メーリングリスト

メーリングリストや掲示板、チャットのようなネット上で顔も知らない人達とコミュニケーションが図れるツールというのは非常に面白いし有用なものである。文字と文字のコミュニケーションではあるが、趣味や興味は同じであればコミュニケーションは取りやすく、またネット上で親交を深めた人達とは実際に会ってみても初めて顔を合わせた気がしないほど早くうち解けることが出来る。
実際、私の最近の釣行仲間はほとんどの場合funeturi-mlで知り合った人達である。もちろん趣味が共通ということで中が良くなったわけだが、釣りにとどまらずいろんな面で助言を頂いたり時には骨を折ってくれたりと、もはや「ネット仲間」を越えた間柄である人も少なくない。こう考えていくとメーリングリストというのは、人と人をつなぐ、あくまで手段であってそれ自体が目的ではないということが分かってくる。

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最近その終焉を迎えたメーリングリスト(ML)がある。このMLは私が参加しているMLで割とアクティブに利用させて頂いていた。最終的には200人を超える登録メンバー数になったが、このMLの立上げ当初にお誘いを頂いた関係で、ほとんどこのMLの黎明期からこの最後を見届けることになる。

今までいくつかのMLに参加したり脱退したりした。その中でMLの立上げから最後を看取ったMLはこれで2つ目になる。

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1つ目は、あるアーティストの日本最初のMLだった。海外の某アーティストのML(英文)で知り合った人が管理人となってMLを立ち上げることを聞いて、さっそく参加を申し込んだ。MLならではの濃い話や貴重な情報もかなり流れていたし、かなり有用なMLであった。他に似たようなMLがなかったこともあり、参加者はうなぎ登りに増えていき、最終的には300人程度に達したと記憶している。

最初の頃こそアクティブに参加したが、MLがオフ会などで一番盛り上がった時期、このころは1日の投稿メール量が100通を超えていたが、その頃と私の仕事の超繁忙時期が重なり、プライベートメールを読む時間がなくて週に千通は来たのではないかというメールのほとんどはごみ箱行きとなってしまい、次第に疎遠になっていった。それでも時折見かけるアーティスト情報は業界の人や時にはそのマネージャーからのML内限定の情報だったりもするのでROMの形でMLには参加し続けた。

割と順調に運営されていたこのMLであるが、いつの頃からか不穏なメールが多くなり始めた。そのアーティスト関連の話題ではなくて、MLの運営への苦言や時には個人攻撃のメールがMLに流れ始める。このMLにはMLを主宰しているホストの人のほかに数人のサブホストの人がいてMLの管理運営の面倒を見ていた。何か問題が起こればこのサブホストの人達が事態収拾に尽力し沈静化するのが常であったが、この時はちがった。

どうやら渦中の人はこのMLのホストの人らしい。騒ぎの原因はホスト自身が定めたML規約の違反である。規約といっても解釈次第でいかようにもとれる内容なのであるが、その規約違反に問われるような行動をMLの人には無断で行ったのだ。

「何故、そのようなことをしたのか」という問い合わせはまずはML古株の連中からホストに対して行われたようであるが、どうやら当のホストはなしのつぶてだったようで、結局この議論はMLの上で行われることになっていく。

見かけ上は仲の良さそうに見えたMLの中核のメンバーであったが、ホストとの間はどうもそうではなかったらしい。この規約違反の行動を非難するとともに、過去のホストの問題行動もMLの上で暴露された。オフ会(飲み会)の席で酔った勢いで女性メンバーに抱き着いたりして女性を不快にさせたこと、ある女性メンバーにしつこくメールを送り、その女性が無視し続けると今度は嫌がらせまがいのメールを送りつけたりしたこと。衝撃的だったのはこのくらいだが、細かいことでホストに対して改善要望や文句は言ったが聞きいれてもらえなかったことなどが書かれていた。一時期はこのメールに対するレスやこの問題をどう解決するかなど、ML本来のメールとかけ離れたメールが飛び交い、何人かのメンバーはここで脱退している。ML運営の問題を話し合うMLが立ち上げられたりもして、もはや組織としては修復不可能な感はこのへんから出始めていた。

当のホストはこの暴露内容などに反論するのかと思いきや、全くの黙秘。サブホストが間に入って規約違反を問い正した人と話し合いをしていたようだが、サブホストの対応も今一つはっきりせず、サブホストへの不信も募っていく。サブホストも間に挟まったような感じで、非常に苦しんでいる感じがして非常に気の毒だったのも覚えている。

ちょうどこの頃、ホストが用意したMLサーバの使用期限が迫ってきており、このサーバでもML存続はまもなく不可能になることになっていた。

結局、MLサーバの使用期限を理由にこのMLは解散する運びとなり、あるメンバーの人がこのMLを引き継ぐ形で新しいMLを立上げたが、私はもはやこのMLを有用なものと考えることはできずそのまま新MLには参加することはしないことにした。

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私が思うに、MLや掲示板と言ったネット上の空間はたいていは管理人がボランティアで、時には自腹を切って貴重な時間を割いて管理運営している。そのような場なので、その管理人の考えに基づいてMLなどを運営していくことは何ら不自然なことではない。管理人が「私の言うことは絶対だ」と言うならそれはそうだろう。それがいやならMLなら脱退すればいいし、掲示板なら2度と覗かなければいいのだ。

大規模MLになるとMLの運営は民主的にみんなの意見を聞いて行っていきたい、ということを管理人が標榜する時はあろう。このMLもそうであった。が、一介のメンバーが管理人やホストに対しては反対意見は強く言えないものだ。このMLの最後の騒動もそういうものが溜りに溜まって噴出したものであったと思う。

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MLとはネット上に提供された空間である。必ず管理人やホストが存在する。そして参加メンバーがいる。日常生活に例えるとこんな感じになるだろうか。

ある家の大きな部屋がある目的、例えば何かの趣味について語り合うために開放されている。開放されているというよりはその部屋の持ち主が同じ趣味の人を招いて会話を楽しむという感じ。部屋の持ち主はホストであり招かれた人はメンバーである。
ホストはこの部屋にいる時はその趣味に関連したことしか話してはいけないと言うかもしれないし、黙って座っているだけなら帰れと言うかもしれない。中には、玄関に靴はあるのだが、何時の間に部屋からいなくなって行方が知れなくなってしまったメンバーもいる。部屋に収容できる人数は限られているので、ホストは常に何人の人が部屋にいるのかを把握しなくてはいけないのだが、人数が多くなればこの把握作業がなかなか困難になる。

招かれた人が多くなると今度はメンバー間でケンカが始まる。面倒見の良いホストであればケンカの仲介にも入るが、ホストによっては外に出て俺の知らないところでやってくれと言うかもしれない。
逆に部屋の外でのイザコザを部屋の中にまで持ち込んでメンバーやホストを困らせる人もいる。
部屋に人が多くなると全員が同じ話題を共有することも難しくなり、次第にその趣味の中でも話が合う人の間でグループが出来る。出来たグループで外に遊びに行ったり新たな部屋を用意したりする。

やがて提供された部屋もその使用期限がやってきて、部屋で楽しい時を過ごした人は散り散りになっていくか、他の部屋に行くか、ということになる。

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まもなく終焉を迎えるMLに話を戻そう。このMLはサーバの使用期限とかそういうよくある理由による解散ではない。周りの環境の変化により扱う話題が非常にデリケートになってきたり、規模が膨らみ過ぎて管理人一人ではもはや制御が効くものではなくなってきてしまったのだ。MLに参加しておきながら、正式な脱会もせずに音信不通になる人、音信不通ならまだよいが、メールアカウント自体がなくなっていてエラーメールの嵐をひき起こす人は困り者だ。このような人は管理人の苦労などまるで知らないので尚更たちが悪い。人に迷惑を掛けているという自覚がないからだ。
また、当初管理人が目指したコンセプトに賛同出来ていない人が存在し、ML運営の上で管理人の負荷を何かと増やしていたこともあったようだし、メンバー数が多いだけに、MLとは直接は関係のないメンバー間の人間関係などでもいくつかの問題が発生し、時には管理人が介入し事態収拾にあたったりしていたようだ。

管理人の苦労は計り知れない。このような中、一度このMLは解散し、新たにこのMLで扱っていた話題に関するMLなどのコミュニケーションスペースが提供される予定だそうだ。「一旦チャラにして、最初から」は物事の解決にとられる手法として間違いではない。この手の問題はこのMLだから起こった問題ではない。ある程度の人数の集団であれば、どこでも起き得る問題なのである。それだけに規模が拡大していく段階で、集団の方向性を確認しながら、舵取りしながらやっていくことは重要である。

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この2つMLの黎明期〜終焉を見届けて、大規模MLの運営の難しさを実感した。一声200人であるが、実際に200人の人を集めたり、統率をとって何かをしようとしたりすることは相当な労力を使うことは分かるだろう。MLとて例外ではないのだ。
自由であるということは野放図であることかもしれないし、規律正しいということは窮屈なことかもしれない。要するにバランスである。どちらかに傾いてバランスが崩れ始めたら、誰かが崩れないようにしてあげる必要がある。それは必ずしも管理人である必要はない。そういう役割の人が存在しなかったとしたら、ML黎明期の骨格できあがる時期に失敗があったのだろう。

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そもそもMLとはかなり昔からネット上には存在していた。まだインターネットやその前身のjunetのころから、研究者の情報交換ツールとして重宝していた。ネット資源は貴重なものとされ、趣味のためのMLなどは許されたものではなかったと記憶している。

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手軽にネットが出来るこのご時世、ネット資源も安価かつ豊富になり、趣味のMLも相当数存在する。MLに参加するのも手軽に出来るようになったし、ML自体立ち上げるのも容易になっている。MLに参加するのは手軽に出来ても構わないと私は思う。思ったものと違うようならすぐに脱退すれば良いだけだから。

しかし、MLの立上げには慎重になる必要がある。MLのコンセプトや扱う話題は割と簡単に考えられるだろう。が、実際MLを運営していく上でネガティブな事象、メンバー間との調整事やメンバー間あるいは管理人自身とメンバーの諍いなどが起きた時にこれらのことに正面から取り組むことが出来るのか、どう取り組むのか。あるいはそもそも取り組まないのか。管理人的立場の人が複数いる場合はどのように役割分担して取り組むのか。事が起こってから慌ててしまっては遅いのだ。

このようなMLの暗の面についても理解した上か、あるいは理解している人をブレーンに付けるかして初めてMLを立上げ、運営することが出来ると思っている。

たかが道具の使い方を間違えて、貴重な友人を失うことは人生においても大きな損失であるだろうから。

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