ちょっとネタバレの部分があるかも知れませんが、あしからず。
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だれも知らない女:トマス・H・クック:文春文庫 20011020
あらすじ
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死体となっても、彼女はなおかつ美しかった。南部の都市アトランタ、空き地の夏草のかげで発見された若い女性はだれなのか? なぜ殺されたのか? 市警殺人課のフランク・クレモンズの心に、その女のことがこびりついて離れない。不思議なのは、これほど人目をひく美女なのに、だれも知らないことだ。興趣つきない犯罪都市小説。
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タイトルの『だれも知らない女』というのは誤解を招きやすい。また、上記のあらすじも的を射ていない。別に殺された彼女の素性が分からないわけではない。彼女が殺されるまでの行動がだれにも分からない、ということなので、この和文のタイトルは正直気に入らない。

それはさておき。
この物語の主人公、フランク・クレモンズの人物造形がいい。舞台は夏の暑いアトランタで、人々はみんなどこか倦怠感を漂わせているのだが、その情景に流されることなく、クレモンズが自己の信ずるやり方で捜査を行って行く。過去に娘が自殺し、妻とも別れ、一見人生に疲れを見せているようでいて、その心情はまだ警察官としての誇りを失っていない。その描写がまたそれほど押しつけがましくもなく、かといってハードボイルド的にシニカルやニヒルでもない。あくまでも自然にとけ込んでいる。ときどき挿入される過去の家族の話、同僚の過去の事件なども物語に深みを出している。

捜査の途中で知り合った、殺された少女の姉との交流も心が締め付けられるような感覚になる。その姉に次第に惹かれて行くクレモンズ。この二人の交流は、一服の切ない映画を観ているようだ。

全体的に静かな展開だが、引き込まれて読んだ。クレモンズにかなり感情移入できたせいだろう。街の情景、人物の造形、そういったものが生き生きと描写された作品だと思う。


 
梟の拳:香納 諒一:講談社文庫 20011014
あらすじ
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試合中、視力とともにチャンピオンの栄光は失われた。生きる目的を見失いあてどもなく時を過ごしていたボクサー、桐山拓郎。友人の不審な死をきっかけに、彼は出演していたチャリティー・ショーの背後にある黒い霧を感じ取る。見えない敵に徒手空拳で立ち向かう男の、人生の再起を賭けた戦いを描く冒険小説。
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冒険小説、とあるが、ミステリーだと思う。まぁ、ハードボイルドも少し入っているが、そちらの度合いは思っていたより少ない。それが不満と言えば不満。

主人公の「べらんめえ」口調に最後まで馴染めず、これはどうも誰かをモデルにしているらしい、と感じたが、案の定、赤井英和が半分モデルらしい。確かに彼のキャラクターに似ている気がする。といっても、赤井英和を主人公に見立てて読むと違和感あるけど。

一度頂点を極めた男が挫折し、あることから再起を賭ける、というのはありふれた話。この物語も、そういうプロットだけで見れば真新しさは感じない。強いて言えば、盲目の主人公の一人称形式で書かれているところが新鮮だったかも。

望んでいたのは、ハードボイルド的な、心を揺さぶられる物語だったので、そう言う意味では期待はずれだったのは否めない。実は、そちらに話が展開しそうな感じもあったんだけど。

チャリティー・ショーに秘められたある陰謀。実際こんな事が行われていたら、ぶっ飛びだろうなぁ。このチャリティー・ショーや会場となったホテルなど、現実のものをモデルにしているのは明らか。

とまぁ、不満の残る作品ではあったが、600ページを越える長編。飽きずに読めたのも事実。


 
殺人ドライバー:沼澤 章:WAVE出版 20011009
年間1万人もの交通事故死者を出す、この車社会、ニッポン。中には、本当に不可抗力でその犠牲になってしまった人もいるだろう。オレも、一年くらい前に、親戚の叔母さんを交通事故で亡くしたことがあり、決して遠い世界の話ではない。

例えば、あなたのもっとも大切な人がこんな事故に巻き込まれたとしたら、それでも不可抗力だったとあなたはあきらめることができるだろうか?
あなたの大切な人が何の気なしに歩道を歩いていたとする。そしたら、いきなり後ろから車が歩道に乗り上げて突っ込んできて、その大切な人を跳ねてしまい、死なせてしまったとしたら。しかも、その加害者は、無免許運転で飲酒運転、車は無保険車の状態で運転していたのを、検問に見つかり逃げようとしていた矢先の事故だったとしたら…。
しかも、現在の法律では、どんな悪質な事故だろうが、最高5年の懲役しか科せられないのだ。それでもあなたは不可抗力と思って諦めることができるだろうか。

本書の著者は、まさに上記のような状況で一人息子を亡くしたある女性の加入している「全国交通事故遺族の会」が、悪質なドライバーの引き起こした事故に対しての禁固刑の引き延ばしなどを訴える運動を行っていることを取材したことからこの本を書くことを決めたらしい。

第一章の「調査でわかった交通殺人の知られざる実態」では、実際に事故を起こした加害者の実態をさまざまな角度から検証し、事故を起こすドライバーは決まっている、と断言している。すなわち、事故を起こす人間は、起こすべくして起こしている、というもの。それはまさに「殺人」ドライバーと呼ぶにふさわしい。また、累犯性にも触れ、一度の失敗で懲りない、事故を軽視する風潮があることも見破っている。

第二章の「危険なドライバーを放置する社会システム」では、取り締まる警察、司法、行政などに目を向け、現在の甘すぎる交通事故の処分や、民間の車を取り巻くシステムに対して警鐘を鳴らしている。危険なドライバーがのうのうと暮らしていけるこの現実、簡単に車を買えてしまうシステムがあるからこういった事故が減らないのだということだ。

第三章「車依存社会からの解放」では、現代人には本当に車は必要なのか、依存しすぎているのではないか、車はもはや生活必需品ではなく玩具と化しているのではないか、と訴え、依存からの脱却を提案している。

全体を通して思ったことは、悪質なドライバーは確実に存在し、また、そういう人間はそうなるべくしてなったという資質も持ち合わせ、法に守られてまた免許を取得し(あるいは無免許で)、また同じ様な悪質な事故を繰り返すことが実際にあるというその恐ろしさだ。
ドライバーの意識の低さもさることながら、どんなに悪質でも最高5年という禁固刑はあまりにも短い。

せめて、この本を読んだ人だけでも、車の運転に細心の注意を払うことを誓えば、この本に書かれているドライバーのようにならないことを誓えば、多少でも交通事故は減ると思いたい。


 
奴らは渇いている(上・下):ロバート・R・マキャモン:扶桑社ミステリー 20011008

あらすじ
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最近、ハリウッドの墓地では、墓が掘り起こされ、棺桶が盗まれるという怪事件が発生していた。この知らせを聞いた警部パラタジンは慄然とする。彼が子供の頃ハンガリーで体験した吸血鬼騒ぎと同じだったからだ。
アメリカの最先端を行くロサンゼルスに吸血鬼が? しかし謎のプリンス・コンラッド・ヴァルカン率いる一大勢力はすでにこの巨大都市を制圧しようとしていた――。
モダンホラーの最新鋭ロバート・マキャモンが恐怖小説永遠のテーマ<吸血鬼>に新風を吹き込んだ超大型冒険小説!
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面白く読めたが、どこか物足りなさが残った。それは何かと考えると、どうも吸血鬼の怖さにあるのだと思う。この物語に出てくる吸血鬼が怖くないのだ。まぁ、そこそこ恐怖心は煽られるのだが、その手段がありふれているかも。日光、十字架、ニンニク、心臓にさされる杭に弱い。ただし、ちょっとの痛手では死なない。こういった常套手段はこの物語でも生きていて、それは構わないのだが、なんかもの足りない。吸血鬼のカリスマ性というか、圧倒的な存在感みたいなものが感じられなかった。それから、矛盾するかも知れないけど、吸血鬼であるが故の悲哀、も見せて欲しかったというのは欲張り過ぎか。

途中の砂嵐やクライマックスでの○○など、ちょっとこの物語にそれはないだろう、的な展開も馴染めなかったかも。
ロサンザルスという大都会を舞台にした、というのも個人的にはどうかと思う。やっぱり封鎖的な世界での話が合うでしょう、吸血鬼モノは。

なお、この物語は、キングの『呪われた町』に影響を受けた作品らしいのだが、個人的には『呪われた町』の方が吸血鬼物語として面白い。


 
朗読者:ベルンハルト・シュリンク:新潮クレスト・ブックス 20010920
あらすじ
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学校の帰りに気分が悪くなった15歳のミヒャエルは、母親のような年の女性ハンナに介抱してもらい、それがきっかけで恋に落ちる。そして彼女の求めに応じて本を朗読して聞かせるようになる。ところがある日、一言の説明もなしに彼女は突然、失踪してしまう。彼女が隠していたいまわしい秘密とは何だったのか……。
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時は1960年代(?)70年代(?)。場所はドイツ。15歳の少年ミヒャエルと36歳のハンナの恋。
二人はふとしたことから知り合い、いつしかお互いにのめり込んでいく。それは、後先を考えないその時限りの恋かも知れないが、お互いに先のことなどは考えていない。ハンナが次第にミヒャエルとの逢瀬に対して刹那的なものを感じ、追い詰められていくようだ。
そんな中、ハンナが突然ミヒャエルの前から姿を消す。それから数年。ミヒャエルはある場所でハンナと再会する…。

二人が逢瀬を重ねているときに、ミヒャエルが偶然ハンナに本を読んで聞かせてあげたところ、ハンナはとても喜んで、もっといろいろな本を読んで欲しいと頼む。また、あるときは、ミヒャエルが残したメモに気づかず、ミヒャエルがどこかに行ってしまったのではないかと恐れ、激怒するハンナ。二人の頼りない関係を象徴している出来事のようにも思えるが、根はもっと深いものだった。

ハンナが示したかったもの、あるいは知られたくなかったもの、この二つはあまりにも隔たりがあり、そうまでして秘密を守ろうとしたその奥底には何があったのか、は知る由もない。自尊心やプライド、劣等感など、いろいろな要素があったのだろうが、この「時代」、というのも大きなファクターだろう。

二人の恋物語とその結末は、村上春樹の『ノルウェイの森』を思い出させた。静かに、そして悲しく切ない恋物語だ。


 
東の海神 西の滄海:小野不由美:講談社X文庫 20010915
あらすじ
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「国がほしいか?ならば、一国をお前にやる」
これが、雁州国延王・尚隆と、延麒・六太とが交わした誓約だった。
民らが、かつての暴君によって廃墟となった雁国の再興を願い続けるなか、漸く新王が玉座に就いたのだ。それから二十年をかけて、黒い土は緑の大地にと、生まれ変わりつつある。
しかし、ともに幸福を探し求めたふたりのこどもの邂逅が、やがて、この国と王と麒麟と民との運命を、怒濤の渦に巻き込んでいく!!
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十二国記の第3巻、今回は雁(えん)国の話。延麒である六太が選んだ王・尚隆は、国の興隆にあまり興味が無く、好き勝手なことを行い、側近などから不興を買う。それでも、一向に国政に興味を持たない尚隆。
そんな中、その王に不満を持つ分子が現れた。いわばクーデター。この辺の話は、どうものんびりした展開で、まったく危機感というか、緊張感・緊迫感が感じられない。
今回の話は、六太と尚隆の信頼関係というか麒麟と王の関係、また、六太と反乱軍の更夜との邂逅・葛藤などがメインである。

3巻目ともなると、さすがに新鮮味がなくなったな、というのが正直なところ。麒麟が王を選ぶ、というそのシステムは面白いのだが、あまりにそこに固執しすぎていないか?いくらそう言う決まりだからといっても、説得力には欠ける。だから、尚隆の側近が、反乱軍を誹る場面でも、納得はできないんだよね。

また、尚隆の言動にも目に余るものがある。あまりにも何もしなさすぎ。こんな王はちょっと非現実的ではないか?

ということで、今回の作品はあまり面白く読めなかった。また、今後も麒麟と王の話に終始するようであれば、ちょっと発展性には欠けるだろう。次回作はどうなんだろう。


 
極大射程(上・下):スティーヴン・ハンター:新潮文庫 20010910

あらすじ
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ボブはヴェトナム戦争で87人の命を奪った伝説の名スナイパー。今はライフルだけを友に隠遁生活を送る彼のもとに、ある依頼が舞い込んだ。精密加工を施した新開発の.308口径弾を試射してもらいたいというのだ。弾薬への興味からボブはそれを引き受け、1400ヤードという長距離狙撃を成功させた。だが、すべては謎の組織が周到に企て、ボブにある汚名を着せるための陰謀だった……。
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面白い、最高に面白い。手放し。今年の一番。

伝説の名スナイパー、ボブ・リー・スワガー。あくまでもストイックで、どんな危機に瀕しても冷静沈着。
とにかく、息をも継がせぬほどにストーリーが展開する。その度に危機に陥るボブだが、それをことごとく脱する。その手口は、銃(ライフル)による有無をも言わせぬ掃討だったり、巧妙なトラップだったりするわけだが、それが痛快。
全編に渡ってハラハラドキドキする場面の連続で、途中で読むのを止めるのが困難なくらい。それほどにスピーディーな展開で、クライマックスの連続。かといって、決して疲れるかというとそうでもない。ボブのやり方が気になって仕方がないのだ。そして、見事に成功すると快哉を挙げる、ということになる。
最初は孤独なボブだが、やがて相棒や恋人もでき、その人たちとの絆もまた静かに熱いものがある。特に、この物語のもう一人の主人公と言っていい、ニックの活躍も目が離せない。ボブに接するうちに、次第に成長していくニックの姿も目に焼き付くことだろう。

最大のクライマックス、ウォシタ山脈での対決、また、最後の法廷のシーン、この100ページあまりの展開は、途中で止めることができなかった。

ボブをハリソン・フォードが演じて映画でも作ってくれないかなぁ。脚本にもよるが、かなり面白いと思うのだが。


 
風の海 迷宮の岸(上・下):小野 不由美:講談社X文庫 20010831

あらすじ
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麒麟は王を選び、王にお仕えする神獣。金の果実として蓬山の木に実り、親はいない。かわりに、女怪はその実が孵る日までの十月を、かたときも離れず、守りつづけるはずだった。しかし、大地が鳴り、大気が歪む蝕が起きたとき、金の実は流されてしまった! それから十年。探しあてた実は、蓬來で"人"として生まれ育っていた。戴国の王を選ぶため連れ戻されたが、麒麟に姿を変える術さえ持たぬ泰麒――幼い少年の葛藤が始まる!
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面白い。このシリーズは面白い。

今回は、前作の『月の影 影の海』の続編となっているが、ストーリー的には、前作の少し前の時代を扱ったもので、主要登場人物も異なる。このシリーズは、それぞれの国の主要な人物を毎回主人公にして、それぞれの回を一話完結という形で続くのだろう。その中で、この十二国という国の成り立ちや隆盛・衰退などを壮大な時代の流れの中で書き記していくものと思われる。
そう言う意味では、今回の泰麒を主人公とした話も、戴の国の王様選びというプロットの中に、この独特の世界を作り上げてそこにどっぷり浸かることができる作品だ。

泰麒は蓬來で生まれ育ったために、本来の麒麟としての能力を発揮できない。その悩み・葛藤が、幼い泰麒に重くのしかかり、それが痛いほどに伝わる。そして、ラストの展開。目くるめく十二国ワールドが待ちかまえている。

一つ気になったのは、泰麒があまりにも脆い、幼い、ということ。この脆さ・幼さははたして10歳の男の子として普通だろうか。あまりにも他のものに頼りすぎているような気がする。但し、この設定も、小野不由美の計算ずくではないかとも思う。

麒麟という存在。黄海の意味。蝕。蓬來。その他この国のルール。すべて小野不由美の十二国記のキーワード。これからの展開が楽しみな作品だ。今度は誰が主人公となるのだろう?


 
はみだし者の海戦:デューイ・ラムディン:徳間文庫 20010829
あらすじ
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1780年、17歳のアラン・リューリーはロンドンで、酒に女にギャンブルにと何不自由ない青春を謳歌していた。ある日、彼は異母姉に誘惑されてベッドインしたところを父に見つかり、罰として地獄の英国海軍へ叩き込まれてしまう。しかし、右も左もわからないアランもやがて海軍生活に順応し、アメリカ独立軍との激しい海戦に活躍する。英米で大人気の青春海洋シリーズ第1弾!
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時代設定がいい。今から200年以上も前の物語。当然、習慣や風潮、文化もまったく現代と異なり、また当時のイギリスなど知る由もない分、楽しめる。
主人公アランは、父親らの奸計により、イギリス海軍に士官候補生として乗り込み、そこで海の生活を嫌と言うほど叩き込まれる。慣れない帆船での生活。知らない専門用語のオンパレード。同僚や上司の嫌がらせ、叱咤激励など。
しかし、持ち前の明るい性格と、へこたれない根性持ちのアランは、次第に自分の力で運命を切り開いていく。その過程が楽しい。アランは結構したたかで、鼻持ちならない部分もあるが、それもご愛敬だろう。

今回は、大西洋でのスペイン軍との戦いなどが書かれているが、この後も胸沸き踊る剣劇、海戦、恋物語がまっているという。特に、これからの展開は、アメリカ独立軍との海戦がメインということで、今後の展開がますます楽しみだ。惜しむらくは、このシリーズ本がなかなか見つからないこと。

この物語で、アランが最後に最大の危機に陥るが、それをどう乗り切るかは次回以降に持ち越された。この部分だけでも非常に気になり、次回作を読みたくなる道理だ。


 
月の影 影の海(上・下):小野不由美:講談社X文庫 20010818

あらすじ
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「あなたは私の主(あるじ)、お迎えにまいりました」
学校に、ケイキと名のる男が突然、現れて、陽子を連れ去った。海に映る月の光をくぐりぬけ、辿りついたところは、地図にない国。そして、ここで陽子を待ちうけていたのは、のどかな風景とは裏腹に、闇から躍りでる異形の獣たちとの戦いだった。
「なぜ、あたしをここへ連れてきたの?」
陽子を異界へ喚んだのは誰なのか? 帰るあてもない陽子の孤独な旅が、いま始まる!
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正直に言って、最初にこのあらすじを読んだときは、ちょっと抵抗があった。ヤングアダルト的な、十代の世代が好んで読みそうな感じがしたからだ(まぁ、実際そうなんだろうけど)。
事実、出だしはそうだ。何気ない学校の描写。授業風景。友達との会話。そこには、40歳の人間が入り込むには気恥ずかしさがつきまとう。
しかし、陽子が異世界に連れ去られ、そこで生き延びていく過程を読むうち、そんなことは気にならなくなった。まぁ、学校が舞台になっていない、というのもあるのだが。
その異世界は、架空の中国という、ちょっとややこしいけど、要は中国をモデルにしたファンタジーだ。妖魔が跋扈し、半獣半人が当たり前の世界。
陽子はここで、一人取り残され、右も左もわからず、誰かを頼る。とにかく、誰かを頼って、その人を信じるしかない。しかし、待っていたのは、裏切り。親切にしてくれる人達は、ことごとく陽子を裏切る。それは陽子を人間不信にし、心を荒ませる。誰も信じられない世界。これはつらい。
そんな陽子にもようやく仲間と呼べるものができる。名前を楽俊。ねずみ様の半獣半人だ。この楽俊と雁(えん)の国に渡り、そこの王とまみえる。そこで陽子はある決断を迫られる。

何と言ったらいいのか、とにかく想像力をかき立てられる物語だ。登場人物達が生き生きしていて、次回作がとても気になる。雁国の王の成り立ち、麒麟と呼ばれる生き物の正体、また、陽子のこれから。その他の国の話。話が幾重にも広がりそう、そんな期待を抱かせる導入編であった。純粋に続きを読んでみたい、そんな風に感じた作品。


 
不眠症(上・下):スティーヴン・キング:文藝春秋 20010809

あらすじ
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舞台は『IT』でおなじみのメイン州デリー。70歳の老人ラルフ・ロバーツが、妻に先立たれたあと不眠症に悩まされ始める。目の覚める時刻が次第に早くなり、睡眠時間がどんどん削られていくのだ。やがて彼は、幻覚に似た不思議な光景を見るようになる。見慣れた町が鮮やかな光彩を帯び、周囲の人々を包み込むオーラをはっきりと知覚できるようになるのだ。そして或る夜、彼は薄闇の街角にたたずむ不気味な生命体を目撃する。それは、刃渡りの長いハサミを持ったチビでハゲの医者とおぼしき姿だった……。
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この物語で特筆すべきは、主人公が70歳の老人であるということ。最初は勇気も力もなかなか湧いてこず、当たり前のようにごく普通のおじいさんなのだが、やがてある能力を得ることにより、仲間と力を合わせ悪に立ち向かっていく。そう、まるで『IT』の少年たちのように。そう言う意味では、この小説を「老人版『IT』」と表現したことはあながち間違いではないかも。

ラルフには仲間が出来る。それは自分より少しだけ若いロイスというおばあさん。こちらも未亡人。でも、太っていることが玉にキズ。なのだが…。このロイスとラルフの恋物語(!)も見逃せない。だんだんラルフがダンディで格好良い男に変わり、ロイスも恋する女に変わって行く。しかも可愛い。

二人は事件後結婚する。そして本編は終わる。しかも、あの不思議な能力はやがてラルフとロイスから消えていき、二人の記憶からも消える。そして二人は本当の安息を得る。しかし、不気味なタイトルの長いエピローグがこの後に続く。後は読んでのお楽しみ。

正直に言って、久々に面白いキング作品だった。

余談だが、この物語の中にもキングの他の作品の登場人物たちが名前だけ登場する。それは、『IT』のベン・ハンスコムだったり、『暗黒の塔』シリーズのローランドだったり。特に、『IT』とは同じ町を舞台にした話なので、奇妙にリンクしている。また、『骨の袋』を連想させる「死の袋」という言葉もよく出てくるし、『骨の袋』に登場した母子を彷彿とさせる母子も重要な役で登場する。この辺のパラレル・ワールドは、キングお得意のものである。


 
きんぴか:浅田 次郎:飛天文庫 20010728
あらすじ
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敵総長の命(タマ)を上げて十三年ぶりにシャバに戻ったがちがちのヤクザ。湾岸派兵に反対し、単身クーデターを起こしたあげく自決未遂の元一等陸曹。大蔵省主税局から議員秘書へ、そして収賄で挫折したエリート官僚。価値感も常識もまるでバラバラなこの三人が、何の因果かトリオを組んで、世の中の悪党を懲らしめることになったから、さぁ大変!! 何が善なのか!?
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この三人の小悪党が、巨大な悪に挑むという話。元々三人とも一本気のある男達で、いわば銭形平次みたいな勧善懲悪に近い話である。そこが痛快。あるいは、現代版鼠小僧次郎吉か。無骨な性格で、世渡りが下手なところが似ている。好感が持てる。
三人のエピソードから始まり、そして出会い、何となく意気投合する。その掛け合いが面白い。ストーリーは、当然のごとく、それぞれの境遇における復讐みたいなもの。元ヤクザの「ピスケン」こと阪口健太は一億円をばらまいてみせる。元自衛官の大河原勲は、元上司にマスコミの前で「決起趣意書」を読ませてしまう。自衛隊という組織の崩壊に近い。元エリート官僚の広橋秀彦は、次期首相と目される男の収賄事件を暴露する。
それぞれ人間性に溢れていて、決して嫌味でもないし、ことさらドラマティックでもない。でも、痛快。

最終章はちょっと変わっていて、長めのエピローグといった感じ。広橋がハッカーと出会い、そのハッカーにあることを依頼する。その願いは叶い、一つの巨大企業が崩壊する。このさまはスリリングだ。なお、最後にちょっとしたどんでん返しがあるのだが、騙されたというよりも、あっけらかんと爽快だった。


 
あやしい探検隊 焚火酔虎伝:椎名 誠:角川文庫 20010724
あらすじ
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強風とカラスに大襲来された神津島。わはははは笑いと唄がわき出る南九州の温泉。富士山を前に"人生の締切り"について考えた元日の朝。こよなく静かな大地の懐、大雪洞のなかでチゲ鍋をかこむ北海道の夜。
隊長椎名誠と"あや隊"の面々は自然との原初的な出会いを求めて、思いつくまま海・山・川へ。波見とキャンプと焚火を愛する男たちの夜は、心地よい疲れと酔いとともに正しくあやしく、しみじみと更けていくのであった――。
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相変わらずのあや隊たちが日本全国あちらからこちらへ。冬の凍った滝を登ったり、雪洞を掘ってみたり、はたまた南国の海に何もしない旅に出かけたり。
今回は焚火がキーワードなので、その辺の話を期待していたのだが、さすがに極寒の雪の中では焚き火は合わない。その代わり、最終章の沖永良部島に出かけていく話は羨ましかった。南国の海、時間が止まったような風景。そして夜の焚き火。満天の星。
面白かったのは、その宴会の模様をテープレコーダーに録ってあったらしく、その再現シーンを綴った箇所。男たちは酒に酔い、正しく酔っぱらっていったのだ。ああ、羨ましい。


 
戦慄!「プ」業界用語辞典:夢枕 貘:講談社文庫 20010720
あらすじ
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プロレスとは、人生そのものであり、人生とは、プロレスのごときものである、という倫理に到達した偉大なる作家であり、比類なき冒険家である夢枕貘が、全人類に捧げる前代未聞の怪著。一読、眠れなくなる恐怖の物語、巨人のハートの意外な繊細さ等々、いしかわじゅんの名画と共に描く抱腹絶倒のエッセイ。
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これを読んでつくづく思ったのは、やはりジャイアント馬場ってのはいろんな意味でホントに偉大だったんだなぁ、ということ。あれだけの存在感・キャラクターはもうプロレスの世界では出てこないだろう。馬場というと思い出す、あのユーモラスな肢体。動き。ファンの「おぉっ!」というどよめき。でも、昔はホントに強かったのだ。32文キックだって、昔は最強の必殺技だったのだ。その強かりし頃の馬場を知らないというのは、残念なことなのだ。
その、馬場の全盛期・プロレスの全盛期を知らない人には、この本の本当の楽しさは伝わらないだろう。


 
四人はなぜ死んだのか:三好万季:文春文庫 20010625
あらすじ
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中学の夏休みの理科の宿題で、和歌山の「毒入りカレー事件」を取り上げた15歳の少女は、インターネットを駆使した調査と綿密な分析によって、やがて驚くべき結論に辿り着く――「犯人は他にもいる」。文藝春秋読者賞を史上最年少で受賞、「天声人語」他各紙誌で絶賛を浴びた話題作。著者の「その後」を描く書き下ろしも収録。
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当時中学3年生であった著者が書いたにしては、その整然とした文章力に圧倒させられる。
自分が中学3年のとき、こんな理路整然とした文章なんて書けなかった。今でも書けないと思う。
ただ、そこはやはり若さの先走りと言うか、背伸びをしてるように感じられる書き方もある。普段使わないであろう言葉使いなども頻繁に現われ、読んでいるこちらが恥ずかしく感じるくらい。もう少し日常的な言葉使いがあってもいいように思う。

ただ、それでもやはりこの少女はすごいと思う。
内容もさることながら、これだけの文章を書けると言うことが驚きであり、今後が楽しみな作家でもある。

内容は、今更書くまでのないことかも知れないが、簡単に。
和歌山園部地区で起こった毒入りカレー事件。当初は食中毒と診断され、その後青酸中毒、砒素中毒と二転三転と診断が変わり、その結果、助かったかも知れない四人の犠牲者に対して、これは情報を正確に判断できなかった医療機関・警察のミスではないのか、と疑問を投げかけた論文。
作者は、発表された内容から、そもそも食中毒という診断に疑問を持ち、その後の患者の状況などから、インターネットで検索し、食中毒でも青酸中毒でもないことを発見。素人の自分に見つけることができたことが、なぜ専門の人が見つけられなかったのか、というもっともな疑問を投げかけている。

第1章はそのレポート。第2章、第3章は続編。そして、第4章はちょっと趣を変えて、3章を書いた後から現在までの作者の近況といったところ。
1章〜3章は上でも書いたように、作者の力量を見せ付けられる作品。4章はエッセイのようなもので、こちらの方が力が抜けて読めて面白い。
これも、1章〜3章のレポートがあるからこそ楽しめるのであるが。

今後の彼女の活躍が期待できる、そんな希望を抱かせる作品であった。
付録の「シめショめ問題にハマる」は、屁理屈のオンパレードのような気がしなくもない。
でも、こういう好奇心が必要なんだろう。


 
魔法の猫:スティーヴン・キング他:扶桑社ミステリー 20010621
あらすじ
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4000年にわたって人間と共存しながら、いまだに謎めいた雰囲気を漂わせる不思議な生きもの――猫。われわれの想像力を刺激してやまないこの動物をテーマに書かれた膨大な小説のなかから、現代を代表する猫ストーリーを厳選。S・キング幻の単行本未収録作品をはじめ、ファンタジー、ホラー、SFの多彩な分野から集まった、かしこい猫、かわいそうな猫、こわい猫、たのしい猫が繰り広げる大饗宴!
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猫が主要な役割を果たす短編を集めたアンソロジー。目当てはもちろん、スティーヴン・キングの『魔性の猫』。キングらしい作品で、それが却ってその作品集の中では異色。他の作品が大人しいものになっている。

『猫の子』『魔女と猫』が面白い。『猫の子』は寓話としてほのぼのしんみりさせる作品。『魔女と猫』は猫の活躍が、猫らしくて愛らしい。猫好きには好かれる作品ではないだろうか。

他は特に目立って面白いと思ったものはなかった。まったく内容が理解できずに読み終えた作品もあった。SF作品やミステリ作品もあったが、盛り上がらないうちに終わってしまった感じ。この辺のジャンルは、日本人が書いた作品の方が面白いかも知れない。

人間の言葉を話す猫というシチュエーションが結構多かった。それはそれで展開的には面白いのだが、やはり猫は神秘的な方がいい。あの、クルクル変わる猫の目に見つめられるだけで、ソワソワしてしまうのは何故だろう?それは、見つめる側の人間の心が反映していて、不安になるのかも知れない……。


 
涙はふくな、凍るまで:大沢 在昌:朝日文庫 20010609
あらすじ
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坂田勇吉、28歳。食品会社の宣伝課勤務。ちょっと気弱で人のいい、ごく平凡な会社員である彼の行くところ、常にトラブルが巻き起こる。前回の大阪出張で、なぜか極道と渡り合うことになった坂田の今回の敵は、ロシアマフィア! 極寒の北海道で、彼の運命や如何に――?
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前作の『走らなあかん、夜明けまで』の続編。今回は舞台を冬の北海道に移し、またまた坂田が事件に巻き込まれる。展開としては、前回のパターンを踏襲し、特に真新しい部分はない。ので、安心して読める分、物足りなさも残る。

ストーリーはいたって単純。坂田が小樽の港で出会ったロシア人の女を助けようとしたことから、その女を追っていた別のロシア人に拉致される。危うく冬の北海道の海に捨てられるところを、ある男に助けられる。その命の恩人の依頼により、稚内まである人物に合うことになったのだが、そこでもまた例のロシア人につけ狙われることになる、と言った内容。

坂田が前作よりちょっと逞しくなり、ハードボイルドの主人公らしさも覗かせるが、所詮サラリーマン。相変わらず、小市民的に怯える、震える、挫ける。そこが面白さのポイント。

最後に、坂田の目から涙がこぼれる。このシリーズらしい終わり方。

札幌から稚内へのバスによる移動の描写が面白い。冬の北海道の情景がよく書けていると思う。


 
悪童日記:アゴタ・クリストフ:早川書房 20010605
あらすじ
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時代は第二次世界大戦末期から戦後にかけての数年間、場所は中部ヨーロッパ、より正確には、当時ドイツに併合されていたオーストリアとの国境にごく近い、ハンガリーの田舎町と思しい。戦禍はなはだしく飢饉の迫る都会から、ある若い母親が双生児の息子二人を田舎に住む自分の母親、つまり息子たちの祖母の家に疎開させる……。
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とてつもない小説。少年が書いたという設定からは想像を絶する内容だ。あまりにも、無感情。彼らがそのように変わっていってしまうのは、戦争と言う極限状況のせいなのか。

彼らをとりまく環境は劣悪。その狂った戦時中の倫理が彼らにも影響し、まだ幼い子供が老成して行く。その過程を日記として淡々と描くその生活は、恐らく凄まじく悲惨なものだと思われる。それを、鍛錬と称して克服していく双子。そして、見事なまでにしたたかに生き抜く。

しかし、彼らは何とも思わないのだろうか。哀しい、嬉しい、口惜しい、楽しい、そういった感情を持ちたいと思わなかったのだろうか。それとも、意識するしないに関わらず、その感情を捨ててしまったのだろうか。

彼らは可哀想だと思う。しかし、彼らにとっては可哀想だと思われることが心外なのかも知れない。

映画「禁じられた遊び」に通ずる部分があるようだ。それは「残酷」という感情だろうか。


 
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