5.SWに・・・人に教えるということ 

[我が青春のマクドナルド Index]


順調に推移していた塾講師の仕事であるが、次第に雰囲気がおかしくなりはじめた。夏休みは各学生講師がフル稼動。みんな熱意があったせいか、この塾はかなり評判がよくなり、今の教室規模では生徒を収容しきれなくなってきた。そこで室長は講師の休憩スペースをつぶして教室にしたり、それでも足りなくて隣りにもう1室を借りて教室を拡充していった。教室拡充とともに講師もどんどん必要になってくるので、新人講師が何人も入ってきたわけだが、何故かみんな礼儀知らず。教室内で挨拶もなければ、ほとんど言葉も交わさず帰って行く。一時は20人を越えるくらいの講師が出入りしていたであろう。

それまではこじんまりと和気あいあいで教室運営していた講師達はこのような環境の変化に不満を持ち始める。と、同時に教室内の講師のモラルも低下し始め、室長が「教室内での飲食禁止」であるとか、いろいろ細かい規則を作って押し付けてくるようになった。自分の飲み食いしたものを机の上にそのままにして帰ってしまうような、いわゆるパブリックスペースの使い方を知らない新人講師が何人かいたようで、そういう一部の人に対する締め付けが、割と自由にやっていた我々古参の講師にも及んできたのである。

次第に教室で息苦しさを感じるようになってきた。

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お店へのインのペースも相変わらず。学校の授業がある関係で8時間フルでインできる日は非常に限られるので、トレーナーやSW-MGRへの話が来ることはなかったし、別になりたいとも思わなかった。掛け持ちでは無理だとも思っていた。

ある初冬の日、室長が古参の講師達と居酒屋で、という機会があった。室長の方も我々の悶々とした雰囲気を察してくれたようだ。塾の近所の安い居酒屋。ビール片手に激論を交わした。室長の言い分は分かるが、我々に最初約束してくれたことが何時の間にかないがしろになっている。個人指導塾故の事象であるが、生徒が体調不良でお休みということになると講師は空き時間が出来てしまうか、最悪はその日の仕事がなくなってしまう。そういう場合は時給はつかないが、これは何とかならないのか。結局この会はお互いが考えをぶつけ合っただけで何の解決にもならず、我々のモヤモヤは晴れるどころか、一層の室長不信ということになってしまっただけだった。

あまり、この塾にこだわる必要はないな。そう思い始めていた。

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年が明けた。お店は相変わらず稼働率の異常に高い少数精鋭で回っていた。しかしそれも春になるとかなわなくなる。中核のSW4名にSTARや高校生クルーなどが卒業で退職することが分かっていたからだ。この頃から、折りに触れて「SWやらないか?」という誘いがかかるようになってきた。塾とのかけもちだったし、2年生になるとさらに学校が忙しく、3年はそれよりも更に忙しくなる、と聞いていたので、SWになって稼働率高くお店に貢献していく自信がなかった。そう思っていたので、いつも適当に誤魔化していた。

あるクローズの日。私が出会った中で最高のSWMGRであったMさん(この春卒業予定)とMT(Manager Trainie)の社員、そしてSW-TのSさん、私の4名でクローズワークをこなしていた。実は通常時に比べてマイナス1本で、忙しくクローズワークをこなしていた。Mさんは昼の12時からのDシフトを終わってから、クローズクルーが足りないということで残業してやってくれている。体力的にも精神的にもかなりきている状況だったようで、2時半になってクローズワークが終わったところで「じゃ、帰ります」とMTに告げた。MTは普通に「お疲れさん」と返した。これが気に障ったのか「普通、残業してまでクローズやっているクルーに対しては、ありがとうの一言もあるんじゃないですか?」それに対してMTは「(残業分の)時給はつけてるよ」そんな言葉を期待してわけではないことは明白だ。「そんなことだから、あなたはいつまでもセカンドに上がれないんですよ」と捨て台詞を残してクルールームに引き揚げていった。

このMTは確かにちょっと仕事が出来る人ではなかった。この日も自分のクローズワークに手いっぱいで厨房で働くクルーには何の気もかけていなかった。これはこの日に始まったことではないようで、Mさんのたまったものが一気に吐き出されたようだ。「俺は間違ったことは言ってないから」そう言い残してMさんはお店を後にした。

Mさんが卒業してしまって、クルーを守ってくれるようなSWがいなくなってしまう。他のSW達にはそのような役割は期待出来そうにない。そういう環境でお店はうまく運営出来るのだろうか。社員や店長の理不尽なやり方にたてついたり、クルーの話を聞いて社員にぶつける役割は誰がやってくれるのだろうか。いや、やってくれる、ではない。自分がやらなくてはいけないのではないか。

この日の出来事の後、数日後に店長に「SW-MGR、やらしてください」と申し出た。2月のことであった。

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SWをやるのにバイト掛け持ちでは辛いことが分かっていたので、塾の方を辞める決心はついていた。室長をつかまえて退職を申し出る。突然の話に驚いてかなり慰留された。最後は「あなたは3月まで勤務する契約になっているから、退職は認めない」と。「でも、わたし、今やる気が全然ないんです。そういうのって生徒にも申し訳ないと思います」
この一言は効いたようだ。「ちょっと考えさせてくれ」という言葉でこの面談は終了。しかし2〜3日あとには、わたしの授業は他の講師達にどんどん振り返られ、「2月いっぱいで退職していいよ」ということで落着いた。

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塾の退職の動機は、SW-Tになったことや塾の雰囲気のほかにもう一つあった。
「人に教えること」
このことの重大さに気がついて、その重さに耐えられなかったからである。

前の章で、中三でありながら分数の四則演算すら出来ない子、のことを書いた。こういう子でも根気よく教えると、なんとか分数の四則演算はできるようになるのである。でも、それは単に計算という「作業」方法しか教えていないのですぐに忘れてしまうし、本人もつまらないものであったろう。

分数の教え方に丸いケーキを例に使って、という方法がある。まだこの方法の方が面白いはずだ。だが、そういう手法を使って悠長に教えている時間はない。授業は1コマ60分。その間に所定のテキスト部分を消化しないといけない。それでもどんどん遅れていき、分数の四則演算から始まって、受験直前の時点で1次方程式までしか教えることが出来なかった。中学1年の夏くらいまでの学習範囲であろう。どうがんばってもそこまでしか出来なかった。
何でも高校によっては試験は0点でなければいい、というところもあるそうだ。分数の計算か1次方程式であれば1問くらいは出来るはず。しかし、失敗すれば彼は高校に行くことが出来ない。長い人生ではたかが高校かもしれないが、学歴が本人の行く末に与えるインパクトは大きい。そんな人の人生を決めてしまうようなことに私が関わっていていいのか?学生のアルバイト程度がそんなことをしていていいのか。そんな責任に耐え切れなくなったのだ。

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「教師」の役割は重要だ。とくに小中高校においては特に。教師の教え方一つで、その子が学問を好きになるか嫌いになるか、決まってしまうのだ。よほどの覚悟がなければ勤まらない職業だなと思った。少なくとも私には勤まりそうにない。

最後の授業を終えたあと、わたしは思いのたけをレポート用紙3〜4枚に書きなぐって教室をあとにした。規模拡大に躍起になって、授業の質を維持することや講師をいたわることを忘れてしまった室長に、そのことを気がついて欲しかったのだ。

これで晴れてマクドナルド一筋。SW-MGRになるための業務や勉強に専念出来るのだ。「教えること」へのプレッシャーから開放されたのだ。その一方、SW-MGRというクルーにマクドナルドの仕事を教える立場、後になっては後輩SWを指導する立場になる。いわゆる「トレーニング」であるが、このトレーニングという仕事に際しては、この塾での「人に教える」経験が非常に役にたったと思う。トレーニングは独りよがりや自己満足ではいけないのだ。

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Mさんのラストインの日、私の休憩とMさんのアップが一緒になった。「上甲、これやるよ」とMさんが手渡してくれたのはMマークの入ったタイピン。「クローズの魂が入っているから」。結局、私はそのタイピンを卒業まで使い続けた。メッキがはがれて、バネも弱くなってしまったタイピンであったが、自分の戻るところはクローズであることをいつも思い出させてくれる、そんなタイピンであった。

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数年後、たまたまその教室のあるマンションの前を通ったのだが、既に教室の看板はかかっていなかった。



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