Y2K

99年大晦日の夜、私は家族と夕食を済ませてから、年越え時のY2K対応確認作業のために家を出発した。

22時過ぎ、会社から徒歩2分ほどのところにあるビジネスホテルにチェックイン。軽くシャワーを浴びて寝間着に着替える。

テレビでは紅白歌合戦の後半戦をやっている。一応待機中の身であるのでビール片手に、というわけにはいかないのでジュース片手にチャンネルを回しながら一休み。ってことをしているうちに猛烈にねむくなってきた。思えば今日は4時半に起きて極寒の海上でヒラメ釣りして大原から自宅まで2時間半かけて帰ってきたんだもんなあ。
しかしこのまま寝て朝を迎えてしまっては記念すべき2000年へのロールオーバーを見逃してしまう。でも眠い、う〜んどうしようとウトウト。結局寝てしまったが何とか11時50分にぱっと目が覚める。いよいよカウントダウンだ。

だんだんと緊張感が増してくるのが自分でも分かる。自分が関わった新しいシステムが稼動する(カットオーバーする)時の緊張感に似ている。

5、4、3、2、1・・・「新年あけましておめでとうございます」とNHKのアナウンサーが告げる。見た限りは電気もついているし、洗面所の水も出るようだ。しばらくはY2K関連のニュースが続く。年越し時に最寄り駅に停車させた電車も動き出したらしいし、12時30分になっても世の中は平穏なようである。原子力発電所や交通網、電話などもY2Kによる異常は発生していないようだ。

ただ、場所柄か携帯電話の液晶表示部には「しばらくお待ちください」の文字が表示され続けている。これでは万が一、担当システムにトラブルがあってもこちらに連絡することが出来ない。たまに「しばらく〜」の表示が消えたタイミングで留守電のチェックなどもしてみるが特にトラブルコールはない。しかしいつ電話がかかってくるかというのが気になって気になって仕方がない。まだその場に立ち会った方が気が楽という感じだ。何かトラブルが起こって連絡がつかなくても「電話がつながらなかったから仕方がないっすね」では済まされないのだ。

しばらくして小渕首相の記者会見が始まった。Y2Kでライフラインに大きな問題は起こっていないという事実上の安全宣言である。正直なところ、電気やガス、水道、電話などに大きな問題は起きないことはほぼ確信していた。それよりなにより自分の担当するシステムの方が心配だ。いくら自分の受持ち範囲を入念にテストしたり調査したりしても、そのベースとなっているOSや他社製のアプリケーションに不具合があったら大変なことなのである。

NHKでは逐次、Y2K関係のニュースを流している。1時半を回ってもどうやら大きな問題は起きていない。とりあえず日本は大丈夫なのだろう。
私の担当システムも既にテストは始まっているはずで、このくらいの時間までトラブルコールがないということは致命的な問題が発生していないということだ。

緊張で高ぶっていた精神状態がだんだんと落着いていくのが分かる。2時を回った。もういいだろう。明日は7時半に起床して出社だ。そろそろ寝ておかないと。
読書灯を消してテレビを消して目を閉じるとすぐに眠りに落ちたようだ。

翌日のY2Kに伴うシステム稼動確認作業もほぼつつがなく進み、何の問題もなく夕方には終了した。不謹慎ではあるがちょっと「拍子抜け」した感じである。

正月明け仕事始めは5日。念のため朝7時半に出社。システムの稼動状況を確認するがこれまたすこぶる順調である。これにて1年以上の長きに渡って取り組んできたY2K問題対応はひとまず終了である。ちょっと毛並みが違うが2月29日のうるう年問題というのもあり、完全に終わりというわけではないのだが。

-*-*-*-*-*-*-*-*-*-*-*-

さて、この「Y2K」というものは何だったのか。ちょっと考察してみようと思う。

結論から言うとY2Kとは
・コンピュータシステムには何においても「完全」「絶対」は有り得ない
のでトラブルが発生する。しかもそれが
・同時多発的に発生する
ということが問題だったのではないか。

-*-*-*-*-*-*-*-*-*-*-*-

確かにパソコン関連のOSやアプリケーションについてはY2K対応しないと一部動作がおかしくなるものがあった。が、ライフライン関連については「Y2K対応必要」というところはほとんどなかったのではないかと記憶している。基本的には日付を使った処理をしていなければY2K対応は不要だ。しかし、コンピュータに組み込まれたプログラムは人間の目に見えるわけがなく、そのシステムが日付処理を行っているかどうかはブラックボックスの中。なのでシステム全てに対して調査する必要があったのだ。

-*-*-*-*-*-*-*-*-*-*-*-

システムには通常「設計書」なるものがある。これには処理の概要から詳細までが記載されている、建築でいう「設計図」である。が、コンピュータシステムの世界ではこの「設計図」通りにシステムが作られているとは限らない。構築途中での仕様変更やその後の機能追加の度にシステムの設計図は書き換えられなくてはならないが、多忙なエンジニアはその作業を怠ってしまう。あるいは、後追いで設計書を書くために内容が不正確であったりする。システムエンジニアはこういうことを経験的に知っているので、現在稼働中の、しかも古いシステムなどはその「ソースコード」のみが真実であると考える。
まだソースコードがあれば良い。家電製品などに組込まれた古いマイコンなどの中にはそのソースコードの所在さえ不確かなものもあったはずだ。
このようなことがY2K問題の調査を困難なものにしていた。更にソースコードを調べるとしても所詮人間のやること、100%完全なものは有り得ない。つまり2000年を迎えてみないと最終的にはその対応が完全だったか分からないのである。

これらの日付に絡む処理だけに問題がありそうだ、ということであればそう大騒ぎにはならなかったはずである。調査対象のプログラムやシステムが膨大な量であることや「Y2K問題に関するトラブルは全世界で同時多発的に発生する」ことが大きな問題だったのである。

-*-*-*-*-*-*-*-*-*-*-*-

しかし、基本的にコンピュータシステムを導入するときはコンピュータダウン時の手順というものが準備されている。普通は今まで手作業で行っていたものをシステム化するわけだから、コンピュータがなくてはどうにもならない、という業務など存在しないはずである。特にクリティカルなシステムにおいては必ずその手順が準備されている。なので電気、ガス、水道などのライフラインの中枢を司るシステムが仮にダウンしたとしても、数時間以上に渡ってその供給が止まってしまうという話は現実味のない話でしかなかったのである。

実際、私も98年中頃までは「Y2Kはまずい」とよく言っていた。が、世間がY2Kを意識し始め本格的にその対応を進めて行くと徐々に不安は取り除かれ、最後にはほとんど不安はなくなった。不安でないというのは「これで何も起きない」ということではなく「少なくとも致命的な問題は起きない」ということである。
こう考えると、Y2K「対応」というのは、みんなでシステムを点検して「多分問題ないよ」ということを確認しあった、ということになりそうだ。

-*-*-*-*-*-*-*-*-*-*-*-

このY2K問題を通じて、あまりに生活をコンピュータに依存してしまう危険を認識できた人はいるだろうか?大きなトラブルが発生しなかったため危険性を感じた人は少なかったのではないであろうか?

よく「システムが誤動作する」と言う。がコンピュータが誤動作することはない。人間が命令した通りにしかコンピュータは動かないのだから。人間のやることに完全や絶対はありえない。このことから、コンピュータシステムにおいても完全・絶対はありえないということが出来るのである。

コンピュータは壊れるものである。人間が思った通りに動かなくなるときもある。そういう障害を極力早急に解決し復旧させることも我々システムエンジニアの大きな役割である。

フタを開けてみれば、ほとんどトラブルが起きなかったY2K問題であるが、何故トラブルは起きなかったのだろうか?
・対策が万全であったためトラブルは起きなかった。
・そもそもトラブルが発生する要素などなかった。
この2つのいずれかである。
小渕首相が記者会見でこんなようなことを言っていた。
「皆さんが全力でY2K対策に力を注いだおかげで何も起きなかった」
そうであったと信じたいものである。

戻る