坂戸城の城主・上田長尾氏は上越国境である上田庄を支配し、守護代家の長尾氏、謙信の母の出身である栖吉長尾氏とは同族でありながらも常にライバル関係にありました。長尾政景は、守護代家の晴景の跡を継いだ景虎(のちの謙信)と対抗し不穏な動きを示しますが、謙信が姉、仙桃院を長尾政景に嫁がせていたこともあり、和睦します。以後は謙信股肱の臣のひとりと言われ、実際にこの国境に近い要地を任され、また謙信が川中島や関東への出陣の際には、留守番役として本城の春日山城を預かるなど、絶対的な信頼関係が伺えます。で、この政景の死に関して、「謙信謀殺説」が付きまとうわけですが、このあたりの真相ははっきり言ってわかりません。俗説では野尻池での舟遊びの最中、宇佐美駿河守定満がわが身もろとも池の底に引きずり込んだ、あるいは酔って泳いで溺死した、などと言われており、この背後には謙信が政景を警戒し、謙信の命で暗殺したのではないか、というのが多く語られている推測です。謙信は「義人」であるとは言われていますが、生き馬の目を抜く戦国期に生きた武将でもあるわけで、多少の権謀術数は使ったでしょう。しかし当時、どうしても政景を殺さなくてはいけなかった情勢ではなかったと思います。武田氏との長年にわたる対立も続いていますし、毎年のように関東や越中に出陣しているこの時期に、わざわざ家中に禍根を残すような暗殺劇が演じられたとは、少なくとも僕個人には思えません。言われるように宇佐美氏との舟遊びの最中、宇佐美氏によって「道連れ死」にされたというのは、お話としては面白いものの史実と違っているでしょう。もしある程度の真実があるとすれば、家臣間の勢力争いなどに巻き込まれ、謙信が云々とは違ったレベルで謀殺劇に巻き込まれた、ということはありえる話かな、と考えています。
ところでここは僕にとって「リベンジの城」でもあります。それは、僕が一度この城を攻めきれずにギブアップしてるからなのだ。その日、薬師尾根コースを上った僕は、前日の寝不足と30度を超える気温に、尾根筋の直射日光(日影がない!)の直撃を受け、六合目付近で脱水症状のため足元すら覚束なくなり、登る時間の倍くらい時間をかけて下山。夏の山を甘く見ていて敢え無く撃退されました。で、秋口にリベンジ。目出度く登頂成功、全山見学に成功しました。というか、普通のコンディションだったらリタイヤしませんね(←負け惜しみモード)。見学する人は「とにかく山道が険しい」ことは覚悟してください。飲み物とかは麓で買っていった方がいいです。また、トイレもありませんのでこれも麓で済ませましょう。山は険しいだけじゃなくて、非常に広大です。相当歩きますんでこれも覚悟。なお、「城坂コース(旧大手コース)」はところどころで藪化している上、狭く滑りやすい(しかも崖)なので、あんまりお奨めできません。やはり、少々キツいけど整備されている薬師尾根コースが無難でしょう。
山麓の遺構は主に堀直竒が入城してからのものが多く、対照的に山上の要害は南北朝期のような古い要害の形態を持っています。非常に規模の大きい山城で、新潟県内でも屈指の大城郭ではないかと思いますが、天嶮に頼る部分が大きい分、大規模な城郭遺構や技巧的な部分は少なく感じます。ただ、藪化しているものの一種の畝状阻塞があったらしいことや、堀直竒による改修では実はかなりの石垣が使われていた可能性があるなど、興味の尽きない城でもあります。そういえば実城と主水曲輪の間の堀切、道がひどくて見逃してしまいました。もう一回リベンジしに行こうかな。
坂戸城めぐり