義元左文字

「三好宗三から武田信虎。信虎の娘が今川義元へ嫁ぐ際に祝いに送られるが、1560年に義元が桶狭間で織田信長に討たれ、戦利品として信長が所持。その時に『永禄三年五月十九日 義元討捕刻彼所持刀 織田尾張守信長』と象眼でほどこした。その後本能寺で信長が討たれると、焼跡から秀吉が探し出し所持し、秀頼に。1601年に秀頼から徳川家康へ送られる。その後天明の大火で焼け、再刃され1788年に信長を祀る建勲神社へ奉納され現在に至る。」というたいそうな由来のある義元左文字です。宗三左文字とも云われてるけど私は今川ファンなので。義元の遺品は全然ないので、ぜひ一目でも見たいものです。当時とは長さも違うみたいだし、面影はないかもしれませんが。(高山我夢)

上杉本「洛中洛外図屏風」

一双の屏風絵についてこれほど研究者の熱い視線が注がれている例も珍しいのではないだろうか。景観年代について論争がおこったのも記憶に新しいし、立体3次元映像化も試みられている。狩野永徳の筆になる六曲一双のこの屏風は、足利義輝が謙信のために発注し、その没後、織田信長によって上杉家へ贈られたとされている。しかも公方邸へ向かう貴人の行列は上杉謙信を描いたものとする説が有力である。わたし自身も『図説上杉本洛中洛外図を見る』(河出書房新社)の図版を折りに時折眺めて飽かないことがある。国宝。(三楽堂)

正倉院御物「黄熱香」

通称:蘭奢待。天下人となった織田信長が勅許を得た上で切り取ったといわれる香木。いったいどんな香りがするのか、またこれより先切り取る人物がはたして現れるのか、興味の尽きない超一級の宝物。信長以外には、足利義政・徳川家康が切り取ったといわれるが、はたして日本史上この香りを嗅いだ人物はいるのでしょうか。?(畠山義純)


文中、敬称略させていただきました。ご了承願います。