あらすじ
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タイムマシンを駆って、少年時代の自分の住んでいた懐かしい古き良き時代にやってきたひとりの男……。非凡な空想力と奇想天外なアイディア、ユーモア精神と奇抜などんでん返しで、タイムトラベル小説の最高峰と謳われ、今や日本SF史の記念碑的存在となった著者の第一長編小説。
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舞台は、昭和20年→38年→7年〜8年→23年→38年と移り変わる。実際にタイムマシンが機能するのは38年から7年に行く場面のみで、あとは主人公のリアルタイムな時間の流れとなる。
物語の舞台自体がかなり古い時代の話だが、その古さがあまり気にならないのは、ストーリーが魅力的だからだろう。
ここからは、ネタバレになるので、注意。
タイムマシンのパラドックスものとしては特に真新しさを感じなかったし、それほどの衝撃もなかった。最後に辻褄が合っていく展開は、タイムトラベルものの醍醐味を十分味わわせてくれた。
物足りなかったのは、主人公の執着のなさ、というか、あっさりと現実を受け入れてしまう展開だった。
主人公は、昭和38年から昭和7年にタイムマシンで到着したあと、その時代に取り残されてしまう。38年の時代には恋人もいるので、何としても戻ろうとするはずだ。実際、翌8年にはタイムマシンがまた現れることも歴史的事実として知っているので、その8年になったら38年に戻る計画を立てる。
が、実際にはそのタイムマシンが現れる前に徴兵され、以後は唯々諾々とそのままその時代のリアルタイムな流れとともに歳を取っていく。
この辺が物足りない。「バック・トゥ・ザ・フューチャー」じゃないけど、やっぱり過去に行ったら、また現在に戻り、その間のタイムパラドックスを堪能するのが楽しいのだが、この「マイナス・ゼロ」はそういう展開にはならない。
しかし、逆に、ゆっくり歳を取って、昭和38年に60歳を超えた主人公が味わう感慨もなかなか味なものだ。恋人や妻に関する問題も、気にならないレベル。まあ、これがこの小説のタイムトラベルとしての魅力である、とも言えるのだが。
第一、昭和7年(あるいは8年)からタイムマシンで昭和38年に戻ったら、このストーリー自体が成り立たなくなってしまう。
そうそう、もう一つタイムパラドックスの問題で、すっきりしないもの。昭和38年、60歳を超えた主人公は、若かりし頃の自分と出会う。同一人物が同じ時代に同時に存在することは許されないのではないか?
そして、自分が辿った運命を、その若い「自分」も辿ることを受け入れる。かつての自分が体験した時の「老人」の言動と同じことをする。若かりし頃の自分をタイムマシンで過去へ行くことを、阻止することもできたのに。
でも、それをしたら、今の年老いた自分は存在しないことになるので、やはり決められた人生を生きるしかないのか?
年老いた「自分」は、そのまま歳を取り、もう一人の自分は、やはり自分と同じ人生を生きることになる。そうすると、永遠に「自分」はその時代を生き続けることになる。しかも、その運命を変えることはできない。
それに、自分が若いときの昭和38年に出会った老人は、やっぱり「自分」なのだ。こうなってくると、そもそもの始まりは、いつなのだろうか?
タイムトラベルとそれに伴うタイムパラドックスは、考えれば考えるほどこんがらがって悩んでしまうのだ。だから楽しい、とも言える。
最後に。
物語の大半を占める昭和7年代の時代がとても生き生きと描かれていて、魅力的だった。こんな時代なら、行ってみたいものだ。 |