太陽の使者 鉄人28号 〜 SS 〜

   おやのきもち


 (1)

 上空から見た通りの、小さな村だ。
 鋼鉄の巨人が、背中のブースターを弱め、村はずれのわずかな平地に着地した。
 しずかに膝をついた巨人の両手から二人、中年男と少年が地面に降り立つ。
 あたりの民家から仰天したような顔をのぞかせはじめた人々に、男の方が手をふってみせる。
「あやしいもんじゃないんで! 交番か役場、このへんにありませんかねえ」
 インターポールの制服が見てとれたのだろう。顔を見合わせていた人々のなかから、寺の階段を降りろ、といういらえが返る。
 男が振り向くと、草むらに座り込んでいた少年は、機械の詰まった箱を閉じて立ちあがるところだった。
「大塚警部。このままの姿勢の方が、目立たなくていいですよね」
 おそらく中学にもならないだろう。小柄な少年は、体格のいい男相手に同僚のような口調で云う。それがこのふたりには自然なことのようだった。
「そうじゃな」
 夕陽に照らされ膝まづいている巨大なロボットを、大塚と呼ばれた男がのけぞるように見上げる。
「すまんな、鉄人。今夜はここで野宿だ」
「ほんとにいいんですか?」
「ああ。もうわしはくたくただ。諜報部の資料がなっとらんから余計な手間をとったんだ。宿代くらい経費で落としてもらおうじゃないか」
 男は少年の肩をたたき、寺とおぼしき古瓦の方へと歩きだした。少年が追いつき男の太い腕をつかまえる。
「ん?」
「警部、ありがとうございます」
「なにをありがたがっとる。じつはな、明日の朝の会議に欠席する理由が欲しかったところなんじゃよ。これで局長の渋い顔を見んですむわい。明日は日曜じゃし、正太郎くんは今日帰らんでも別にかまわんだろう? つきあえつきあえ」
 正太郎と呼ばれた少年が、おかしそうに笑う。
「日曜に会議があるんですか」
「あるとも。人使いが荒い上司を持つと、苦労するわい」

 * * *

 寺の参道のふもとで、正太郎は古びた石段に腰を降ろしていた。
 あくびをひとつ。膝にのせた箱に片ひじをつき、またぼんやりとあたりを眺める。
 目の前にあるのは寺の裏山同様の閑散とした雑木林で、とてもどこが交番ともつかず、大塚が待っているよう云い去ってから、かれこれ30分は経つ。はじめから、本部と敷島博士への連絡をひとりで済ませ、宿を探してもどるつもりだったのだろう。これだけ時間がかかるところをみればそれは確信に変わって、本音を云えばすぐにでも横になりたいほど疲れきっていた正太郎は、大塚の心遣いを心底ありがたく思った。
 数羽の鳥が甲高く鳴き交わし飛んでいく。濃淡の激しい見事な夕焼けを眺めながら、しかしその雲の多さに雨の予感がますます強まる。やはり無理して帰らなくて正解だったようだ。
「どうしたの」
 背後の声に一瞬緊張し振り向いた正太郎は、人のよさそうな女性の笑顔に、こっそり自己嫌悪を抱きつつ、内ポケットの銃へと伸ばしかけた右手を降ろした。
「陽が落ちたら、このあたりはまだずいぶん冷えるわよ」
「あの、つれを待ってるんです。もうもどると思います」
「そう。あなたが、金田正太郎くん?」
 すぐ隣にゆっくり腰を降ろして、女性は持っていた水筒から湯気の立つ液体をフタにそそぎ入れ、正太郎の目の前に差しだした。
「どうぞ」
「……ありがとうございます」
 この女性の顔は、鉄人が降り立ったときにも見かけたと思い至り、正太郎は迷いなくお茶に口をつけた。
 紅茶だろうか。すこし甘く、あたたかく、頭がすっきりする。
 にこにこと見守る女性が、どこか懐かしいような気がして、正太郎はああ、と思いついた。
(歌子さんに、似てる)
 おそらくこの女性には子どもがあり、やさしい母親で、だから、なにかの折に正太郎がひとりでいるのを見て、わざわざ降りて来てくれたのだろう。
「うちにもね、あなたくらいの子がいるのよ」
 おおざっぱな推理が見事に当たり、正太郎は思わず微笑った。
「男の子?」
「ええ。でもまだまだ子どもよ。あなたは、その歳で世の中のために頑張っていて、すごいと思うわ」
「息子さんだって、ぼくの境遇に置かれたら、同じことをしてるかもしれませんよ」
「それはどうかしらねえ」
 女性のあたたかい笑顔を見ると、我が子をみくびっているわけではなく、危険な目にはあわせたくないという思いで云っているような気がして、正太郎はすこし複雑な心地になった。
「ごちそうさまです」
 返したコップを水筒にはめて、女性は明るく笑った。
「あなた、あんまり頑張りすぎちゃ駄目よ」
「え……」
「おぼえておきなさい。子どもを持つ親だったら、たぶんみんな、あなたを我が子のように心配してるんだから」
 まばたいてから、正太郎がすこし照れたように微笑む。
 女性は立ち上がり、前方に目をこらした。
「おつれさん遅いわねえ。あなた、今夜はどうするつもり?」
「ここで泊ることになると思います」
「あら。このあたりの宿なら、うちしかないわよ」
「え」
「また階段を登らせて申し訳ないけど、おつれさんがもどったら、ここを上がって左、大きな樫の木があるボロ屋へ来てちょうだい。たいへん。夕食の準備をしなきゃ」
 はずんだ声を残して、女性は参道を登っていく。
「あ、あの……」
「寺田屋って宿よ。美人女将ひとりできりもりする小さな。雨漏りはしないから安心なさい。まあ、久しぶりのお客さんだわ」

 * * *

 にわとりの声が響いた。
 雨はやんだらしい。屋根をたたく盛大な音はもう聞こえない。
 ふと、声が聞こえたような気がした。
 まだ夜があけたばかりなのだろう、障子ごしの弱い光にまばたく。確かに押し殺したような話し声がして、正太郎はようやく目を醒ました。
 重い布団をめくりあげると、部屋の入口にうずくまっていた大塚が振り向く。
「や、起こしてしまったか」
「けいぶ? ……亜矢子さん」
 廊下側に座っているのは、この宿の女将・亜矢子だった。その表情に笑顔はなく、なにやら深刻な面もちをしている。
「どうかしましたか」
「ま、じゃあ正太郎くんも起きたことだし、上からもうちょっと広い範囲を捜してみましょう」
 亜矢子に云って、大塚が正太郎に向きなおる。
「なんでも、ここの息子さんがいなくなったそうなんじゃよ」
「いなくなったって、こんな朝早く……?」
 まだ眠そうに目をこすりながら、正太郎が云う。
「気づいたのは2時頃です。ひどい雨なのに家中捜してもみつからず……。明るくなってあたりを捜してみましたが、やはりどこにも……」
「そういうわけだ」
 部屋のすみで着替えはじめた大塚が、起きあがった姿勢のまま動かない正太郎に目をやった。
「正太郎くん?」
 近づいて、大塚が正太郎の顔をのぞきこむ。
「どうした? なにか心当たりでもあるのかね」
「…………はい」
 ようやくでた自分のかすれ声で我に返ったように、正太郎が大塚を見る。
「夕べ……、ヒロシくんは、山頂へ行きたいって……」
「山頂?」
 亜矢子が叫ぶように云う。
「先日の台風で土砂崩れがひどくて、山は立入禁止のままです。大人でも危険なのに、いったいどうして……」
 布団を握りしめ、正太郎はうつむいている。
「わかりません。……理由は、聞きませんでした」

 (2)

 膝を抱えてうとうとしていた正太郎は、勢いよく開いたふすまの音に顔をあげた。
 部屋の入口に立っているのは、見覚えのない背の高い少年だ。
「おまえが、金田正太郎?」
 疑うような目つきで、少年が云う。
「きみは?」
「ヒロシ。ここん家の子だよ。おまえほんとに、あの金田正太郎か?」
「……うん」
 なにを怒ってるんだろう、などとのんびり考えているうちに、ヒロシは部屋へ入ってくるなり、正太郎の右腕をつかみあげた。
「こいよ」
 無理矢理立たされ、正太郎がやっとあわてる。
「こいって……、どこへ?」
「山」
「ひどい雨だよ?」
「いいんだよ。俺を鉄人に乗せてくれ。今すぐ山頂まで行きたいんだ。……おまえ、やっぱ俺より小っさいじゃん。ほんとに鉄人を動かせるのか?」
 正太郎が、すこしむっとして手をふりほどく。
「駄目だよ。鉄人は乗り物じゃない」
「おまえはいつも乗ってんだろ」
「緊急時以外、一般の人を乗せるわけにはいかない」
「ガキのくせにケチくせえこと云うなよ。すこしくらいいいだろ!」
「だから……」
「正太郎くん? きみは誰だね」
 見れば大塚が風呂からもどってきたところで、ヒロシは舌打ちして、すぐに部屋からでていってしまった。
 あっけにとられた大塚が、正太郎を見る。
「どうした?」
「……さあ」

 * * *

 なにかを急いた気持ちが、あんなに乱暴な口調にさせていたのかもしれない。今にしてみれば、ただならぬ様子のヒロシを追いかけ訳を尋ねなかった自分がどうかしていたと、正太郎は思った。
 いや。それは違う。
 ただ、めんどうだったのだ。
 くたくたで、もう歩くのも嫌だった。
 だから、彼の真剣な目を見てみぬふりして、理由を訊こうともしなかった。
 ヒロシが乗りたがっていた鉄人に乗り込み、一見冷静に操縦桿を握っている正太郎の心の内を察したように、隣の大塚が、邪魔をしない程度にそっと小さな肩を抱く。
「正太郎くん。きみのせいじゃない」
 正太郎はなにも云わず、鉄人を旋回させながら、山の樹々へと視線を走らせている。
 中腹あたりまで、ところどころに土砂崩れでできたとおぼしき泥の斜面が見てとれる。山頂付近に開けた場所はなく、鉄人の足場の確保もむずかしそうだった。
 青い空はすでに雲ひとつなく、昨夜の大雨が嘘のようだ。
「きっと無事、みつかる」
 大塚が、祈るようにそっとつぶやいた。

 * * *

 上空から、人影はみつけられなかった。
 山頂近く、村とは反対側の南斜面にとりつくように鉄人を着地させる。大塚が先に降り立ち、案の定ひどくぬかるんでいる地表を確かめ正太郎を制止した。
「君はここで待っていてくれ」
「いいえ」
「正太郎くん、頼むよ。この様子じゃあ、ここまで子どもがひとりで登ってこれたとはとても思えん。ふもとの捜索隊が発見すれば君の無線に連絡が入るわけだし。もっと大人数をここへ上げるようなら、君にはすぐ鉄人を動かしてもらわにゃいかん」
「無理はしません。ぼくも行きます」
 鉄人28号の操縦器・Vコンを手に降りてきてしまった正太郎の顔を見て、大塚が溜息をつく。彼を止めても無駄なことは経験上よくわかっているのだ。
「わかった。じゃが君は、鉄人の見える場所までだ。それ以上ここから離れてくれるなよ」
「はい」
 あくまで冷静にみえる正太郎を、大塚がしかし心配そうに見る。
「とにかく、まずは亜矢子さんの云う山小屋を捜そう。わしはこっちだ。正太郎くんはあちらを頼む。いいか、鉄人の見える範囲だぞ」
「はい」
 我が子が向かった先を、ひょっとしたら、と亜矢子が思いあたった場所。それは山頂付近にあるという山小屋だった。
『夫がむかし自分で建てた、小さな小屋です。あの子は父親とふたりで、よく泊まったりしていて……。2年前、夫が亡くなってからも、あの子はときどきひとりで登っているようでした』

 * * *

 山頂方面をふり仰げば、鉄人の藍色はすでに見えない。
 あきらかに人の手で割られた、かなりの量の散乱した薪、そしてえぐられたように崩落した斜面をみつけてから、もうずいぶんと下ってきた。崩落はまだ延々と続いている。
 その斜面を見守るように残された森の樹々を、足場を確かめながら伝い降りていた正太郎が、すこし立ち止まって、あたりを見まわす。
 太いブナの木に目をとめ、その下枝に、Vコンの取っ手をかけてつるす。
 この土壌だ。たとえヒロシを発見できたとしても鉄人を呼んでどうこうすることはなさそうだし、大塚がこれを見れば、正太郎が先へ進んだと判るだろう。何かあってはならない大切なものだ。持っていない方が安全だとも判断したのだ。
 もう一度、山頂方面を見上げてから、正太郎はまたどんどん下りはじめた。
 だが崩れた斜面に残されている痕跡はほとんどなにもみつからない。いったんもどった方がいいだろうか、と正太郎がやっと考えたとき、崩落が、ゆるやかな窪地で終わった。
 大量の土砂と、むきだしになった樹々の根。
 その手前にある丸太の山は、小屋の残骸だった。

 (3)

 向こう側に、まだしっかり根をはっていそうな木々がある。これ以上ここが崩れることはなさそうだと見てとり、正太郎は窪地へ滑り降りた。
 近くまで行くと、かろうじて小屋の3割ほどが歪んだくの字に形を残しているのが判る。かたむいた壁に大きな穴をみつけて、中をのぞきこむ。思ったより広い空洞が残っている。床も壁も泥だらけだが、どこも固く乾いていた。この小屋は、先の台風直後からここにあったのかもしれない。正太郎の表情がすこし明るくなる。
「ヒロシくん。いる?」
 はいつくばって小屋の中に入りこむと、壁がきしみ、ぱらぱらと土が落ちてくる。中には、子どもが立てるほどの空間があった。
 崩れた壁から幾筋もの光が差し込んでいる。正太郎は、かたむき半壊状態の床のすみへ目をとめた。
「ヒロシくん!」
 泥まみれの毛布のようなものにくるまっているヒロシは、動かない。
 膝をつき、その口もとに耳を近づける。
 しずかな寝息を確認して、正太郎はその場に座りこんでしまった。
「よかった」
 ふるえる声がもれる。
 そっと額に手をあててみれば、べつだん熱もないようだ。
 ヒロシは身じろぎ、ゆっくり目を開けた。
「おやじ……?」
 驚いたような顔の正太郎を見るなり、ヒロシが跳ね起きる。
「なんでおまえ、ここに……」
 大声は、正太郎の泥まみれの姿を見て、飲み込まれた。
「ヒロシくん、怪我はない?」
 毛布を丸めて放り、ゆっくり立ち上がったヒロシは特に怪我もなさそうだ。不機嫌そうな視線が正太郎をにらむ。
「どうしてここが?」
「亜矢子さんが、ここじゃないかって。帰ろう。みんな心配してるよ」
「いやだ」
「え……、でも」
 ヒロシの思いつめたような表情に、正太郎が黙って次の言葉を待つ。
 深い息をつき、ヒロシは正太郎を見た。
「まだ、みつからないから。……親父の、箱が」
「はこ?」
「15になったら開けろって、最後に親父とここへ来たとき、もらったやつ。ずっとここに置いてあったんだ。だけど……、もうこの中にはない」
 正太郎は、めちゃくちゃな小屋の中を見回して、立ち上がった。
「どんな箱?」
 ヒロシの驚いた顔が、すぐに険のある表情に変わる。
「こっから放りだされたんなら、もうそう簡単にはみつからないぜ。こんな小さいアルミ缶だからな」
「ここ、きみが来たときにはこの状態だった?」
 ヒロシがうなずく。
「それなら、この小屋は昨日の雨じゃなくて、台風のときにはもう流されていたんだと思う。頂上からここまでほとんどなにも痕跡がなかったし。このあたりで壊れたなら、きっと近くにあるはずだよ」
「おい、なんでおまえが……」
「ひとりより、ふたりの方が早くみつかる。さあ」

 * * *

 陽射しが強い。昨夜の雨が嘘のような青空を見上げて、ヒロシが汗をぬぐう。
 ふたたび瓦礫の上に落とした手を止めて、ヒロシは傍らの正太郎が動かそうとしている太い丸太に手を貸した。
「おい、おまえ何年だ」
 視線をあわせないままヒロシが訊く。
 外へでてからはじめて口を開いたヒロシに、正太郎がすこし驚いたように顔をあげた。
「6年」
「ちぇっ。やっぱタメか」
 なぜだかくやしそうに、ヒロシが云い捨てる。
「きみも?」
「……すまなかったな」
「え」
「おふくろが、あんまりおまえのことベタ誉めしやがるから、なんかむしゃくしゃしてさ。小屋が心配なのとごちゃまぜの気分で……、夕べは、あんな態度で悪かった」
「……ぼくこそ、ごめん」
「なんでおまえが謝んだよ」
「訳も、きかなかったから」
「あんなもんだろ普通。……小学生が鉄人を操縦してるなんて、今まで実感湧かなかったけど、目の前にしたらすっげえ負けた、って気がしてさ」
 ようやくしかめつらをやめて、ヒロシが笑みを浮かべる。笑うと亜矢子によく似ている。
「それにしても、もうちょっと云い方ってもんがあるよなあ」
「それだけ、大切なものだったからだよね」
 また瓦礫をかき分けはじめた正太郎の言葉に、ヒロシがちょっとあきれたような顔をする。
「お前には関係ねえじゃん。もう駄目だとは思ってたんだ。だけど、大雨の前にちょうど、鉄人が村に現れたりしてさ。なんか運命っていうか、天の助けみたいに思えてよ……」
「うん」
 ヒロシはひしゃげた山小屋へ目をやり、それからまた、あたりの木ぎれを放りはじめた。
「台風からこっち、小屋がどんなか気が気じゃなかったけど、とても山に登ろうなんて思わなかったんだ。けど昨日は、おまえに当たった勢いでなんか意地になって……。山に入ってから、すっげえ後悔したけどな。もし小屋がここになかったら俺、やばかったかも」
「無茶するね」
 その言葉にヒロシがじつに嬉しそうに笑ったので、ようやく正太郎も笑みを浮かべる。
 ひときわ大きな板をふたりがかりで持ち上げると、下に隙間があるらしく、あたりの木ぎれが落ち込んでいく。
 やっとのことで板をどかし、穴の瓦礫をかきわけはじめたヒロシの手が、急に早くなる。
「……あった!」
 ヒロシの声に、正太郎が顔をあげる。
 両手で拾いあげられたものは、泥まみれだが、つぶれた様子もない。
 上着の袖で泥をぬぐい、その銀色を確認すると、ヒロシは晴れ晴れとした笑顔を正太郎に向けた。
「恩にきるぜ」
「よかった」
 息をつき、正太郎もその場に座りこんでしまう。
 それは、思っていたより大きな缶だった。
「なにが入ってるんだろう」
 正太郎のつぶやきに、ヒロシがにやりと笑う。
「ラブレターさ」
「らぶ…………、え?」
「結婚前、親父がおふくろに出した手紙だよ。親父のことが嫌いで、もらった手紙はぜんぶつっ返してたのにどうして結婚なんかしちゃったのかしら、っていうのがおふくろの口ぐせだからさ。宛名しか見てないけど、たぶんな。15になったら、おふくろにやるんだ。それに……、俺宛の手紙も、一通。読んじゃいないぜ?」
 大事そうに泥をぬぐう手を、正太郎がただ黙って見守る。
 たいした傷もないことを確認して、ヒロシはゆっくり立ち上がった。
「親父は、たぶんあのとき、もう自分の病気のこと……、知ってたんだと思う」
 15になった息子に宛てた、父からの遺言。
 そんな大切なものを、なくさずにすんで、ほんとうによかった。正太郎は誰にともなく心から感謝した。
「ああ腹へったなあ」
 ヒロシが急に弱々しい声で云ったので、正太郎が笑いだす。
「うん。もどろうか」
 ひざの泥をはらって立ちあがった正太郎は、誰かに呼ばれたような気がして振り向いた。見れば、大塚茂が窪地へ降りてくる。
「あ、警部」
「正太郎くん!」
 目の前にくるなり、大塚はVコンを正太郎の胸に押しつけ、怒鳴った。
「なぜVコンを手放した!?」
 大塚の剣幕に目を丸くしながら、正太郎がとりあえずVコンをかかえる。
「あの……、すみません。目印にいいかもと、思って」
「馬鹿か君は! これがあれば、なにがあっても君ひとりくらいどうにかなるだろうが。大雨の後の土砂崩れの危険は、よく知っとるはずだろう」
「でも……、だから、なくしちゃったら大変ですし……」
「こんなものは博士がいくらでも作ってくれる!」
「いや……」
 そんな簡単にはいかないのだと、なかばあきれて説明しようとした正太郎の両腕を、大塚が痛いほど強くつかむ。
「いいか!? 君の命は、なくしたらもう絶対、取り返しがつかないんだぞ」
 息を呑み、正太郎は大塚を見上げた。
「君は、まず第一に自分の身の安全を考えろ。Vコンくらいなくしたって、たとえ鉄人をなくしても、君が無事ならいい。それくらいのつもりでいて、くれん……と」
 大塚が、傍らでじっと見ているヒロシの存在にやっと気づいて、怒鳴るのを止める。
「……あ、君が、ヒロシくんかね」
 しどろもどろな大塚の顔がどことなく赤い。
「怪我もありません」
 正太郎が、おかしいのをこらえるような声で報告する。
 ヒロシが正太郎の脇へきて、顔をよせる。
「こええおっさん。こいつ、おまえの親父?」
 まばたいてから、正太郎は微笑った。
「うん。そうだよ」
 悪戯めいた視線を送った先の大塚は、耳まで赤くなっている。
「ああもう、小言は後だ。さあもどるぞ!」

 (4)

 崩れた斜面を登るのは、下るのと比べればずいぶん気を使わずにすむ。ヒロシなどは手慣れたもので、もうかなり先を登っている。ひとり息を切らしている大塚がひときわ大きな段差に足をかけるのに、上から正太郎が手を差し伸べる。それを軽く手がかりにして上がってきた大塚は、しかし黙ったままだ。
「大塚警部」
「…………なんだね」
 まだどことなく不機嫌な顔の大塚に、正太郎が頭を下げる。
「いろいろと、すみませんでした」
「ああ」
「でも。さっきの言葉、ちょっとまずいんじゃないですか」
 大塚は面食らったような表情で立ち止まり、先を行くヒロシの背中を見上げた。
 ふつうの子どもには判るまいが、聞くひとが聞けば鉄人のお目付役にあるまじき心得だと、責任問題にも発展しかねない言葉だったのは間違いない。
「博士だって同じことを云うさ」
 ひとつ息をついて、正太郎の頭を軽くこづき、大塚が歩きだす。
「もう二度と云わん。だから忘れるなよ」

 * * *

 山全体を見渡す上空までいったん上昇してから、鉄人が降下をはじめる。
「すっげー」
 水をすくうような形に丸めた鉄人の大きな手のひらの中、鋼鉄の指先から地上を見おろしたヒロシが声をあげる。大塚があわててその肩をつかむ。
「こらこら、そんなに乗り出すんじゃない。しっかり座っていなさい」
 ヒロシは素直にしゃがみ込み、今度はものめずらしそうに正太郎の手もとのVコンをのぞきこんでくる。
「ほんとに、おまえが動かしてんだなあ」
 まっすぐな尊敬のまなざしに、正太郎が照れくさそうに笑う。
 しっかりと胸元の缶を抱えなおした、その瞳がすこしうるんでいる。正太郎の視線にヒロシが目をそらし、真上にある逆光につつまれた鉄人28号の巨大な顔を見上げる。
「なんかさ、親父に、感謝だ」
 ヒロシがつぶやく。
 ふもとの村では、鉄人の姿を認めてかなりの人が集まっている。
 寺田屋から走り出てきた人影は、亜矢子だろう。
「くっそー」
 さりげなく目元をぬぐいながら、ヒロシが正太郎を見る。
「すっげーしかられるな」
 なさけない顔で溜息をつくヒロシと、お互い全身泥だらけの姿を見合わせて、少年たちがふきだすように笑いだす。
 古寺を確認して、鉄人が態勢を変えた。
「しかってくれる人がいるって、しあわせなことだよ」
 正太郎の言葉に、ヒロシが素直にうなずく。
 その声が聞こえたらしい。見ると、大塚が大仰に溜息をついてみせる。
 わきあがってくるあたたかな思いを握りしめるように、正太郎はゆっくりと、手元のレバーを倒した。

 (おわり)

 


 ■あとがき■

短編のつもりが思わぬ長さになってしまい、Web拍手御礼では連載形式にしてみました。
旅先での正太郎くんを書きたいなあ、と思って生まれたお話です。

正太郎くん小6。
10月のお誕生日はまだなので11歳の秋です。

正太郎くんは、大塚警部が止めたって聞きゃーしない子(^-^;)
警部はスキが多いというか喜怒哀楽が激しいひとなので、このふたりのデコボココンビは書いていてとっても楽しいです。警部のバランスの悪いカッコ良さも、大好き。
しかし警部の思いはとっても嬉しいながら、このあとも、正太郎くんはやっぱりまた無茶をするのでした。めでたしめでたし(笑)。

   2005.01.24 WebUP / 2005.03.03 鉄人頁へ移行 / 2005.09.25 こっそり小修正 / 2015.01.05 少々修正

 

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