お市の方

私の憧れです。美しさも戦国一なら,その生き方もまた,女のかがみじゃないかと思います。 その死は惜しいけれど,その潔さが,今もなお,戦国時代の華として君臨する所以の一つだと思っています。(直隆の大太刀)


戦国一の美女と言われ、生涯を幸せに生きるはずの彼女が、結果的に戦国一の不幸な女性になってしまった。彼女の人生は本当に哀れで涙を誘うものがあります。美人で頭が良くて、しかも勇敢。自分が奥さんにもらうならこういう女性がいいですね。知名度も高いし、何しろあの信長の妹。ということで、戦国クイーンはこの人に決まりでしょう。(秋山如雪)


徳姫

好きって言うのとはちょっと違うんですけどね・・気になるって言うのかな。大河「徳川家康」で田中美佐子が演じていた信長の長女で信康と結婚して信康と築山殿のことを信長にチクって自刃させてしまうお人です。その後織田家に帰って、本能寺の変の後、1630年ころまで生きてます。織田家が没落、豊臣も滅亡、出てきた婚家が天下を取るという世の中をどう見ていたのか、興味があります。ほとんど資料も無いんですが、この人のことは気になります。(笹井宏一)


新造の方

クイーンとはいえないけど気になるのは、猫御前(政宗の側室、飯坂の方)ですね。うーん、ネコ・・・・。いい趣味してるよ政宗くん。(仁科和時)


濃姫

濃姫好きです。実家がつぶれて子供も産めなくてまったく消息が分らないようですけど本能寺の変の後も長生きしてるあたりに何考えて生きてたんだろうと興味があります。徳姫とセットにしていつか小説を書いてみたいなんて身のほど知らずの事を考えてます。(mozawa)


北政所

名前は「ねね」とか「おね」とか「おねね」とかいろいろ呼ばれてますが個人的にこの人は好きです。信長の手紙などの資料から容姿は結構良かったと思うのですが、別にお市の方みたいに絶世の美女だったというわけではなさそうだし、お市の方や淀殿のように悲劇的な最期を遂げたわけでもないのですがなぜか好き。ドラマや本などでは秀吉の影であまりよく分からないのですが、夫秀吉の出世の裏で頑張っていたんだと思うと「良くやった!」といいたくなります。クイーンという点でも天下人秀吉の正室として大阪城だけでなく、豊臣政権の女王であったと思うし、面倒見の良いおかみさんだったらしく側室や側室達の親からも頼りにされていたようです。(美濃の守)


土田御前

もっとも好きな女性というよりはもっとも凄いと思う女性は、織田信秀の室にしてあの織田信長の母である土田御前ではなかろうか、と。(果心居士)


淀殿

私がもっとも好きな戦国女性は淀殿です。徳川の世が長く続いたため、幕府の御用学者や質の悪い講談などで、彼女は不当に貶められ、また現代ではテレビドラマなどで淀殿は愚かで淫蕩な、ステレオタイプの悪女として描かれてきました。しかし私は淀殿が悪人だとも愚女だとも思いません。残された淀殿の書状は、確かな教養の手応えが感じられるものだといいますし、秀吉の側室となりながら、秀吉によって殺された父長政と母お市の供養のために養源院を建立した、という勇気や、寂しい晩年を送っていた信長の側室おなべの方に同情して、豊臣の没落もせまっているなかで、50石の知行を与えて生活を援助したという情けの深さも、私はとても立派だと思うのです。淀殿はまた、千姫を徳川のスパイだとして疎んじたといいますが、私はこれにも懐疑的です。周囲には千姫を人質としてみる者もいたでしょうが、淀殿と千姫には同じ浅井の血を引いた親族としての情があったのではないでしょうか。それに淀殿は千姫の異父姉(お江と前夫秀勝の娘)を引き取って、手元で育てています。めい2人を膝下で育てながら、片方を嫁としていびるとは、考えにくいです・・・。関ヶ原以降の彼女は、少々社会情勢を見る目が甘かった、という点は否定できませんが、豊臣の滅亡の責任を彼女のせいにするのは、あまりに酷です。この時期、家康やそのブレーン達に対抗できるような大名は、一人としていませんでした。淀殿がかなわなかったとしても、無理はありません。幼いときに両親を亡くし、その後も戦乱の世にもてあそばれながらも常に誇り高く、毅然として生きた淀殿。私は彼女こそ誇り高き最後の戦国女性だと思っています。(貝島雪乃)


立花ァ千代

道雪の娘というだけでもイメージが固定されます。それだけではなく女城主で、かの立花宗茂の奥さんですからねぇ。某ゲームの新武将登録で作った唯一の女性です。(山梨ぶどう)


芳秀英大禅尼

筒井順慶の母。順昭の妻。夫亡きあとの筒井をささえ、自ら人質になったからおそらく気丈なひとでしょう。野際陽子が演じたら似合いそう。某ゲームの新規武将作成で作って みたいですね。(石之介)


おまあ

道三にいいように自家の財産を乗っ取られながら、死ぬまで道三について行った良妻。 おまあ。(あきら)


山内千代

山内一豊の妻。「一豊の妻」といえば内助の功のお手本のように現代まで語り継がれています。へそくりで馬買ったりして、関が原で夫に指示出したり一豊は信長、秀吉にわたって仕え、次第に出世してついに大名の一員になりました。世の中は徳川家康の時代へと移り、一豊は更に武功をたて、土佐24万石を与えられます。それまでの掛川5万石から考えるとまさに大出世です。これも千代との二人三脚でつかみ取ったものです。(遠山友勝)


吉岡妙林尼

恐ろしい・・・・ 子の不在で篭城。退却する島津の伊集院美作守を討ち取る。凄いですね。 豊後の老けた( ?? )富田信高婦人ですね。しかも尼さんでしょ。おそらく。(石之介)


真理姫

武田信玄公三女(四女?)。実家は滅びて、婚家も滅びて、それなのに自分だけは長く生きてしまったのに同情票。そんなこと言うと儚げだけど、夫・木曽義昌が実家を裏切って織田方についたときに腹立てて息子を連れて隠棲してしまったというハイパーっぷりが(笑)すごいと思うんですけど。(倉木綾音)


築山殿

今、世間ではすごく嫌な女に書かれてますが、はっきり言って、後ろだてのなくなったこの時代の女の人がそんなに高飛車でいられる訳がなく、岡崎では城から離れた寺で幽閉のような生活をしていたとも言われています。そして、祟りを恐れられるほどの惨殺がおこなわれました。とっても悲しい死に方をしたこの人の事をもっと知りたいです。家康は築山殿との間に出来た信康と亀の子供を自分の子として良家へ嫁がせたり養子に出したりしています。女優は……享年37才ともいわれるので 妖怪女優でなければ贅沢いいません(笑)(高山我夢)



文中、敬称略させていただきました。ご了承願います。