ちょっとネタバレの部分があるかも知れませんが、あしからず。
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  斎藤家の核弾頭:篠田 節子:新潮文庫 20020524
     
あらすじ
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われわれは、日本に宣戦布告する!! そもそも「特A級市民」というエリート中のエリートだった私が、なぜ政府より、理不尽な転居命令を受け続けなければならないんだ! もうこうなったら……。ついに爆発してしまった斎藤総一郎、心の叫び。2075年、「国家主義カースト制度」により、高度に管理された、ニッポン。住民たちと核爆弾を作りあげ、祖国と対決する斎藤家の明日は、何処に?
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この物語の未来ニッポン。そこでは全てが事務的に処理され、もはや人間の感情などは徹底的に無視され、行政も非人間的に処理される。人々はランクづけられ、下層の人間には子供を持つことさえも許されない。逆に、特A級市民はなにかと優遇され、その遺伝子を沢山残すため、子供を沢山産むことを良しとする、そんな風潮の時代。
そんな特A級市民だった斎藤総一郎だが、仕事を解雇されたことから次々に理不尽な目に遭う。先祖代々から住んでいた家を追われ、引っ越した先は東京湾に浮かぶベイシティ。さらに、その地下に貴重な資源が発見されたからということで、アッという間に転居命令を受け、すぐに引っ越せという。しかも、用意された引っ越し先というのがまたまた問題のあるところ…。と言った風に、ことごとく国や政府、行政に振り回される。

テーマは面白いと思うんだけど、どこか優しさというか詰めの甘さみたいなものも感じてしまった。篠田節子の書く作品の特徴が現れているとは思うが、個人的には物足りない。それに、いくら特A級市民と言っても、しばしば現れる小市民的な考え。小夜子の存在も違和感あるし、もっと違和感を感じたのがレサという女。彼女の考え方はちょっと理解できない。そんな中、総一郎の妻である美和子の考え方が真理をついているようで面白かった。

このストーリーを追っている間、ある作家の名前が浮かんできた。筒井康隆。彼の、初期の頃のはちゃめちゃなストーリーで、こういったテーマの小説を書いたらどんな感じだろう? きっととんでもない作品になりそうだ。

それに、これだけのストーリーでこの長さはちょっと長すぎるんじゃないかな。もうちょっとスピーディーに、スリリングに展開すれば、かなり楽しめる作品だと思う。


  蠅の王:ウィリアム・ゴールディング:新潮文庫 20020518
   
あらすじ
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未来における大戦のさなか、イギリスから疎開する少年たちの乗っていた飛行機が攻撃を受け、南太平洋の孤島に不時着した。大人のいない世界で、彼らは隊長を選び、平和な秩序だった生活を送るが、しだいに、心に巣くう獣性にめざめ、激しい内部対立から殺伐で陰惨な闘争へと駆り立てられてゆく……。少年漂流物語の形式をとりながら、人間のあり方を鋭く追求した問題作。
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隊長に選ばれたラーフと、それに反発し別の組織の長となったジャック。最初は少年たちながらの秩序だった社会を組んでいたのだが、その統制が次第にほつれていく。その原因はジャック。彼は決してラーフが隊長として統制するのを認めようとはしていなかった。そもそも最初から。
ジャックが組織から離れた辺りから、物語は緊迫感に包まれた展開となり、一気呵成に読ませてくれる。島という限られた地域での生活に、次第に秩序を無くし、欲望のおもむくままの行動に出始めるジャックとそれに従う子供たち。あくまでも人間らしい秩序を守って共生していこうと説くラーフ。この二人の対決がエスカレートし、踏み込んでは行けない世界に踏み込んでしまう。

恐ろしい、というか非常に緊迫感のある後半。少年たちが次第に狂気の世界に踏み込んでいくさまは、まるで未開の土地の原住民が麻薬性の飲み物を飲んで生け贄を捧げたりするシーン、そんな封鎖的な儀式を思わせる禍々しさ。

ここから先、ネタバレ。

最後には、殺される寸前のラーフと殺そうとしていたジャックたちは、救出に立ち寄った巡洋艦の海軍士官に助けられるわけだが、はたして、彼らは助けられて故郷に帰っても幸せなんだろうか、と思ってしまう結末。ある意味では残酷な結末だ。


  東方見便録:斉藤 政喜 内澤 旬子:文春文庫 20020515
 
あらすじ
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溝をみんなで跨ぐ、中国の流しそうめん式便器。全て丸見え、インドネシアの全方位解放トイレ。ネパールでは、出すウンチがブタの喜ぶエサに! アジア8ヵ国、あらゆるトイレにしゃがみこんでは、各国の慣習、宗教観、恥の意識などに思いをはせる。イラスト満載で紹介する、抱腹絶倒、体当たりトイレ探訪記。
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この手の、各国のトイレを紹介するという本はいろいろあるらしい。でも、アジアの、結構辺境のトイレを紹介し、しかも、そのほとんどを実地体験してそれをレポートしよう、なんて考えるのは斉藤政喜氏くらいしかいないんじゃないだろうか?
彼は元々バックパッカーとして世界各地を放浪したこともあり、アジア方面もいろいろなところを旅したらしい。そんな体験があればこそ、このようなトイレ体験も何とかできたのではないか?
イラストを描いた内澤旬子という人も同行し、さまざまなトイレを体験したようだが、女の人にとってはかなり勇気の必要なことだったんじゃないかな。

中国やインドネシアなどでは、「大」の方のトイレが個室になっていなくて(もちろん「小」もだけど、こちらは日本でもあるので別に抵抗はない)、まるで銭湯の流し場状態で用を足す。個室じゃなきゃ絶対ダメな自分なんかは、とてもじゃないけどそんなところで用は足せない。
また、圧巻はネパールのブタトイレ。自分の出したモノをブタが喜んで食べるというのだ! しかも、それを目の当たりにする恐怖! これをイラストで描いた(実体験した)内澤旬子の心中は察してあまりある。でも、大いに笑えた。
他にも、この、ウンチを食べる魚や上記のブタ、はては野菜(これはまあ許せる)までも、食べてしまおう(究極のリサイクル?)というのだから恐れ入る。

決してスカトロ的なグロい印象はないので楽しく読めるけど、カルチャーショックを受けることは間違いない。実体験したら人生観変わるかも。


アトランティスのこころ(上・下):スティーヴン・キング:新潮文庫 20020511


あらすじ
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初めて彼女にキスした少年のあの夏、それ以上のキスが二度と訪れはしないことを、ぼくは知らなかった……。1960年、11歳のボビーとキャロル、サリー・ジョンは仲良し3人組だった。だが、ひなびた街に不思議な老人が現れてから、彼らの道はすれ違い始める。少年と少女を、母を、街を、悪意が覆っていく——切ない記憶へと変わってしまう少年の夏を描いた、全ての予兆をはらむ美しき開幕。
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面白くない。これはキングの作品ではない。
だけど、後からジワジワと心に響いてくる作品だ。

物語は5つの中短編からなる。
一つ目、「黄色いコートの下衆男たち」。これはキングらしい作品だ。少年時代のボビー、キャロル、サリー・ジョン。彼ら(特にボビー)が出会った老人テッドとの不思議な交流が、ノスタルジックな描写とともに描かれていく。で、さて、後編は? と思って下巻を読み始めると、いきなり全く違う話が始まる。本来なら、この話で一つの物語が展開して終わるはずだ。そう思って読み続けると、見事に裏切られる。こんなのは今までの展開にはなかったはず。

二つ目、「アトランティスのハーツ」。ヴェトナム戦争が泥沼化と化しつつあった1966年。ピート・ライリーという大学生が成長したキャロルと出会う。トランプゲームに明け暮れる大学生活、廃退的な学生生活と、反戦運動にはまっていくキャロルとそれに翻弄されるピート。大学生活はほろ苦い経験を残し終わる。ボビーはどうしたんだろう? ピートはその後どうしたんだろう?

三つ目、「盲のウィリー」。ヴェトナム戦争にかり出された、かつてのボビーたちの目の上のたんこぶだったウィリーは、戦争の後遺症を残したまま、多重人格となってニューヨークの街を徘徊する。彼の存在意義とは何だろう? だけど、それにしても、ボビーやテッドが追われていたものとの関わりとは何だろう? それとも、関係ないのだろうか?

四つ目、「なぜぼくらはヴェトナムにいるのか」。ヴェトナム戦争でウィリーと一緒になったサリー・ジョン。彼もやはり戦争後遺症に悩まされていた。それは枯葉剤のせいなのか? ピートと同じ大学にいた男(カードゲームに狂った男)が殺したヴェトナム人の老婆の幻影に悩まされ続け、結局彼も不幸な人生を送る。そして、それが最終章へ。

五つ目、「天国のような夜が降ってくる」。サリー・ジョンの死を知ったボビーが、30年だか40年ぶりに故郷に帰ってくる。そこで、ある奇跡的な再開を果たす。

五つの物語は独立しているように見えて、登場人物が微妙に絡んでくる。それは、別の物語では単なる脇役だったものが他の章では主役だったりする。その辺の絡みは、確かに全体を通してみれば壮大な物語を一つの物語としてまとめていて、キングも大したストーリーテラーになったもんだなあ、と感心させられるが、純粋なキングファンとしては納得できない展開だ。ある意味、大河小説とも言える、じんわりと心に残る作品だとは思うが、これは今までのキングとは全く異なる作品だ。こんな作品はキングにはなかった。

ボビーはその後(11歳後)どうなったのか、テッドはどうやって生き延びたのか、ピートのその後もそれはそれで気になるし、彼の同級生のその後も気になる。さらに、ウィリーのその後も気になってしょうがない。こんな展開の作品はキングじゃないな。

面白くない。だけど、ジワジワと心に響いてくる作品なのだ。



  最後の一球:マイクル・シャーラ:ハヤカワ文庫NV 20020424

あらすじ
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シーズンの最終登板の朝、大リーグの名投手ビリー・チャペルは思いもよらぬ話を聞かされた。最近球威が落ちてきたとはいえ、17年間チームのエースとして投げ続け、野球殿堂入り確実と言われているチャペルが、トレードに出されるというのだ。人生の岐路に立たされたチャペルは、優勝候補の強豪、ヤンキースとの試合に臨む……野球と人生と女性への愛をみごとに描きあげた、感動的なスポーツ小説、そして美しい恋愛小説。
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ビリーは無骨だ。野球以外は何も知らない、少年がそのまま大人になったような人物。彼は弱小球団にいてさえ、一際スター選手だった。一流の選手だった。それが、17年目のシーズン終了間際、残り2試合を残したところで突然話が急展開する。
まず、4年間つきあっていた女性から、突然別れを告げられる。彼女は一度結婚に失敗していて、もう結婚はこりごりと思っていた。ビリーもその気持ちを尊重し、敢えて、彼女とは楽しく過ごせればそれで良しとしていた。ところが、その彼女が他の男と結婚するというのだ。「あなたにはわたしが必要ではないわ」。傷心のビリー。しかし、登板の時間は迫っている。そんなとき、別のニュースが。なんと、同じチームで17年間頑張ってきた彼を、球団のオーナーは来年トレードに出すという話があるらしい。それを試合前に知らされたビリー。心中穏やかではない。しかし、彼は登板予定のその日、試合に投げることに意識を集中する。心はすでに決まっていた。

そんな中、試合は始まる。相手はヤンキース。残りの2試合に勝てばワールドシリーズに出られるかも知れないという瀬戸際。しかもヤンキースのホームグラウンドでの試合。ビリーは最初から飛ばす。これを最後と決めて、最高のピッチングをしようと最初から飛ばす。相手のバッターはキリキリ舞い。今までで最高のピッチング。しかし、味方も点が取れない。

かくして、0-0のまま回は進み、気がつけば8回裏のヤンキースの攻撃。ここまでビリーはノーヒットノーランを演じ続けていた。いや、一人のランナーも出していない。完全試合も視野に入る頃だ。球場全体が異様な雰囲気に包まれる中、ビリーは一人マウンドで静かに物思いにふけりながら最後の野球を楽しんでいた…。

最高に楽しい野球小説。物語はほぼ一日の出来事で終わる。野球をすること、それが全て。ビリーの独り言や回想などが間に入るが、ほどんどは野球の試合を追って展開する。これがまた野球ファンにはたまらない展開。ビリーは淡々と投げ続け、やがて弱小球団のメンバーが、相手チームが、球場全体が熱気を帯びて彼の一挙手一投足に注目する。味方の選手は「オレがエラーしたら自殺する」とまで言わしめる雰囲気。野球って素晴らしい。

エピローグはご愛敬だけど、これくらい甘くても許せる。とにかく、野球が大好きな人にはたまらない一品だ。


闇先案内人:大沢 在昌:文藝春秋 20020421

あらすじ
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追手の届かない闇先へ。過去も本名も捨てて生きる「逃がし屋」葛原に託された重要人物の行方。国際政治の表と裏、あまりに哀しい愛情、追いつ追われつ、プロの誇りをかけた凄絶なる死闘の幕が上った。
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「逃がし屋」とは一種の「夜逃げ屋」みたいなもの。ただし、扱う仕事に付き物の危険は遙かに高い。殺されるか捕まるか、それ以外にはもうどうにもならなくなった人物、例えば信用組合の金を横領して焦げ付きを出した人物などを、高い報酬を得る代わりに逃がしてやる。それは警察から逃がすことでもあり、相手によってはヤクザが絡んでいる場合は、ヤクザからも逃がす。
そんな「逃がし屋」の仕事ぶりが最初に描かれている。いわば導入部であるが、こちらの方が主人公たちが生き生きとしていて、面白かったような。

それはさておき、そんな男たちの元へ警察から非公式に依頼が来る。ある国から密入国した要人を逃がしている男を捜して、その要人に会えるようにして欲しいというもの。同業者が関西にいて、その男が要人を匿っているというのだからややこしい。しかも、その要人というのが、北の「あの国」の、現在の大統領の息子というのだから国際情勢も鑑みた慎重な対応が必要になってくる。国交がないから、当然、日本の警察はおおっぴらに探すわけにも行かない。この辺の国際政治との絡みがあって、何とも言い難い展開だ。葛原らは、決して表に出ることなく、要人とその逃がし屋を探し続け、陰謀や思想、国際関係などに翻弄されながらも、次第に追いつめていく。
その過程を描く大沢在昌の手腕は大したものだと思う。決して飽きることなく、また、泥臭くもなく、思想に固まっているわけでもなく、男たちの闘いを描いていく。

しかし、どうも人間関係がややこしく、彼らを動かす動機や思いというものが伝わらなかったのではないかと思う。あまりにもスケールが大きすぎ、いろんな思いを抱いた人が多すぎるような気がするのだ。いっそ、導入部のような、一般人を逃がす仕事を描いた連作なんかが面白いんじゃないだろうか。「佐久間公シリーズ」のようなシリアスで面白いシリーズができるような気がするんだけど。


神は銃弾
:ボストン・テラン:文春文庫 20020411

あらすじ
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 憤怒――それを糧に、ボブは追う。別れた妻を惨殺し、娘を連れ去った残虐なカルト集団を。やつらが生み出した地獄から生還した女を友に、憎悪と銃弾を手に……。鮮烈にして苛烈な文体が描き出す銃撃と復讐の宴。神なき荒野で正義を追い求めるふたつの魂の疾走。発表と同時に作家・評論家の絶賛を受けた、CWA新人賞受賞作。
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このあらすじはいただけない。なので、訳者あとがきよりもう一度。
カルト集団に先妻を惨殺され、一人娘を誘拐された警察官(ボブ)が、更正した麻薬常習者(ケイス)の協力を得て、一人娘を取り戻すためカリフォルニアの荒野を転々とする。くたびれた中年警察官と元ジャンキーというミスマッチ・ペアが、当初はいがみ合いながらも少しずつ心を通わせていき、最後には力を合わせてカルトの教祖(サイラス)と対決する、といった内容。

単純だけど、書かれている内容はパワフル。特に、元ジャンキーのケイスという女と、教祖であるサイラスの個性はずば抜けて強烈。この二人でこの物語を作っていると言っても過言じゃないくらい。このケイスという女、元はそのカルト集団に属し(というか、無理矢理仲間に入れられた)、どうにか抜け出して更正しているんだけど、未だに麻薬と酒の魔力に惹かれ、強がっていても弱い麺も見せる女。過去の記憶(教団にいたときの記憶)を引きずり、日々苦悩する様が生々しい。汚い言葉を連発してボブを戸惑わせたりもするけど、根は綺麗な心なんだと思わせる。このケイスのキャラクターが出色かも知れない。

しかし、この文体というか文章が現在形なのがどうも最後まで馴染めなかった。ところどころに入る過去の出来事との対比で過去と現在がフラッシュバックする展開はスリリングと言えば言えなくもないが、現在形だと、日本語にすると未来予想形と読みとれなくもないんだな。その辺に戸惑いを感じたのであった。

この本、去年の「このミス」で一位だったのだが、やっぱり個人的な好みもあるんだろうけど、個人的にはそれほどのインパクトはなかった。ただ、パワフルであることは間違いない。後は好みの問題だ。



OUT:桐野 夏生:講談社 20020329
あらすじ
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弁当工場のパートを勤める平凡な主婦は、なぜ、同僚が殺した夫の死体をバラバラにして埋めたのか。そして、この行為が、17年前に封印された殺人の悪夢を解き放った…。女たちが突っ走る荒涼たる魂の遍路の行きつく果ては。
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エグい。本当にこれがドラマになったんだろうか? 今度映画化されるそうだが、どこまで表現するんだろうか?

弁当工場の夜勤のパートに勤めるのは雅子、弥生、邦子、ヨシエの四人。わざわざ夜勤に勤めるくらいだから、それぞれの生活もちょっと普段と違う。みんな何かしら事情を抱えて生きている。不満たらたらで働いている。そんな、鬱屈した生活を送っている中、殺人事件は起きる。起きるべくして起きたものなのか? それはあまり関係ない。しかし、この後の展開はちょっと普通じゃない。みんなして死体をばらして、分からないようにゴミとして出して処理してしまおうってんだから。この感覚は、いくら小説だからってどうにも理解できない。

その鍵を握るのは、雅子の存在。この雅子、最初は理解不能な行動や考え方を示すのだが、次第にその個性が強烈に浮き彫りになってくる。内なる炎を燃やすその情熱は何なのか? それが理解できれば彼女の行動も理解できるのだろうか?

はてさて。映画はどんな風にできあがるのだろう? まあ、あまり見る気はしないが。

それにしても、邦子ってのはエゴの塊だねえ。こんな女はゴメンだ。いや、でもやっぱり哀れなのかも。


 
ダーティホワイトボーイズ:スティーヴン・ハンター:扶桑社ミステリー 20020321
あらすじ
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オクラホマ州立マカレスター重犯罪刑務所に収監されていた終身囚ラマー・パイはシャワールームで黒人受刑者を殴り殺した。黒人たちの逆襲を恐れた彼は看守を脅し、子分二人を連れて脱獄に成功する。迷いなく邪魔者を殺して進む、生まれながらの悪の化身ともいうべきラマーとその一行は銃を手にいれ、車を奪い、店を襲い、警察を嘲笑するかのように、ひたすら爆走し、破壊しつづける!
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700ページ以上もある長編だが、面白くて飽きることがなかった。

主人公は刑務所を脱獄したラマー・パイという男と、その男を追うハイウェイパトロール巡査部長のバド・ピューティという男。
このラマー・パイという男、とんでもない悪党で、脱獄後も仲間を誘ってファミリーレストランを襲ったり、邪魔をするヤツは問答無用で殺しまくったりして、すさまじいエネルギーを発散する、ある意味カリスマ性をもった野郎だ。まさに、「きたない白人野郎」。悪党だけど、妙に魅力がある男。
それに対して、バド・ピューティは、強い意志でもってこのラマーを追いかけるところは格好いいのだが、私生活では同僚の妻と不倫をしていて、それを隠すために家族に嘘を突き通す、保身に身をやつすちょっと情けない面もある。

この二人が対決するシーンが何度か。どれも圧倒的なシーンの連続で、ハラハラドキドキ。ラマーが出し抜いたり、バドがやり返したり。とにかく、タフな二人に最後まで楽しませてもらった。

それにしても、逃亡生活を送っているのに段々生き生きと輝いているとさえ見えるラマーに対し、同僚を死なせてしまった罪悪感に苦悩したり、不倫で四苦八苦するバド。この対比が面白かった。

この本は、「ボブ・リー・スワガー」シリーズの二作目にあたるわけだが、肝心のボブはほんのちょこっと名前が出てくるだけ。三作目の『ブラックライト』でこの本との繋がりが出てくるようだ。いわば外伝みたいなものだろう。


 
タイム・リーパー:大原 まり子:ハヤカワ文庫JA 20020310
あらすじ
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平凡な銀行員の森坂徹は仕事で疲れた夏の日の帰り道、恋人の目の前で交通事故にあった。瀕死の重傷を負った彼を収容したのは、なんと2018年の救急病院。しかも、その怪我のために首から下は機械の身体に換えられていた。彼は30年の時を越え、未来へとタイム・スリップしていたのだ。やがて時間跳躍能力を持つ森坂をめぐり、未来のタイム・パトロールと警察の特殊能力開発部隊との間で、凄絶な闘いが繰り広げられてゆく!!
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期待はずれ。
その1。
恋人である数子の出番が少ない。最初に出てきてからは、ほとんど最後まで出てこない。これじゃあ、いくら森坂が春名に入れ込んでもその背景が弱すぎる。もっともっと、数子のキャラクターを前面に出す展開が望ましい。
その2。
森坂徹が機械の身体に換えられたことに対する必然性が感じられない。結局最後まで意味が分からなかった。別に普通の身体でいいじゃん。
その3。
タイムパラドックスが生かされていない。タイムトラベル物なんだから、もっと不条理な展開を期待していただけに、この点はかなり不満。結局、だからなんなんだ。
その4。
キャラクターが変。タイムパトロール役であるキサラギ、フジオミ、アマカスがかなり重要な役割を担っているはずなのだが、イマイチその役割が不明確。そしていい加減。アニメじゃないんだからさあ。

タイムトラベルものは、やっぱり海外作品の方が面白いのかも。


 
優しく殺して:ニッキ・フレンチ:角川文庫 20020306
あらすじ
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ふたりは道路の真ん中で足を止め、すれ違った。ほんの数インチのところを、互いの目を釘付けにして。一秒が永遠ほどに思えた出会い、そこから全ては狂っていったーー。見知らぬ男のミステリアスな魅力にとりつかれたアリスは、安穏な生活に別れを告げ、彼の妻となる。だが、手に入れると相手の全てを知りたくなるのが人の性。英雄的登山家という彼の過去を知ることは、未知で刺激的な毎日を、妄想と恐怖の現実に変えるものだった……。
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この後紹介文は、「息も吐けない衝撃のエロティック・サスペンス」と続いている。確かに、エロティックな部分はあるが、そこだけを取り上げてもらいたくない、というのが正直な感想だ。それにつられて読むとがっかりすると思う。

二人の出会いはまるでメロドラマのよう。お互いに一目見ただけで一目惚れしてしまうんだもの。そこから恋に落ち愛欲におぼれていくさまは、映画の『ナイン・ハーフ』を彷彿とさせる展開だ。映画は二人が別れて終わりだったと思うが、サスペンスなのでそうもいかない。

どうも期待して読んだ分、ちょっとがっかりしたというのが正直なところ。英雄的登山家というアダムのキャラクターも魅力的ではあるのだが、ネタというか、コマというか、展開の仕方というか、よく分からないのだが、読んでいる最中もずっとテレビでよくやる2時間枠のサスペンスドラマ仕立てだよな、と感じてしまった。
映画にもなったそうだが、18禁らしく、いかにもな内容に終始しそうなことは想像に難くない。

ただ、アダムもアリスも、お互いを本当に全身全霊をかけて愛していたんだな、という思いは最後に伝わった。こんな愛は長くは続かないだろうけれども。


 
驟り雨(はしりあめ):藤沢 周平:新潮文庫 20020303
あらすじ
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激しい雨の中、一人の盗っ人が八幡さまの軒下に潜んで、通り向いの問屋の様子を窺っていた。その眼の前へ、入れかわり立ちかわり雨宿りにくる人々。そして彼らが寸時、繰り広げる人間模様……。表題作「驟り雨」をはじめ、「贈り物」「遅いしあわせ」など、全10編を収める。抗いきれない運命に翻弄されながらも江戸の町に懸命に生きる人々を、陰翳深く描く珠玉の作品集。
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友達から借りた本。藤沢周平の本は初めて読んだのだが、結構面白く読めた。江戸の下町に住む、それほど裕福でない町人や商人を主人公にした作品が多い。人情噺と言ってしまえばそれまでだが、人々のそれぞれの欲望が良く現れていて、身につまされるものも多い。
例えば、最初は好きで一緒になったのに、自分のふがいなさのせいで、女房を捨て、別の女のところへ走った男。結局それもうまくいかず、元の場所へ戻ろうとしたが、すでに手遅れになっていた、といった話や、逆に、出奔したけどやっぱり元の場所(女房)がいいと戻ってみれば、優しく厳しく出迎えてくれる、といった話もあり、良くも悪くも江戸の情緒を浮き彫りに、人情味あふれる作品が多かった。
「驟り雨」「朝焼け」「遅いしあわせ」「運の尽き」「捨てた女」といった作品が面白かった。


 
琥珀の望遠鏡:フィリップ・プルマン:新潮社 20020227
あらすじ
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不思議な力を持つ短剣で他の世界への窓を切り開き、羅針盤を頼りに旅を続けるライラとウィル。ライラの友達と話をするために、ふたりの旅は<死者の国>にまで及ぶ。ライラの担った役割とは一体? そして地上に楽園を求め、共和国建設を目指すアスリエル卿と<教会の権力>との、世界を二分する闘いが、今、はじまる!
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今回は読書環境が悪すぎた。ちょうど引っ越しが重なり、土日はほとんど読めず、平日もいつもより読書時間が削られたため、途切れ途切れの読書となり、結果、ストーリー展開にうまく溶けこめず、また、謎の解明も取りたてて感ずることもできなかった。
そんな環境での読書だったため、本当ならすごく引きこまれて読むだろうと思うところもあまり引きこまれることもなく、淡々と読み終えたのだった。それがすごく残念。

それにしても、この第三巻は長い話である(そのせいで読み終えるのに時間が掛かったのもあるが)。でも、この長さが特に苦痛と感じなかったのは、やはりストーリー展開が飽きさせないものだったからではないかと思う。それと、登場人物がみんな個性的で素晴らしい。
最終巻ということもあって、今までのキャラクター総出演、という感じだが、お気に入りのクマのイオレク・バーニソンや気球乗りのリー・スコーズビーなども登場し、ライラとウィルの冒険に手を貸してくれる。
その他、魔女のセラフィナ・ペカーラや、学者のメアリー・マローンなど。また、新しいキャラクターも登場し、そちらも楽しめる。しかし、やはり何と言っても一番素晴らしいキャラクターというか、この物語の世界での衆目は、ダイモン(守護精霊)という存在だろう。このダイモンがいることが、この物語世界そのものといっても過言ではないと思う。

今回は、「琥珀の望遠鏡」が重要な役割を果たすわけだが、何と言ってもライラとウィルの冒険行がメインのストーリーであり、この二人がどうなるかというところが重要なところだ。
また、ライラの両親であるアスリエル卿とコールター夫人の暗躍も気になるところ。特にコールター夫人は本心の掴めない特異なキャラクターで、彼女は善なのか悪なのか悩むところだ。

ラスト近く、謎が明かされ、この危機を救うためにはある決断を迫られるライラとウィルには心を動かされるところがあった。何とも皮肉で残酷で、そして美しい決断ではないだろうか。

この物語は、大人のための児童冒険ファンタジーではないかと思う。今や大ブームの「ハリポタ」シリーズが、大人も子供も楽しめる(大人は童心に帰って、という注釈がつくが)のに対し、こちらの「ライラの冒険」シリーズは大人が大人の感性のまま楽しめる児童文学だと思う。そう言う意味では万人には受けない作品かも知れないが、確実にファンは存在し、そのストーリーの壮大さと面白さ、そしてこの物語世界に魅了されるだろう。


 
神秘の短剣:フィリップ・プルマン:新潮社 20020211
あらすじ
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オーロラの中に現れた「もうひとつの世界」に渡ったライラは、<スペクター>と呼ばれる化け物に襲われ、大人のいなくなった街で、別の世界からやって来た少年ウィルと出会う。父親を探しているウィルはこの街で、不思議な力を持つ<短剣>の守り手となる。空間を切りさき別世界への扉を開くことのできるこの短剣を手に入れた少年と、羅針盤を持つライラに課せられた使命とは……。気球乗りのリーや魔女たち、そして天使までも巻き込んで、物語はさらに大きく広がっていく――。
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第一巻、『黄金の羅針盤』はライラの冒険を描き、心躍るファンタジーだった。そのライラが「こちらの世界」に渡ってきて、さてどんな冒険を見せてくれるのか、と期待すると見事に裏切られる。もちろん、登場人物がしたたかなのは最初からこのシリーズの特徴ではあるのだが。
第二巻のこの『神秘の〜』は、『黄金の〜』とはうって変わってダーク・ファンタジーという趣だ。SF色も色濃く出ていて、とても子供が楽しく読める内容ではない。邪悪な子供たち、その存在は決して甘いイメージではない天使たち。また、<スペクター>は悪霊そのもの。

今回から新しく登場したウィルもそうだが、ライラには過酷な試練が待ち受けている。この試練はちょっとひどすぎやしないか? そんな風に思ってしまう。そんな二人を助ける気球乗りのリーや魔女のセラフィナ・ペカーラたち。
先にも書いたが、登場人物は誰も皆したたかだ。一筋縄では行かない人達ばかり。特に、ライラの両親であるアスリエル卿とコールター夫人。この二人が様々な謎の鍵を握っているようだが、それにしても冷酷。寒気がするくらい。そんな中で、一際異彩を放っているのが気球乗りのリー。彼の優しさ、強さ、愛情は、この物語の中での唯一の希望だ。彼が活躍する終盤の展開は、涙なくては読めない。

このシリーズの中での特徴ある生き物、ダイモン(守護精霊)の存在は相変わらず面白い。面白いと言うか、なかなか考えさせられる存在だ。なぜ、「こちらの世界」の人間にはダイモンがいないのか? ライラの疑問にきちんと答えられない自分がいる。

謎はまだほとんど解明されていない。ライラとウィルの担う役割とは何なのか、いよいよ最終巻『琥珀の望遠鏡』で明らかになるのだろう。そして、クマの戦士、イオレク・バーニソンは再登場してくれるのだろうか? 彼の活躍を見たい。


 
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