年間1万人もの交通事故死者を出す、この車社会、ニッポン。中には、本当に不可抗力でその犠牲になってしまった人もいるだろう。オレも、一年くらい前に、親戚の叔母さんを交通事故で亡くしたことがあり、決して遠い世界の話ではない。
例えば、あなたのもっとも大切な人がこんな事故に巻き込まれたとしたら、それでも不可抗力だったとあなたはあきらめることができるだろうか?
あなたの大切な人が何の気なしに歩道を歩いていたとする。そしたら、いきなり後ろから車が歩道に乗り上げて突っ込んできて、その大切な人を跳ねてしまい、死なせてしまったとしたら。しかも、その加害者は、無免許運転で飲酒運転、車は無保険車の状態で運転していたのを、検問に見つかり逃げようとしていた矢先の事故だったとしたら…。
しかも、現在の法律では、どんな悪質な事故だろうが、最高5年の懲役しか科せられないのだ。それでもあなたは不可抗力と思って諦めることができるだろうか。
本書の著者は、まさに上記のような状況で一人息子を亡くしたある女性の加入している「全国交通事故遺族の会」が、悪質なドライバーの引き起こした事故に対しての禁固刑の引き延ばしなどを訴える運動を行っていることを取材したことからこの本を書くことを決めたらしい。
第一章の「調査でわかった交通殺人の知られざる実態」では、実際に事故を起こした加害者の実態をさまざまな角度から検証し、事故を起こすドライバーは決まっている、と断言している。すなわち、事故を起こす人間は、起こすべくして起こしている、というもの。それはまさに「殺人」ドライバーと呼ぶにふさわしい。また、累犯性にも触れ、一度の失敗で懲りない、事故を軽視する風潮があることも見破っている。
第二章の「危険なドライバーを放置する社会システム」では、取り締まる警察、司法、行政などに目を向け、現在の甘すぎる交通事故の処分や、民間の車を取り巻くシステムに対して警鐘を鳴らしている。危険なドライバーがのうのうと暮らしていけるこの現実、簡単に車を買えてしまうシステムがあるからこういった事故が減らないのだということだ。
第三章「車依存社会からの解放」では、現代人には本当に車は必要なのか、依存しすぎているのではないか、車はもはや生活必需品ではなく玩具と化しているのではないか、と訴え、依存からの脱却を提案している。
全体を通して思ったことは、悪質なドライバーは確実に存在し、また、そういう人間はそうなるべくしてなったという資質も持ち合わせ、法に守られてまた免許を取得し(あるいは無免許で)、また同じ様な悪質な事故を繰り返すことが実際にあるというその恐ろしさだ。
ドライバーの意識の低さもさることながら、どんなに悪質でも最高5年という禁固刑はあまりにも短い。
せめて、この本を読んだ人だけでも、車の運転に細心の注意を払うことを誓えば、この本に書かれているドライバーのようにならないことを誓えば、多少でも交通事故は減ると思いたい。
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