着物を着てみたい、と思ったことはありませんか。いやいや式典用の晴着では
ない。正真正銘、ふだんの着物、決まりも習いも関係ないプライヴェートな着物の
ことです。
 丈みじかに着つけて、裾からのぞく素足に下駄と、買い物かごから突き出た葱
がいみじくも調和する。あるいは、まるきり絵草紙の中の住人を気取って、気違い
お嬢様の絢爛たる普段着で、古いものの残る町並みを徘徊する。座敷牢を抜け
出したという思い入れで。
 私が言いたいのは、それはすぐにでもできる、ということです。さよう、明日から
でもできる。それが「正装でない」「晴れ着でない」民族衣装の本来の姿であり、
決まりごとがどうのこうの、着つけは習わないとできないの、というならばそれは
呉服屋の押しつけるまぼろしにすぎないのだ。考えてもみてください。どこの国
に、ふつうの庶民が着るものをオートクチュールでつくりますか。着物はいつだっ
てお下がりか、古着を解きなおして仕立てたものだった。
 着物が売れない、というが、今のような形態で売れるのなら、それは時代のほう
がどこか熱に浮かれて、狂っているのだ。「着物が売れた」時期はごく短い。そも
そも晴れ着ばっかりが着物であってたまるものか。ジーンズ、Tシャツのかわりに
くたくたの浴衣、もしくは木綿の単衣を引っぱりだし、それにくるっと半巾帯をまき
つけてコンビニへ。どうしてそれではいけないのだろう。

 それが遠くない、けして明日からやってやれぬということはない、というのがここ
の趣旨であります。だからここでは、せいぜい威張れぬレベルの着方や、着てか
らの行状記などを羅列するにとどめておきます。多いに誘惑されるがよい。
 そしてまた、そんなものは当に知っている、あるいは低レベルで見ちゃいられな
い、という方、多いに鼻で笑ってゆかれるがよい。ここに書いた、ひとかけらのこと
でも万が一にも、ためらう人の背中を一ミリでも押すに足りれば、もってよしとなす
ものである。
懐古ばんざい。



その1 ともあれ基本装備のこと
 
 最低限(本当にギリギリ最低限)の装備をしていなくては町に打って出ることか
ないませぬ。ここは「ともかく外に出る」「着たら出る」「己の打たれ強さをやしなう」
ことを基本の三原則にして、家の中で着たら脱ぐ、というのは鍛錬のうちに入って
おらぬ。とりあえず形になったら外へ出てあるいてみよう、なに自分が気にするほ
ど他人は見ちゃいません。
 歩いてる層に着物が分かる人もそうそういません。よし居たとして、あなたは一
体誰のために着物を着るのか。こんな技の要る異端視される身体を束縛する着
物、ほかにいくらでも着る洋服がある時代に、自己満足を追及する、他とくらべ
ものにならぬほどの差異を楽しむ、以外になんの理由があるのか。お茶やお花
のユニフォームではないのです。なれば誰に遠慮の必要もありますまい。
 またその時間も惜しい。このコーナーを読んでくださっている以上、あなたは多
少なりともアンティーク趣味、もしくは懐古主義者の筈であります。こと着物に関
しては、「清楚」「上品」といった昨今の呉服屋の提供するしろものに飽き足りぬ筈
のものであります。
 となれば、時間が惜しい。なんとなれば、安く質が良く、清楚にも上品にもなりす
ぎないアンティーク着物、着物を着ることで、自分を成金にもいい子ちゃんにも見
せたくない人のための着物は年々減っているからです。私は成人式と卒業式を、
母の色無地で致しましたが、今になって膝を叩いて悔しがることしきりです。あの
時アンティーク着物の存在を知っておけば、髪から何から余計な金を払わずに
済んだのに。他の着飾ったお嬢さんたちにまじって、古い褪せた着物で、自分で
結った髪でゆくことはそれほど私を苦しめない。むしろ一瞬たりとも、どうでもい
い着物を纏っていたことのほうが問題です。
 今のうちにモノにしておけば、そういう悔しい瞬間もなくなるのではありませんか。
式におけるドレスコードなぞ、袴すがたが一般化した時点でまったくないも同然
ですから。まあ披露宴とかは、呼んだ側が絡んでくるので無難でいっとけ…しかし
前述二つの式はねえ、安く済むならそれに越したことはない(笑)。むろん日常の
遊びやイベントシーンも同様です。
 そのためには、

 ・本屋へ行って、一番簡単そうな(小うるさいこと書いてない)着物本を選ぶ。
 ・とりあえず読んで、要る小物を用意する。
 ・とりあえずネットで古着屋等検索して、着物を手に入れる。
 ・本を参考にして着てみましょう。

 これだけです。冬だったら、羽織を買うのもいいと思います。帯や腰のあたりが
どんな凄いことになっていても、隠して出られますので。



ひとつひとつ取りあげてゆくと、まず本は、いわゆる教則本よりも、エッセイ主体
の軽めのものをお勧めします。巻末にイラストで着方が紹介してあったら、それ
で充分。詳細な写真によるモデルの着付けではわからないことも結構あります。
よけいな「季節によって変わる着物のルール」もいりません。そんなこと言ってる
から着物を誰も着なくなる。暑けりゃ薄めの単衣を着るし、寒けりゃ袷を出すでし
ょうよ。その日天候にあってなくたって、着たい着物を着てゆくのも心意気でしょう
よ。
だいたい私、「袷は9月から、うすものは7月から」なんて、あれは旧暦じゃないか
と(笑)思うんですよ。昔とは暑さ寒さもちがいますしね。ムダムダ。



下着類は、できうるかぎり安く手に入れます。主に浅草で。もしくは、呉服に力を入
れてるデパートの処分市ワゴンセールで。
襦袢は二部式なんかが崩れにくくて楽です。