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2002.04.29〜2002.05.01
2002年4月29日(月)晴れ
今日からいよいよ2泊3日の松之山への里帰りだ。今回の里帰りは2年ぶりとなる。前回は、黒倉という地域に親戚の家を借り、そこに冬季を除く期間だけ両親が住んでいたのだが、去年より、生まれ育った小谷という地域に小さい家(といってもバラック建てのようなオモチャみたいな家)を建てて、そこに住んでいる。もともと両親も含め、ウチの家族は小谷で生まれ育ったのだが、その生家のあったところに国道ができ、ウチは立ち退くような形で松之山(小谷)を去ったのだった。それが、わずかに残った土地を利用し、また同じ場所に家ができるなんて、思っても見なかったことだ。両親の、その土地への深い思い入れのたまものだろう。そんな、自分にとっても馴染みのある土地への里帰りなので、今回はいつにも増して楽しみだ。

朝からいい天気に恵まれ、関越道も空いていて、まったく渋滞に遭わずに塩沢石打I.C.まで快適に過ごした。途中、赤城高原S.A.で休憩し(そこから望んだ遠景 )、国道353号線を通り、途中の津南で昼食。定番の山菜そば を食べた。さらに353号線をたどり、ほどなく松之山に到着だ。雪もほどんどなく、暑いくらいの陽気。

家は、「浦田口」という、町で唯一の信号機のある交差点を右折して、そこから車で10分も掛からない場所なのだが、ちょっと「浦田口」の手前で左折して「美人林」という場所へ。実はこの場所は今回初めて行く場所だ。ブナの原生林が生い茂り、森林浴のメッカとして売り出している場所らしい。行ってみたら、結構観光客の車が駐車場にいっぱい停まっている。意外と人気の場所らしい。車を止め、こんなオブジェ の前を通り過ぎ、ちょっと歩くと、そこはすぐにブナの木が生い茂っていた。まさに森林浴、ヒーリングにはもってこいの場所だ。写真を撮ったり、散策したり、地面に座ってくつろいでいる人など、みんなさまざまに楽しんでいる。思わず自分もにわかカメラマンと化し、写真を撮りまくった。こんな感じ。 。ここは本当に癒される場所だ。近くの脇道に、遠くに雪山を望む場所があったので、ついでに撮影。

さて、「美人林」を後にして、途中何軒かの「無人市」を通り過ぎ、小谷へ到着。家では年老いた両親が出迎えてくれた。想像していたよりも立派な家で、これなら寝泊まりに全く問題ない。少し休憩して、早速近所を散策。子供の頃よく山菜採りに出かけた場所なので、どこに何があるか、良く覚えている。ただ、子供の頃の感覚では、谷の下までかなり歩いた気がするのだが、今回久しぶりに行ってみるとアッという間にたどり着いてしまった。しかも、途中で道が使われなくなっており、その先は藪の中、という感じになっていたのはちょっと寂しいものがあった。昔は谷を流れる小川には橋が架けられ、その向こう側まで行って遊んだものだが。
その辺には、コゴミ(塩ゆでして鰹節&醤油、あるいはマヨネーズがけが旨い)が群生した。ただ、すでに食べられる時期は過ぎていて、かなり伸びていたのは残念。帰りはわざと道のない沢沿いの畦あとをたどり、国道まで藪の中を登って、旧道を通り、家に到着。なお、自宅の庭にはこんな綺麗なチューリップの花 が咲いていた。

夕方4時過ぎ、松之山温泉の「鷹の湯」に行って来た。混んでいるかと思ったが、それほどでもない。久々の「鷹の湯」も気持ちがいい。この「鷹の湯」、なんでも日本三大薬湯(あと二つは有馬と草津)の一つらしいのだが、そんなに有名なのだろうか? もちろん子供の頃から知っていた温泉だが、その頃はそんな話はとんと聞いたことがない。まあ、多分興味がなかったからだろう。日帰り入浴できるところは、他に、新しくできた「ナステビュウ湯の山」というのもあるが、そちらはまだ行ったことがない。何となく、どこにでもある温泉センターという感じがするのだが、どうなんだろう?
それはさておき、この「鷹の湯」、今年から入浴料が400円となり、去年より100円高くなった。これも不況のあおりなんだろうか。でも、ウチは家にあった去年までの300円の入浴券で入ることができた。受付のおじさん、ありがとう。
兎口に「翠の湯」という、田圃の真ん中に作ったような露天風呂もあり、こちらも野趣あふれる温泉で結構好きだ。空いているのが良い。

夕食は、両親が奮発して焼き肉バーベキュー。いつも初日の夜は焼き肉と、両親の歓迎ぶりに頭が下がる思いだ。それに答えるには、いっぱい食べることだろう。この日は天気が良く、暖かい日だったので、家の外に切り株のテーブルと椅子を設置し、さながら野外バーベキューといった趣。外で食べる焼き肉や野菜、キノコなど、みんな旨かった。お酒はビールを皮切りに、濁り酒で舌鼓。
午後8時過ぎには就寝した。

2002年4月30日(火)曇りのち雨
本格的な山菜採りはこの日にやろうと思っていたのに、あいにくの曇り空。しかも、お昼過ぎから雨が降るという。山に行くには午前中しかない、ということで、まず、お墓参り。それから、お袋の生家に行き、今年の1月に亡くなった伯父さんが奉られている仏壇に向かって合掌。
お茶も早々に、早速山へ。道中には、「夜泣き松」の記念碑、三十三観音などがあり、途中で車を置いて、山道を散策。山菜は、ウド (ごまみそ和えが旨い)や木の芽 (軽くゆでて鰹節&醤油&あればウズラの卵)、ワラビ (ゆでて灰汁抜き後わさび醤油かマヨネーズで)など。お袋や伯母さん、従姉のおねえさんなどは、もっぱら高山植物を採るのに夢中になっていた。春蘭、雪割草、その他名前も知らない植物を嬉々として採っていた。
行ったところは、「子安峰」というところで、観音様が奉られている。ここは山の稜線の、さらに高いところにあるので、晴れていれば見晴らしが素晴らしい。遠くには八海山や谷川岳も見渡せ、弥彦山や日本海までもが見ることができる。あいにくこの日は曇り空だったが、八海山は見ることができた。
途中から雨が激しくなり、最後に楽しみにとっておいたウド採りをして、伯母さんの家へ帰った。お茶と山菜料理をいただき、家に帰ってお昼を食べ、しばし昼寝。雨はますます激しくなり、山菜を採りに行くどころではない。しかたがないので、家の周りに生えている山菜を、傘を差しながら撮影した。アズキ菜 (おひたしが最高)、カンゾウ (あまり食す習慣なし)、トリアシ (酢みそ和え)、ゼンマイ (煮物)、シオデ(ショデ) (アスパラガスとほとんど同じ味、よってベーコン巻きなどが良い)、タラの芽 (何と言っても天ぷら。ちなみに写真のタラの芽は夕飯の天ぷらとして食べた。美味)、フキ (夏くらいに茎を煮物で食べる)、ユリ (秋の花も綺麗だがユリ根が美味しい)など。他には、写真には撮らなかったが、ヨモギ(天ぷら)、根曲がりダケ(焼く、煮る、どちらでも)、ふきのとう(天ぷら)、つくし(あまり食す習慣なし)、アサツキ(あさづき)(生で味噌をつけて)などなど。
雨で温泉にも出かける気になれず、この日は家のお風呂で済ました。だけど、窓を開けて露天風呂気分を満喫した。雨にもやった小谷の風景もいいものだ。
夜は山菜の天ぷらと松代そば。天ぷらは採ったばかりのタラの芽とヨモギ、ふきのとうなど。塩をつけて食べるのが正解。あまりにも旨いので、そば用の天ぷらが残っていず、そばは素そばとなった。これも愛嬌。酒はビールと日本酒。昼から飲んでいるのでだいぶ酔ったようだ。
やはり就寝は8時。

2002年5月1日(水)小雨のち曇り
朝食を食べ、9時前に出発。お袋は相変わらず荷物をたくさん持たせ、車の中は土産で満杯だ。これも気持ちがこもっていて嬉しい限りだが、いかんせん、二人では食べきれない量なので、いささか間引かせてもらった。別れ際、両親が道の反対側で手を振ってくれたが、二人とも小さくなったものだ。ありがとう。また来るよ。
帰りは、松代駅(ほくほく線)の道の駅「まつだいふるさと館」にてしばし休憩。山菜やら土地のものが売られていたが、山菜を買う、という習慣がないので、何とも不思議な感じだ。日本酒は、「越の寒梅」とか「八海山」とか「久保田」などの有名なものはなく、本当に地酒のみ、という感じだ。でも、「越の誉」とか「君の井」など、昔から親父が飲んでいて馴染みのある酒が置いてあったのは嬉しかった。
外に出ると、線路の向こうになにやら不思議なオブジェがあった 。どうやら、田植えやら田鋤き、稲背負いの様子を表したものらしい。どれも懐かしい風景だ。
しばらく行くと、今度は渋海川の橋沿いに掛かる犬伏名物のこいのぼり を発見。これもこの時期の風物詩としてすっかりお馴染みだ。それにしても、松代も道がずいぶん整備され、昔と変わった印象だった。
帰りの関越道も空いていた。いや、ガラガラと言って良い。平均110km/hくらいで通して走り抜け、お昼過ぎには地元に着いていた。

こうやって、2泊3日の里帰りが終わった。今回の里帰りで行きたかったけど行けなかったところに「岩見堂」がある。ここからの眺めはまた格別だ。それから「鏡が池」。ここは行きの道中からそう遠くないところにあったので、寄ろうと思えば寄れたところ。次回は必ず寄ろうと思う。


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