4.復活 〜大学入学〜 2年ぶりにお店に

[我が青春のマクドナルド Index]


春、桜の咲く頃。何とか大学入学を成し遂げることが出来、スーツ姿で入学式に出席している自分がいる。一体これからどんな生活が始まるのだろうか。期待と不安が入り交じり毎日が刺激的であった。
浪人時代はバイトはしておらず、貯金もそろそろ底をついたころ。まずは先立つものが必要、とバイト先を探す、間もなく足は用賀インター店に向いていた、というわけではなかった。
アルバイト募集中でなければ「クルー再開したいんですけど」と言いに行ってもないがしろにされるのではないか。なにせ最後にインしてから2年近く経っている。知っているクルーやMGRがまだいるのかどうかも定かではない。
自転車を走らせて用賀インターに向かう。懐かしいお店の姿が見えてきた。駐車場が縮小されてその敷地にビルが出来つつあることが退職時と違う外観。店前の横断幕に大きく「アルバイト募集中」の文字が躍っていた。その場でお店に足を踏み入れようかと思ったが何となく入りそびれその日はそのまま帰宅。後日改めて電話してみる。
「あの、アルバイトしたいんですけど」
「はい、学生の方ですか?」
「はい、大学1年です。前にそちらのお店のクルーだったんですけど」
「何時頃の話ですか?」
「2年前です」
なんて会話をして、とりあえず面接に望むことになった。

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なんせ2年ぶりなんでドキドキしながらお店のドアを開けると「いらっしゃいませ〜」の声に続いて「あ、じょうこう〜、来たな〜」という声。当時はTrだった大学生のNさんがSWユニフォームで迎えてくれた。この一言で一気に緊張がほぐれ、しばしカウンターで歓談。受験のせいで太った私の姿に少し驚いた様子でもあった。

そのままクルールームに導かれ、初対面のMGRと面接をすることになった。面接はつつがなく終了し、その週末の土曜日が復活後のファーストインにきまった。また、この時ユニフォームをもらったのだが、高校生の時にMサイズだったのがLLサイズに。やはりかなり太ってしまったようだ。毎日食べているか勉強しているか寝ているかしかない生活だったからなあ。

つい先日異動してしまったMGRが私の知っている最後のMGRだったようだ。ということは社員MGRは一人も知らないことになる。ただ、SWやクルーの一部にはまだ残っている人おり、覚えていてくれたクルーも多くて割と馴染みやすい気がして、ほっとしてその日は帰途に着いた。

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復活第一日目は土曜日。ブレックファーストはやった記憶がないのでおそらく11時インくらいだろう。昔は単なるクローズクルーやメンテだった大学生数名がSWになっており、笑顔で迎えてくれた。
一応、白帽(トレーニーハット)をかぶって、トレーナーの高校生がついてくれることになった。お決まりでまずはフライヤーから。若干のオペレーションの変更点があったが違和感なく作業をこなすことが出来た。一通り思い出したところで白帽は普通のハットに変わることになった。
何時の間にかポジションはポテト。時間は12時を回った。いわゆる「昼ピーク」である。お客さんが多いなあ、などと感じながらポテトのポジションをこなす。カウンターは結構忙しそうである。つつがなく時間は過ぎていく。ピークが一段落したころであろうか、面接をしてくれたMGRが「ファーストインで土曜日ピークまわしちゃったか」と通りすがりに言って去っていった。言われた直後はこの言葉の意味が分からなかった。新人がいきなりピークのポテトをやるななんてことは有り得ないこと。まあまっとうな新人では確かになかったが。

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高校生の時にやっていたオープンワーク、青山の店でやっていたクローズワークも忘れてはいなかったし、ピークのオペレーションにもついていけた。若い頃に身体で覚えたことはそう簡単には忘れないものだ。
そんな感じだったので「出来るクルー」として注目を浴びていたことは肌で感じていた。特に私の高校生時代を知るクローズ系の大学生やSWには可愛がってもらった。しかし、いい気にはなっていられない。休日のピークなどは私の昔などは知らない高校生クルーが多いのだ。急に現れて注目を浴びているクルーなど、特に中核クルーにとっては面白くないのではないか。
なので特に年下ながらもトレーナーやAクルーでお店の中心メンバーになっているクルーが多い時間帯、休日の昼などは行動に気を使った。なるべく彼らのサポート役にまわるように、あまり目立たないように、でも仕事は完璧にこなすことを心がけた。その甲斐あってか、お店にも比較的早く馴染むことが出来、仕事も楽しくなってきた。

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人間というのは(目標)があると生活にも張りが出るものだ。浪人時代に既に運転免許は取得済み。やはり車が欲しい。中古で100万円くらいの車を買うにしても頭金は必要だ。ただ、如何せん時給が安い。大学生で時給は600円。この時給では・・・。

夏休み。マックは高校生や大学生でスケジュールが競合し、必ずしも自分の稼ぎたいだけ稼げるわけではない。そこで掛け持ちで他のバイトをすることにした。
確か、EIF(クルーとの雇用契約書)には「他の仕事を無断でしてはならない」という部分があったような気がするので、掛け持ちのことは店には内緒にしておいた。

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学生バイトの花形といえば家庭教師や塾講師である。毎週何曜日の何時からという具合に固定した時間を拘束されてしまうのが難点だがその時給は魅力だ。5月くらいからフロムエーなどのアルバイト求人雑誌をこまめにチェックし始めると個人指導型の塾の広告が目に付いた。時給は大きな教室を使う塾に比べたら高くはないが、相手は個人なのである程度時間の融通がきくし家庭教師感覚ならば授業の事前準備もそう時間をとられないはずだ。
履歴書を持って面接に行くと簡単な数学・英語の試験と面接。割と良い感じで終了。教室はいろんなところにあるそうで、室長が気に入れば直接電話がかかってくるそうだ。

2〜3日もたった頃であろうか。羽田の方で教室を新しく開いたばかりという室長から電話が入った。私の書類を見て気に入ったので是非来て欲しいとのこと。翌日、さっそく教室に行ってみるがこれが単なる2DKのマンション。パーティションなどを使って教室が3つ作られている。
まだ講師は4〜5人程度しかおらず、徐々に生徒が増え始めたので講師を増やし始めているところで、私の自宅が比較的近くにあった(電車で30分程度)のも私を選んだ要因の一つであろう。ということでバイトかけもちの生活が始まることになった。日曜日は塾も休みであるのでお店の方にインすることは可能で、平日はだいたい半々で塾とお店にバイトを入れているという感じだが、クローズの人数が足りない時などは塾の仕事が終わってから22時インくらいでクローズに駆けつけることもあった。

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最初の頃は週1コマで様子見。でもすぐに新しい生徒をつけられた。この塾はいわゆる進学塾ではなく「補習塾」である。より偏差値の高い高校や大学を目指すというよりは、日々の学校の授業の補修が中心。なので相対的に学力が低い子達が多い。驚いたのは中学3年にもなって分数の四則演算が出来ない子がいたことだ。親は何とか高校に入れてくれと言う。半ばカルチャーショックを受けることになる。

週2日、中学2年の男の子が1名、中学3年が2名、高校1年の女の子が1名。いずれも数学を教えた。受験を控える中3の2名はどうしても厳しくやらざるを得ないが、高1の子などは大学受験の危機感もなく、いわゆる「勉強」は半分くらいで、あとは数学やそもそもの「学び方」を教えてあげた。

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初めての前期末試験を終了し、学校は夏休み。この休みは稼ぎまくる決意をしていた。マクドナルドの方も夏休み中は毎日が土曜日並みに売れるので人が必要であるし、教室の方は「夏期講習」期間で稼ぎ時でもあり講師の人手が必要だ。

教室の方にはほとんどフリーのスケジュール希望を提出していたら、数学、物理はもとより英語や苦手な国語まで講師をやらされることになった。このスケジュールを見ながらお店の方にも目いっぱいのスケジュール提出する。人が足りていなかったせいか、ほとんど希望通りとなり、7月末から8月いっぱいはほとんど1時間刻みのスケジュール管理を余儀なくされた。9時から16時まで夏期講習、17時から20時まで通常の教室、それから移動して22時からお店でクローズ。3時にアップして帰宅。また翌朝教室というハードスケジュール。健康のため、1日6時間以上寝ることが出来る日を週1日は作っておいたが、ほとんど毎日が睡眠3〜4時間という感じであった。

教室の授業というのは乗ってくると時間が足りなくなってしまう。で、時間延長。生徒はそのまま帰れるが講師は休憩時間を削ることになり、満足に食事すら出来ない日もあった。

こんな生活が続いた成果で、一夏で手取りでおよそ30万円の金を手にすることが出来た。またあれだけ太っていた体も急激にやせて、ウエストは71センチ、ユニフォームでいえばSサイズも着られるほどになった。わずか2ヶ月程でLLサイズ(ウエスト90センチ)→Sサイズ(ウエスト70センチ)のダイエットに成功したのだ。意図して痩せようという気持ちは全くなかったのだが、エアコンの調子が悪かったお店の厨房(温度計が40度をさす時も)での仕事と、間食はおろかまともな食事すら取り辛かった教室という環境に1ヶ月おかれたおかげであろう。

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教室での苦労の記憶はあるのだが、この頃のお店での苦労の記憶はほとんどない。きっと順調に推移していたか、あるいは記憶に刻めないくらい密度が濃いものであったのかもしれない。

この夏休みでお店に溶け込むことが出来、クローズクルーの中核メンバーに名前を連ねるところまで成長することが出来た。以前は仕事が終わるとすぐに帰っていたが、先輩のSWなどが食事やお茶に誘ってくれたりしてくれるようになった。やっとお店のみんなに認められたような気がした。

仕事が楽しいと思い始めたのもこの時期からであった。バイトというのは本来はお金を稼ぐことが目的であるが、いつしかマクドナルドで働くことはそんな事は二の次で、お店のため仲間のためにがんばるという意識が芽生え始めていた。



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