豺 狼

緋向子
 

どうしてこんなことになってしまったのか、自分でもよくわからない。話を聞き終えて
から、あんたは俺をひどいやつだとだと言うかもしれない。でも俺は、あいつを傷付
けようなんて意図は本当に持っていなかった。いや、言い訳はよしておこう。何と言
おうと、たしかに俺は人でなしだからだ。否定するつもりはない。
 
左之に殴られたのは、あれ、本当に痛かった。体が痺れて、しばらく頭の中が真っ白
になったぐらいだった。俺をそうやって殴ったあと、あいつは拳を握り締めて、はあはあ
息をしながらそこに立ち尽くした。そして小さな子供みたいにぼろぼろ大きな涙をこぼ
すと、すごい勢いでそこを走り去っていった。俺は泣いていなかった。あいつが走り去っ
たあとをぼんやり眺めながら、この痛みは殴られた俺のではなく、殴ったあいつのものだ
ったのだろう、と考えた。
 
本当に俺は、あいつを傷付けるつもりなんか無かった。だけど、どうしてあんなことをして
しまったのか、きちんと説明することができないんだ。本当の所は、自分でもよくわかっ
ていないのかもしれない。俺を責めたかったら、勝手にしてくれ。言っただろう?俺は人
でなしで、 弁明する気もない。
 
ー*ー
 
事の起こりは、抜刀斎を追って、左之が京都へ行くと言い出したあのときだった。あいつ
は俺の部屋にやってきて、路銀がいるので貸してくれ、と頼んできたのだ。俺は、帰っ
てきたら返せよ、と、笑ってあいつに金を渡した。そしてあいつは金を俺から受け取ると、
めずらしく真剣な顔をして黙り込む。いつもなら調子よく、体ででも何でもかえすよ、とか、
あてのない口約束だけはしていたのに。俺はこいつの'返す'、という約束なんか、半分
ぐらいしか信じちゃいなかった。たぶん、大半は踏み倒されるだろう。でもこいつは、返
す、と言ったときは本当に返すつもりでいるのだ。実際、たまに博打にあたって、いくらか
返しに来ることもある。俺が何か頼めば、少々の無茶でも通してやってくれる。いつか、と
いうだけで彼本人は別に最初から踏み倒すつもりはない。だからこの黙りこくっている様
子は、彼らしくなかった。
 
「左之、お前まさか、もう二度と帰ってこれないかもしれないなんて思っているんじゃない
だろうな?」
視線をそらしている左之を見て、俺は聞いた。その言葉にあいつはしばらくじっとして黙
りこくった。俺も、それを見て何も言えなくなった。あいつは調子のいい奴だが、真剣なと
きには決してふざけたりしない。こいつがこんな態度をとるっていうのは、本当に状況が
切迫しているってことだ。俺はあいつに近づき、顔を覗き込んだ。
「左之・・・」
俺はあいつを見つめた。あいつも俺を見つめ返す。その眼は真剣で、切ないような翳り
が落ちている。
「俺は・・・」
あいつは何かを言いかけ、言葉を濁す。顔をそむけ、拳を握り締めた。そしてあいつは強
く俺の腕をつかみ、驚いている俺をじっと見つめた。俺が何も言えないでいるとあいつは
強く俺を引き寄せて抱きしめ、俺はそれに体の力を抜いてされるがままになった。
「克宏。」
彼は切ない声で俺の名を呼んだ。こいつがこんな声をだすのを、俺はこいつと出会って
以来、始めて聞いた。
「俺、お前の傍にいてえ。だけど、今度ばかりは生きて帰ってこれるかどうかわからねえ
んだ・・・」
あいつは更に俺を抱く手に力を込めた。
「俺、お前に惚れてんだよ・・・」
 
俺は、こいつが俺にどういう感情を抱いているか、全く知らなかったわけじゃない。だが、
俺はずっとそれに気が付かないふりをしてきたのだ。酒を一緒に飲んでいるとき、彼が
酔って、あるいは酔ったふりをして俺に抱きついたり、俺に触れたり、俺を見つめたりし
たとき・・・俺はそれらをすべてなにげなくかわしてきたのだった。いつも気が付いていな
いふりをした。そしてそのうち左之はあきらめ、俺をただの友人として扱うようになり、あい
つも友人というだけの態度を装うようになった。俺は一件落着したと思った。彼も俺のこと
を忘れ、そのうち誰かいいやつでも見つけるだろう。そう、女でも。
 
「左之。」
俺は、彼を抱きしめかえして彼の名を呼んだ。
「お前が行くと決めたんだ。俺は止めない。だけど、約束しろ、絶対ここへ生きて帰って
くるって。俺は、お前に帰ってきて欲しい。お前がいなくなるなんて、耐えられない。」
左之は、じっとしたまま動かなかった。
「そう約束できないなら、今貸した金かえせ、お前。」
左之が、緊張をといて、笑った。
「わかった・・・約束するぜ。俺は、必ずお前の元へ生きて帰ってくる。」
 
そのときだった。俺達二人は、外に不穏な人の気配があるのに気が付いた。左之は俺
から体を離すと、戸口へ行って戸を開ける。
 
それが、俺がその男を始めて見たときだった。何と言ってよいかわからない。腕を組んで
外に立っている。背が高く、服の上からでも無駄の全くないだろう体の線が、見て取れる。
ただ痩せているのではない。実戦用に、無駄なものをすべて削ぎ落としたという雰囲気
がそこにあった。そして一番印象的なのは、その眼だった。圧し殺し、隠してはいるもの
の、けっして獲物を逃がさない、捕らえられたら最後、骨まで食らい尽くされるような、危険
で狂暴な肉食獣の眼をしている。その男は左之に一瞥をくれ、次に奥にいる俺へと視線
を移した。一瞬、その男の眼が、金色に光ったような気がした。俺はそいつから眼を離せ
ない。
'錯覚だ・・・人の目が金色に光るなんて、そんなことがあるか?魔物でもあるまいし・・・?'
そいつが俺から眼を離すと、俺は、やっと息をつくことができて、ほっとした。俺は、自分
が恐ろしく緊張していたことがわかった。
 
それから左之とそいつのやり取りに関しては、俺が付け加えることなど無い。そいつは左
之を、お荷物扱いし、左之はそれに激昂した。可哀想な左之。俺の前で、お前など井の
中の蛙、とばかりに貶められたのだから。
 
そしてその小競合が終わり、あいつは去っていった。左之はあいつに一矢報いてさらに闘
志を掻立てられたようだった。こいつは、根っから戦って勝つのが好きなのだ。子供の頃か
ら変わっていない。昔、俺がこいつを口で負かして、そのあとに拳が飛んできたことがある。
 
 「じゃあ、行くぜ。」
と左之が言った。もう一度俺を引き寄せ、抱きしめた。体を少し離して俺の顔を眺め、何か
躊躇っているような顔をする。俺は彼に近づくと、唇をほんの軽く、左之のに触れさせた。
左之が呆気にとられて俺を見る。俺は、体を離した。
「気をつけてな、左之。必ず帰ってくるんだぞ。」
「ああ、お前も気をつけてな。俺は、絶対、帰ってくるぜ。待っていてくれよ。絶対、お前の
元へ帰ってくるぜ。」
左之は、顔を輝かせてそう言った。
 
ー*ー
 
それからどのくらい日にちがたっただろう。夏も終わろうとしている夕暮れに、左之はひょっ
こりと顔を出した。
「克宏 ! 克宏、俺だ!」
すごい勢いで、左之が叫びながら俺の部屋の戸を叩く。突然の帰還に俺は驚いて、彼を迎
えに戸口へと飛んでいった。
「左之!お前、帰ってきたのか!?」
戸を開けると、彼は顔を輝かせ、一瞬そこに立ち尽くし、それから俺に、飛び付いてきた。
俺達は固く、抱き合った。俺は彼が無事に戻ってきたことに嬉しくて、笑った。
「無事でよかった左之・・・心配したぞ。」
「帰ってくるって、約束しただろう。」
そのまましばらくじっとしていたが、やがて左之は体を離し、戸を閉めて鍵を掛けた。俺は
彼が旅立つ前のことを思い出し、何となく後ろめたい気分になった。妙な雰囲気だった。
「左之。」
彼は嬉々として上がり込み、押し入れを開けると、勝手に夜具を引っ張り出し始めた。
「おい、左之・・・」
俺は呆気にとられた。いくらなんでも、直截過ぎないか?こいつらしい、とは言えなくもない
が。だけど俺はそういう風には、楽しめないんだよ。左之は俺の方に来ると、俺を抱えて
夜具の上までつれていった。俺は呆気にとられて、抵抗もしなかった。
「ちょっと待てよ、左之。」
座り込んで嬉しそうににこにこ笑いながら俺に寄ってきた左之を手で制すると、彼は少し
顔を寂しそうに曇らせた。
「いやなのか、お前。」
「そうじゃない。そんないきなり。」
「ぐずる女みたいなこと言うなよ。俺、ずっとこのことだけ考えていき延びて来たんだぜ。」
・・・勝手なやつだ。俺はその直裁的な表現に笑った。彼は俺に対しては、こういうものの
言い方しかできない。照れくさいのを、そうやって隠すのだ。あのでかい図体をして、そこら
辺が可愛いと言えなくもない。俺の上に被さってきたあいつの体は、暖かく、しなやかだっ
た。彼は右手で俺の左手を握ると、俺の口に彼ので覆い被さってくる。痛いぐらいに彼は
俺の下唇を強く吸い、俺は呻いた。彼はそれで唇を離す。
「痛いよ、左之。」
「すまねえ。」
俺は笑って彼の頬に手で触れた。
「急かなくても、俺は消えたりしないさ。」
 
いまだに、そのときなんで俺がそんな気になっていたのかわからない。左之を拒むことだ
ってできた筈だ。そんな風に左之を受け入れたら、どうなるか俺はわかっていたんじゃな
いか?もちろん、左之は何も知らないうぶなガキじゃない。だけど彼が俺に向けてくる感
情は・・・いや、そのとき、俺はたかをくくっていたのかも知れない。俺達はそうやって一晩
過ごしたあとに、笑って元通りになれるだろうと。そういえば昔そんなことがあったよなあ、
と、思い出すこともあるだろう。年取ってから、二人で何かの折にその話がでてしまって、
笑い話にできるかもしれない。だって、俺達は友人なのだから。
 
夕暮れの、ほの暗い部屋のなかで、彼は俺を見下ろした。上半身を起こし、自分が着て
いるものを脱ぎ始める。俺もゆっくりと、自分の着物をとり始めた。彼はさっさと脱いでしま
い、のんびりしている俺にもどかしくなったのか、俺に手をかけ、引っぺがすようにして着て
いるものを全部、取り去ってしまった。彼が再び俺に覆い被さってきて、直接肌が、触れ合
った。俺は寝具の上に横たわった。彼の肌は男にしては滑らかで暖かい。若い精力に満
ちていて、俺はそれに圧倒されそうだった。彼は風呂上がりにさえ、若い雄の精気に満ち
た独特の匂いをかすかに発散する。もう一度口を塞がれたが、今度は脅えたように軽く触
れてくる。彼が俺の体に密着すると、彼の固くなった部分が俺を圧迫した。俺は手を伸ば
して、彼のすでに欲望で張り詰めているものを握った。撫でるように愛撫をすると彼は俺
の唇から離れ、俺の喉に顔をよせた。俺はしばらくそうやって彼の反応を見ていたが、彼が
早くも行きそうになっているのを見て、俺はきつく握って愛撫の速度を早め、そのまま続け
る。彼は顔を顰め、俺の名を叫ぶと俺の体の上に終わらせた。俺の腹は彼の体液で汚され
た。ずいぶんだな。お前は、そんなに俺が欲しかったのか。俺は彼を、いとおしく思った。
彼は俺の胸の上に片腕を乗せ、うつ伏せに横たわっている。汗ばんで、息は乱れていた。
顔を布団に押し付け、呼吸にあわせて動いているあいつの頭を、俺は優しく撫でた。
 
彼が落ち着くと、俺は立ち上がり、汚れた自分の体を拭いて清めた。上着を羽織り、酒を
持って戻ってくる。彼は布団の上で上半身を起こし、照れくささにちょっと怒ったような感
じで笑っている。俺は左之に杯を渡し、酒を注いだ。
「長旅で、疲れたろう。」
「ああ。」
左之は答えて、酒を一気に飲み干した。俺も左之を見つめながら、酒に口をつけた。彼
は京都でのことを話し始め、俺は黙ってそれを聞いた。彼の輝くような意思の固められた
眼が、彼が何かを経て成長してきたことを物語ってきた。俺は、彼が無事に帰ってきたこ
とが、本当に嬉しかった。だか彼が斎藤のことに触れたとき、俺はそれに反応し、一瞬、
彼の話していることが、頭のなかを素通りしていった。胸のなかに、小さな固い楔が差し
込まれたような気がした。俺はあの俺を捕らえ、動けなくした、あの金色の目を思い出し
た。俺は少しぼんやりしたらしい。左之が話を中断し、俺を覗き込んでいるのに気が付き、
はっとした。
「克宏。」
一瞬、彼が俺の何かを感付いたのかと思ったが、違ったようだった。彼は俺に顔を近づけ
ると、再び俺に口付けた。上着が俺の肩から左之の手で落とされ、俺は左之の口付けに
答えた。あいつの右手が俺の腿を這って、脚の間に伸ばされる。左之の手が触れる前に、
俺はすでに欲望を感じていて、彼の愛撫に俺は彼の頭に手を伸ばし、貪るように彼の口
を吸った。彼は左手を俺の背中に添え、俺をゆっくりと夜具の上に倒した。彼は俺の唇か
ら口を離すと、俺の胸をまさぐり、心臓の丁度上あたりを強く、吸った。
「左之、やめてくれ。」
俺は抵抗したが、彼はその行為をやめない。しばらくの間、痛いほど強く吸われ、彼が唇
を離したときには、俺の肌が紅をさしたように紅くなっていた。
「なんでこんなことするんだよ?」
怒って抗議する俺に、あいつはふてくされたように言った。
「お前、誰か他に情人でもいるのか?」
左之は俺の胸に顔を埋めたまま動かず、俺は笑った。
「しばらく、銭湯に行くのが憂鬱だよ。こんなとこ、ぶつけるやつもいないしな。」
「すまねえ。」
左之がぶすっとした声で言った。左之は、俺に印をつけようとしていたのだろうか?俺が
他の奴と床を共にできないように?俺は右手で左之の頭を撫で回した。子供みたいな奴
だな。俺は微笑んだ。彼は体を動かし、頭を下ろすと、俺のを口に飲み込んだ。俺は上
半身を起こしてそれを見つめる。こいつは、男とやったことがほとんど無いか、全く無い
かのどちらかだろう、と俺は思った。両手で左之の顔をそっと挟んでどかし、座り込んだ
彼に、今度は俺が口をつけた。
「いい、克宏・・・」
左之が俺の頭に片手を添えた。歯を立てないように、口全体で締め付けるようにして舌を
蠢かせると、左之が呻き、その手が俺の髪を軽く握った。左之はそうされるのをあきらかに
喜んでいたが、俺はそう、長くは続けたりしなかった。こいつが再びいっちまう前に、他の
方法でも楽しみたかったからだ。俺が左之から口を離すと、彼は不満そうに俺を見た。
「俺、お前に俺のなかへ入ってきて欲しいんだ。」
俺がそう言うと、左之は顔を輝かせた。俺は彼の首に両腕を回し、左之をゆっくり後ろ向
きに横たわらせながら彼を導いた。彼はされるがままになった。仰向けになった彼に跨り、
俺は手で彼をつかんで俺のなかに導いた。最初は少し慣らそうと、ゆっくり俺は動き、浅
い動きを繰り返した。しかしいきなり左之がもどかしげに腰を突き上げ、不意をつかれて
深く内部を突きあげられた俺は悲鳴を上げた。
「痛い・・・!」
左之が動きを止めて、すまなそうに俺を見上げた。俺は無理に笑おうとする。
「もっと、優しくしてくれよ。」
「すまねえ。」
さらに彼を深く受け入れようと、俺はゆっくりと、徐々に腰を下ろしていった。俺が顔を顰め
ると、左之が聞いた。
「痛いのか?」
「少し・・・でも、俺はお前を全部俺のなかに受け入れたいんだ。」
左之は、慈しむように俺を見た。彼のウエストにあてている俺の手の上に自分の手を重ね、
握る。俺はさらに腰を押し付け、完全に彼のすべてを飲み込んだ。
「動かしたら、痛いか・・・?」
左之が聞いた。
「大丈夫だ。お前の方で、動かしてみたいか?」
彼は頷き、俺は体を離すと、仰向けになり、左之がその上に被さった。再び彼が俺のなか
に恐る恐る入ってくるが、今度はさっきより楽だった。最初はおずおずと、左之がゆっくりと
腰を動かしてくる。俺は彼のウエストに両足を絡めて深く受け入れられる体勢でしがみつ
いた。彼は自制を失ったらしく、深く突き上げられ、俺は呻いた。
「大丈夫か、お前?」
「ああ、そのまま続けてくれ。いいよ、左之・・・」
少し苦しかったが、受け入れた快楽に俺は流された。
 
俺はたぶん、左之を愛しているのだと思う。俺が感じていたのは、快楽と言うより、満足感
だった。
 
左之が深く突き上げる度、俺は俺は苦痛と快楽の声を上げた。途中、左之が心配そうに
一度動きを止めたが、俺は腰を突き上げて彼を深く俺の内部に導き、続けるよう、催促した。
「克宏・・・あ、克宏、すごく、いいよ・・・」
彼は何度も私の名を呼んだ。そして汗ばみながら快楽に顔を顰めると、突然、動きを止め
る。俺は彼を内部に受け止めながら、天井をぼんやりと眺め、じっとしていた。彼は俺から
体をどかし、仰向けに寝そべった。肌をあわせなくても、俺は彼の体に含まれた熱を感じる
ことができた。しばらく彼はそうやってじっとしていたが、落ち着くと、俺の方に顔を向けた。
「お前はまだいってない。」
俺は笑った。どういうわけか、俺はもう満足してしまっていた。だが左之は体を起こすと俺の
上ににかがみこみ、片手を添えて口のなかに飲み込んだ。彼の口のなかに出し入れされる
おれ自身を眺めながら、俺は呻いた。
「左之、離せ、俺出ちまうよ。」
だが彼は黙ってそのまま続けてしまい、俺は我慢できなくって、彼の口のなかにいってしま
った。だが、この快楽は、付け足しみたいなものだった。彼を受け入れたことで俺はいった
ような気分になっていたのだから。でももちろん、こうされたことがよくなかったわけがない。
俺は満たされた気分で寛いだ。左之が再び俺の横に横たわり、俺の顔を見て笑った。俺の
体液を吐き出さないところを見ると、飲み込んでしまったのだろうか?
「なあ、もしかして俺達、いままですごく無駄に過ごして来たんじゃねえか?俺はお前とずっと
こうしたかったんだよ。」
'ああ、左之、俺はお前が何を言い出せずにいたか、知っていた。知っていて知らないふり
をしてきた。俺はお前とこうしたいとは思っていなかったと言えば嘘になる。だけどお前と
友人のままでいたかった。そしてお前に生きて帰ってきて欲しかった。あのとき、俺がお前
を突き放せば、お前は帰ってこないような気がしたんだ。俺はお前に惚れてはいないけど
愛しているんだ。お前が大事なんだよ。もしお前が死につつあると言われたら、俺は俺の
命を半分差し出すからお前を助けてくれと、本気で天に祈るだろう。'
だが俺はそんなこと言えない。俺は言葉を飲み込み、何も言わずに微笑むと、彼に身を
擦りよせた。左之はそれに満足したみたいだった。
 
ー*ー
 
それからしばらくしてからの頃だ。ある日の夕方、俺が飯でも食おうと外へ出ると、道に見た
ことのある男が立っていた。左之が京都へ行く前に、俺の部屋まで彼をつけてきていた男
だ。煙草をくわえて、俺を眺めている。いつか見たのと同じ、制服姿だった。帯刀している。
「お出掛けか?月岡さん。」
その言葉に俺は立ち止まり、その男をじっと見た。男も、黙って俺を見返す。
「斎藤、一・・・」
俺はそいつの名を呟いた。
「俺を、おぼえていたか。」
そいつが言って、満足そうに笑う。俺はそいつを眺めた。いつか感じた、危険な雰囲気は
押さえられ、隠されている。俺は、こいつから目が離せず、動けなかった。
「ちょっと、付き合え。」
「どこへだよ?」
俺が警戒すると、斎藤は面白そうに、にやりとした。
「酒でも。話がある。」
 
だが、こいつが俺をつれていったのは、連れ込み宿だった。俺は、抵抗できなかった。いや、
しようとしなかった。その通りだ。俺はこいつに興味があった。あの、こいつが俺に一瞥を寄
越し、俺をその視線で絡め捕ったあのときから。
 
こいつは嘘はつかなかった。中にはいると酒を注文し、たわいないことを話始めた。俺は無
理にここへ引っ張り込まれたわけではない。俺のことを淫売だと罵りたいなら勝手にしてくれ。
左之と愛し合ったその次の夜に・・・そう、あいつはあの始めての夜以来、毎日俺の所へや
って来ていた。さすがにそれが続いたあと、今日は遅くなっても姿を現さなかったので来ない
らしいと思った。俺は一人で夕飯をとろうと外へ出、そしてこいつがそこに立っていたのだ。
 
あの眼が、俺を見つめている。隠すこと無く、露骨に欲望を剥き出しにしている。俺を喰ら
っているのを、想像している眼だった。その視線の無遠慮さに、俺は触れられてもいない
のに濃密な愛撫をされているような感覚を味わった。俺の躯の奥から熱くて昏い欲望が
渦巻き、その押し上げられるような感覚に圧倒され、押さえ付けられ、俺は動けなかった。
 
話がとぎれると、斎藤が俺の右手首をいきなりつかみ、強い力で自分の方へ引き寄せた。
杯が盆の上に転がり、酒がこぼれる。それに気をとられた俺の唇を、斎藤がその唇で捕ら
えた。俺は、力無く引き寄せられ、あいつに体を持たれかけさせた。体に、力が入らない。
あいつは俺の後頭部に手をあて、強く自分に押し付けた。舌が俺の唇を割って入ってこよ
うとするが、俺はそれに答えず、嫌がって軽くもがいた。左之以外の奴に、口付けされるの
がいやだった。斎藤が俺の唇を離した。
「今更、いやだと言い出す気か?」
「息が、苦しい。」
俺はそう言訳し、唇を歪めて笑った。
「もっと、いいことをしてやるよ。」
俺は斎藤の洋袴の前を開けると、頭を下げて、あいつのを口に含んだ。濡れた内部で圧迫
し、優しく吸うと、柔らかかったそれは徐々に膨らみ、固くなってくる。これ以上大きくならな
い状態になったところで、あいつの先をできるだけ喉の奥に突っ込み、擦り付けるようにして
頭を動かした。あいつが俺の肩をつかみ、時々強くそれを握り締めた。俺は顔を離し、あい
つを見上げた。あいつは立ち上がり、俺を引き摺るようにして寝具までつれていった。乱暴
に、放り投げるようにして布団の上に俺をほおり出すと、服を脱ぎ始める。俺も体を起こすと、
自分の身に付けている物を取り去った。あいつは俺をうつ伏せにさせ、お尻の下のあたりに
両膝を乗せて俺が逃げられないように固定すると、自分のベルトで俺の手首を後ろ手に縛
り上げた。
「ちょっと、待て。」
俺は顔を後ろに向けて言った。斎藤は、うすら笑いを浮かべている。
「いったい、何するつもりだよ。」
「決まってるだろう。お前を、とって喰うんだよ。」
斎藤は俺のバンダナをはずし、それで俺の視界を奪うと、きつく縛った。俺から膝をどかし、
俺の腰を持ち上げた。俺は肩と頭で体を支える。
「もっと、脚開けよ、お前。」
斎藤は自分の膝で俺の膝を開かせた。腰にうまく力が入れられず、俺はさらに脚の間を上
に向けられた。その無様な格好を斎藤の眼の位置から想像し、さらに視線をその上に感じ
て俺は羞恥で消え入りたくなった。
「やめろよ。」
斎藤が片手を回して俺のをつかんで言った。
「こんなになって、よく言うぜ。自分から腰上げて見せ付けているくせに。そんなにこの格好
が、気に入ったか?」
斎藤が俺をつかんでいる手を上下に動かし、俺は体を震わせた。俺は斎藤に触られる前
から、高ぶってしまってはちきれそうになっていた。斎藤がそれから手を離し、油薬で濡ら
した中指を俺の体内にいれてくる。俺はそれに呻いた。
「これじゃ、足りなさそうだな。」
もう一本、指がさらに差し込まれる。中をかき回され、俺は気持のよさに呻いた。
「やだよ、斎藤、やめてくれ・・・」
「本当にやめていいのか?」
斎藤が、意地悪く笑った。いきなり乱暴に指が二本とも引き抜かれ、快感と少しの痛みに、
俺は声を上げた。
「お前が欲しいのはこっちのほうなんだろう。」
斎藤が、指が引き抜かれた部分に、自分の体の固くなった中心を押し付けた。俺は彼が
入ってきてくれるのを期待して待っていたが、斎藤は動かなかった。
「これが欲しかったら、はっきりそう言え。」
「欲しい・・・」
消え入るような声で俺は言った。
「しっかりしろ、それじゃ何がなんだかわからんぞ。」
「お前が、欲しいんだ。」
斎藤は動かない。俺は、あてられている部分を少し、揺すって呻いた。
「俺のなかにいれてくれよ。それが欲しくて、俺、気が狂いそうなんだよ。」
俺は、泣きそうな声で言った。斎藤が、せせら笑った。
「いい子だ。ご褒美をくれてやる。」
斎藤が、俺の内部に侵入してくる。ゆっくりと、少しずつ様子を見ているのだろう。だが半分
も突き進んだと思われる頃に、彼は残りを一気に貫いた。俺の腰を両手でつかみ、荒々し
く突き上げた。しばらくそれを続けられたあと、俺は叫んだ。
「斎藤、お願いだ、縛めを解いてくれ。俺、いきたいんだよ。」
俺が訴えると、彼は動きを中断し、俺の手を自由にした。俺は体を上げ、四つんばいになる
と、斎藤が攻め立てるなか、自分で自分を慰めた。俺が終わるのに時間はいらなかった。
俺が頂点に来て、欲望を放出してしまうと、斎藤が俺の背後で唸るような声を上げた。自分
でも苦しいほど俺は斎藤を締め付けている。俺の意思に関係なく、俺の体は斎藤を吸い込
み、緩め、きつく絡み付くのを繰り返した。斎藤がいったあと、体を離し、崩れるように夜具の
上に二人で転がると、お互いしばらく口も聞けなかった。落ち着いてから、俺は顔から自分
でバンダナをはずした。
 
斎藤は起き上がると、酒を再び飲み始めた。俺も彼に続き、酒に口をつける。斎藤が手酌
で酒を注ぎながら言った。
「その胸の痣、相楽の奴の仕業か?」
かなり薄くなっているものの、まだはっきりと見て取れるほどには残っている。
「そうだ。」
俺はそれを隠そうともせず、すましてそう答えた。斎藤が笑いながら俺を見た。
「・・・いったい、今まで何人ぐらいと寝た?」
「さあ・・・おぼえてない。」
「みんな、一晩明ければ忘れちまうという訳か?」
「惚れた奴のことは覚えてるさ。あんたは、絶対忘れない。」
「全部の男に惚れたと言って歩いてるんだろう。」
「そうじゃないさ。人を遊君みたいに言うなよ。」
俺は、笑って酒を飲み干した。
「嘘じゃない。」
そう、嘘じゃない。俺は、左之にだけはそう言ったことがない。俺、あいつが本当に好きだ
から。
「あんただって、今まで共寝した相手を全部覚えてるか?」
「俺とお前じゃ、歳も経験も違うさ。」
「違いない。」
斎藤が小さな声を立てて笑った。
「・・・何も知らないような、おとなしそうな顔をして、その中身はたいしたもんだな。それで
相楽の前では、うぶな女さえまだろくに知らないような様子をして、猫をかぶっているんだ
ろう。」
俺は斎藤に向かってふん、と笑った。俺はこいつの前では自分の本性を隠そうという気に
はならなかった。左之にたいして持っているような、嫌われたくないという感情が全く働か
ない。たぶん、俺は内心こいつのことをどうでもよく思っているのだろう。斎藤にどう思われ
ようが、俺は全く気にしないと思う。だけど俺は斎藤の言う通り、左之の前じゃ絶対こんな
態度はとらない。俺はあいつに嫌われるのは怖かった。左之と単なる友人でいたかった
俺が、その垣根を越えさせてしまったのも、左之に何がなんでも帰ってきて欲しくて、それ
が嘘だった何て言えなかったせいだ。
 
斎藤の眼が、一瞬、俺を見て光ったような気がした。なにかたくらんでいる。いち早く俺は
立ち上がろうとしたが、斎藤がその俺の腕をつかんで、俺は仰向けに引き摺り倒された。
「俺も、お前に相楽がやったと同じ痣をつけてやろうか?」
斎藤が俺にのし掛かっていった。俺はもう、笑ってはいなかった。
「冗談はやめろ。」
「俺は、ふざけてないぞ。相楽がそれ見て、どんな顔をするだろうな。」
斎藤が俺の胸に顔を近づけると、俺は顔から血の気が引き、本気で抵抗した。
「馬鹿、離せ!」
斎藤の唇が、俺の肌につけられた。俺は斎藤の髪をつかんで引っ張り、暴れた。
「いやだっ。やめろ!」
斎藤は、まだ状況を楽しむことができた。そこまでは。
「やめろって言ってるだろ!お前なんの権利があって俺にこんなことするんだ?俺にこんな
ことしていいのは左之だけだ。」
斎藤が突然体を起こすと、俺を怒った顔で見下ろし、軽く平手で俺の顔を殴った。そして
右手で強く俺の顎をつかみ、押し上げる。
「支那の言葉でな、'豺狼'って、知っているか?」
あいつは笑っていたが、何か感情をその顔の後ろに隠したような笑い方だった。
「お前みたいな奴のことをいうんだよ。」
斎藤の眼のなかに、傷付いた感情が一瞬見え隠れしたのは、俺の気のせいなのだろうか?
 
斎藤はその晩、もう一度俺を押さえ付けると、滅茶苦茶に乱暴するようにして俺を犯した。
その最中、俺は物にでもされたような気がしたようなやり方だった。
 
"愛しているよ、私の克宏。"
何故だかわからない。そのとき斎藤の体躯の下で、昔、相楽隊長が、優しく俺にそう言い
ながら俺の躯を蹂躙したことを、俺はなんの感情も伴わずに思い出していた。そう、隊長
は俺を愛しているといいながら俺を踏み躙った。そのときの俺はまだ自分の感じていたこ
とを表現する言葉を持たなかったが、その愛というものがグロテスクで、穢くて醜悪だと思
った。男に犯されるのが怖いと思ったのは、あのとき一回だけだった。そのあと俺は隊長を
含め誰に何をされようが、いやだと思ったことはない。
 
ー*ー
 
「昨晩、お前どこへいっていたんだよ。」
次の日、左之は俺のうちへやってきて、部屋に飛込んでくるなり俺に食って掛かった。
「・・・友人と、飲んでいたんだ。」
左之が、怒った顔で俺を睨んでいる。俺は何喰わぬ声の調子で答えたが、あいつをまとも
に見ることができなかった。
「そいつと、一晩中一緒だったのか。」
昨日、俺は斎藤と一緒だった。左之に、言えないこともした。そしてそのことを、知らぬ顔
で嘘をついてしまいたかった。でも、左之にだけは、そんなことできない。やりたくても、で
きなかった。
 
そうだ、俺はろくでもない嘘つきで、平気な顔で情人には嘘をつく。たとえ相手が嘘に気付
いたとしても、その相手が嘘を信じたがっているようなら平気でその嘘を押し通した。いつ
だって、良心の呵責なんか感じなかった。情が絡んだ関係は、厳しい真実より優しい嘘の
方がいいことだってあるからだ。俺は誰かのものになりたいと思ったことなど無い。それでそ
の連中が俺に愛想をつかそうと、俺の知ったことじゃなかった。それがいやなら、俺にかまう
な。俺は、いつもそう思った。左之以外の、誰にたいしても。・・・だからこそ、俺は左之とは
友人でいたかった。くだらぬことで、左之を失いたくなかった。
 
黙っている俺に、左之が言った。
「お前、いつから斎藤と友人なんかになったんだ。」
俺は驚いて左之を見た。
「・・・斎藤と、なにしてたんだよ、一晩中。」
俺は、黙って視線をそらす。
「俺に言えないようなことか?」
俺は答えなかった。左之は荒々しく俺の襟元をつかんだ。
「なんとか、言ったらどうだ?!」
・・・何故、俺は優しい嘘を左之に語ってやらなかったのだろう。俺はわかっていた。こい
つは俺が潔白だと、そう言うのを聞きたかったのだ。そう左之に言い聞かせ、二度と斎藤
と会わなければ、それですべては済んだ筈だった。俺はいいわけを頭のなかで紡ぎだし、
あとは彼にそれを言ってやるだけになっていた。でも、俺の口からでてきたのは、そんな
言葉ではなかった。何故だか俺のなかに怒りがわいてきて、俺は自制ができなかった。
もしかしたら、俺はおれ自身にたいして怒っていたのかもしれない。
「斎藤と、一晩中、一緒に床のなかにいたんだ。」
左之が目を大きく見開いて俺を呆然と眺めた。信じられない、という様子をしている。
「あいつと、寝たんだ。」
「なんで、そんなこと・・・?」
左之は涙ぐんだ。
「お前、俺のなんだ?」
俺は、あいつを真っ直ぐ見つめ、少し怒ったような冷たい自分の声を、まるで他人事のよ
うに聞いていた。
「克宏・・・」
「俺の亭主か?」
左之は俺の襟元から手を離すと、俺を平手でおもいきり殴った。
 
左之が泣きながら俺の部屋を飛び出していったあと、俺は床に座り込み、何故俺は左之を
裏切り、斎藤についていったのだろう、何故左之にあんなひどいことを言ってしまったのだ
ろう、と、ぼんやり考えた。俺は、左之をこんなに愛しているのに。
 
それから一週間後、俺は再び斎藤についていったが、それをたいして面白いとも思わなか
った。それから俺は斎藤と、二度と床を共にしなかった。