ちょっとネタバレの部分があるかも知れませんが、あしからず。
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スワン・ソング(上・下):ロバート・R・マキャモン:福武文庫 20020203

あらすじ
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第三次世界大戦勃発。核ミサイルによる炎の柱と放射能の嵐が全土を覆い尽くした。生き延びた人々を待っていたのは、放射能障害、「核の冬」の極寒、そして過去の遺物の争奪……死よりなお凄惨な狂気の世界であった。核戦争後のアメリカ大陸を舞台に繰り広げられる世界再生の鍵を握る少女スワンを巡る聖と邪の闘い。世紀末の黙示録神話を描く「超」大作巨編。
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莫迦な大統領の決断により、一瞬にして焦土と化したアメリカ。太陽は厚い放射能の壁に遮られ、真夏だというのに極寒の大地。地下などにいて偶然助かった人達も、放射能の洗礼を受けて、顔面は焼けただれ、ケロイドの焼け跡を残す。人々は残った食べ物を漁り、暴徒と化す。
そんな中、焼け跡から見つけた「リング」に生きる糧を見いだし、そのリングに導かれるまま敢然と立ち上がったシスター。そして、彼女の強い意志に惹かれ、ともに旅をする人達。
一方、スワンは不思議な力を持っていた。偶然にも核シェルターらしきところに逃げ込むことができ、一命を取り留めた彼女。ジョシュというプロレスラーの庇護を受け、彼女も旅を続ける。彼女には、ある不思議な力があった。
そして、邪悪な存在も育っていた。狂気に侵された元ベトナム戦士とそれと同盟を組んだ残忍な少年。そして、それら全てを暗黒の世界に連れ戻そうとする深紅の目の男。やがて彼らは導かれるように収束していくのだった…。

キングの『ザ・スタンド』と比較される作品。確かに似た設定ではあるが、かなり違った印象を持った。キングは、人の弱さにつけ込んで、そこに入り込む邪悪な心の象徴(=フラッグ)を、それが当然の事のように描いて、でもそれに屈しない人達もいて、そこから希望を描き出したのに対し、この『スワン・ソング』は基本的に人間の強さを希望を持って描き、それがあれば悪に立ち向かえる力になるんだよ、と教えてくれるような、そんな感じがした。

それにしても、スワンの何と可愛らしいこと! 読んでいるこっちまで彼女に恋をしそうだ。途中、放射能に侵されて、顔面がケロイド状の皮膚に覆われ、見るも無惨な顔をさらすスワン。その後に起こる奇跡。この辺の展開は、もう読む手が震えるくらいの感動だ。

ラストの展開にはもう感動の嵐が待っている。この長大な物語を締めくくるにふさわしい幕切れだった。

キングは人間の弱さを徹底的にさらけ出すのに対し、マキャモンのこの作品は、最初から希望に満ちあふれている。そんな作品の違いを感じた。どちらも違った味わいで、とても楽しめた作品だった。ただ、この作品、どうやら絶版になっているらしい。もったいない。ぜひ復刻し、沢山の人に読んでもらいたい作品だ。


 
サイダーハウス・ルール(上・下):ジョン・アーヴィング:文春文庫 20020119

あらすじ
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セント・クラウズの孤児院で、望まれざる存在として生を享けたホーマー・ウェルズ。孤児院の創設者で医師でもあるラーチは、彼にルールを教えこむ。「人の役に立つ存在になれ」と。だが、堕胎に自分を役立てることに反発を感じたホーマーは、ある決断をする――。堕胎を描くことで人間の生と社会を捉えたアーヴィングの傑作長編。
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孤児として生を受け、セント・クラウズで過ごしたホーマー。何度か養子のもらい受けの話もあったが、どれもうまくいかず、結局少年時代半ばまで孤児院で暮らすことになる。堕胎が違法な時代、この孤児院が駆け込み寺のような立場となり、望まれない胎児はひっそりと処分される。それを見てきたホーマー。その行為自体は納得できても、自分がそれをやることには同意できず、やがて孤児院を飛び出す。そのきっかけとなったのが、オーシャン・ヴュー果樹園のウォリーとその恋人キャンディの存在だった。ホーマーは果樹園で働くことになるのだが、やがて自分はキャンディを愛していることを知る。

アーヴィングの世界は現代アメリカの抱える問題の様々な部分を浮き彫りにする。中絶禁止法、それによる養子制度、戦争による愛国心または戦争反対派、黒人雇用問題。また、家族愛の大切さ。白人社会あるいは黒人社会のルール。それらを知ることはアメリカの歴史を知ることとして非常に大切だ。
これらの象徴として捉えられているのが、ウィルバー・ラーチのお祈りだったり、ホーマーのこだわりだったりするのではないだろうか。それを情景豊かに交えながら語るアーヴィングの手法が心地よいと思える。そんな小説だ。

孤児院のラーチ院長、エドナ、アンジェラ両看護婦、果樹園のウォリー、キャンディ。その他それらと様々に関わりのある登場人物たちが生き生きと描かれ、静かな展開ながらも大河小説のような趣で、ラストの感動的なシーンまで飽くことなく読ませてくれる。

繰り返される「Right」というホーマーの口癖、「メインの王子たち、ニュー・イングランドの王たちよ」、「○○のために喜んでやろう。○○に家族が見つかった。おやすみ、○○」という孤児院でのラーチのやさしい言葉。そのフレーズが心に残り、印象深いものになっている。

ホーマーとそれを取り巻く人達の人間模様。それらが詳細に描かれることによって、紆余曲折を経て選んだラストのホーマーの決意が感動的なものになっている。

メロニィだって結局は純粋だったのだ。


 
キリンヤガ:マイク・レズニック:ハヤカワ文庫SF 20020106
あらすじ
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絶滅に瀕したアフリカの種族、キクユ族のために設立されたユートピア小惑星、キリンヤガ。楽園の純潔を護る使命をひとり背負う祈祷師、コリバは今日も孤独な闘いを強いられる……ヒューゴー賞受賞の表題作ほか、古き良き共同体で暮らすには聡明すぎた少女カマリの悲劇を描くSFマガジン読者賞受賞の名品「空にふれた少女」など、あまたの賞を受賞した粒ぞろいの物語で綴る、著者の最高傑作のほまれ高いオムニバス長編。
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物語は、8つの中短編とプロローグ、エピローグで構成されている。それぞれの作品は単独でも楽しめるが、やはり通して読むとその良さがより伝わる。2,100年代、地球のケニアは文明の波に飲み込まれ、もはやかつての狩猟民族としての誇りを失い、欧米の文明の利器を受け入れていた。そのケニアにいて、自らの神ンガイの教えを護り、小惑星にキクユ族のユートピアを作ろうと立ち上がったコリバは、ムンドゥムグ(祈祷師)として、そこに一緒に住む人々にンガイの教えを説き、キクユ族の伝統を守ろうとする。西洋の文明を拒み、昔ながらの生活を頑なに守るコリバ。そこにはさまざまな軋轢、葛藤、諍いが発生する。このコリバの孤独な闘いが胸を打つ作品となっている。

ただ、逆子で産まれてきた子を悪魔として殺さなければならない、女は読み書きをしてはならない、キクユ族は狩猟をしてはならない、女も割礼の儀式を受けなければならない、役目を終えた老人は仕事をしてはならない、といったおよそ文明社会では受け入れられないキクユ族の伝統を、われわれは到底受け入れられないだろう。また、どうしても入ってきてしまう文明圏の文化に心惑わす人が現れるのも仕方のないことだ。それらを排し、ンガイの教えに従わせ続けるのは、果たして良いことなのだろうか? 伝統は守られるべきなのか、あるいは、人々は日々成長し、変わっていくことが善なのか? とどまることは停滞か、それとも後退となってしまうのか?
コリバは、ムンドゥムグとしての継承者をンデミという聡明な若者に託そうとする。しかし、そのンデミも、聡明ゆえコリバの考え方に疑問を持つようになる。どちらの考えが正しいのか、などと言うことは誰にも言えない。

このコリバ、頑ななところもあるが、彼の信念にもうなずけるところもある。ただ、自らが祈祷師として雨を降らせる祈りを捧げる代わりに、コンピュータを使って「保全局」に依頼するあたり、似非祈祷師と言えなくもない。そういったところに綻びがあるのかも知れない。

所詮、ユートピアとは、万人が共通して理解できるものではないということか。

SFという形を取ってはいるが、それ以上に普遍性のある物語だと思う。ジャンルにとらわれず、様々な人に読んでもらいたい作品だ。


 
ハリー・ポッターとアズカバンの囚人:J・K・ローリング:静山社 20011229
あらすじ
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夏休みのある日、ハリーは13歳の誕生日を迎える。あいかわらずハリーを無視するダーズリー一家。さらに悪いことに、おじさんの妹、恐怖のマージおばさんが泊まりに来た。耐えかねて家出をするハリーに、恐ろしい事件がふりかかる。脱獄不可能のアズカバンから脱走した囚人がハリーの命を狙っているという。新任のルーピン先生を迎えたホグワーツ校でハリーは魔法使いとしても、人間としてもひとまわりたくましく成長する。さて、今回のヴォルデモートとの対決は?
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今回も魅力的なキャラクターが登場する。また、魔法学校の授業風景も楽しく、魔法使いになるにはこんな勉強も必要なんだな、なんて変なところで感心したりして。

物語は、これまでの通例として、夏休み中の、マグル(一般の人間)であるダーズリー一家での休暇から幕が開く。相変わらず魔法使いであるハリーを煙たがるダーズリー一家。そこに、おじさんの妹が泊まりに来ることになったからさあ大変。このおばさんがまた一筋縄でいかない。頑迷なおじさんに輪をかけてハリーをいじめる。ついにキレたハリーは、この家を飛び出してしまうのだが、この後の巻でこの一家(あるいはそれを含むマグル)との絡みはどう展開していくのだろうか? 何か意味のある伏線なのだろうか? それとも、単なる冒頭の風物詩で終始するのだろうか? ちょっと気になる部分ではある。

さて、ハリーは無事夏休みを終え、ホグワーツへ戻ってくる。今度は3年生だ。新しい教科も増え、また新任の教師も赴任して、魔法学校の生活が始まる。今回の事件は、アズカバンという刑務所から脱出したシリウス・ブラックが、ハリーの命を狙ってホグワーツに潜入するのではないか、という噂から、さまざまな憶測が飛び、謎が展開する。

そんな中、ハリーの友達である、ロンとハーマイオニーがちょっとした喧嘩をする場面がある。飼っているペットに関してのいざこざだが、この辺の話はちょっと不自然さが目立ってイライラさせられた。このロンとハーマイオニー、確かにハリーの親友なのだが、これからどのような形で彼らの友情が発展していくのだろうか?

また、恒例の行事、クィディッチと呼ばれるスポーツ大会も物語に楽しみを広げる。今回ハリーは新しい箒を誰かからプレゼントされるのだが、この箒のおかげでクィディッチでも大活躍。この箒をプレゼントしたのは誰か、最後の方で明らかになるのだが、そのいきさつもまた楽しい。

新しい動物や魔法もふんだんに登場し、魔法世界の広がりはとどまるところを知らない。これだけの小物を配し、しかもどれも何かしらストーリーに関係があるというのはすごいことだ。作者の想像力と巧みなストーリーテリングに改めて驚かされた一冊だった。

後半の謎解きの場面は、正直言ってちょっと退屈だったけど、それ以外はスリルに富んだ展開で、まったく飽きさせない。いくつかの謎は解決したが、まだまだ端緒に達したばかりという印象で、これからの展開がさらに楽しみ。ハリーもだいぶ成長し、頼もしくなってきた。ロンとハーマイオニーを含めた成長物語としても先が楽しみである。


 
ハリー・ポッターと秘密の部屋:J・K・ローリング:静山社 20011219
あらすじ
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魔法学校で一年間を過ごし、夏休みでダーズリー家に戻ったハリーは意地悪なおじ、おばに監禁されて餓死寸前。やっと、親友のロンに助け出される。しかし、新学期が始まった途端、また事件に巻き込まれる。ホグワーツ校を襲う姿なき声。次々と犠牲者が出る。そしてハリーに疑いがかかる。果たしてハリーはスリザリン寮に入るべきだったのだろうか。ヴォルデモートとの対決がその答えを出してくれる。
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今回は謎解きが大きなウエイトを占める。しかし、ハリー、ロン、ハーマイオニーの3人の友情と活躍は相変わらず見ていて楽しい。前作は、「スター・ウォーズ」を彷彿とさせる展開だったが、今回はどことなく「レイダース」風。別に秘宝を探しに出かける訳ではないのだが、雰囲気は似ている。

最初に出てきた変な妖精がユニーク。途中も何度かハリーの邪魔をするのだが、最後の引っかけが良かった。拍手喝采ものだ。まさにしてやったり。こういう仕掛けを最初から伏線としてさりげなく出しておく作者は、やっぱりタダモノではないな、と思う。
しかし、それにしても、何と言っても、今回もそうだが、新しいキャラクター、遊び、魔法などが次々と出てきて、その想像力たるや舌を巻くくらい。それも、大きく魔法使いという世界のイメージを壊すことなく展開するので、読んでいて戸惑いがほとんどない。この辺はうまい、というか、やっぱり多くの人に受け入れられるだけのことはあるな、と感じる。『ハリポタ』シリーズで、ホグワーツを巡る一つの魔法界が確立したと言っても過言ではない。

ヴォルデモートとの対決もそうだが、未だに多くの謎を残しつつ、話はこれからも冒険に次ぐ冒険が待っているのだろう。このシリーズを読んでいる限りは、その世界にドップリと浸かれることは間違いない。


 
ハリー・ポッターと賢者の石:J・K・ローリング:静山社 20011211
あらすじ
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ハリー・ポッターは孤児。意地悪な従兄にいじめられながら11歳の誕生日を迎えようとしたとき、ホグワーツ魔法学校からの入学許可証が届き、自分が魔法使いだと知る。キングズ・クロス駅、9と3/4番線から紅色の汽車に乗り、ハリーは未知の世界へ。親友のロン、ハーマイオニーに助けられ、ハリーの両親を殺した邪悪な魔法使いヴォルデモートとの運命の対決までの、息を呑む展開。
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何というか、安心して読める物語なのである。魔法使いとはかくあるべし、友情とは、冒険とは、といったことが王道らしく読める。故に安心して読める。それが悪いとか良いとかいうことではなく、「安心して」楽しめる作品だ。癖がない分物足りなさも感じるかも知れない。

それにしても、登場人物の何とイキイキとしたことか! それぞれの人物が想像できるところが楽しい。

ストーリー的には、「安心して」読めるので、純粋にその物語に没頭してしまって良いと思う。読んでいる最中から、どうもこの「安心感」を得られるというのは、エンターテインメント作品を、大上段に構えて俯瞰しているような気分で眺めているような気がする。そう、たとえて言うなら、映画の「スター・ウォーズ」を観るような「安心感」だったのだ。


 
さよならダイノサウルス:ロバート・J・ソウヤー:ハヤカワ文庫SF 20011208
あらすじ
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恐竜はなぜ滅んだのか? この究極の謎を解明するために、二人の古生物学者がタイムマシンで六千五百万年のかなた、白亜紀末期へ赴いた。だが、着いた早々出くわしたのは、なんと言葉をしゃべる恐竜! どうやら恐竜の脳内に寄生するゼリー状の生物が言葉を発しているらしいのだが、まさかそれが「***」だとは……!?
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恐竜はなぜ絶滅してしまったのか、というのは大変興味のある謎だ。昔は氷河期の到来で息絶えたというのが主流だったと思うのだが、最近では巨大隕石落下説や、NHK特集などでは、花が恐竜を絶滅に追い込んだ、というとても興味深い仮説も出ている。
また、恐竜はなぜあそこまで巨大化することができたのか、という謎も、この物語ではいかにもSFらしい解釈で明かされる。

この二つの謎に絡んでくるのが、ゼリー状の寄生体。こいつの正体がまたSFではありきたりなのかも知れないが、こいつらの気の遠くなるような盛衰も壮大な時間の流れを感じてクラクラしてしまう。
この寄生体による侵略から、やがて恐竜の巨大化の謎や絶滅の謎が明かされていくわけだが、それにはもう一つ、タイムトラベルの必然性というファクターも関わってくる。こうなってくると、タイムパラドックスの妙にすっかりハマり、呆然とするしかない。
あとがきにいわく、タイムトラベルはなぜ「可能でなければならない」のか。これ以上はネタバラしになるので書くことを控える。

連綿と続く時の流れ、というものを考えて頭がこんがらがってしまう、そんなSFの醍醐味を味わわせてくれる作品だ。また、さまざまな恐竜が登場し、恐竜ファンとしても嬉しいところ。


 
神の狩人(上・下):グレッグ・アイルズ:講談社文庫 20011203

あらすじ
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コンピュータ・ネットワーク『EROS』の会員が次々と殺される。愛の行為、テレフォンセックス、乳房整形、近親相姦、HIV……。サイトでは五千人の男女が匿名でセックスに感するあらゆる情報を交換していた。ネット上を自在に動き回る天才殺人鬼の出現に、全米は震え上がった。
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ちょっとこのあらすじはいただけない。まるで、セックスを売り物にしている怪しげなサイトで起こった異常殺人、という扇情的な思惑が見え見え。
実際は、『EROS』というのは、高級会員制のネットサービスみたいなもので、そこにアクセスする人々は一様に節度を持った人達ばかりだ。ただ、ちょっと秘密にしたい欲望や興味を他の人に知られたくないからそこに集まっているだけだ。でも、これって十分アヤシイ?

事件は、このネットワークのシスオペである主人公が、殺された女の人が『EROS』の会員だったことから、同じように消息を絶った人が何人かいることを発見し、それを警察に通報したことから始まる。やがて、犯人の異常な性癖があらわになり、なぜそんなことをするのか、ということから犯人探しが始まる。まるでプロファイリングの世界。心理学者や精神科医も登場し、そう、あの『羊たちの沈黙』を彷彿とさせる展開となる。
但し、こちらのほうは、あれほどの緊迫感はない。犯人との接触がネットを介しているからだ。チャット機能だと思うのだが、主人公がある女の人に化けて、犯人とチャットを交わすシーンは、「ネットおかま」という言葉を連想してしまった。要は騙し合いの世界、バーチャルな世界。

他にも、ウィルスやワーム、音声認識ソフト、ファイアーウォールなど、今じゃ耳慣れた言葉が飛び交い、それだけだと大変興味深い。インターネットに詳しい人なら、多分、この物語の古くささは鼻につくのだろうが、それほど知識のない人間にとっては興味のある話題だ。

犯人にはあまり恐怖を感じなかった。それほど特異な人物という感じがしない。実態が出てこないからかも知れない。

主人公の私生活が延々と語られる場面がある。物語と何の関係があるのかと訝っていたのだが、後半から見事に融合していて、この辺の展開はうまいな、と思った。ただ、やっぱり虚像を相手にしているだけに、現実感が無いというか、どこかに相手に見破られているんだろうな、という予感を持って読んでしまうのは仕方のないことだろう。


 
されど修羅ゆく君は:打海 文三:徳間文庫 20011128
あらすじ
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姫子は十三歳。登校拒否の中学二年生。首吊り自殺のために入った山奥で偶然出会った男・阪本が殺人容疑者と知ったことから、事件に巻き込まれる。というより、彼に惚れてしまったのだ。ライバルは多い。公園に全裸死体で放置された女デザイナー、六十歳で元結婚詐欺師の探偵・ウネ子、とくにお婆は好敵手。恋も事件もねじれ、もつれ、姫子にも魔手が……。
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まあまあ面白かったが、登場人物たちの会話に違和感を抱いた。十三歳の女の子が、三十六の男に「○○」などと名前(名字)を呼び捨てにして呼びかけるだろうか? それ以外にも命令口調であれこれ指示する会話や、それに唯々として従う男も情けない。
ウネ子の存在も面白いが、現実感に欠ける。登場人物たちの会話や、会話をしていないときの先を読んだ行動は、一言で言えば「粋」なんだろうが、どうも面映ゆい。登場人物一人一人は魅力的な人が多いのだが、その繋がりに無理があるように感じた。というか、馴染めなかった。

洒落たハードボイルド、という感じなのだが、現実感がなさすぎて、醒めている部分があった。恐らく、ドラマか映画にすれば受けるだろう。しかし、それも日本以外では受けないだろう。


 
火星年代記:レイ・ブラッドベリ:ハヤカワ文庫NV 20011124
あらすじ
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火星へ、はじめは探検隊がついた。火星人は探検隊員を、彼らなりのもてなし方でもてなした。だから第一次探検隊も、そのつぎもまたそのつぎも、隊員は一人も還らなかった……。それでも、人類は火星へ火星へと、寄せ波のように押し寄せた。やがて、火星に地球人の村ができ町ができた。が、徐々に廃墟と化していく村や町から、しだいに、火星人たちは姿を消していった……。
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地球人の火星侵略の物語。それは、火星というおよそ非現実的な舞台を取りつつ、地球上のどの地域でも昔はあったことなのかも知れない。アマゾンへの探検、南アメリカへの探検。アフリカへの探検。人々は未知なる世界を求めて探求と永住を求める生き物なのかも知れない。そこには、先住民の文化を無視した傍若無人の限りを尽くした侵略がある。たとえ、それが侵略者にとって理解しがたいものだったとしても、それは傲慢としか言いようがない。そんな出だし。

それを風刺的に扱った出だしはとても面白かった。地球人が右往左往する様が痛快とも言える。

しかし、やがて火星人にも抵抗し得ない疫病が蔓延し、ほぼ火星から絶滅する。そして、移民者の我が世の春が始まる。そんな平穏な暮らしにも結局満足できない地球人は、地球の危機を目の当たりにし、全員が地球へ帰還。そして、20年後。

この展開には、参ってしまった。確かに古くさい設定だ。2001年に、1950年代に書かれた50年後の世界を読ませられる面はゆさもさることながら、相変わらず人間は変わっていないと言うことに恥ずかしさを覚える。できれば、この小説は1970年代か1980年代の初頭に読みたかったと思う。でも、結局諦めが最初に出てしまうんだろうな。

希望の残るラストにちょっと感動した。


 
ムーン・パレス:ポール・オースター:新潮文庫 20011123
あらすじ
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人類がはじめて月を歩いた夏だった。父を知らず、母とも死別した僕は、唯一の血縁だった伯父を失う。彼は僕と世界を結ぶ絆だった。僕は絶望のあまり、人生を放棄しはじめた。やがて生活費も尽き、餓死寸前のところを友人に救われた。体力が回復すると、僕は奇妙な仕事を見つけた。その依頼を遂行するうちに、偶然にも僕は自らの家系の謎にたどりついた……。
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何とも奇妙な印象の小説、というのが第一印象。青春小説、と言う風に紹介されているが、確かに青春小説なのかも知れない。でも、それは前半の部分に限られる。中盤は、ある奇妙な老人の介護役をアルバイトで行うところから始まり、この老人の過去の物語が語られて行く。その物語はあまりにも突拍子もないもので、面白くはあるのだが、結構身構えて読んだ気がする。
後半は、これまた別のあるとんでもない巨漢のおじさんが出てくる話。その人物描写がちょっとリアルでニヒルに笑える。

とまあ、全体が三部構成みたいになっているのだが、文体は「僕」という一人称で語られ、すべて繋がりがある。上記に揚げた登場人物も皆繋がりがある。その繋がり自体は面白いのだが。

どうもあまり楽しめなかったというのが素直な感想。それは、上記のように話の展開が途中で飛んでしまっていることに依るのかな、などと思った。前半から中盤にかけてのキティとの恋物語は素晴らしかったし、前半の、伯父さんとの交流、乞食同然に公園を徘徊して生き延びるシーンなんかもいきいきとしていた。でも、中盤からの展開は間延びしていたかな、という風に思えた。

確かに、老人の半生は息詰まるものがあるし、その冒険は十分に語り草たる重きを置いていると思う。その後の巨漢のおじさんの話も無理なく展開し、物語としてはソツがない。主人公の心情も何となく理解できる。

でも、結果として彼の選んだ道には同意できなかったということなのかも知れない。特にキティとの。


 
ミステリー・ウォーク(上・下):ロバート・R・マキャモン:福武文庫 20011118

あらすじ
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惨殺された親友ウィルの家の地下室。そこで、少年ビリーが見たものは? その日から、ビリーの目に映る世界は変わった。彼は人の死を予見でき、また死人と話ができるのだ。インディアンの血を引くこの少年に与えられた特別な運命「神秘の道<ミステリー・ウォーク>」。ある日ビリーの町に、人々の病を癒す特別な力をもち「世界を救う神」と崇められる伝道師ファルコナー父子の集会がやってくる。町中の人々は拍手と歓声で彼らを迎えるが……。
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面白い。マキャモンは今までに読んだ中では『少年時代』が一番好きなのだが、それに匹敵するくらいの面白さ。扱っているテーマは全く違うので、どちらがより好きか、ということはできないが。

少年ビリーは、母方のインディアンの血をより多く受け継いだせいで、祖母、母と続いたミステリー・ウォークという運命を受け入れざるを得なくなる。その運命とは、人が死ぬ間際に、その人の死が分かってしまうというもの。しかも、これは避けようのない運命。絶望的とも言える。また、死後の魂が安らぐことができず、現世にとどまっている死者の魂と交信し、安らかにあの世へ送ることが出来る。こちらはある程度救いがあると言える。しかし、そんな能力もない人々は、このビリーと母親を悪魔と魔女と言って忌避する。当然だ。
そんな状態の時に、この二人とは全く異なる能力を持った少年ウェインが現れる。その能力は、人々の怪我や病気を治してしまうというもの。まるで「神」のような存在。
ビリーは「死」をもたらすもの、ウェインは「生命」をもたらすもの。このまったく正反対の力は、当然人々に後者を選ばせる。しかし、この二つの能力は、実はとても近いものなのだ。表裏の関係と言ってもいい。
ウェインは、ビリーのことを脅威に感じ、何とかその力を排除しようとする。一方ビリーは人々に疎まれながらも懸命に自分の進む道を信じ生きようとする。そこには強い母の愛がある。

この二人の少年の成長が対比をなしていて、とても面白い。自ら自分の能力に疑問を持っているウェイン。疑心暗鬼から彼の方が悪魔に魂を売るような行動をとってしまうのに対し、ビリーの懸命な生き方が胸を打つ。二人の対決。そして…。

途中では、ビリーの受ける試練がとても辛く、読んでいても胸が締め付けられるような部分もあるのだが、それを乗り越えてラストのエピローグへと向かう展開はとても感動的。

キングの『デッド・ゾーン』と似ている部分もあって、そのせいか、どちらも大好きな作品となった。


 
ボトムズ:ジョー・R・ランズデール:早川書房 20011111
あらすじ
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暗い森に迷い込んだ11歳のハリーと妹は、夜の闇の中で何物とも知れぬ影に追い回される。ようやくたどり着いた河岸で二人が目にしたのは、全裸で、体じゅうを切り裂かれ、イバラの蔓と有刺鉄線で木の幹にくくりつけられた、無惨な黒人女性の死体だった。地域の治安を預かる二人の父親は、ただちに犯人捜査を開始する。だが、事件はこの一件だけではなかった。姿なき殺人鬼が、森を、そして小さな町を渉猟しているのか? 森に潜むと言われる伝説の怪物が犯人だと確信したハリーは、密かに事件を調べる決心をする――
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今年のMWA(アメリカ探偵作家クラブ)賞の最優秀長編賞を受賞したとのこと。

舞台は、1930年代初頭、アメリカのテキサス州。11歳のハリーとその妹トムが、家の近くの森に迷い込み、そこで黒人の女の人の死体を発見するところから話が始まる。
二人は恐怖にかられ、森の中を彷徨い、その暗闇の森の中でゴート・マンと呼ばれる怪物(?)に出くわす。生きた心地もなく家に帰り着いた二人。その話を聞いた父親は、地元の治安官という立場もあり、捜査を開始。やがて残忍な殺人事件はそれが最初ではないことがわかり、犯人は誰か、というところから、事件は意外な方向へ…。

といったような内容。

この物語の時代設定が重要な意味を持つのだろう。家の回りには鬱蒼とした森が広がり、電気もガスも水道もないような場所では、人々は夜を怖がり、決して真っ暗闇な深い森の中に入っていこうとはしなかった。また、自然の恵みを大事にし、家族のつながり、会話を何よりも大事にしていた、そんな時代。暗やみに包まれた森は厳として存在し、人々は畏怖を持って、しかし、その森と共存しながら生活していたのだろう。

もう一つ、重大な問題が黒人差別問題。この物語でも黒人をニガーと呼び、黒人というだけで何の根拠もなく迫害するシーンがある。その事件をきっかけにハリーの父親が深く沈み込み、立ち直れなくなるほど傷つく場面もあるのだが、家族が結束して立ち直っていくのは感動的。

この物語は、どことなくロバート・R・マキャモンの『少年時代』を彷彿とさせたが、そちらが少年のノスタルジーを全面に押し出した感のある作品に対して、この『ボトムズ』は、夜の闇に潜む恐怖とそれと共存していた時代を描いた作品だと思う。ただ、どちらも家族愛は素晴らしい!


 
私が愛したリボルバー:ジャネット・イヴァノヴィッチ:扶桑社ミステリー 20011110
あらすじ
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ステファニー・プラムは30歳でバツイチ、ただ今独身。下着専門店でバイヤーとして働いていたが、会社が身売りに出されたため、やむなく失業の身に。背に腹はかえられないとばかりに飛びついた仕事はなんとバウンティ・ハンター(賞金稼ぎ)。保釈中の身でありながら裁判にも出頭せずに失踪した逃亡者を捕まえて警察に引き渡すというものだ。生まれて初めて手にしたスミス&ウェッソンを携えて、彼女は颯爽と犯罪者たちに対峙していく。CWA(英国推理作家協会)賞最優秀処女長編賞に輝いた傑作クライム・ノベル。
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原題をOne for the moneyという。つまり、お金のためやむなく、という雰囲気が出ていて、この小説のコンセプトがそのまま伝わるいいタイトルだ。
そう、ステファニーは、手っ取り早く大金を得られると言うので、この危険な仕事、バウンティ・ハンターになる。捕まえるのは何かしら犯罪を犯した奴らばかりなので、身の危険はつきもの。相手だってそう簡単には捕まらない。
事実、ステファニーは最初に依頼された仕事の逃亡者を捕まえるチャンスを何度も手にしながらその度に逃げられる。このやり取りはステファニーの未熟さゆえもあるが、相手が悪すぎる。なんてったって、元警官、しかも、自分の処女を捧げた相手なのだ。この二人の追跡劇が全体の話となっているのだが、裏切ったり協力したり出し抜いたり信頼したり。何ともあやふやな関係で、妙に可笑しい。

ステファニーは銃も与えられるのだが、もちろんそんなものは扱ったことが無く、ピンチでも使えず全くの役立たず。しかし、ある事件をきっかけに、銃を使うことを決意する。そして最後に…、という展開なのだが、決して重くなることもなく、最後まで軽快で痛快な物語だった。

そして、彼女の家族がまた愉快な家族なのだが、なかでもメイザおばあちゃんが最高。お茶目なんである。今後のシリーズでもこのおばあちゃんが活躍するらしいので、楽しみだ。


 
神々の山嶺(上・下):夢枕 貘:集英社文庫 20011105

あらすじ
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カトマンドゥの裏町でカメラマン・深町は古いコダックを手に入れる。そのカメラはジョージ・マロリーがエヴェレスト初登頂に成功したかどうか、という登攀史上最大の謎を解く可能性を秘めていた。カメラの過去を追って、深町はその男と邂逅する。羽生丈二。伝説の孤高の単独登攀者。羽生がカトマンドゥで目指すものは?
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なんとも熱い小説だ。ただ、山に登る、という、それだけを一直線に書いた小説と言える。と言っても、単純にそれだけではなくて、山岳ミステリーとも、冒険小説とも言える作品となっている。人はなぜ山に登るのか、この、答えのあるようでない質問に、やっぱりこの作品の登場人物達も悶え苦しむ。何のために山に登るのか、それほどまでに登る山に何の価値があるのか、結局、それは模範的な答えはないと言うことだ。本能としか言えないもの、そういうものに突き動かされて、山男は山に挑む。そういったことを改めて認識させられた物語だった。でも、それは決して理不尽なものではなくて、何となく、言葉では言い表せないけど同じ感情を理解できてしまう、そういった不思議な感覚を呼び覚ましてくれる本でもあった。

とまあ、肯定的なことも書いてきたが、どうも文章や日本人の浪花節的な表現や感情の起伏にちょっと興ざめになってしまうことがあったことも否めない。これは、ただ単に私個人の問題なので、それを意識しない読者ならば、とても楽しめる作品だと思う。何と言っても、1,000ページあまりの作品を一気に読ませてしまう力量はあるのだから。この辺は、夢枕獏の面目躍如、ということだ。

現在の日本人作家が書ける最高の山岳小説、とは言えると思う。


 
ウォーターシップ・ダウンのうさぎたち(上・下):リチャード・アダムズ:評論社文庫 20011020

あらすじ
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サンドルフォードに住むうさぎたち。彼らはそこで何不自由なく暮らしていた。しかし、ある日、ヘイズルの弟ファイバーが不吉な予感を察知し、それに同意した若いうさぎたちが、新天地を求めて旅に出る。苦労の末、ウォーターシップ・ダウンに辿り着いたうさぎたち。しかし、そこでの穏やかな暮らしも、ある重大な問題が残っていた。
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新しい村の長(おさ)となったヘイズル(ヘイズル=ラー)を中心に、うさぎたちの冒険が始まり、ワクワクドキドキしながら読んだ。彼らの活躍は、うさぎとはいえ、いや、うさぎだからこその胸躍る冒険活劇と言える。
ヘイズルの弟、予知者ファイバー、語り部であるダンディライアン、ちょっと引っ込み思案だけどみんなから好かれているピプキン(フラオ=ルー)、そして、勇敢な戦士(!)ビグウィグ、そしてそして、敵ながら天晴れな将軍ウーンドウォート。みんな、愛すべきうさぎたち。さらに、カモメのキハール。みんな、愛すべきキャラクター。

重大な問題とは、子孫を残すこと。そう、新天地に赴いたうさぎたちは、全部オスだったのだ。メスがいなければ、せっかく見つけた新天地も滅んでしまう。かくして、ヘイズルたちは、メスを探す旅に出る。そこで見つけた他の村。そして、そこを統治する将軍、ウーンドウォート。敵ながら、勇敢で知略に長けた猛者。こいつもいいキャラクターだ。

この物語は、食べる、寝る、遊ぶ、子孫を増やす、といったような、単純だけど、人間が忘れかけている何かを呼び覚ましてくれる、自然に対する伸びやかなゆとり、みたいなものを思い出させてくれる、自然への賛歌とも取れる作品。それが実に羨ましいのだ。

自然がこれほど素晴らしいものだということを、このうさぎたちによって知らされたような気がする。いやいや、そんなことはどうでもいい。とにかく、ウォーターシップ・ダウンのうさぎたちが羨ましい!

それにしても、ヘイズル、まさにナイスガイ。だけど、彼は誇り高き野ウサギ。決して人の世話にはならない。

最後にちょっと苦言。買って読んだのは、昭和55年発行の文庫本。日焼けしたのは仕方がないとしても、装丁が古すぎる。字も揃っていず、とても読みづらかった。これは、改定本を出せばずっと読みやすく、取っ付きやすい本になると思う。そうすれば、もっと万人が手にとって読んでみようかな、と思うんじゃないだろうか。


 
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