2.雪の日の想い出 大雪の東京

[我が青春のマクドナルド Index]


親の仕事の都合で、幼稚園の頃から小学校4年までを仙台ですごした。今でこそマクドナルドは仙台にたくさんあるが、当時は1軒もなかったのである。決して当時の仙台は田舎ではないのに。しかし、考えてみると、地方どこに行ってもマクドナルドがある光景が実現されてのはそんなに遠い昔ではないように思う。

そんなわけで、お盆や正月は母方の東京は荻窪の実家に遊びに行くことが多かったが、この時にマクドナルドに行くことが出来るというのも一つの楽しみであった。当時のハンバーガーのマスタードはもっと辛かったように感じたが、これは味覚がまだ子供だったからであろうか。

仙台は東北の中では降雪量は少ない方だが、それでも冬は30センチ程度積もることはよくある。当然、雪に対する備えもある。各家庭には雪かき用の巨大なスコップがあったり、車はスノータイヤを履いていたりする。雪道の歩き方にも慣れているのである。

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高校2年の冬、多分2月の週末ことであろう。関東地方は大雪に見舞われ、積雪量は世田谷の家の辺りで30センチ程度であったか。そんな日ではあったが、お店は営業している。私も昼ピーク前にインするスケジュールになっていた。外を見ると一面の銀世界。このころは原付で通勤していたが、当然原付が走れるわけはない。自転車で走れるか試してみるがこれも無理。休もうかと思ったが、自己都合でシフトをキャンセルすることは出来ないので、仕方なく電車を乗り継いで、更に駅から雪道を15分歩いてお店になんとかたどり着いた。

へとへとになってお店のドアを明け、店内に入ると社員のHさんが開口一番、
「なんだ、来なくてもよかったのに」

そう、そんな人間が歩行困難なほど雪が積もっている道に人は歩いていません。また、雪の備えをしていない車も走れません。なのでお店は開店休業状態だったのだ。

せっかく来たのだから、ということでそのままレーバーカットにはならずに、お店にインすることは出来た。しかし本当にお客さんは来ません。当然、ストックも出来ません。オーダーも入りません。クルーは厨房に2名ほど、カウンターにも2名ほど。普段の週末ならば10名ずつ以上はクルーがいる時間帯なのに。やることがないので、Dメンテ指令が下った。この時初めてお店の天井拭きというのをやった。脚立に乗って腕を上に伸ばしていなければいけないので非常に疲れる。

8時間シフトのスケジュールだったが、やっぱりカットは免れず、シフトは短くなった。

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時間は夕方、雪は昼には止んでいたせいか、ぼちぼち車も走り出していた。目の前の高架を走る東名高速は通行止めだったが、どうやら開通した模様。カットされた私はそろそろアップのはずだった。

東名を降りてきたらしい観光バスがお店の前に横付けにされた。バスから添乗員らしきお兄さんが降りてきて、お店にかけこんできて、なにやらMGRと話している。
MGRはおもむろに厨房へ振り向くと
「大量オーダー入るよ、ビッグマック50個!」

後から聞いた話だが、このバスは長い時間東名に閉じこめられていたらしく、乗客はお腹がペコペコ。で、東名を降りて最初に目に入った飲食店がうちのマックだった、と。で、カウンターで「何でもいいから50個下さい!」。チャンスと見たMGRはBMをチョイスしたらしい。しかもポテトLサイズとドリンクのセットである(当時はセットメニューは存在しなかった)。

怒涛のビッグマック製造作業が終わった間もなく、またしても
「チーズバーガー60個!」
「ダブル、ダブルチーズ30個ずつ」
などというオーダーが相次いだ。同じような境遇のバスは複数いたらしく、みんなうちのお店で買っていくのだ。

少ないクルーで何とかそれら連続大量オーダーを凌ぎ、結局当初の予定通りのシフトをこなしてお店をUPした。

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積雪量は20センチ程だったらしい。たかだかこの程度の雪で交通が麻痺し、高速道路上に閉じこめられるとは・・・。雪慣れしている人間にとってはちょっとショックでもあった。

気が付けば夜。長靴にはきかえ、雪明かりの中を帰宅のため駅に向かった。雪かきの習慣がないせいか、道路には雪が積もりっぱなしである。そういえば、お店の駐車場も積もりっぱなしだ。当時は隣のビルの敷地もお店の駐車場になっており、50台は収容出来る広さであった。あのスペースを雪かきしなくてはいけないと思うとぞっとする。

この日以来、お店には雪かき用の巨大スコップが倉庫に置かれるようになった。


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