかっていた言葉はどこかへ消えてしまった。
 こんなに頑張っているこの子を叱るのは、とにかく間違っているだろう。
「風邪でもひいたらいけない」
 コートをぬいで肩にかけてやる。
「ありがとうございます」
 正太郎くんは、やっとすこし微笑んだ。
 その小さな肩をたたいて、わたしは息をついた。
「……さあ。帰ろうか」
「はい」
 素直に歩きだした正太郎くんは神妙な表情だ。
 このままではいけない。はっとそう思う。
「正太郎くん」
 足をとめると、怪訝そうに正太郎くんも止まった。
「わたしは、きみが心配なんだよ。一所懸命と無茶は違う。何度も話したね」
「……はい」
「今日、きみは完全なオーバーワークだろう」
「はい。すみません」
「叱ってるんじゃないよ。ただ、無理をしないで欲しいんだ。あのことはもう、わたしと警部にまかせて、きみは忘れてくれないだろうか」
「すみません」
「いや、だから謝って欲しいわけでは……」
「ぼくは約束をやぶりました。だから、すみませんでした」
 もう一度頭をさげて、真剣な瞳がわたしを射抜くように見る。
「博士。お願いします。しばらくの間、この家でも、こうして訓練する許可をください」
「……正太郎くん」
「努力してたら何とかなったことかもしれないって思ったら、ぼくは、じっとしてる方がたまらないんです。でも、きちんと話をして、博士に許可をもらってから行動するべきでした」
 まっすぐな、それでいて泣きそうにも見える瞳に驚く。
「それに、博士。ぼくは、忘れるなんてできません」
 その言葉に、またはっとさせられる。
 正太郎くんは怒っているのだ。
 あの事故をなかったことのように扱う我々の態度を。
「……すまない」
「え?」
「きみは必死になにもかもやろうとする。だから、忘れて欲しいなどと云ってしまった」
 民間人に怪我をさせてしまったことを気に病むなというのが無理な話だ。しかしこれから幾度でも起こりうる失敗のひとつひとつをいつまでも引きずっていては、正太郎くんが辛いだろうと。
 責任の重みにおしつぶされぬよう。
 いや責任を感じないで欲しいと。
「きみのために……、そう思っていた。だが忘れろというのは、なにも考えるなと迫ったようなものだね」
 正太郎くんに叱られた。そんな気分になってはじめて冷静に自己分析ができた。
「正太郎くん。ほんとうに、すまなかった」
 改めて、わたしは正太郎くんに頭を下げた。
「どうして博士があやまるんですか?」
 わたしの腕をつかんだ正太郎くんの、めんくらったような表情に思わず笑ってしまう。
 息をついて、もう少し心の内を吐露してしまいたくなる。
「正太郎くん。鉄人は、必要に迫られ見切り発車で世に出してしまった。だから、わたしは、きみに対して後ろめたい気持ちがある」
「……え」
「きみがしたことの責任はすべてわたしが負うのが当然なんだ。……きみには、もっと大きくなってから鉄人を託すつもりだった。きみは文句ひとつ云わないが、まだ子どもであるきみの時間を鉄人のためにこんなに使わせてしまっていることを、いつも申し訳なく思っている。だからわたしは、きみには過度に過保護になってしまう。自覚はあるんだが……」
 ずっと驚いた顔をして、正太郎くんは黙ってわたしの言葉をきいていた。
「きみを子ども扱いしているわけではないんだよ。きみには本来あるべき時間を過ごしてもらいたいと、なるべくきみに迷惑をかけないように、いろいろな約束を決めてきた。きみと交わした約束は、だから、きみを縛るためのものではない」
 まばたきして、正太郎くんは明るい表情になる。
「じゃあ……」
「やってみたいことがあれば、どんどん云いなさい。ルールは必要なら変えればいい」
「はい」
「明日、一緒に大塚警部のところへ行ってみるかい? 時間を作ってもらえるよう警部にお願いしてみよう。しばらくは週に一度、稽古の日に射撃の訓練もできたら、きみの助けになるかい?」
「……はい! 博士、ありがとうございます」
「まだ警部がうんと云ってくれるかわからないよ」
「はい」
 正太郎くんの嬉しそうな顔に、わたしも笑ってしまう。
「はかせ」
 やっと歩きだしたところで、正太郎くんはまたわたしの腕をつかまえた。
「ほんとうは博士の話、よくわからなかったところも多いんですけど、ぼくは、博士のカホゴに甘えちゃっていいんでしょうか?」
「うん? ……ああ。きみが甘えてくれたら、少しは気が楽になって助かるよ」
 どれだけわたしが感謝をしているか、正太郎くんにはわからないだろう。
 心の内を話してしまったことで肩の荷が少し軽くなったような気もするが、正太郎くんにまたなにか背負わせてしまったような不安も湧き上がってくるのだった。
「はかせ」
 ぐいと腕をつかまれ向き合う形になって、真剣な瞳に見上げられる。
「あと、さっきの話。博士は勘違いしてますよ」
「勘違い?」
「鉄人のために使う時間は、ぼくにとって迷惑なんかじゃなくて、大切な時間なんです」
 きっぱりと、正太郎くんは云い切った。
「……正太郎くん」
「それに見切り発車でも、博士がぼくに鉄人を託してくれてよかった、って思います。博士。ありがとうございます」
 礼を云われるとは思わなかった。
 重い後ろめたさも後悔も、この子は跡形もなく蹴散らしてしまう。
 この子とともに努力してゆける今は、わたしにとっても大切な時間だった。
「ありがとう、正太郎くん。きみに鉄人を託して、ほんとうによかったと思うよ」
 正太郎くんは照れたように微笑んで、手を離し歩きだした。
 追いつき、並んで歩く。
 これからも、心配させられたり叱ったり、そんなことがたくさんあるだろう。だがそれは、正太郎くんが一緒に歩いてくれるからこそ起きる。
 ともに歩めることに感謝して、あせらずに進もう。
 風が木々をゆすると、薄暗くなりはじめた地面に紅い光が舞い揺れる。
 歩いていれば、なでていく冷たい風も心地よい。
 書斎にこもってばかりいたが、気づけば季節はたしかに春になろうとしていた。
 桜もじき咲くだろう。
 風にまじる新緑の匂いが、そう予感させてくれた。

 

     (おわり)

 


 ■あとがき■
 正太郎くん11歳(小5)。初春。
 もうすぐ進級。鉄人と出会って半年余のお話です。
 のっけから射撃がめちゃくちゃ上手い正太郎くん。よほど一所懸命練習したんだろうなあ!
 そんな予想をまとめてみました。

 正太郎くんの麻酔銃の収納はホルダー設定がありましたが、放映では上着を脱げばTシャツだけという印象だったので、銃は内ポケットにしまっています。

 また懲りずに鉄人の改良にいそしんでいらっしゃる博士には、もう少し正太郎くんとゆったり過ごす時間を作っていただきたい。そんな願望もエッセンスにしました。

 それにしても、はかせの一人称は落ち着いていいですね
 さあ。もうじき春ですよ〜♪

     2021.2.14 WebUP   /  2022.2.14 こばなし集へ移動

 

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