週刊ビーケーワン『ザ・スタンド』SPECIAL ISSUE |
■目次
─────────────────────────────────────― ■スペシャル対談 『ザ・スタンド』とキング・オブ・ホラーの尽きせぬ魅力 ■『ザ・スタンド』担当編集者インタビュー ■新世紀の幕開けに「終末後の世界」の文学を読む ―――『ザ・スタンド』に始まるブックガイド ────────────────────────────────────── ===========================================================================
養老孟司(ようろう・たけし)
風間賢二(かざま・けんじ)
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bk1:御専門の解剖学から哲学まで、幅広い分野の著作で活躍中の養老孟司先生ですが、実はスティーヴン・キングの大ファンだとか。そこで今回は『ザ・スタンド』発売を記念して、キング研究の第一人者である風間賢二さんとの豪華初顔合わせにより、キング作品の奥深い魅力について語り合っていただきたいと思います。 養老:僕はね、ホラーが基本的に好きなんです。子供の頃は鈴木澄子の化け猫映画を見て育ったしね。僕は鎌倉在住なんだけど、近所に入江たか子が越して来た時には「化け猫が来た」なんて言ってた(笑)。アメリカでもドライブイン・シアターで随分とホラーを見たものです。日本の納涼・怪談映画と同じで、あちらでも夏になるとドラキュラ映画をやるんですよ。 風間:それは1970年代のことですか。だとすると、映画は、『エクソシスト』や『オーメン』などのオカルトブーム全盛期ですね。 養老:ええ。ただ吸血鬼映画なんてのは、登場人物が1人にならなきゃいいのに、すぐ1人になって襲われてしまう。そういう西洋人の行動には感情移入できなかったな。馬鹿だな、と。日本人なら仲間と5、6人で退治に行こうって話になるでしょう(笑)。ホラー映画と言えば、若い頃に真夏の日比谷で見た作品が良かった。ナチの幽霊船って設定で、肉屋の冷凍室みたいに人間の死体がずらっと吊るしてある。しかも劇場はガラガラときた。 風間:スクリーン内の冷気がそのまま客席に流れて来そうな(笑)。 養老:いや、実に作品の内容にぴったりの雰囲気だった。 風間:では、70年代にホラー映画を通してキングをお知りになったのですか? 養老:いや、当時は知らなかった。キングに出会ったのは、『呪われた町』の集英社文庫版が初めて。非常によく出来た怪談だと感心したんですよ。それから『シャイニング』だったかな。あれは映画も見ましたよ。 風間:それは原書でお読みになった? 養老:そう。ペーパーバックでね。ハードカバーが出るほどは、まだ人気が出ていなかった頃でしょう。ただし、ヨーロッパに行っても、キング作品は本屋に山積みになってたね。 風間:なるほど。じゃあ、ほぼリアルタイムでキング体験をなさっていたわけですね。 養老:これは先に言ったことの訂正になりますが、よく思い出してみたら、一番最初に原書で読んだのは『ザ・スタンド』でしたね。まだ家にありますが、ボロボロになってますよ。 風間:あれを最初に原書で読んでしまえば、後はどのキング作品も楽勝というか(笑)。相当なボリュームですからね。 養老:僕は分量は平気なんですよ。むしろ長ければ長いほどいい。 風間:キングは短編も多いのですが、あまりお好きではない? 養老:長編の方がいいね。短編も面白いんだけど……。やはり、せっかく読み始めたんだからすぐ終わるともったいない。登場人物の名前もやっと覚えたのに、とか思うじゃないですか(笑)。 風間:例によって、今回の『ザ・スタンド』も登場人物が多い。邦訳版の上巻に登場人物表がついていないのは、ちょっときついですね。 養老:そう、覚えるのが大変だった。 風間:なにせ、章ごとに各キャラクターが出て来て、彼らのエピソードが交互に進行するから、読んでるうちに誰が誰だかわからなくなっちゃう。 養老:それは、外国の小説を高校時代から読んでいて、僕も苦労させられた点ですね。たとえば、登場人物をドカドカと最初に出してしまうのはアガサ・クリスティーの書き方。だから最初ちゃんと読まないと何が起こってるか分からない。おまけに各登場人物の紹介文が短い。長編小説ってのは、最初の部分を辛抱して読まなければいけない、ということを教わったのはバルザック。10ページか20ページでやめちゃったら何も出て来ない。 風間:バルザックは、100ページ読んでも何も起こらないですよ(笑)。 ---------------------------------------------------------------------------
bk1:風間さんとキングの出会いはどのようなものでしたか。 風間:僕が一番最初に読んだキング作品は『キャリー』。その時はそんなにピンと来なかった。彼の作品を面白いと思ったのは中編の『霧』から。モダンホラーの傑作アンソロジー『闇の展覧会』用に書き下ろされた作品です。それ以降、彼の名前を意識して読んだのが『呪われた町』。これは吸血鬼モノを現代的に新解釈していて凄い、と。そして次の『シャイニング』ですっかりハマってしまった。『ファイアスターター』なんかも、まさにノンストップ・アクション・ホラーで一気読みでした。続けて『クージョ』や『デッドゾーン』も読んだんだけど、これらの作品はそんなに面白いとは思わなかった。
養老:僕はどの作品も同じような印象なんだけど、意外と『タリスマン』が好きだね。あれはパラレル・ワールドが非常に上手に書けている。あの手法が今の「暗黒の塔」シリーズに受け継がれている感じがする。空中のドアからニューヨークに行っちゃったりするあたりとか。 風間:ちょうど『タリスマン』と同時期に書いていたのが『THE EYES OF THE
DRAGON』ですが、それにもまた「暗黒の塔」や『タリスマン』とつながるような異世界が出て来る。『THE
EYES OF THE DRAGON 』は、キングが自分の子供のために書いたジュヴナイル・ファンタジーです。
養老:『IT』のモンスターはピエロでしょう。ああいう怪物造形はさすがに上手いですよ。随所での登場のさせ方も、キングならではと唸らせる。 風間:白塗りのピエロってのは、洋の東西を問わず子供には怖い存在ですよね。日本だと、歌舞伎の隈取りみたいなものか(笑)。ただ、あのピエロは、ピエロの扮装をして少年ばかりを殺害していた実在のゲイ殺人鬼ジョン・ゲイシーをモデルにしているような気がします。 養老:理屈をいえば、キングの恐怖描写は子供の感覚なんですよ。詰まるところ、文学というのは常に恋愛関係をテーマにしてきた。だから本来の文学は大人のものである、と。ところが、恋愛でなく恐怖を巡っての物語となると、これは子供のものなんです。子供を激しく突き動かす感情は恐怖しかないから。人間を根本的なところで大きく動かす感情で、普遍的なものと言えば、恐怖と恋愛しかないんです。ですから、ホラーを書く作家ってのは、基本的に子供なんです。そういうところが、僕とキングの合う点じゃないかな。僕なんかも、いい年して昆虫が好きで、白髪頭のジジイが捕虫網もって山の中駆け回ってるんだから(笑)。子供ジジイだ。 風間:確かに、キングに性描写は少ない。あっても、興奮させるほどじゃないな(笑)。 養老:いわゆる大人の女性は出て来ないでしょう。女性が出て来たと思ったら、殺されるだけ(笑)。あるいは、強い女性が多く登場する。『シャイニング』の母親とか。 風間:それと『キャリー』の母親とか。キングの母親自身がとても強い女性なんです。キングってのは、非常に体格の良い大男なんですが、高校時代に鏡の前でめかしこんでいたら、小柄で痩せている母親が飛んで来て「外見なんか気にするな、大切なのは中身だ!」とキングをぶっ飛ばしたという……。 養老:キングは恋愛なんて描いてたっけ? 風間:最近だと、『骨の袋』に中年夫婦の愛が出て来ましたし、その前に「暗黒の塔」シリーズの第四巻『魔道師の虹』で主人公ローランドの「ロミオとジュリエット」タイプの恋愛を描いていて……。 養老:ああそうだった。でも駄目だ駄目だ(笑)。読む気がしない。恋愛を書くのは本当に下手なんだ。 風間:パターン化しちゃってて、どうも独創性に欠ける。でも、自分で翻訳しているからじゃないですけど、『魔道師の虹』の悪役たちはいつものキングらしくていいですよ(笑)。 養老:やはり、大人の感情を書かせると下手なんだ。子供を書くと断然光るのに。 風間:本人も子供の相手をしている時が一番生き生きしてますね。リトルリーグのコーチしている時とか。今は自分の子供たちも成長して家を出てしまい、家に奥さんと二人きりなんですが、その頃から子供を題材に書かなくなった。
bk1:い、いったいそれは何なのでしょうか!? 風間:『ミザリー』と次の『トミーノッカーズ』の頃までは、アル中に加えてドラッグ中毒だったと告白しているんです。まあ、ある日、奥さんのタビサがついに見かねて、薬を全部捨てたおかげで、何とかドラッグはやめられた。しかし、クスリが抜けたら今度はスランプでまったく書けなくなったんです。そして2年ぐらいのブランクの後、『ダーク・ハーフ』上梓となる。あの作品は、まさにライターズ・ブロックに陥った自分自身との闘いだったんですね。
養老:『デスペレーション』の作家もアル中だね。かつてアル中だった思い出を盛んに書いてた。 風間:『トミーノッカーズ』もそうです。 養老:アメリカ人なら普通じゃないの(笑)。 風間:ええ、ヘミングウェイやフィッツジェラルドといったロスト・ジェネレーションの作家を筆頭にアル中作家は多くて、アルコールと創造性というテーマで何冊も、アメリカ文学の研究書が出てますしね。 養老:まあ、これは当たり前だけど、所詮いくらドラッグを使っても、ないものは出て来ない。その人の中にすでにあった何かが変形するだけですから。 風間:キャラクター造形やプロットなんてのはラリってて出来るものじゃなく、醒めてないと不可能でしょうしね。 養老:しかし、キングってのは依存症的な心理というか、そういう弱さをもったキャラクターを描くのが上手い。『ローズ・マダー』の亭主もそうでしょう。一見すごく真面目なんだけど、やがてその真面目さが不気味さへと変わって行く。 風間:いたって善良な人が、時に暴力に惹かれてしまうというのは、キングの長年追求しているテーマのひとつなんです。また先生のおっしゃるとおり、見慣れたものが異様なものに変化することの恐怖を描かせたらピカ一です。でも、キングを受けつけない人は、たとえば、いまあげた『ローズ・マダー』の途中まではいいけれど、ヒロインが絵画の中の世界に入ってしまうところから「ついて行けない」と言う。その点、先生はどうですか。 養老:あれがなけりゃキングじゃない。しかし、そこに拒否反応を示す人ってのは、物語に「リアリティー」がなくなるのが嫌なんでしょう。絵画のくだりまで、物語は極めてリアルに進行する。虐待されたヒロインが、家を逃げ出して女性たちの集まる施設に逃げ込んだり……いわゆるサイコホラーの展開だ。 風間:そのまま進めばいいのにファンタジーになっちゃて残念だと言う……。しかし僕は、それならキングじゃなくても他のサイコ・ホラーの書き手の作品を読めばいいじゃないか、と思うんですよ。 ---------------------------------------------------------------------------
養老:つい最近、まさにそのことを、押井守さんと話したんですよ。彼は新作『アヴァロン』でアニメーションの画面の中に実写の映像を入れる試みをした。話が進むにつれて、だんだん実写の場面が増えてきて、リアルな世界に変わって行く。ところが、その実写の場面というのは実はゲームの世界なんです。その時、押井さんと意見が一致したのは要するに小説にしても映画にしても「作り物」だということ。
風間:基本的に書物ってのは、情報を得るか純粋な娯楽か、2パターンですからね。 養老:エンターテインメント小説だったら、徹底して作り込んだ「娯楽」にしろと思う。だから僕はSFが好きなんだ。それと時代劇がそうでしょう。あれは時代をずらしてるから色々やって許されるけど、現代劇だったら、大変なものだ。たとえば「水戸黄門」のような時代劇が何故ウケるかといえば、「物語」とは本来ああいうものだからです。その中に「リアリティ」が出てくるのが価値なんだ。 風間:SFとかファンタジー、ホラーというジャンルに対して「現実逃避だ」なんて非難がある。それがどうして悪いんだ、ってところはありますよね。 養老:そういうのは「リアリティ」について勘違いしているから出てくる意見でしょう。我々の社会、東京は世界一安全な都市だと言われているけれど、我々は頑張って安全な社会を作って来たわけです。本来は闇と危険に取り囲まれていた。そういう意味では、ホラーで描かれる世界の方がリアルなんです。
風間:僕は、小説におけるリアリティとは、即ち整合性だと思っています。現実の中ではどんなに馬鹿げたこと、ありえないことでも、小説内の世界で整合性、必然性を持っていれば、それは現実世界から見ればファンタジックな作品であってもリアリティを獲得していると言えるのではないか。
養老:作品の中に矛盾したものを持ち込んでは意味がなくなってしまう。 風間:トールキンの『指輪物語』などは、非常に完成された世界のよい例でしょうね。言語から歴史、風俗、地理、文化など、何から何まで一貫して作られている。ゆえに、その世界で魔法が使われようと、ドラゴンやトロールが実在しようが、そこにはリアリティがある。キングは、学生時代に相当トールキンにハマったようです。実際、『ザ・スタンド』も、現代アメリカ版『指輪物語』を目指して書かれた。 養老:トールキンも上手いですが、リチャード・アダムズの『ウォーターシップダウンのウサギたち』なんてのも、子供に読んでもらいたいファンタジーですよ。もっと日本でも読まれるべきだね。それと、熊の物語があったでしょう。 風間:『シャーディック』ですね。 養老:そう。あれなんか、ものすごく長い。『ザ・スタンド』より長いよ(笑)。だから、物語の中に、きっちり世界を作ってしまおうと思うと、どうしても長くなる。その世界自体を説明しなければいけないからね。あの体力は何なんだろうか。キングもそうだけど。 風間:イギリスの場合、特に19世紀ヴィクトリア朝時代に、リアリズムの小説をブルジョアジーの聖典として築き上げたという伝統がありますからね。筆力ということでは、ディケンズやトマス・ハーディの国ですし。それと、ウィリアム・モリスやジョージ・マクドナルド、ルイス・キャロルといったモダン・ファンタジー、別世界創造の大本山でもありますから。 養老:キングの小説が長すぎるという人は、ディケンズやサッカレーを見ろと。もっと長いんだから(笑)。先に言ったバルザックも「人間喜劇」でトータルの作品なんだから、異様に長い。 風間:ゾラの「ルーゴン・マッカール叢書」もそうですね。みんな新聞小説だったからでしょうね。バルザックにせよ、ディケンズやドストエフスキーにせよ、みんな大衆向けの新聞小説の作家。当時は純文学じゃなかった。ディケンズもサッカレーもみな、ミルトンやシェークスピアに始まり、D・H・ロレンスやジョゼフ・コンラッドへと至る大英帝国の「偉大なる文学」の伝統に連なるものではないと長い間されていた。 養老:僕は昔から純文学/大衆文学という分類が嫌いでね。つまらないのを純文学と言うんだと(笑)。 ---------------------------------------------------------------------------
bk1:お二人ともキング原作の映画化作品については、いかがですか? 養老:『シャイニング』しか見てない。おそらく映像化はつまらないだろうと思うんだ。 風間:『スタンド・バイ・ミー』も? 養老:あれはホラーじゃないから別物。『スタンド・バイ・ミー』ってのは、映画を見なくても頭に映像が浮かぶような、とても視覚的な作品ですよね。映画と自分の想像が混じってしまう。『ザ・スタンド』はやや映像化しやすいかな。『タリスマン』は難しいと思うね。異様に長くなってしまうだろうし。 風間:スピルバーグがドリームワークスと映像化しようとしてたけど……。結局TVシリーズになるようです。 養老:ああ、TVの方がやりやすいでしょう。色んなエピソードが出て来て、話があちらに行ったりこちらに行ったりするから。 風間:『IT』も『ザ・スタンド』も登場人物が多くて映画だと処理するのが無理なんですよね。両方TVでミニシリーズ化されてますが。両方とも原作のストーリーに忠実で、そんなに悪くない出来です。 養老:『ペット・セマタリー』も映画になってるよね。あれはなんて言うか……嫌な話だ。 風間:子供を持つ親としては、つくづく嫌な話ですよね。でも上下巻あって、上巻は何も起こらないじゃないか、と言う人もいますよね。途中で嫌になる人もいたり。 養老:いやいや、僕は非常に怖かったですよ。 風間:上巻では本当に幸せな家庭、理想の家族像が描かれている。しかし、いたるところに伏線があって、崩壊の予感が……。 養老:ほとんど脳死状態の患者が、もう意識などないのに、カアッと目を開いて物を言うシーン。あれが伏線になっている。ああいう描写はキングを読みつけていると、心底ゾクゾクするね。この先何が起こるんだろう、と。 風間:幸せな家庭がどうなるのか……。 養老:自分が解剖してる死体が起き上がるような怖さだね。ほら、『ペット・セマタリー』で、生き返った奥さんが「ダーリン」なんて言うでしょう。生きてる女房だって怖いのに、いったん死んだ女房が生き返って物を言ったら、こりゃ不気味だ(笑)。 bk1:養老先生が、キング以外で注目しているホラー作家は? 養老:やはりキングにとどめを指しますよ。あれだけ怖がらせるものを書ける作家はいないでしょう。 風間:ディーン・クーンツはどうですか。 養老:いかにも作り物でしょう。舞台裏が見えるんだよね。作り物なのはわかっているんだから、そこらへんを上手くやってくれればいいのに。 風間:確かに彼の作品はフォーミュラ・フィクション、定型化している。特にキャラクターが一元的です。プロットも非常に考え抜かれている。実は、キングという人は、あれだけ長いものを書いているにもかかわらず、というか、長くなってしまうのは、設定だけ決めたら後は筆任せで書いているからなんです。 養老:いわゆるキャラクターが動き出す、というやつだ。それだから、同じようなシチュエーションでも細部が違っていて楽しめる。そこが、ある意味キングの高級な点でしょう。 風間:しかし、その高級感が一般の読者にはクーンツより取っつきにくい理由にもなっている。叙述スタイルも作品によっては、実験的なことをしていますし。『IT』とか『ミザリー』とか。 養老:『IT』だって、怪物退治の筋が眼目じゃないんですよ。それなら、あんなにページ数をかけて登場人物の過去を説明せずとも良い。あれはホラーだけど、シンボリックな小説と読めないこともない。 風間:化け物の正体が蜘蛛であったり、子供たちに助言する宇宙を支える亀の大母神みたいなのが出て来て子供たちに助言したりしますよね。 養老:人間が育って行く過程で、どんな象徴的な体験をしたか。それによって、大人になってからの成功や失敗が同じパターンで繰り返されている。 bk1:では『ザ・スタンド』の魅力についてお聞かせください。 養老:あれは純粋なホラーというよりファンタジーの系統でしょうね。 風間:90年代以降に出て来たバイオホラー、たとえば細菌パニックを描いた『ホットゾーン』のような作品を先取りしているような趣もありますね。SFでも、破滅後の黙示録的な世界を描いた物は多いですが。 養老:冷戦時代は多かった。 風間:ネヴィル・シュートの『渚にて』とか。キング自身は、ジョージ・R・スチュアートの『大地よ永遠に』に触発されたと言っています。キングは、ネタ自体は色んなところから引っ張ってくる人ですから。 養老:でもキングのものにしてしまう。前半、田舎のなんてことはないガソリンスタンドから話が始まるでしょう。まさかあんな鄙びた場所から壮大な物語につながって行くとはとても思えないのに。 風間:前半の有名な部分といえば、リンカーン・トンネルをロック・シンガーのラリーが通り抜けるところですね。トンネルでは車が数珠つなぎになっていて、その中には幾つもの死体が放置されている。真っ暗闇の中を進むラリーは、死体が起き上がって襲われる妄想に取り憑かれる……。『シャイニング』の二一七号室の浴槽と並ぶ名場面です。
養老:完全に聖書の世界だね。キングにしても、西洋人は自分を無神論者だなんて言うけど、「無神論」という発想があらかじめ神を前提にしているんです。日本人は無神論者とは言いませんよ。
風間:日本人には分からない洗剤の銘柄とか、数多くの商品名や人名などがどんどん出て来ますけど、それが記号としてしか読めなくても作品のおもしろさは少しも損なわれません。とにかくストーリーに牽引力があり、語り口が巧みですから。 bk1:では、最後に読者に一言、お願いします。 風間:スーパーナチュラル・ホラーを毛嫌いする人も多いと思うんですが、『スタンド・バイ・ミー』『グリーンマイル』など、キングの普通小説だけが好きな人にも挑戦して欲しいですね。いわゆるホラーの荒唐無稽なおどろおどろの世界抜きでも、キングは人間ドラマだけで読ませる力量の持ち主だから。
養老:長さにへこたれず、上巻を読み通せば、もっと面白くなる(笑)。読破しなさい。面白さは保証します。 bk1:本日は長時間、ありがとうございました。
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文春版キングの総決算として…… 藤井久美子(文藝春秋翻訳出版部)
>上巻が出てから、そろそろ一か月ですね。 藤井:おかげさまで先日、増刷がかかりまして。少しでも多くの方に読んでいただきたいと、かなり勇気を出してつけたお値段だったので、とりあえずホッとしてます(笑)。 >藤井さん自身は『ザ・スタンド』はいつからご担当に? 藤井:担当したのは、ここ1、2年ぐらいですね。前任者が退職したものですから、それを引き継ぎました。『ミザリー』の頃からキングの本には関わっていたんですが、単独で担当したのは本書が初めてです。 >文春さんにとっても、思えば長い道のりではなかったかと(笑)。 藤井:はい(笑)。翻訳をお願いした深町真理子さんのお話によりますと、ある日いきなり、どさっと英文原稿が送られてきて「どうですか?」と言われたそうで、深町さんは「やります」と返事をした記憶はないそうなんですけれど(笑)、いつのまにか引き受けることになってしまっていた、とおっしゃってました。
>深町さんはすでにキングを何作か手がけていらっしゃいますけれど、特にこの作品に関しては、何かおっしゃっていましたか? 藤井:文春のPR誌「本の話」の座談会でおっしゃっていたんですけど、深町さんご自身はキング作品の気持ち悪いところとかグロテスクな場面が、あまりお好きじゃないようです。けれど『ザ・スタンド』に関しては、そういう要素があまりないものなので「すごくよかった。好きな作品である」とおっしゃってましたね。
>担当編集者の立場から、本づくりにあたってお考えになった点はありますか? 藤井:とにかく、これだけお待たせしてしまったので、その間に読者の皆さんから「毎年出る出ると言って一向に出ないじゃないか。本当はいつ出るんだ!」という叱咤督励のお電話をたくさんいただいたりしていましたので、その期待を裏切らない本に、「10年待った甲斐があったな」と思っていただける本にしなければいけない、とは思っていました。
>『ザ・スタンド』は、翻訳・深町真理子&装画・藤田新策という黄金コンビによる本になったわけですけど、藤田さんはどんなことをおっしゃっていましたか? 藤井:藤田さんも、文春で最初に仕事をやっていただいてからほぼ10年になるので、ある意味「総決算」ということで、とにかく「キングはこれだ!」という思いをこめて、とても力を入れて描いてくださいました。前々から『ザ・スタンド』が出るときには、きちっとした形で力のこもったものを描きたいとおっしゃってくださっていたのですが、そのお気持ちを十分こめてくださったと思っております。
>確かに藤田新策さんの起用をはじめとして、日本でキング作品のイメージを決定づけたのは、文春さんの一連の翻訳書でしたよね。 藤井:『ミザリー』や『IT』で、日本でも本好きの人の心はつかんだと思うんですけど、それ以降はもうひとつ読者が拡がらない、熱狂的なファンだけのキングという感じになってしまっていたので、逆にだからこそ『ザ・スタンド』という本はそれを打ちこわすというか、読者の幅を広げるのにちょうどいい本ではないかと。従来のキング・ファン以外の方々も、手にとってくださるといいな、と思っています。 >ほかに『ザ・スタンド』という作品についてのご感想は? 藤井:基本的に『IT』と同じようなテイストではあると思うんですけど、あれは子供が主人公でしたよね。『ザ・スタンド』は、大人たちがどう変わっていくか、どう成長していくか……という物語になっています。いわば『IT』の大人版ですね。もちろん、こちらが先に書かれていたわけですけど。
>編集制作の過程で、何か苦労なさったことなどはありますか? 藤井:キング作品は全体にしっかりしているほうだと思っていたんですが、これに関してはさすがに長かったせいか細部に齟齬がありまして、それを深町さんと一緒に頭をひねりながら直していったというあたりが大変でしたね。
>特に重大な齟齬というと、たとえば……? 藤井:土日には人がいないはずなのに、ウィークデイのようにみんなが通勤しているとか、そういうシーンがあったり。下巻のほうでは、月の満ち欠けが重要なファクターになってくるんですけど、その月齢の表現が全然月日の流れと合っていなかったりして。あれ、ここで三日月のはずはない、とか(笑)。 >最後に編集担当者の立場から読者に向けて、特に「ココが読みどころ」と思われるポイントを挙げてください。 藤井:やっぱりキング自身のストーリーはもちろんなんですけど、深町さんの翻訳の文章にも注目していただきたいですね。21世紀に残したい日本語がここに詰まっています! という感じです。もしかしたら、若い読者の方にはなじみのない言葉が多くて違和感を覚えるところもあるのかもしれないですけど、こういうきれいな表現をする日本語があったんだよ、ということを、キングのストーリーのうまさと一緒に味わってほしいです。
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日本全国のスティーヴン・キング愛読者が首をながぁ〜〜あ〜〜あ〜〜くして待ちに待ち続けた伝説の長編『ザ・スタンド』(1978年初版/1989年無削除完全版)が、21世紀を目前にして遂に邦訳刊行された!
もちろん『ザ・スタンド』以前にも、そして以後にも、「終末後の世界」を描いた作品は数多く存在する。 その中で真っ先に挙げるべきは、ロバート・R・マキャモンの『スワン・ソング』(1987/福武文庫)だろう。
もう1冊、『ザ・スタンド』の先駆にして最強のライバルともいうべき作品が、他でもない日本作家の手によって書かれているのを御存知だろうか?
ところで、軍事細菌兵器が開発される遙か以前から、細菌やウイルスが引き起こす疫病の恐怖は、滅亡文学の古典的大テーマだった。
その名も「黒死病」と呼ばれた恐るべき伝染病ペストの記憶は、ダニエル・デフォー『ロンドン・ペストの恐怖』(1722/小学館)から、アルベール・カミュの『ペスト』(1945/新潮文庫)にいたる「疫病文学」の系譜を生んだ。
そうした「疫病恐怖」が、人類絶滅の幻想にまで高まった嚆矢とされるのが、『フランケンシュタイン』の作者メアリ・シェリーの知られざる長編『最後の人間』(1826/未訳)である。
ジャック・ロンドンの『赤死病』(1913/新樹社)も、やはり21世紀が舞台だ。感染力絶大な黒死病ならぬ赤死病が、発達した交通機関によって全世界に広まってしまうという話。
医学の進歩によってもはや過去のものとなったかと思われていた疫病の恐怖は、細菌兵器やエイズ、エボラなどの出現とともに、現代的恐怖の最もアクチュアルなモチーフとして不吉な再臨を遂げた。
最後に、こうした「終末の文学」に関する唯一の総合的ガイドブックとして、『幻想文学』第54号の特集「世の終わりのための幻想曲」(アトリエOCTA)を挙げておこう。 |