ちょっとネタバレの部分があるかも知れませんが、あしからず。
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死者の書:ジョナサン・キャロル:創元推理文庫 20021019
あらすじ 
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ぼくの目の前で、少年がトラックにはねられた。事故のあと町の人間が聞いてきた。「あの男の子、はねられる前は笑ってました?」笑って?……ここはアメリカの小さな町。一人の天才作家が終生愛した町。ぼくは彼の伝記を書くために逗留している。だが知らなかった、この世には行ってはならない町があることを。ファンタジィ・ホラー驚異の処女作。
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原文をTHE LAND OF LAUGHSという。つたない語力から和訳すると、笑いがあふれる場所、ということなんだろうか。そりゃあ、ねえ。**が分かってれば笑いも溢れるわな。

一見普通だけど、ちょっと異様な雰囲気のゲイレンという町。何か、町の人たちの言動が不可解。「おれであるはずがない」ってどういうこと…?
そこはかつての人気作家が愛して永住と決めた町だ。その作家を好んで止まない主人公が、かの町を訪れた。そこから住民が、「彼」の思惑が、動き始める…。そんなブラック・ファンタジーといった趣。

その町には作家の遺児であるアンナという娘が暮らしていた。かたや、伝記を書こうとするのは、父親が有名な俳優。ともに父親が有名であるという境遇が一つの接点になっていて、その辺の述懐もちょっとした味付けとなっている。まるで現実に存在していた人たちのような、という意味もあるんだけど、息子や娘の困惑も妙にリアリティがあって、「父親」の存在感が物語に幅を添えているような気がした。

主人公を見つめる町の人たちの目、これが怖い。「こいつは何者だ?」「何しにこの町にやってきた?」という町の人たちの疑心暗鬼ぶりがとにかく怖い。

あまり詳しく話すことができないのが残念。「あの後」のゲイレンがとうなるのか? 「彼」は**したのか? 主人公はその後どうなってしまうのか? といった、ものすごく気になる結末だったということだけは伝えておこう。

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ただ、翻訳でちょっと気になった点。
口語文で、「〜してた(会話してた、とか)」「〜てた(見てた、触ってたとか)」と翻訳されていた点(「い」がないのが違和感あり)。これが全編を通して出てきていて、ちょっと読むのに気分をそがれたかな、という感じ。


 
アスタの日記(上・下):バーバラ・ヴァイン:扶桑社ミステリー 20021014
あらすじ 
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1905年から始まる、アスタの残した膨大な日記――それはデンマークからイギリスに移住してきた彼女が、24歳の時から数十年にわたって書き記したものだ。死後、日記は娘のスワニーによって順次翻訳刊行され、ベストセラーとなった。そしてスワニーも世を去ると、姪のアンが祖母の日記をはじめすべてを受け継ぐことに。そんなアンにかつての友人でテレビ・プロデューサーのケアリーが連絡を取ってきた。遠い過去に起こったある未解決の殺人事件に関連したことが、日記の原本にかかれているのではないかというのだが……。
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なんと言ったらいいんだろう。ものすごい小説だ。構成がとにかくすごいのだ。とりあえず、内容をもう少し詳しく書くと…。

この小説自体がノンフィクションというか、ドキュメンタリーのような体裁を持って書かれたフィクションなのだ。
アスタには4人の子供がいて、そのうちの女の子2人がスワニーとマリー。アンはマリーの娘で、アスタの孫娘に当たる。
アスタの死後、日記を発見したスワニーが、その日記をデンマーク語から英語に翻訳し、自費出版したところ、それが評判となり、順次日記は刊行されることになった。
そのスワニーも世を去り、残された日記の刊行をアンが引き継ぐことになった。この物語は、そのアンが「アスタの日記」を巡る裏舞台を読者に語る、という形式で進められていく。

巧みで緻密な構成にただただ圧倒されるのみ。アスタの日記を元に、スワニーの出生の秘密、また、殺人事件の真相などが次第に明らかになっていくのだが、その展開が息をも継がせぬというか、まったく思いも寄らないところから解き明かされるのだが、骨子はやっぱり「アスタの日記」。何気なく書かれた日常からすべての謎が解き明かされていく展開は、圧倒されてもうくらくらするばかり。まったくもって見事としか言いようがない。

とにかく、読んでみた人にしか分からない感覚じゃないだろうか。一度読めばそのすごさに感嘆し、再読したくなること請け合い。


 
異邦の騎士:島田 荘司:講談社文庫 20021004
あらすじ 
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失われた過去の記憶が浮かび上がるにつれ、男はその断片的″事実″に戦慄する。自分は本当に愛する妻子を殺した男なのか? そしていま若い女との幸せな生活に忍び寄る新たな魔手。記憶喪失の男を翻弄する怪事の背景は? 蟻地獄にも似た罠から男は逃げられるか? 希代の名探偵・御手洗潔の最初の事件。
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初島田作品。巷でも評価の高い作品らしいので、敢えて読んでみた。
結論から言うと、やっぱり自分には本格ミステリというか謎解きミステリは合わないな、というのを再認識させられた小説だった。

展開としては面白い。記憶を失った「俺」(途中から「わたし」に変わっちゃったけど)が、街角で偶然出会った良子という女と恋に落ち、新しい生活を始める。「俺」は自分の過去も何とかして取り戻したいと願うが、今の幸せな生活を失うのが怖くて、過去探しを始める「俺」に対して情緒不安定な態度を見せる良子。
あやふやな生活を続けているんだけど、それでも今の生活に幸せを見いだした「俺」と良子。この二人の生活ぶりは微笑ましく、和やかだ。この辺までは楽しめた。

しかし、後半、事態は意外な方向へ流れていき、そこで現れるのが名探偵こと御手洗潔。とうとうと事件のあらましを話し始めるクライマックスはこの物語でも最高の部分なんだろう。
だけど、そこで興ざめしてしまう。いわば、ノンストップで続いていた話がそこでプッツリと途切れてしまって、現実が宙に浮いてしまう、そんな違和感を感じてしまうのだ。

いくら、「俺」と良子の恋物語に涙しようとも、その謎解きの部分で嘘臭さを感じてしまう。そもそも、出会いからして不自然だったなんてどうでもいいことじゃないだろうか? それを理論立てて解説することがすでに興ざめになってしまう。

第一…、おっとネタバレ注意。
 
 
 

良子が本当に「俺」のことを愛していたのならば、途中で計画を打ち切ってすべて「俺」に話すはず。そうすればこういった悲劇にはならず、二人は幸せに暮らすことができたのに。
そういった人間の本質みたいなものを切り捨てることによって、ストーリーをよりドラマティックな展開に持っていくのが狙いだったとすれば、それこそストーリーとして納得できない。

つくづく自分は本格ものが苦手なんだなあ、と改めて思った次第。


 
王者のゲーム(上・下):ネルソン・デミル:講談社文庫 20021003

あらすじ 
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テロリストを護送中のパリ発ジャンボジェット機の交信が途絶えて二時間。待ち構えるニューヨークのJFK空港は緊迫の度を増していた。着陸した機内に乗り込んだレスキュー隊は、目を疑った。なんと乗員・乗客三百人が眠ったように死んでいた。有毒ガスか? 全米ベストセラー第一位に輝く巨匠デミルの超弩級サスペンス。
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まず最初に言っておこう。これは第一級のエンターテインメント小説だ。文句なしに面白い。

このテロリスト、ライオンことアサド・ハリールの執念、冷酷無情な行動もさることながら、それに対抗するテロリスト対策特別機動隊のジョン・コーリーのキャラクターが秀逸。
このコーリー、とにかく口が減らない。自分の主張を枉げることを潔しとしない頑固者。それをジョークとユーモアでオブラートし、様々な難局を自分の直感で切り抜けていく。似ているキャラクターとして映画「ダイ・ハード」のジョン・マクティアナン(ブルース・ウィリス)を思い出せばいい。ちょうどあんな感じなんだけど、コーリーの方がタフだ。魅力的だ。
ただ、この性格、一歩間違えばとんでもなく嫌われること間違いなし。それほどの強烈なキャラクターなのだ。それが際だっている。面白い。

物語は、アサド・ハリールのアメリカ大陸内における復讐行、及びそれを追いかけるコーリーの物語を交互に描く形で展開する。ハリールの非情さ、及びそこに至るまでの背景、一方コーリーのふざけているんだか的を得ているんだか分からないながらも徐々に核心を突いて犯人に迫っていく展開。読み出したら止まらない、そんな形容がまさにピッタリ。とてつもなく長い話だけど、その長さが全く気にならないストーリーだった。

ハリールの心情を思うと、彼の行動もまったく否定できるものではない。テロ行為に報復することの是非、またさらにそれに対する報復行為、宗教が違えば歩み寄ることはないのか、この闘いは永遠に続くのか、そんな虚しさも覚えた作品だった。ハリールはある意味英雄なのだ。

でも、まあとにかく筋金なしに面白い。これほど堪能した作品は久しぶりだ。五つ星をあげよう。


 
ライヴ・ガールズ:レイ・ガートン:文春文庫 20020914
あらすじ 
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悪名高いニューヨークの歓楽街、タイムズスクエア。そこにひっそり建つ覗き部屋、《ライヴ・ガールズ》。妖しいネオンに誘われ、その店を訪れた男たちは皆、血に飢えた悪鬼と化す……。現代都市の下腹に蠢く吸血鬼を、強烈な悪趣味感覚で描きつくす伝説のカルト・ホラー。20世紀ホラーが遺した悪夢の傑作、驚愕の日本上陸成る!
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「お客さん、遊ばない?」
何とも刺激的な誘惑。しかし、その誘惑に負け、ライヴ・ガールズに入ってしまった男たちは、強烈な快感とともに精気を失ってゆく。
全編に溢れるエロティシズムとグロテスク。スプラッタもどきの襲撃シーン。どれを取っても悪趣味。でも、面白い。こんな吸血鬼がいたら男も女もそれこそ骨抜きにされてしまうだろう。
この吸血鬼は十字架なんか怖くない。昼間もへっちゃら。ただ、にんにくは大の苦手。その程度。既存の吸血鬼とは違うけど、その妖しさはとてつもなく魅力的だ。

対決方法も大したことはなく、人間模様もそんなに書き込まれていないが、そんなことは全く気にならない程のパワーを持った物語。とにかく、妖しさ満点。それを楽しむだけでも十分堪能できる。さしずめ、18歳未満購読禁止、といったところか。

訳者(風間賢二)あとがきと解説(尾之上浩司)がまた面白い。スプラッタパンク・ホラーと呼ばれる系譜が、たくさんの見覚えのある作家の名前とともに詳しく書かれていて、それらの本も読んでみたくなった。


 
森の生活:ヘンリー・D・ソロー:宝島社文庫 20020908
あらすじ 
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150年前の夏、28歳のソローはウォールデン湖のほとりに建てた小屋で、思索と読書と畑仕事の生活を始めた。「僕が森へ行ったのは思慮深く生活して人生の本質的な事実とだけ面と向かい合いたかったし、人生の教えることを学べないものかどうか確かめたかったし、死ぬときになって自分は生きていなかったなどと思いたくなかったからだ」――みずみずしい新訳で読む、いまもっとも共感できる「自由な魂」の書。
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残念ながら、共感できなかった。ちょっと難しすぎたようだ。「思索」と書かれているが、個人的には「思想」や「哲学」といった言葉を思い出させる内容だ。
その考えはあまりにも思想的な発想のような気がして、正直いって読むのが辛かった。言葉だけが目の前を通り過ぎ、頭の中に入ってこない。どうやら読む時期が悪かったのか、全く相容れない考えの違いがあってその隔たりを埋めるのは不可能か、のどちらかだ。後者だとちょっと残念だ、というか悲しいような気もする。

そんな中、ウォールデン湖の様子を書き記した内容や、動物たちの生態を書いた章は比較的楽しめたと思う。期待していたのは、そういった自然の中での生活や観察が書かれたものじゃないか、ということだったのかも知れない。

最後まで読み通したことには満足している。


 
トム・ゴードンに恋した少女:スティーヴン・キング:新潮社 20020907
あらすじ 
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世界には歯があり、油断していると噛みつかれる――。
ボストン・レッドソックスのリリーフ・ピッチャー、トム・ゴードンに憧れる、少女トリシアは、9歳でそのことを学んだ。
両親は離婚したばかりで、母と兄との3人暮らしだけれど、いがみ合ってばかりいる二人には、正直いって、うんざり。
ある6月の朝、アパラチア自然遊歩道へと家族ピクニックに連れ出されるが、母と兄の毎度毎度の口論に辟易としていたトリシアは、尿意をもよおしてコースをはずれ、みんなとはぐれてしまう。
広大な原野のなかに一人取り残された彼女を、藪蚊の猛攻、乏しくなる食料、夜の冷気、下痢、発熱といった災難が襲う。
憧れのトム・ゴードンとの空想での会話だけを心の支えにして、知恵と気力をふりしぼって、原野からの脱出を試みようとするが……。
9日間にわたる少女の決死の冒険を圧倒的なリアリティで描き、家族のあり方まで問う、少女サバイバル小説の名編!
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家族と森のなかではぐれ、そこから懸命に脱出する行程を描いただけの小説なのに、キングが書くとこれほど面白い小説になってしまうのはさすが。
(9歳だけど年齢のわりに背が高くて大人びて見える)トリシアが、それこそちょっと年齢のわりに冷静で知識が豊富だということはあるにしても、それだって生き延びていくための知恵であるわけだし、この物語のなかではそんなに違和感を感じない。
ウォークマンから聞こえる野球中継でのトム・ゴードンの活躍を心の支えにして、たった一人、深くて暗い森の恐怖に耐えるトリシア。その、自らの心の声とも言えるトム・ゴードンと会話しながら正気を保ち、飢えに耐え、病気を克服していく。森の魔物とも言える「あれ」の気配と脅威に怯えるさまは、誰しもが持つであろう圧倒的な孤独との闘いからくる当然の行為だろう。

メジャーリーグの中継がラジオから流れるシーンがあり、実名の選手が多数登場するのはなんとも嬉しい限り。それだけでもリアリティを感じる。ただ、トム・ゴードンが実在の選手だとは知らなかった。日本で言えば、さしずめ(横浜ベイスターズにいた頃の)「佐々木主浩に恋した少女」といったところか。うわ、恥ずかしいタイトル!

トム・ゴードンは最後のバッターを打ち取ると、天に向かって人差し指を突き出す。この行為がラストシーンでの感動の呼び水となっている。


 
日航ジャンボ機墜落:朝日新聞社会部編:朝日文庫 20020825
あらすじ 
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1985年8月12日、日本航空123便ジャンボ機は524人を乗せて群馬県の山中に墜落した。それは新聞社にとっても、以後数十日間続く過酷なドラマの始まりであった。歴史に残る大惨事となったこの事故を、混乱する情報の中で関係者たちはどのように捉え、報道したのか。緊迫の全記録。
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いつまでも心に残る事故や事件、出来事としては、
1.日航ジャンボ機墜落
2.東京・埼玉幼女連続誘拐殺害事件
3.阪神・淡路大震災
4.雲仙普賢岳大噴火
5.ニューヨーク世界貿易センタービル破壊
などがあるが、その中でも特に忘れられないのが日航ジャンボ機墜落事故と連続幼女誘拐殺害事件だ。

それはさておき。
このノンフィクションは、朝日新聞の記者が、事故発生から24時間の間どのようなことをしていたのか、ということを細かく報告している。改めて当時の大混乱を思い知らされた。それと、新聞発表(8月13日朝刊、号外、8月13日夕刊)の記事の裏では、奮闘する記者がそれこそ数え切れないくらい大勢いて、しかもそれが無駄に終わってしまったことの方が遙かに多い、ということも隠さず書かれている。
手前味噌な書き方もあるのかも知れないが、世間では、よくマスコミの取材に対して、遺族の人に土足で踏み込んでインタビューをすることの是非を問われることがあるが、このドキュメンタリーを読んでみると、そこにはやはり計り知れない葛藤があり、記者もやっぱり人間なんだということが分かってちょっとホッとする部分もある。
また、生存者発見の時の、関係者が涙を流して喜びの表情を伝える場面、あるいは、遺体となった幼児を泣きながら抱いている自衛隊員の様子など、その場にいた記者も一緒になって喜んだり悲しんだりしている。新聞記者として、このときほど自分の仕事を誇りに思ったことはないんじゃないだろうか。

プロローグとエピローグ、また公開された遺書を読んで、涙が止まらなくなった。改めて遺族の方にはお悔やみを申し上げる。

なお、これとは別に、もと群馬県警に勤めていた飯塚 訓氏の『墜落遺体』という本もあるが、こちらは「その後」の様子を警察側から見て書かれた本であり、さらに涙なくては読めない作品だ。

奇跡的に助かった4人のうちの一人、川上慶子さん(当時12歳)は、その後看護婦となり、後の阪神淡路大震災で助ける側として奮闘したそうだ。


 
ラヴクラフト全集1:H・P・ラヴクラフト:創元推理文庫 20020824
あらすじ 
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二十世紀最後の怪奇小説作家H・P・ラヴクラフト。その全貌を明らかにする待望の全集――本巻には、不気味な魚影がうごめく禁忌の町を舞台に<ダゴン秘密教団>にまつわる怪異を描く『インスマウスの影』をはじめ、デラポーア家に伝わるおぞましい血の秘密が戦慄を呼ぶ『壁のなかの鼠』やブラック・ユーモア風の『死体安置所にて』など全四編を収録。
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『インスマウスの影』
ラヴクラフト全集の最初を飾るにふさわしい作品。
「インスマウス」という町に踏み込んだ1人の男。なぜかこの町は地域住民から忌み嫌われていた。その理由とは…。
その町に住む老人から聞き出した話は何ともおぞましいもので、やがてその男も異形なものに追いかけられ、命を狙われる。命からがらこの町から抜け出した男だったが、皮肉な運命が待っていた。

どうも、「インスマウス」というと、栗本薫の『魔界水滸伝』に出てきたインスマウスを思い出してしまう。似て非なるものなんだけど、個人的には『魔界〜』のインスマウスの方が、救いのないものと感じて怖かった。なにしろ、あっちは餌だからなあ。

『壁のなかの鼠』
自分の祖先が呪われた人物だったと聞かされた「わたし」は、その汚名を晴らすため、かつてその祖先が住んでいた邸を購入し、そこに住むことにした。やがて、壁の向こうから聞こえる音に悩まされ始め、その音の正体を突き止めようとする。

段々狂気の世界に踏み込んで行く「わたし」の行状が、何とも不気味。ラストもむべなるかな、という感じ。

『死体安置所にて』
葬儀屋の男がある二人の死体を似たような棺に入れたのだが、その棺は最高級のものと最低なものだった。

理解不能。意味不明。

『闇に囁くもの』
怪異なものを研究している「わたし」の元へ、ある老人から手紙が届いた。その老人は日々闇の中で聞こえる囁き声に悩まされていた。一見、狂っていると思われるこの老人の元へ、「わたし」は出かけることにした。

ちょっとSFっぽい内容の作品。宇宙人がこの老人の元に現れたという設定。どことなく滑稽な話なんだけど、妙に不安にさせる文体だ。

ラヴクラフトの作品を読んだのはこれが初めてなんだけど、淡々としていて、それでいて訥々と語るその独特の文体は、読んでいる方の気持ちを落ち着かなくさせるものがある。多分、それがラヴクラフトの魅力なんだろう。


 
呪われた村:ジョン・ウィンダム:ハヤカワ文庫SF 20020811
あらすじ 
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9月26日月曜日の夜半、ロンドンにほど近い小村ミドウィッチに白く輝く円盤状の未確認飛行物体が着陸するや、半径1マイル内のあらゆる生物を眠らせてしまった。そして24時間後、円盤はふたたびいずこへともなく姿を消した。住民はすべて無事。村は何事もなかったかのように見えたが……村に住むあらゆる受胎可能の女性――17歳から45歳までの全員が妊娠していたのだ! イギリスSF界の重鎮が描く、戦慄と恐怖の異色作。
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もともと読もうと思ったのは、キングの『アトランティスのこころ』の中で、この小説を原作とした映画を観に行くシーンがあったから。原作は1957年の発表で、映画になったのは1960年のこと。今から40年以上前の作品であり、つまらない作品なら、その古さも影響してくるはず。しかし、その古さはそれほど気にならなかったから、そういう意味では楽しめた口だろう。あまり怖くはなかったけど。

異星人が地球の受胎可能な女性に子供を宿らせ、その子供が成長してやがて地球を征服する、という話。その突飛な発想は面白いと思ったけど、気になったのは、村人たちの対応。たとえば、訳も分からず妊娠した女性たちの狼狽や不安、またその夫や恋人たちの反応、それに、そういう身に覚えのない女性(処女)たちが果たしてそんな子供を産むだろうか、とか、産んだ後もちょっと普通と違う子供たちをちゃんと育てていくだろうか、というようなこと。もちろん、そうでなければ話は進まないのだけれど。
まあ、結論から言えば、この辺の展開には違和感はない。村人たちの、理由のよく分からない不安とともに描かれていて、先への展開に期待を持たせてくれる。

ただ、後半の展開がちょっと尻切れトンボかなあ、という感じは否めない。これからの展開が楽しみだっただけに、物足りなさが残った。
結末はこれしかないなあ、というそのもので終わっている。


 
たたり:シャーリィ・ジャクスン:創元推理文庫 20020804
あらすじ 
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心霊学研究者モンタギュー博士は、幽霊屋敷として知られる<丘の屋敷>を調査するため三人の男女を呼び集めた。まるで意志を持つかのように彼らの前に怪異を繰り広げる<屋敷>。そして図書館に隠された手稿が繙かれ、秘められた過去が明るみに出るとき、何が起きるのか? 幻想文学の才媛が描く、美しく静かな恐怖。スティーヴン・キング絶賛の古典的名作、待望久しい新訳決定版。
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はっきり言って、何が怖いのかさっぱり分からない。この幽霊屋敷も、そんなに謎をはらんでいるわけではなく、とりたてて恐怖をかき立てるものは感じなかった。

出だしはとても明るい雰囲気で始まる。エレーナやセオドラ、ルークなどの会話は妙にあっけらかんとしていて、幽霊屋敷にいるということをまるで感じさせない。そこにちょっと違和感も感じた。つまり、オドロオドロした展開を期待するとまったくの肩すかしを食うことになる。

ラスト近く、エレーナの様子がちょっとおかしくなる。これが屋敷の魔力なのか?

以下、ネタバレ注意。

最後に、エレーナの精神が破綻しかけている、として他のメンバーはエレーナを屋敷から追い出し、家に帰るように説得し、結局エレーナはその指示に従う。
しかし、個人的にここの見方はちょっと違っていた。屋敷の魔力に取り憑かれたのは他のメンバーであって、エレーナだけがその魔力から逃れたのではないか、と思った。
つまり、エレーナは、幽霊から解放されたただ一人の人物だったのではないか、と思ったのだが、結局死ぬことになり、そういった予想も覆されてしまった。


 
ナニー:ダン・グリーンバーグ:新潮文庫 20020729
あらすじ 
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生まれたばかりの赤ん坊を抱えた若夫婦が、ナニー(住込みのペビーシッター)を雇った。有能なナニーは、赤ん坊を巧みにあやし、家事を片づけ、若夫婦の世話まで焼いた。しかし、ナニーの行動にはどこか不気味さが漂った。そこで夫は、謎に包まれたナニーの過去を密かに探ってみるのだが……。"純粋で完璧な愛"を求めてさまよう魂が若夫婦を追い詰めていく、長編サスペンス・スリラー。
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ナニーってのは、名前かと思ったら、住込みのベビーシッターのようなものらしい。元々は英国貴族など、金持ちで身分の高い家柄などに雇われる職業で、ただ乳幼児の世話をするだけではなく、家庭教師や調理師、看護婦などの資格がなければなれない難しい職業だそうだ。
最近では、アメリカでも同様の職業があり、結構人気があって引く手あまたなんだそうだが、日本ではどうなんだろう? あんまり聞かない職業だと思うんだけど。

それはさておき。
若夫婦フィルとジュリーに、予定よりもちょっと早く赤ちゃんができちゃったことにより、その赤ん坊の面倒を見るのが大変だ、ということでナニーを雇うことになったわけなんだけど、このナニー(ルーシー・レッドマン)が最初からちょっと変。変というか、不気味。いや、不気味じゃないんだけど、どこか引っかかる。
それでも仕事は優秀で、生まれた赤ちゃん(ハリー)の世話は普通以上にこなす。でも、やっぱり引っかかる部分があって、フィルはナニーの履歴書から過去の職歴を調べたり、推薦状を書いた人に連絡を取ろうとする。その辺の事情がわかり始めた辺りから、このナニーの正体というか、素性に疑問を抱く。

ナニーのたくらみ(?)が分かってくるにつれて、段々言い知れぬ恐怖が湧いてくる。そして、いざ、このナニーから逃れようと思った時、そこから本当の恐怖が始まる…。

クライマックスの追跡劇&逃亡劇&対決はB級ホラーっぽいノリだが、嫌いじゃない。鳥肌が立ったし、ページをめくるのがもどかしく感じたほど。ゾンビの如く迫ってくるナニーには怖気を振るってしまった。
ラストもいかにもB級ホラーっぽい感じ。

ナニーの生い立ちとか、そこまでする必然性や動機なんかはほとんど書かれていず、なんでそんなことするの? という疑問は残るんだけど、エンターテインメントに徹していて、一気に読ませてくれる本としてはこれで良いんじゃないかな、と思った。

この本を読んでナニー(もしくはそれに近い職業の人)を雇うのを躊躇う人もいるんじゃないかなあ。なんて、考え過ぎか。


 
夜ごとの闇の奥底で:小池 真理子:新潮文庫 20020727
あらすじ 
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誤って恋人の脚本家を射殺してしまった妹をかばうため、凶器の拳銃を捨てようと山梨方面に車を走らせていたフリーライター、世良祐介。ところが車を木にぶつけ立ち往生してしまった。偶然通りかかった亜美という若い女に助けられ、彼女のペンションに連れて行かれる……雪の降りしきる山奥のペンション、蠱惑的な女、サイコパセティックなその父親。やがて凶器が全てを……。
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読む前は、この娘が怖いのかと思っていたんだけど、そうではなくて、怖いのはその父親。だんだん狂っていく様は、雪に閉ざされた山奥のペンションという閉ざされた環境の中だけに、それに相対する人間にとってはとてつもない恐怖だろう。

世良祐介はなぜ、妹をかばって拳銃を捨てに行く、などという危険を冒したのか、また、流行りもしない山奥にペンションを建て、ひっそりと暮らすようになった亜美とその父親の複雑な父娘関係、それぞれの過去などが回想という形で語られながら、物語はほぼこの3人の登場人物だけで進んでいく。そこには、雪という自然によってペンションに閉じこめられ、どこにも逃げられないという状況が、いやが上にも世良に、また亜美にも枷となってのし掛かっていく。

この父親の狂気への移行が恐怖をジワジワと広げて行く。確かに怖いという感じはあるんだけど、その狂気がどうも中途半端なような気がする。3人のうち、1人が狂っているんだから、残りの二人がこの狂人に殺されたらそこで話は終わってしまう。それを何とか最後まで引っ張って行かなければならないのは分かるけど、逆に、だから安心して最後まで読める、ということもある。
その辺に物足りなさを感じたのかも知れない。

こうやって書いているうちに、ある物語を思い出した。『シャイニング』(スティーヴン・キング)。閉ざされた建物の中で、次第に狂っていくシチュエーションでは、こちらの方が圧倒的に怖い。


 
サマー・オブ・ナイト(上・下):ダン・シモンズ:扶桑社ミステリー 20020720
あらすじ 
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小さな町に威容を誇ってきた学校オールド・セントラルが、長い歴史を閉じ取り壊されることになった。終業式の日、教室を抜け出したタビーはトイレの壁に穴を見つけ入り込む。奥にはぼんやりした光。誘われるように彼は光の方に近づいていった……微かな悲鳴に生徒たちは不審を抱くが、教師らは取り合おうとしなかった。その日以来消息を絶ったタビーを自分たちで見つけだそうと遊び仲間は相談する。それは夏休みの格好の冒険となるはずであった。しかし、その時を境に異様で恐るべき現象が少年たちを襲い始めた!
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時代は1960年代。主人公は少年たち。行方の分からなくなった子供を捜そうという、子供にとってはワクワクするような冒険。迫り来る邪悪な存在。そのどれもが興味をそそられ、期待に胸膨らませて読んだんだけど。

ちょうど、80年代に流行ったゾンビものの映画をそのまま小説にしたような感じ。特に真新しい部分もなく、どれもどこかで見たか読んだような印象。いろんな映画や小説のシーンを焼き回したような感じで、ちょっと期待はずれだった。
それはそれで仕方のない設定なのかも知れないが、オリジナリティがあれば、十分楽しめる小説となったはずだ。それがない。

ダン・シモンズには、『ハイペリオン』という素晴らしいSF小説があるんだけど、ホラーには向いていないみたいだ。少なくとも、この小説を読んだ限りでは。


 
ドールハウス:姫野 カオルコ:角川文庫 20020629
あらすじ 
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たとえば、姉の食べ残しに弟が躊躇なく手を出せる――そんなふつうの生活を理加子は夢見ている。軍隊にも劣らないほど強権な父親と、一度も家族を愛したことのない母親のもと、理加子は大屋敷家ただひとりの子供として"石の歳月"を過ごしてきた。"不良になるから"という理由で、映画、読書はもちろん電話、手紙に至るまで禁止されてもなお、理加子は両親に逆らえない。そんな彼女の前に粗暴で強引な男性江木が現れ、次第に心を開いてゆくが……。
子供から大人へ。集団から個へ。誰もが通過する家=家族との決別を綴った切ない物語。
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自分で選んで買った本ではない。いわば、課題本。

理加子のような環境の子供なんているんだろうか? 父親も母親もどこかおかしい。それを小さい頃から受け入れてきた理加子もおかしい。ふつうじゃない一家。
でも、ふつうってなんだろう? この家族にとっては、これがふつうなんだ。そう考えると、ふつうの生活、ふつうの家族、ふつうの恋愛などというのが曖昧になってしまう、そんな気がする。
こんな家族もいるのかもしれない。ここまで極端じゃなくても、ある程度共通する環境や考え方を持った人もいるのかも。そう思うと、"ふつう"と一括りにすること自体ナンセンスに思えてくる。

理加子が最後に取った行動こそ"ふつう"なんじゃないかなあ、と思うんだけど。


 
辺城浪子(全四巻):古龍:小学館文庫 20020627



あらすじ 
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天は黄沙に連なり、黄沙は天に連なる荒野の辺城に面妖な浪子たちがたむろしていた。いずれ劣らぬ凶状持ちのなかで、風沙に頃がされて萎れた菊を胸に挿した葉開は、ひとりの男に目を奪われた。黒ずくめの衣装に漆黒の刀剣を身につけた剣客。だが、その名は傅紅雪といって、「俺が死んだら、棺を買え」とありあまる宿代をはずんだ。
殺気を秘めて、そんな荒くれたちが武芸猛者の砦『関東万馬堂』に招かれた夜、殺戮の嵐が始まった。酷薄な古龍節が流れる、チャイニーズ・ウェスタン!
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読む前は、ドラゴン・ボールみたいな武芸大会があって、それに出場する選手たちの話とか、戦いの場面がたくさんある話かと思っていたんだけど、全然違った。武侠ハードボイルドといったところか。

18年前に起こったある残虐な裏切りと惨殺に対する報復、復讐の物語。独特の世界観と文体で、劇画チックな、言ってみれば大げさな言い回しが特徴だ。それをばた臭いとみるか、格好いいとみるかは読む人によってかなり意見が分かれるところだろう。実際の剣を交わすシーンはくどくど書かれていなくて、「刀光、一閃!」とかそういった、やっぱり劇画チックなんである。

主人公である、葉開と傅紅雪がなかなかに格好いい。葉開は天下の風来坊。底抜けに陽気で人の心を惹きつける魅力を持った若者。かたや、傅紅雪は青白い顔をして無愛想。触れれば切れるほどの危険な雰囲気を持ち合わせ、近寄りがたい。そんな二人が、奇妙な友情めいた感情を通わせながら、物語は劇画チックに展開してゆく。
何しろ、一巻で登場した主要な登場人物と思われる人間が次々と殺される。こんなんでいいのか? と思ったが、謎はすぐに明かされる仕組み。それでも大きな謎は最後までお預けとなっている。まあ、正直言って、相関関係がこんがらがってしまったけれども。

傅紅雪と翠濃の血の滲むような恋。これはすごかった。


 
狼の時(上・下):ロバート・R・マキャモン:角川ホラー文庫 20020609

あらすじ 
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砂嵐が吹き荒れる灼熱の大地。砂漠の狐ロンメルはヒトラーの望んだ戦利品・スエズ運河をめざしていた。勝利は目前だった。
ところが、テントでの作戦会議を終えた将校たちは、緑色の眼をした黒い狼に襲われる。ほとばしる野性と冷徹な知性をあわせ持つ獣はナチスの機密書類を奪い砂塵の彼方へ消えた……。
ホラー小説を越えた新境地を切り開く異色長編。 
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主人公は、英国軍少佐として特別な指名を受けたマイケル・ガラティンという人狼。ロシアに生まれたガラティンは、幼少の頃、ある裏切りによって殺されそうになり、敵の手から逃れるべく、どことも知れぬ森の中に逃げ込む。そこで、人狼の種族に拾われ、やがて彼も人狼として成長していく。
この少年期の成長物語が、現在進行している戦時下の話の合間に語られるのだが、これがまた素晴らしい。少年の苦悩、成長、部族の将来、誇り、結束、裏切り、家族愛など、人狼の社会が生き生きと描かれ、これだけで一つの物語として書かれても良いくらいだ。

ガラティンは、戦時下のフランス、ドイツに潜入し、ヒトラーが企む作戦を阻止しようとする。この辺の話は、単にホラーと言うだけでなく、冒険小説、スパイ小説にも通ずるエンターテインメントに徹していて、手に汗握る展開がノンストップで語られる。むしろ、ホラー色はあまり出ていない。
彼の手助けをする味方や、敵のドイツ軍将校やマッドサイエンティストなども個性に溢れ、物語を飽きさせない。戦争物と敬遠していた部分もあったのだが、それは杞憂に終わった。第二次世界大戦のヨーロッパでの攻防が少しでも学ぶことができたような気がして、学校での歴史の授業よりも身に付いたような気がする。

ところどころで、ガラティンは狼に変わったまま自分が人間であることを忘れてしまい、狼として生活するシーンがある。そのシーンがなぜか胸を打つ。『シートン動物記』や『カムイ伝』などの野性の動物の生活を描いた部分を思い出した。そのまま狼として生活した方がどんなに良いだろう。しかし、彼は戻ってくる。

どうもキングと比較してしまうのだが、この『狼の時』に関しては、キングのどの作品にも似ていない。ストレート一本槍。そんな言葉が浮かぶ。

一つどうしても気になることがある。ペティルはどうなったんだろう? 死んでいないはずだが、読みのがしてしまったのかな?


 
Mr.クイン:シェイマス・スミス:ハヤカワ文庫ミステリアス・プレス 20020526
あらすじ 
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麻薬王のブレーンとして完璧な犯罪計画を立てる――おれにとって犯罪はビジネスだ。計画を売るだけ、実行はしない。今度の仕事は大物だった。裕福な不動産業者の一家を事故に見せかけて殺し、全財産を乗っ取るのだ。すべては順調だった。新聞記者に尻尾をつかまれそうになるまでは……究極のアンチ・ヒーロー、クイン登場。刺激に満ちた、新世代の犯罪小説。 
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とんでもない主人公だ。

クインにとって殺人はビジネスの一つらしい。自分が儲かることなら、殺人も何の感情も交えずに行うことができる。但し、計画は緻密にして精巧。どんな小さな綻びも見逃さないし、また、それに対する処置もぬかりない。
様々な小道具を使って実行犯に指示するのだが、それが最初何の役に立つのか実行犯すら分からない。もちろん読者もだ。計画が実行される内に、それらが符丁が合うようにピタリ、ピタリとはまっていく。まるでジグソーパズルのピースのようだ。
この、計画し実行される犯罪を追っていくのもスリリングで目を離せないところがあるのだが、クインの独特の犯罪学というか、人生観もものすごい個性的なものだ。それは自らの計画に対する絶対的な自信から来ているのだろう。とにかく、圧倒的なキャラクターだ。

ストーリー展開も見事としか言いようがない。最初によく分からないこと(なんでそんなことするの? と疑いたくなる)をやっておいて、それが、読み進む内に、ああ、そういうことか、と分かり、その最初の事件の結末を早く知りたくなる。その結末は最後までお預けなんだけど。

読む人によっては不快に感じるところもあるかも知れない。クインはいわゆる魅力的な悪役とは違う。ピカレスク・ロマンなどとはとても言えないほどの血も涙もない(という表現は少し違うけど)徹底した犯罪者だ。

この物語を細かく分析すれば、恐らく計画に破綻しているところもあるのかも知れない。でも、そんなことを考える前にクインという人物に圧倒されてしまうだろう。


 
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