週刊ビーケーワン『ザ・スタンド』SPECIAL ISSUE
■目次
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      ■スペシャル対談 『ザ・スタンド』とキング・オブ・ホラーの尽きせぬ魅力
  ■『ザ・スタンド』担当編集者インタビュー
  ■新世紀の幕開けに「終末後の世界」の文学を読む
   ―――『ザ・スタンド』に始まるブックガイド
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■スペシャル対談◆『ザ・スタンド』とキング・オブ・ホラーの尽きせぬ魅力
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養老孟司(ようろう・たけし)
 1937年神奈川県生。東大名誉教授。解剖学者。
 著書に『唯脳論』『ヒトの見方』ほか。

風間賢二(かざま・けんじ)
 1953年東京都生。文芸評論家・翻訳家。
 著書に『ホラー小説大全』『スティーヴン・キング 恐怖の愉しみ』ほか。

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◆キングは長ければ長いほどいい!◆
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bk1:御専門の解剖学から哲学まで、幅広い分野の著作で活躍中の養老孟司先生ですが、実はスティーヴン・キングの大ファンだとか。そこで今回は『ザ・スタンド』発売を記念して、キング研究の第一人者である風間賢二さんとの豪華初顔合わせにより、キング作品の奥深い魅力について語り合っていただきたいと思います。

養老:僕はね、ホラーが基本的に好きなんです。子供の頃は鈴木澄子の化け猫映画を見て育ったしね。僕は鎌倉在住なんだけど、近所に入江たか子が越して来た時には「化け猫が来た」なんて言ってた(笑)。アメリカでもドライブイン・シアターで随分とホラーを見たものです。日本の納涼・怪談映画と同じで、あちらでも夏になるとドラキュラ映画をやるんですよ。

風間:それは1970年代のことですか。だとすると、映画は、『エクソシスト』や『オーメン』などのオカルトブーム全盛期ですね。

養老:ええ。ただ吸血鬼映画なんてのは、登場人物が1人にならなきゃいいのに、すぐ1人になって襲われてしまう。そういう西洋人の行動には感情移入できなかったな。馬鹿だな、と。日本人なら仲間と5、6人で退治に行こうって話になるでしょう(笑)。ホラー映画と言えば、若い頃に真夏の日比谷で見た作品が良かった。ナチの幽霊船って設定で、肉屋の冷凍室みたいに人間の死体がずらっと吊るしてある。しかも劇場はガラガラときた。

風間:スクリーン内の冷気がそのまま客席に流れて来そうな(笑)。

養老:いや、実に作品の内容にぴったりの雰囲気だった。

風間:では、70年代にホラー映画を通してキングをお知りになったのですか?

養老:いや、当時は知らなかった。キングに出会ったのは、『呪われた町』の集英社文庫版が初めて。非常によく出来た怪談だと感心したんですよ。それから『シャイニング』だったかな。あれは映画も見ましたよ。

風間:それは原書でお読みになった?

養老:そう。ペーパーバックでね。ハードカバーが出るほどは、まだ人気が出ていなかった頃でしょう。ただし、ヨーロッパに行っても、キング作品は本屋に山積みになってたね。

風間:なるほど。じゃあ、ほぼリアルタイムでキング体験をなさっていたわけですね。

養老:これは先に言ったことの訂正になりますが、よく思い出してみたら、一番最初に原書で読んだのは『ザ・スタンド』でしたね。まだ家にありますが、ボロボロになってますよ。

風間:あれを最初に原書で読んでしまえば、後はどのキング作品も楽勝というか(笑)。相当なボリュームですからね。

養老:僕は分量は平気なんですよ。むしろ長ければ長いほどいい。

風間:キングは短編も多いのですが、あまりお好きではない?

養老:長編の方がいいね。短編も面白いんだけど……。やはり、せっかく読み始めたんだからすぐ終わるともったいない。登場人物の名前もやっと覚えたのに、とか思うじゃないですか(笑)。

風間:例によって、今回の『ザ・スタンド』も登場人物が多い。邦訳版の上巻に登場人物表がついていないのは、ちょっときついですね。

養老:そう、覚えるのが大変だった。

風間:なにせ、章ごとに各キャラクターが出て来て、彼らのエピソードが交互に進行するから、読んでるうちに誰が誰だかわからなくなっちゃう。

養老:それは、外国の小説を高校時代から読んでいて、僕も苦労させられた点ですね。たとえば、登場人物をドカドカと最初に出してしまうのはアガサ・クリスティーの書き方。だから最初ちゃんと読まないと何が起こってるか分からない。おまけに各登場人物の紹介文が短い。長編小説ってのは、最初の部分を辛抱して読まなければいけない、ということを教わったのはバルザック。10ページか20ページでやめちゃったら何も出て来ない。

風間:バルザックは、100ページ読んでも何も起こらないですよ(笑)。

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◆キングは『ザ・スタンド』に極まる!?◆
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bk1:風間さんとキングの出会いはどのようなものでしたか。

風間:僕が一番最初に読んだキング作品は『キャリー』。その時はそんなにピンと来なかった。彼の作品を面白いと思ったのは中編の『霧』から。モダンホラーの傑作アンソロジー『闇の展覧会』用に書き下ろされた作品です。それ以降、彼の名前を意識して読んだのが『呪われた町』。これは吸血鬼モノを現代的に新解釈していて凄い、と。そして次の『シャイニング』ですっかりハマってしまった。『ファイアスターター』なんかも、まさにノンストップ・アクション・ホラーで一気読みでした。続けて『クージョ』や『デッドゾーン』も読んだんだけど、これらの作品はそんなに面白いとは思わなかった。
 あの頃は日本語版はまだ出ていなかったので原書で読んでいたんですけど、面白いのですぐに一冊だけを除いて既刊分は消化してしまった。その一冊だけ残っていたのが、80年代初頭の当時は最長だった『ザ・スタンド』だった。それで、ついに大作に挑戦したわけです。
 発表順でいくと、『キャリー』『呪われた町』『シャイニング』、そして『ザ・スタンド』ですが、ここでキングは自分のアート(=技法)を極めた、と思います。その後の『デッドゾーン』を、キング本人は最高傑作だと言っていますが、続く『ファイアスターター』と『クージョ』はパワーダウンした感がある。『ペット・セマタリー』で持ち直していますけどね。そして『IT』という最高峰がくる。しかし、基本的には『IT』も『ザ・スタンド』と『呪われた町』のパターンですよね。で、結局は『ザ・スタンド』に極まる、と。

養老:僕はどの作品も同じような印象なんだけど、意外と『タリスマン』が好きだね。あれはパラレル・ワールドが非常に上手に書けている。あの手法が今の「暗黒の塔」シリーズに受け継がれている感じがする。空中のドアからニューヨークに行っちゃったりするあたりとか。

風間:ちょうど『タリスマン』と同時期に書いていたのが『THE EYES OF THE DRAGON』ですが、それにもまた「暗黒の塔」や『タリスマン』とつながるような異世界が出て来る。『THE EYES OF THE DRAGON 』は、キングが自分の子供のために書いたジュヴナイル・ファンタジーです。
 要するに、キングは『IT』までは、子供をメインに書いていたと思うんですね。子供と大人の関係、子供時代の終焉と大人に変わる境界線の問題などを。今度『タリスマン』の続編が刊行されるそうですが、そこでは、主人公のジャック・ソーヤーが中年男になってからが描かれているのでは、と勝手に思ってます。最近、キング作品では老人や中年が主人公になることも多いですから。ちなみに僕は『IT』はかなり好きな作品なのですが、先生はどうですか。

養老:『IT』のモンスターはピエロでしょう。ああいう怪物造形はさすがに上手いですよ。随所での登場のさせ方も、キングならではと唸らせる。

風間:白塗りのピエロってのは、洋の東西を問わず子供には怖い存在ですよね。日本だと、歌舞伎の隈取りみたいなものか(笑)。ただ、あのピエロは、ピエロの扮装をして少年ばかりを殺害していた実在のゲイ殺人鬼ジョン・ゲイシーをモデルにしているような気がします。

養老:理屈をいえば、キングの恐怖描写は子供の感覚なんですよ。詰まるところ、文学というのは常に恋愛関係をテーマにしてきた。だから本来の文学は大人のものである、と。ところが、恋愛でなく恐怖を巡っての物語となると、これは子供のものなんです。子供を激しく突き動かす感情は恐怖しかないから。人間を根本的なところで大きく動かす感情で、普遍的なものと言えば、恐怖と恋愛しかないんです。ですから、ホラーを書く作家ってのは、基本的に子供なんです。そういうところが、僕とキングの合う点じゃないかな。僕なんかも、いい年して昆虫が好きで、白髪頭のジジイが捕虫網もって山の中駆け回ってるんだから(笑)。子供ジジイだ。

風間:確かに、キングに性描写は少ない。あっても、興奮させるほどじゃないな(笑)。

養老:いわゆる大人の女性は出て来ないでしょう。女性が出て来たと思ったら、殺されるだけ(笑)。あるいは、強い女性が多く登場する。『シャイニング』の母親とか。

風間:それと『キャリー』の母親とか。キングの母親自身がとても強い女性なんです。キングってのは、非常に体格の良い大男なんですが、高校時代に鏡の前でめかしこんでいたら、小柄で痩せている母親が飛んで来て「外見なんか気にするな、大切なのは中身だ!」とキングをぶっ飛ばしたという……。

養老:キングは恋愛なんて描いてたっけ?

風間:最近だと、『骨の袋』に中年夫婦の愛が出て来ましたし、その前に「暗黒の塔」シリーズの第四巻『魔道師の虹』で主人公ローランドの「ロミオとジュリエット」タイプの恋愛を描いていて……。

養老:ああそうだった。でも駄目だ駄目だ(笑)。読む気がしない。恋愛を書くのは本当に下手なんだ。

風間:パターン化しちゃってて、どうも独創性に欠ける。でも、自分で翻訳しているからじゃないですけど、『魔道師の虹』の悪役たちはいつものキングらしくていいですよ(笑)。

養老:やはり、大人の感情を書かせると下手なんだ。子供を書くと断然光るのに。

風間:本人も子供の相手をしている時が一番生き生きしてますね。リトルリーグのコーチしている時とか。今は自分の子供たちも成長して家を出てしまい、家に奥さんと二人きりなんですが、その頃から子供を題材に書かなくなった。
 逆に言うと、子供たちが巣立ってしまい、作品に反映させることができなくなってからのキングは、あまり面白くなくなったような……まあ、これは個人的な意見ですが。
 そういえば、最近、キングは自伝的ノンフィクション『ON WRITING』を出したんです。全体の三分の一ほどがメモワールで「自分はいかに作家になったか」が書かれている。実はその中で、驚くべき事実を発見しまして……。これは、今までのキングの解釈を引っ繰り返してしまうのではないかと。

bk1:い、いったいそれは何なのでしょうか!?

風間:『ミザリー』と次の『トミーノッカーズ』の頃までは、アル中に加えてドラッグ中毒だったと告白しているんです。まあ、ある日、奥さんのタビサがついに見かねて、薬を全部捨てたおかげで、何とかドラッグはやめられた。しかし、クスリが抜けたら今度はスランプでまったく書けなくなったんです。そして2年ぐらいのブランクの後、『ダーク・ハーフ』上梓となる。あの作品は、まさにライターズ・ブロックに陥った自分自身との闘いだったんですね。
 ですから、それまでのキング作品のおどろおどろしい恐怖描写やシュールな場面は想像力だけでなく、ドラッグの影響もあったのかな、と。『クージョ』なんかは、自分で書いたのを全然覚えてないそうです。『シャイニング』のアル中の作家はまんまキングだし、『ミザリー』の看護婦に監禁される作家も、痛み止め欲しさに作品を書く。あのクスリってのは、本物のドラッグだったんですね。

養老:『デスペレーション』の作家もアル中だね。かつてアル中だった思い出を盛んに書いてた。

風間:『トミーノッカーズ』もそうです。

養老:アメリカ人なら普通じゃないの(笑)。

風間:ええ、ヘミングウェイやフィッツジェラルドといったロスト・ジェネレーションの作家を筆頭にアル中作家は多くて、アルコールと創造性というテーマで何冊も、アメリカ文学の研究書が出てますしね。

養老:まあ、これは当たり前だけど、所詮いくらドラッグを使っても、ないものは出て来ない。その人の中にすでにあった何かが変形するだけですから。

風間:キャラクター造形やプロットなんてのはラリってて出来るものじゃなく、醒めてないと不可能でしょうしね。

養老:しかし、キングってのは依存症的な心理というか、そういう弱さをもったキャラクターを描くのが上手い。『ローズ・マダー』の亭主もそうでしょう。一見すごく真面目なんだけど、やがてその真面目さが不気味さへと変わって行く。

風間:いたって善良な人が、時に暴力に惹かれてしまうというのは、キングの長年追求しているテーマのひとつなんです。また先生のおっしゃるとおり、見慣れたものが異様なものに変化することの恐怖を描かせたらピカ一です。でも、キングを受けつけない人は、たとえば、いまあげた『ローズ・マダー』の途中まではいいけれど、ヒロインが絵画の中の世界に入ってしまうところから「ついて行けない」と言う。その点、先生はどうですか。

養老:あれがなけりゃキングじゃない。しかし、そこに拒否反応を示す人ってのは、物語に「リアリティー」がなくなるのが嫌なんでしょう。絵画のくだりまで、物語は極めてリアルに進行する。虐待されたヒロインが、家を逃げ出して女性たちの集まる施設に逃げ込んだり……いわゆるサイコホラーの展開だ。

風間:そのまま進めばいいのにファンタジーになっちゃて残念だと言う……。しかし僕は、それならキングじゃなくても他のサイコ・ホラーの書き手の作品を読めばいいじゃないか、と思うんですよ。

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◆小説とは「作り物」、徹底的に作らなきゃ面白くない◆
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養老:つい最近、まさにそのことを、押井守さんと話したんですよ。彼は新作『アヴァロン』でアニメーションの画面の中に実写の映像を入れる試みをした。話が進むにつれて、だんだん実写の場面が増えてきて、リアルな世界に変わって行く。ところが、その実写の場面というのは実はゲームの世界なんです。その時、押井さんと意見が一致したのは要するに小説にしても映画にしても「作り物」だということ。
 僕は、どうせ「作り物」なんだから、徹底的に作らなきゃ面白くないという意見なんですよ。小説を現実と同じにしてどうする。僕が本格推理小説をあまり読まないのは、謎解きなら自然科学をやってるほうが断然スリリングだからです。なんで、推理小説で、下手な商売を復習しなきゃいけないんだ(笑)。

風間:基本的に書物ってのは、情報を得るか純粋な娯楽か、2パターンですからね。

養老:エンターテインメント小説だったら、徹底して作り込んだ「娯楽」にしろと思う。だから僕はSFが好きなんだ。それと時代劇がそうでしょう。あれは時代をずらしてるから色々やって許されるけど、現代劇だったら、大変なものだ。たとえば「水戸黄門」のような時代劇が何故ウケるかといえば、「物語」とは本来ああいうものだからです。その中に「リアリティ」が出てくるのが価値なんだ。

風間:SFとかファンタジー、ホラーというジャンルに対して「現実逃避だ」なんて非難がある。それがどうして悪いんだ、ってところはありますよね。

養老:そういうのは「リアリティ」について勘違いしているから出てくる意見でしょう。我々の社会、東京は世界一安全な都市だと言われているけれど、我々は頑張って安全な社会を作って来たわけです。本来は闇と危険に取り囲まれていた。そういう意味では、ホラーで描かれる世界の方がリアルなんです。
 自然主義が今ひとつ成功しないのは、ジャンルとして間違っているからですよ。何も本物の現実を文学にすることはない。僕は、仮想の現実でいかにリアリティを出すかが、作家の力量だと思っています。それこそが「リアリティ」だ。日本語ではリアリティを現実と訳すけれど、あれは完全な誤訳。たとえば、今ここにある机を現実と呼ぶならば、それはリアリティではない。哲学プロパーの人に聞くと、リアリティという言葉は、時代の変遷で意味自体が逆転したらしいですね。今、我々が普通に現実
だと思っているものを名指すには、むしろ「アクチュアリティ」と言わねばならない。ところが、リアリティとは抽象なんです。僕はよく言うんです。リアリティを正しく訳すと「真善美」だと。この小説にはリアリティがある、と言うのを言い換えるなら、より真であり、善であり、美である、と。
 文学って所詮フィクションだから、フィクション性が露呈している方が正直でしょう。恐怖って感覚が、キングのようにあれほど上手く書ける人はいないわけです。それを嘘だと言う人は、本当の意味のリアルなホラーを知らないんだと思う。あるいは本当の怖さを知りたくないのか。

風間:僕は、小説におけるリアリティとは、即ち整合性だと思っています。現実の中ではどんなに馬鹿げたこと、ありえないことでも、小説内の世界で整合性、必然性を持っていれば、それは現実世界から見ればファンタジックな作品であってもリアリティを獲得していると言えるのではないか。
 そういう意味では、キングの小説は非常にリアリティがある。たとえ吸血鬼や狼男が出て来ても、幽霊屋敷を描いても整合性があり、説得力に満ちている。それがキングのアートなんでしょうね。作品内で完結している物語世界を、いかにもっともらしく構築できるかが勝負なんです。

養老:作品の中に矛盾したものを持ち込んでは意味がなくなってしまう。

風間:トールキンの『指輪物語』などは、非常に完成された世界のよい例でしょうね。言語から歴史、風俗、地理、文化など、何から何まで一貫して作られている。ゆえに、その世界で魔法が使われようと、ドラゴンやトロールが実在しようが、そこにはリアリティがある。キングは、学生時代に相当トールキンにハマったようです。実際、『ザ・スタンド』も、現代アメリカ版『指輪物語』を目指して書かれた。

養老:トールキンも上手いですが、リチャード・アダムズの『ウォーターシップダウンのウサギたち』なんてのも、子供に読んでもらいたいファンタジーですよ。もっと日本でも読まれるべきだね。それと、熊の物語があったでしょう。

風間:『シャーディック』ですね。

養老:そう。あれなんか、ものすごく長い。『ザ・スタンド』より長いよ(笑)。だから、物語の中に、きっちり世界を作ってしまおうと思うと、どうしても長くなる。その世界自体を説明しなければいけないからね。あの体力は何なんだろうか。キングもそうだけど。

風間:イギリスの場合、特に19世紀ヴィクトリア朝時代に、リアリズムの小説をブルジョアジーの聖典として築き上げたという伝統がありますからね。筆力ということでは、ディケンズやトマス・ハーディの国ですし。それと、ウィリアム・モリスやジョージ・マクドナルド、ルイス・キャロルといったモダン・ファンタジー、別世界創造の大本山でもありますから。

養老:キングの小説が長すぎるという人は、ディケンズやサッカレーを見ろと。もっと長いんだから(笑)。先に言ったバルザックも「人間喜劇」でトータルの作品なんだから、異様に長い。

風間:ゾラの「ルーゴン・マッカール叢書」もそうですね。みんな新聞小説だったからでしょうね。バルザックにせよ、ディケンズやドストエフスキーにせよ、みんな大衆向けの新聞小説の作家。当時は純文学じゃなかった。ディケンズもサッカレーもみな、ミルトンやシェークスピアに始まり、D・H・ロレンスやジョゼフ・コンラッドへと至る大英帝国の「偉大なる文学」の伝統に連なるものではないと長い間されていた。

養老:僕は昔から純文学/大衆文学という分類が嫌いでね。つまらないのを純文学と言うんだと(笑)。

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◆読破せよ、面白さは保証する!◆
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bk1:お二人ともキング原作の映画化作品については、いかがですか?

養老:『シャイニング』しか見てない。おそらく映像化はつまらないだろうと思うんだ。

風間:『スタンド・バイ・ミー』も?

養老:あれはホラーじゃないから別物。『スタンド・バイ・ミー』ってのは、映画を見なくても頭に映像が浮かぶような、とても視覚的な作品ですよね。映画と自分の想像が混じってしまう。『ザ・スタンド』はやや映像化しやすいかな。『タリスマン』は難しいと思うね。異様に長くなってしまうだろうし。

風間:スピルバーグがドリームワークスと映像化しようとしてたけど……。結局TVシリーズになるようです。

養老:ああ、TVの方がやりやすいでしょう。色んなエピソードが出て来て、話があちらに行ったりこちらに行ったりするから。

風間:『IT』も『ザ・スタンド』も登場人物が多くて映画だと処理するのが無理なんですよね。両方TVでミニシリーズ化されてますが。両方とも原作のストーリーに忠実で、そんなに悪くない出来です。

養老:『ペット・セマタリー』も映画になってるよね。あれはなんて言うか……嫌な話だ。

風間:子供を持つ親としては、つくづく嫌な話ですよね。でも上下巻あって、上巻は何も起こらないじゃないか、と言う人もいますよね。途中で嫌になる人もいたり。

養老:いやいや、僕は非常に怖かったですよ。

風間:上巻では本当に幸せな家庭、理想の家族像が描かれている。しかし、いたるところに伏線があって、崩壊の予感が……。

養老:ほとんど脳死状態の患者が、もう意識などないのに、カアッと目を開いて物を言うシーン。あれが伏線になっている。ああいう描写はキングを読みつけていると、心底ゾクゾクするね。この先何が起こるんだろう、と。

風間:幸せな家庭がどうなるのか……。

養老:自分が解剖してる死体が起き上がるような怖さだね。ほら、『ペット・セマタリー』で、生き返った奥さんが「ダーリン」なんて言うでしょう。生きてる女房だって怖いのに、いったん死んだ女房が生き返って物を言ったら、こりゃ不気味だ(笑)。

bk1:養老先生が、キング以外で注目しているホラー作家は?

養老:やはりキングにとどめを指しますよ。あれだけ怖がらせるものを書ける作家はいないでしょう。

風間:ディーン・クーンツはどうですか。

養老:いかにも作り物でしょう。舞台裏が見えるんだよね。作り物なのはわかっているんだから、そこらへんを上手くやってくれればいいのに。

風間:確かに彼の作品はフォーミュラ・フィクション、定型化している。特にキャラクターが一元的です。プロットも非常に考え抜かれている。実は、キングという人は、あれだけ長いものを書いているにもかかわらず、というか、長くなってしまうのは、設定だけ決めたら後は筆任せで書いているからなんです。

養老:いわゆるキャラクターが動き出す、というやつだ。それだから、同じようなシチュエーションでも細部が違っていて楽しめる。そこが、ある意味キングの高級な点でしょう。

風間:しかし、その高級感が一般の読者にはクーンツより取っつきにくい理由にもなっている。叙述スタイルも作品によっては、実験的なことをしていますし。『IT』とか『ミザリー』とか。

養老:『IT』だって、怪物退治の筋が眼目じゃないんですよ。それなら、あんなにページ数をかけて登場人物の過去を説明せずとも良い。あれはホラーだけど、シンボリックな小説と読めないこともない。

風間:化け物の正体が蜘蛛であったり、子供たちに助言する宇宙を支える亀の大母神みたいなのが出て来て子供たちに助言したりしますよね。

養老:人間が育って行く過程で、どんな象徴的な体験をしたか。それによって、大人になってからの成功や失敗が同じパターンで繰り返されている。

bk1:では『ザ・スタンド』の魅力についてお聞かせください。

養老:あれは純粋なホラーというよりファンタジーの系統でしょうね。

風間:90年代以降に出て来たバイオホラー、たとえば細菌パニックを描いた『ホットゾーン』のような作品を先取りしているような趣もありますね。SFでも、破滅後の黙示録的な世界を描いた物は多いですが。

養老:冷戦時代は多かった。

風間:ネヴィル・シュートの『渚にて』とか。キング自身は、ジョージ・R・スチュアートの『大地よ永遠に』に触発されたと言っています。キングは、ネタ自体は色んなところから引っ張ってくる人ですから。

養老:でもキングのものにしてしまう。前半、田舎のなんてことはないガソリンスタンドから話が始まるでしょう。まさかあんな鄙びた場所から壮大な物語につながって行くとはとても思えないのに。

風間:前半の有名な部分といえば、リンカーン・トンネルをロック・シンガーのラリーが通り抜けるところですね。トンネルでは車が数珠つなぎになっていて、その中には幾つもの死体が放置されている。真っ暗闇の中を進むラリーは、死体が起き上がって襲われる妄想に取り憑かれる……。『シャイニング』の二一七号室の浴槽と並ぶ名場面です。
 キングはクリスチャンではないんですが、『ザ・スタンド』では善と善の戦いが描かれています。実は、登場人物を出し過ぎて収拾がつかなくなり、ある暴力的な手段で一気に解決してしまう(笑)。これを言ってしまうと読んでいない人の楽しみを殺ぐので言えませんが、それをテーマにしたのだと。アレクサンダー帝王の「ゴルディアスの結び目」のエピソードのような解決法です。
 まあ、テーマのことはともかく、この腐り切った文明は全てチャラにして、白紙から第一歩を踏み出そう、という潔い物語ですね。ですから、終末的な雰囲気がありますが、実際はメシア信仰なんです。これから新しいことが始まるといったような……。

養老:完全に聖書の世界だね。キングにしても、西洋人は自分を無神論者だなんて言うけど、「無神論」という発想があらかじめ神を前提にしているんです。日本人は無神論者とは言いませんよ。
 英語で書いていると神の問題が出て来ざるを得ない。一方、日本人だと、日本語を使って文章を書いていると仏教の世界になってしまう。中村元さんと話していて痛感したのですが、「なんだ、俺の文章に書いたことは全部仏典にあるじゃないか」と。日常何げなく使っている言葉も仏教由来が多いですから。そこらへんの精神的背景は千年、二千年かかって作られたものですから、おいそれとは変えられない。
 しかし、そういった背景の相違を前提にしても、キングは面白いですよ。作品内に、いわゆる固有名詞が頻出するとも言われるれど、そういう部分を読み飛ばしても残る普遍的な恐怖がある。そこは上手いんだろうな。

風間:日本人には分からない洗剤の銘柄とか、数多くの商品名や人名などがどんどん出て来ますけど、それが記号としてしか読めなくても作品のおもしろさは少しも損なわれません。とにかくストーリーに牽引力があり、語り口が巧みですから。

bk1:では、最後に読者に一言、お願いします。

風間:スーパーナチュラル・ホラーを毛嫌いする人も多いと思うんですが、『スタンド・バイ・ミー』『グリーンマイル』など、キングの普通小説だけが好きな人にも挑戦して欲しいですね。いわゆるホラーの荒唐無稽なおどろおどろの世界抜きでも、キングは人間ドラマだけで読ませる力量の持ち主だから。
 『ザ・スタンド』については、その人間ドラマとスーパーナチュラル・ホラーのサスペンスフルな要素が見事に合体した集大成的作品です。『スタンド・バイ・ミー』に感動した読者には、さらにそれを上回る感動を約束し、『IT』が好きな読者にはマルチ・キャラクターによるマルチ・プロットの醍醐味充分ですから。

養老:長さにへこたれず、上巻を読み通せば、もっと面白くなる(笑)。読破しなさい。面白さは保証します。

bk1:本日は長時間、ありがとうございました。
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                             (構成・テープ編集 神無月マキナ)
 
 
 

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■『ザ・スタンド』担当編集者インタビュー
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文春版キングの総決算として……

 藤井久美子(文藝春秋翻訳出版部)
 

>上巻が出てから、そろそろ一か月ですね。

藤井:おかげさまで先日、増刷がかかりまして。少しでも多くの方に読んでいただきたいと、かなり勇気を出してつけたお値段だったので、とりあえずホッとしてます(笑)。

>藤井さん自身は『ザ・スタンド』はいつからご担当に?

藤井:担当したのは、ここ1、2年ぐらいですね。前任者が退職したものですから、それを引き継ぎました。『ミザリー』の頃からキングの本には関わっていたんですが、単独で担当したのは本書が初めてです。

>文春さんにとっても、思えば長い道のりではなかったかと(笑)。

藤井:はい(笑)。翻訳をお願いした深町真理子さんのお話によりますと、ある日いきなり、どさっと英文原稿が送られてきて「どうですか?」と言われたそうで、深町さんは「やります」と返事をした記憶はないそうなんですけれど(笑)、いつのまにか引き受けることになってしまっていた、とおっしゃってました。
 ただ、深町さんも大変売れっ子でいらっしゃるので、そのとき引き受けていらした仕事が終わった後にやっていただくことになったんですが、そのあと小社で『アンネの日記』改訂版の翻訳をお願いすることになったりして、それで2年ぐらいまた延びてしまった。
 そうやってスケジュールが押せ押せになってきたところで、米本国の契約者のほうから「今年中に出してもらわないと困る」というお怒りの通知が来まして。ちょうど深町さんも、前の仕事が片づいてとりかかれる体制になられたものですから、もうとにかく突貫工事でお願いします! ということで、ここまでたどり着きました。

>深町さんはすでにキングを何作か手がけていらっしゃいますけれど、特にこの作品に関しては、何かおっしゃっていましたか?

藤井:文春のPR誌「本の話」の座談会でおっしゃっていたんですけど、深町さんご自身はキング作品の気持ち悪いところとかグロテスクな場面が、あまりお好きじゃないようです。けれど『ザ・スタンド』に関しては、そういう要素があまりないものなので「すごくよかった。好きな作品である」とおっしゃってましたね。
 あとは……とにかく、やってもやっても終わらない長さには(笑)ご苦労なさったようです。

>担当編集者の立場から、本づくりにあたってお考えになった点はありますか?

藤井:とにかく、これだけお待たせしてしまったので、その間に読者の皆さんから「毎年出る出ると言って一向に出ないじゃないか。本当はいつ出るんだ!」という叱咤督励のお電話をたくさんいただいたりしていましたので、その期待を裏切らない本に、「10年待った甲斐があったな」と思っていただける本にしなければいけない、とは思っていました。
 それとやっぱり、せっかく深町さんに訳していただくわけですから、深町さんの翻訳のカラーを消さないように……と。

>『ザ・スタンド』は、翻訳・深町真理子&装画・藤田新策という黄金コンビによる本になったわけですけど、藤田さんはどんなことをおっしゃっていましたか?

藤井:藤田さんも、文春で最初に仕事をやっていただいてからほぼ10年になるので、ある意味「総決算」ということで、とにかく「キングはこれだ!」という思いをこめて、とても力を入れて描いてくださいました。前々から『ザ・スタンド』が出るときには、きちっとした形で力のこもったものを描きたいとおっしゃってくださっていたのですが、そのお気持ちを十分こめてくださったと思っております。
 それから、小社で出せるキング作品が、版権の関係で本書とあと1冊(2001年刊行予定の『不眠症』)になってしまったので、キングの全盛期を見てきた出版社として、やっぱりすごい! というような感じの本にしたいな、という気持ちはありましたね。

>確かに藤田新策さんの起用をはじめとして、日本でキング作品のイメージを決定づけたのは、文春さんの一連の翻訳書でしたよね。

藤井:『ミザリー』や『IT』で、日本でも本好きの人の心はつかんだと思うんですけど、それ以降はもうひとつ読者が拡がらない、熱狂的なファンだけのキングという感じになってしまっていたので、逆にだからこそ『ザ・スタンド』という本はそれを打ちこわすというか、読者の幅を広げるのにちょうどいい本ではないかと。従来のキング・ファン以外の方々も、手にとってくださるといいな、と思っています。

>ほかに『ザ・スタンド』という作品についてのご感想は?

藤井:基本的に『IT』と同じようなテイストではあると思うんですけど、あれは子供が主人公でしたよね。『ザ・スタンド』は、大人たちがどう変わっていくか、どう成長していくか……という物語になっています。いわば『IT』の大人版ですね。もちろん、こちらが先に書かれていたわけですけど。
 自分もあれから10年ぐらいは年をとっているわけですから、読んでみてそのあたりが、その分また新たに胸に迫るものがあるなぁという気はしました。「やっぱりキングってすごい!」というのが、言い古されてますけど、率直な感想ですね。
 本になるまでに、だいたい10回前後は原稿やゲラに目を通すことになるんですけど、『ザ・スタンド』に関しては、この長さとボリュームにもかかわらず、目を通すたびにまた違う読み方というか、違うところで心に触れるところが出てくるんです。本当に何回読んでも楽しめる本でしたね、一読者としても。

>編集制作の過程で、何か苦労なさったことなどはありますか?

藤井:キング作品は全体にしっかりしているほうだと思っていたんですが、これに関してはさすがに長かったせいか細部に齟齬がありまして、それを深町さんと一緒に頭をひねりながら直していったというあたりが大変でしたね。
 巻末の注を見ていただくと分かるんですけど、翻訳は1990年に出た完全版のほうに準拠しているのですが、初版から完全版までのブランクが長くてキング自身も忘れてしまっていたんでしょうか、曜日と日付が一致しないところがけっこうあったりして。ただ、どうしても全体のストーリーに合わせて変えられないものもあったため、それはそのまま残していますので、どこにそれがあるかを探すというのも面白いかもしれません(笑)。

>特に重大な齟齬というと、たとえば……?

藤井:土日には人がいないはずなのに、ウィークデイのようにみんなが通勤しているとか、そういうシーンがあったり。下巻のほうでは、月の満ち欠けが重要なファクターになってくるんですけど、その月齢の表現が全然月日の流れと合っていなかったりして。あれ、ここで三日月のはずはない、とか(笑)。

>最後に編集担当者の立場から読者に向けて、特に「ココが読みどころ」と思われるポイントを挙げてください。

藤井:やっぱりキング自身のストーリーはもちろんなんですけど、深町さんの翻訳の文章にも注目していただきたいですね。21世紀に残したい日本語がここに詰まっています! という感じです。もしかしたら、若い読者の方にはなじみのない言葉が多くて違和感を覚えるところもあるのかもしれないですけど、こういうきれいな表現をする日本語があったんだよ、ということを、キングのストーリーのうまさと一緒に味わってほしいです。
 それから、『ザ・スタンド』はロード・ノベルのように、全米を横断して旅する物語でもあるわけなんですけど、これはぜひアメリカの地図を見ながら読んでいただきたいな、と思います。特に下巻の後半などは、一章の間に全米を横断したりして、ものすごい距離を移動しているんですよね。その感覚が分かると、もっとこの作品のすごさが伝わってくるかもしれないです。
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                 (取材・構成 東雅夫/テープ編集 栗山由紀)
 
 
 

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■新世紀の幕開けに「終末後の世界」の文学を読む
 ――『ザ・スタンド』に始まるブックガイド           (東 雅夫)
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 日本全国のスティーヴン・キング愛読者が首をながぁ〜〜あ〜〜あ〜〜くして待ちに待ち続けた伝説の長編『ザ・スタンド』(1978年初版/1989年無削除完全版)が、21世紀を目前にして遂に邦訳刊行された!
 凶悪な細菌兵器の漏洩事故によって米国社会が壊滅、わずかに生き残った人々による新世界建設の巡礼行と「光と闇」のハルマゲドンが描かれるこの重厚長大にして暗澹たる近未来の傑作ダーク・ファンタジーを、新たな世紀の幕開けに読むというのも、考えてみれば乙なものだ。文春さん、ここまで引っ張ってくれて……ありがとう!(笑)

 もちろん『ザ・スタンド』以前にも、そして以後にも、「終末後の世界」を描いた作品は数多く存在する。

 その中で真っ先に挙げるべきは、ロバート・R・マキャモンの『スワン・ソング』(1987/福武文庫)だろう。
 第三次世界大戦が勃発し、核の業火によって瞬時に壊滅した米国。わずかに生き残った人々の中に、世界再生の鍵をにぎる少女スワンがいた。神秘的な癒しの力をもつ彼女をめぐり、正邪のグループの探求(クエスト)が不毛の大地に繰り広げられてゆく……そう、本書は明らかに『ザ・スタンド』の圧倒的影響下に構想・執筆された作品である。
 しかしながら、作品そのもののテイスト、読後にもたらされる感興はまったくといってよいほど異なっている。あなたは、どちらの「物語」がお好みだろうか……ぜひとも『ザ・スタンド』と読み比べていただきたい1冊。

 もう1冊、『ザ・スタンド』の先駆にして最強のライバルともいうべき作品が、他でもない日本作家の手によって書かれているのを御存知だろうか?
 最近、SF復調とともに再評価の声が高まっている小松左京の代表作『復活の日』(1964/ハルキ文庫)である。
 『ザ・スタンド』と同じく生物兵器として開発されたウイルスが引き起こす新型インフルエンザが、刻々と人類を追いつめてゆく過程のリアリティは、いま読んでも圧巻。さすがに後年『日本沈没』で一世を風靡した作家だよなあ、と唸らされる。
 唯一の安全地帯となった南極大陸に集結する生き残りの人類に降りかかる、さらなる試練とは? キングに勝るとも劣らない重厚なストーリーテリングと旺盛な批評精神が生み出した傑作。

 ところで、軍事細菌兵器が開発される遙か以前から、細菌やウイルスが引き起こす疫病の恐怖は、滅亡文学の古典的大テーマだった。
 なぜなら中世ヨーロッパにおいては、キングが『ザ・スタンド』で縷々描きだしたような地獄絵図の光景が、繰り返し現実のものとなっては、無数の人々の命を奪っていたからだ。

 その名も「黒死病」と呼ばれた恐るべき伝染病ペストの記憶は、ダニエル・デフォー『ロンドン・ペストの恐怖』(1722/小学館)から、アルベール・カミュの『ペスト』(1945/新潮文庫)にいたる「疫病文学」の系譜を生んだ。
 日本でも、伝奇小説の大家・国枝史郎に『神州纐纈城』(1926/未知谷『国枝史郎伝奇全集2』)という幻想味豊かな疫病文学の傑作があった。恐るべき伝染性の病魔に蝕まれる暗黒の王が、魔界の城に君臨する……というモチーフは、『ザ・スタンド』の「闇の男」フラッグや『スワン・ソング』の「深紅の目の男」を彷彿させる。

 そうした「疫病恐怖」が、人類絶滅の幻想にまで高まった嚆矢とされるのが、『フランケンシュタイン』の作者メアリ・シェリーの知られざる長編『最後の人間』(1826/未訳)である。
 物語は21世紀、強力な悪疫の流行で無人の世界と化したヨーロッパ大陸をさすらう一英国人の手記の形で綴られている。未来が舞台ではあるが、SFというより陰鬱なゴシック小説の味わいが濃厚である。

 ジャック・ロンドンの『赤死病』(1913/新樹社)も、やはり21世紀が舞台だ。感染力絶大な黒死病ならぬ赤死病が、発達した交通機関によって全世界に広まってしまうという話。
 ちなみに、コレラ患者を乗せた列車の幻影を描くマルセル・シュオブの『列車○八一』(1891/創元推理文庫『怪奇小説傑作集4』)といい、この時期、疫病の伝播と産業革命による交通機関の発達がパラレルにとらえられているのは興味深い。
 シュオブといえば、疫病とは関係がないが、『地上の大火』(1892/国書刊行会『黄金仮面の王』)という滅亡文学の小さな大傑作がある。衰滅した世界にとどめを刺すかのように降りそそぐ隕石と火山の噴火の描写は、荘厳にして美しい。「大気は燃えるようになり、空気はそこらじゅうにへばりつく黒点で刺し貫かれた」(大濱甫訳)……。

 医学の進歩によってもはや過去のものとなったかと思われていた疫病の恐怖は、細菌兵器やエイズ、エボラなどの出現とともに、現代的恐怖の最もアクチュアルなモチーフとして不吉な再臨を遂げた。
 鈴木光司の『リング』3部作、とりわけ2作目の『らせん』(1995/角川ホラー文庫)に顕著な「リング・ウイルス」――映像や活字を媒介にして伝染する疫病というアイディアなど、その最たるものといえよう。
 マスメディアによって拡散するウイルスによって滅び去る人類……これはきわめて現代日本的な「滅びの光景」なのかもしれない。そう、新世紀の疫病は、インターネットを通じて蔓延してゆくのかもしれないのだから!

 最後に、こうした「終末の文学」に関する唯一の総合的ガイドブックとして、『幻想文学』第54号の特集「世の終わりのための幻想曲」(アトリエOCTA)を挙げておこう。