日ごろ感じたことやアウトドア関連・スポーツ・愛機iMac,iBookのことなど、
不定期に(ほぼ毎日)とりとめもなく書いています。
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2003年3月31日(月)桜は今週一気に通り過ぎそうだ。
なんか、一気に気温が上昇し、いきなり春爛漫、という感じである。先週までコートを着ていたけど、今日はもう、コートなんか暑苦しくて着ていられない、そんな陽気だった。

それに伴って(なんか、画一的でイヤなフレーズだな)、桜も一気に開花。昨日までショボショボしてたのが嘘みたいに元気だ。今週、駆け足で桜が咲き、そして、一気に散ってしまうのだろう(まあ、今週中に一気に散ることはないだろうけど)。そんな桜の花に、みんな踊らされて狂ってしまうのだな。

かくいう自分もその口である。それがまた楽しみだったりするのだ。桜の花には、そんな魔力がある。


 
2003年3月30日(日)自転車で散策する、ということ。
今日も、昨日に引き続き、写真撮影の旅に出たのであった。
といっても、思ったほど気温が上がらなく、朝11時頃の気温が13度くらい? あまり暖かいという感じではなく、むしろ肌寒く感じた。
そんな天候なので、昨日とあんまり変わらなかったというのが実情だ。桜はあくまで慎ましく、つぼみのままでこちらを迎え入れ、あくまでも、こちらに迎合する気はないらしい(当たり前か)。
でも、自転車で出かけるといろいろな場面に対処できてすごくいい。ゆっくり走っていると、時々左右の道ばたなんかに華やかな色を見つけることがある。それを見逃さず、とっさに道を戻ってそちらの方に方向転換する。そうすると、思わぬ花畑が広がっていたりする。そういうシーンに対応できる手段として、自転車が今一番気に入っている。

何と言っても、ゆったりのんびり自転車で二時間くらい散策する、その時が一番リラックスできて最近のお気に入り、なんである。


 
2003年3月29日(土)写真撮影は楽しい。
最近の土日の過ごし方として、昼間晴れていれば写真撮影に出かける、ということが習慣になっている。これも、新しく買ったデジカメを使うことが楽しいからだ。

ということで、今日も写真撮影に出かけた。ただ、今日は、天気的にはあまりパッとせず、映えない光状態だった。花もすぼみ気味。気温も低かったし。

そんな中、ちょっと目にしてしまったある光景。
それは、(お墓があるから)お寺(?)の境内に咲きほこっている、見事な桜の木。しかも、普通のソメイヨシノではなく、どうやらしだれ系(そんなのあるの?)の桜なのだ。支えがないと枝が折れてしまいそうな、そんな桜の木に花が咲いていた。実際、支えがいっぱいだった。

今日の天気と気温では、満開とまではいかなかったが、なかなかの見応え。昼間撮影し、今晩からライトアップも行うと言うことで、夕方も撮影にお邪魔した。

夕方の、三脚を利用しての撮影は久しぶり。こういったこともまた楽しい。
明日も、写真撮影に出かけよう。


 
2003年3月28日(金)やっぱりつまらないプロ野球
今日からプロ野球が始まったわけだが。

巨人は負けたようだ。ようだ、というのは、途中で見るのを止めたからなんだけど、途中経過を見てもお粗末だねえ。特にペタジーニのライト守備。
強力打線を組むために守備位置を無視した補強。そのツケが緒戦から廻ってきたような展開だった。やっぱり野球もそうだけど、スポーツは一つのことだけ秀でていてもダメなんだよ、この時代。特に、野球は走・攻・守全てに秀でた選手がこれからも活躍するんじゃないかと思うのであった。

そういう意味では、原監督は苦渋の選択を迫られそうだ。しかも、初戦から。


 
2003年3月27日(木)プロ野球は明日開幕、だが。
明日から日本のプロ野球が開幕するわけだけど、何というか、自分の中で全然燃えないのだ。興味がなくなったというか、どうでもいいというか。

元々巨人のファンだった。いや、である。強い巨人が好きだった。その象徴が、今の松井や上原だったんじゃないかと思う。松井が打って、上原が快刀乱麻の活躍で打者をバッタバッタとなぎ倒す、そんな野球が好きだった。
その、強い巨人の象徴である一方の雄、松井が日本のプロ野球を離れた。彼は今、アメリカで、それこそルーキーのようにがむしゃらに頑張っている。レギュラー取りに懸命な姿が、ものすごく新鮮。

てなわけで、日本のプロ野球には燃えないのだ。今はMLBに注目。従って、明日のプロ野球開幕も、自分の中では何となく成り行き任せ、なのである。

戦争がなければ、日本でMLBの開幕戦が見られたのにねえ…。


 
2003年3月26日(水)南北戦争?!
この時期、「戦争」という言葉はむやみに使いたくはないけど、こちらは血の流れない「戦争」と言うことで。

まず、以下は、「何の日Anniversary」より。
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●北越急行ほくほく線について
「ほくほく線」は上越線六日町駅と信越本線犀潟駅(直江津駅の隣)とを結ぶ鉄道です。それまで、富山・石川から東京へ行くには一旦長岡まで出る必要がありましたが、この路線の開業により所要時間が大幅に短縮されました。現在では、北陸方面からほくほく線を通過して上越新幹線の停車駅である越後湯沢まで走る特急「はくたか」が一日十往復以上走つてゐます。「ほくほく線」と云ふのは「北越北線」を略したものであるのですが、現在では「ほくほく線」が正式名称となつてゐます。「北越北線が正式名称でほくほく線は愛称」と誤つたことを書いてゐる本やサイトもありますので注意しませう。
北越北線と云ふのは計画時の名称です。北線があるなら南線もあるのですが、北線と南線を繋げて1本の路線にすると云ふ形ではなく、北越南線は北線と完全に並行する路線(直江津〜松之山〜越後湯沢)でした。こんなのを両方作る訳には行かないので、どちらか片方だけを作ることになりましたが、両線の沿線の自治体の間で激しい誘致合戦が繰広げられ、「南北戦争」とまで言はれたとのこと。結局、距離の短い北線が作られることになり、南線は、北線完成後に北線から分岐して松之山へ向ふ路線として作られることになりました。が、「国鉄再建法」により北越北線の工事が凍結。この路線を引き受ける第三セクター会社「北越急行」を設立して工事を再開しましたが、この路線が北陸と東京を結ぶ最短経路になると云ふことで、高速運転が出来るやうに全線高架で作られました。現在、(新幹線を除く)日本の鉄道では最高速となる160km/hでの営業運転を行つてゐます。但し、全区間単線です。
今は「はくたか」が何本も通過してゐて北越急行はそれこそ「ほくほく顔」でせうけど、北陸新幹線が上越まで開業すると、北陸から東京へ行く人は皆そちらを使ふことになる筈。その時北越急行は生残れるのでせうか。
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以上、引用終わり。ほくほく線の今後についてはとりあえずおいといて。

興味深かったのは、北線と並行するように南線も計画時にはあったということ。しかも、その南線は、松之山を通る路線として計画されていたということだ。もし、こちらが採用されて現在運用されていたら面白いことになっていただろうになあ、と、つくづく残念だ。
南線が無理でも、「国鉄再建法」が通らず、そのまま計画通り松之山へ向かう分岐路線として作られたら、それはそれでまた面白かったかも知れないなあ、とつくづく思うのだ。だが、これで良かったのかも知れないと、今は思っている。

北線の通る松代(まつだい)は、ハッキリ言って観光名物はない。蕎麦くらいだ。それに対して松之山には温泉がある。圧倒的有利な松之山は、とりあえず副次的に寄れる場所として残しておき、「ほくほく線」の路線は松代(まつだい)の名を押し出す。それで良いのかも知れない。
あ、断って置くが、決して松代が嫌いなわけではない。敵対視しているわけでもない。むしろ、好きな町であり、寂れて欲しくないし、駅の近くにある道の駅も、帰省の折にはちょくちょく利用させてもらっていて、今後も繁盛して欲しいと思っている、大事な場所だ。

話は松之山に戻って。
今思えば、そういえば、子供の頃鉄道を通すというような夢のような話があったなあ、と思い出すのであった。「そんなの無理に決まってるじゃん」と松之山の地形を思い浮かべて決めつけていたけど、最近の国道のとんでもない通し方を目の当たりにすると、「無理じゃないのかも知れないなあ」と思うようになったのであった。
自然は破壊されるけどね。


 
2003年3月24日(月)「お釣りボットン」は止めてくれ。
今日もスーパーのレジでイヤな思いをした。例の、「お釣りボットン」である。そりゃあ、身も知らぬ人の手に触れるのはイヤかも知れない。その気持ちも分からなくはない。が、それは客商売をしている人にとっては、基本的にガマンすべきことじゃないだろうか。

どうしても、他人の手に触れることがイヤならば、そもそも、そういう客商売(レジ担当)をするべきではないと思う。そんなわがままは客商売には許されないのだ。
お金の受け渡し、これはコミュニケーションの根本的な部分だ。これをおざなりにしたり、毛嫌いしていたら、客は自ずと遠ざかってしまい、ひいては、自分の店の繁栄に影響してくるんじゃないかな?

ってか、それくらい、ガマンしろよ、いや、嫌がること自体がわがままの極致! と言いたい。これも、潔癖性の一つの現れなんだろう。嘆かわしい。

そもそも、潔癖性も度が進むと免疫力の低下を招き…、いや、これはまた別の話だな。


 
2003年3月23日(日)そりゃもちろん、早く終わって欲しいさ。
小泉首相はアメリカを支持しておきながら、戦争自体は「できるだけ早く終わってほしい」という声明を出したそうな。

これは小泉さんに限ったことではなく、日本の首相に見られる傾向だけど、自分からは積極的に参加せず、戦争が始まるまでは支持か不支持かも明確にせず、かといって、「後方からは援護する」と、いざ戦争が始まってから納得できない支持声明を発表し、実際始まったら、「被害が少なく済むように早く終わって欲しい」、などとたわけたことをのたまう。
この、後手後手に廻る対応には、ハッキリ言ってウンザリだ。

こんなことを繰り返しているようじゃダメだと思うんだよね。同じ国の国民として、海外に対して、いや、自分自身に対しても、とても恥ずかしいと感じてしまうのは自分だけじゃないと思うんだけど。どうだろう?

ニッポンは戦争反対、こんな単純なこと以外に何がある? 「いや、そんな単純なものじゃない」って? いや、本当は単純なことなんだと思うよ。


 
2003年3月22日(土)うーん、柏崎…。
大変だよ! 選抜高校野球が始まっちゃったよ。しかも、今日は故郷の新潟から、21世紀枠ということで、柏崎高校が出るんだよ。それに、その高校は、あの拉致被害者だった蓮池薫さんの母校と言うことで、始まる前から結構話題になっていたんだよ。

ということで、今日から高校野球が始まった。休みの日に開会式が重なったのって何年ぶりなんだろう。とにかく、久しぶりに開会式から堪能した。というか、今日は一日中、高校野球観戦三昧。

緒戦は、柏崎対斑鳩(未だに読み方を覚えられない、何て言う学校だったっけ?)という、初出場校同士の対決。結果は1-2で斑鳩の勝ち。
これで、新潟の、選抜での初勝利も夢と消えた。実は、春の選抜で一勝もしていないのは全国47都道府県の中で、唯一新潟が残っていて、今回の出場でその一勝の夢も掛かっていたわけなんだけど、まさしく、夢と消えちゃった。

まあ、もともと野球は弱い県だ。それにしても、まさか、選抜で勝っていない唯一の県だとは思ってもいなかったので、ショックだったことは否めない。いや、正直言って、恥ずかしい。
確かにねえ、弱いのは弱いと認めるし、選抜自体に出ることがほとんどないというのが現実だもんなあ。

新潟県の野球選手諸君よ、ガンバロウ!


 
2003年3月21日(金)とにかく、参った。
三連休の初日。さすがに今日はどこも混んでいた。天気も良かったしねえ。

まず、お昼頃に、毛呂山方面に出かけたのだが、そこは既に越生梅林への行楽客で、道は大渋滞になっていた。迂回路もないのが致命的だけど、3キロくらいの道のりを、30分くらい掛けてのノロノロ運転。参ったね。

で、用が済んだ後。今度は帰りでも渋滞にはまってしまった。やっぱり一本道なのでどうしようもないんだけど、この渋滞は参った。結局、越生梅林の行きと帰りの渋滞にはまってしまったというのが何とも情けないというか、とにかく参った。往復40キロくらいの道のり、5時間くらいは乗っていたんじゃないかなあ。とにかく、参った。

てなわけで、高速道路でもないんだけど、結構止まっている時間も多かったので、暇に任せてデジカメで写真を撮って気を紛らわせてみた。もちろん、運転中ではなく、停止中での撮影。もちろん、褒められた撮影方法ではないんだけど、渋滞の時はこれくらいの気分転換は大目に見てね、ってことで。


 
2003年3月20日(木)本音を聞きたい。
日本の国益って何? それをハッキリ言って欲しいなあ。同盟国だから、何でも賛成しちゃうの? → 小泉さん。
戦争を先に仕掛けるのは、悪ではないの? イラクは、アメリカに対して、何か直接的な攻撃をしたの? 武力行使しか手はないの? なんでそんなに単純なの? 平和的解決はまったく問題外? → 以上、ブッシュさん。

それに対して、フセイン大統領は以下の趣旨による声明を発表した。
ブッシュ(米大統領)は人道的な罪を犯した
ブッシュを支持する者も犯罪を重ねた
祖国を防衛し、徹底抗戦する
イラクは勝利する

あまりにも、抽象的すぎて、説得力がない。言い換えれば、イラクは最初から負けると分かっている戦争に突入する愚かさを知っているのかも知れない。
イラクは、ここまで無力なんだよ。

ある、スポーツニュース記事から。
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一昨年の同時多発テロ以来、米国の強さを誇示し、団結を示す場として、スポーツイベントも利用されている。戦争を始めても、自国の安全は確保し、平和な日常を維持する大国。ほとんどの住民が空爆の恐怖にさらされているであろう「敵国」との差の、何と大きなことか。
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この言葉の意味は重い。方や自由を謳歌しつつ戦争の行方を憂い、一方ではまさに戦禍に遭いながら今日の行方さえ分からない生活。どこにその戦争の正当性を問えばいいと言うのだろうか?

ブッシュさん、小泉さん、あなた達の個人的な意見を聞きたいよ。


 
2003年3月19日(水)なにげに忙しい。
とっとと仕事を切り上げて、帰りに床屋(千円の店)に行こうという目論見は見事に外れてしまった。うーん、何となく忙しいゾ。
明日こそ、早く帰れたらいいなあ。お、そしたら、その後は三連休じゃん。

 
2003年3月18日(火)結局、戦争は避けられないらしい。
やっぱり分からない、アメリカの主張。
テロに会うかも知れないので、それだったら自分たちから仕掛けちゃえ、ってこと?
別にイラクは戦争を起こそうとしているとは思えないんだけど、なんで、自分から火を熾す?
国連や世論を無視してまで戦争を起こそうというその真意は何なの?

どうしても拭いきれない疑惑。
超大国、アメリカの経済は逼迫している。これを立て直すには、軍需産業の強制復興しかない?
そのためには、戦争をするしかない?

日本の首相は腑抜け?
なんだ、その曖昧模糊とした態度は?
なんで、ハッキリ物事が言えない?
アメリカの言うことを聞くしか能がないのか、日本の代表は?
自分の意見をキチンと自分の言葉でしゃべってみろ。
それが、そんなに難しいことなのか?

もっと簡単に、単純に分かっていることがある。
戦争はいけないことだと、分かっているじゃないか。
子供は分かっているよ。

こんなことばかり繰り返していると、人間の歴史はアッという間に終わってしまうよ。


 
2003年3月17日(月)恥ずかしながら…。
今日は、恥ずかしながら、先週金曜日に寄った居酒屋へ挨拶をしてきた。
というのも、その日一緒に行ったSさんからのメールで、二次会のスナック代金をその店のママさんが払ってくれたと言うことで、これはお礼がてら挨拶をしなくちゃ失礼でしょ、と我ながら思ったのであった。
さらに恥ずかしながら、ママさんがスナック代金をおごってくれた、ということ自体も覚えていなかった自分。ホントに情けないことこの上ないが、まあ、過ぎたことは過ぎたこととして、一応けじめは付けなくちゃね。

てな訳で、今日仕事帰りに金曜日に寄った居酒屋に挨拶に行ったのだが、しらふで挨拶するのってものすごく抵抗があるよね〜。照れくさいというか、妙に話しづらいと言うか。
でも、向こうは気軽に応じてくれたし、最後の別れ間際には、「わざわざありがとうね」と行ってくれたのも嬉しかった。やっぱり、こういうのはコミュニケーションが大事だよなあ。勇気を出して寄って、本当に良かった。


 
2003年3月16日(日)とてもついて行けない。
いろいろな事情により、カミさん(ナナ氏)の携帯電話を変えることになった。いわゆる機種変更ってヤツ。
自分もそうだけど、機種変更なんて1年以上もしていないと、全く分からないものだ。というか、最新の機種は何だかキラビヤカすぎてまぶしいくらい。写メールは当たり前、動画もあるよ、ついでに音楽も聴けるんだって。すごいもんだ。
ナナ氏の新しい携帯電話をちょっと触らせてもらったが、軽くてしかも高機能、多機能。とても覚えられるものではないな。ちなみに、取り扱い説明書は、1センチくらいあった。恐るべし。

 
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