信長が好き

信長のよいとこは、飴と鞭の使い方であると思う。それから、独裁的なところもよい。だからみんなついてくると思う。(後藤又兵衛)


信長は好き!!嫌いと言う人もいますが、あの人はやはり残酷なだけの人ではなかったと思います。人を信じられないさみしさとか、孤独を持っていた人だと思っているので、大河ドラマ「秀吉」での渡さんが演じた信長は、私にとっては最高でした。そして、やはり、あの狡猾さ。合戦をする時にでも、2重3重に罠をはっておく用心深さが好きです。いろいろな場合を想定して考えられるのは、頭がいいと思います。生まれたところが尾張という京に近いところだったので、運が良かったというのもありますが。でも、私は信長好き派ですね。(橘直人)


織田信長については特別嫌いと言うところはない。むしろ中世にに生まれた近世人として 歴史上に残る優れた政治家であったと思う。多くのシュミレーションゲームにおいて織田信長が生きていたならばという設定が好まれるのも織田信長という人物が当時の政治家としては非常に斬新で鋭い判断力を持っていたと皆が認めているからに違いない。個人的には、信長の傾いた振る舞いが好きなだけなのだが。(松野裕一郎)


織田信長は、日本の歴史をいっきにひっくり返した人だと思う。信長を嫌う人は多いけれど、それは、日本史の教科書にしか目を向けてないからだと思うのは、私だけだろうか。彼のことを私は、中学1年から毎年何回かにわって調べ続けているが、何回調べても、はじめて知ることが多い。信長の好きなところは、たくさんあるけれど、「何?」、といわれたら、新しい時代の到来に目を向けたところとか、家臣を大切にしたこととか、書いていたらきりがない。嫌いなところは、ないというのが本心である。(歴史好き)


やはり、「天下布武」を理想に掲げ、それに向けてばく進したところ。現在の政治家にもほしいですね。(池森 新路)


なんと言っても、信長は天才である。(蔦屋道雪)


戦国日本をひとつにまとめるための、大きな使命を持って生まれた人物のように思えます。彼の先進性・実行力は他の誰と比べてもケタはずれており、日本史上でもトップクラスの天才と言えるのではないでしょうか。男なら誰しも、天才にあこがれない者はいないでしょう。ただ、このタイプの天才の行動は、常に狂気の影が付きまとっています。マイナスイメージをあげるならば、やはりその部分でしょう。彼の中の狂気が天才を覆い隠そうとした、まさにその時点で、天命によってこの世を去っていった‥。それもまた、スゴイことではありませんか!(太郎丸)


ここが好き:神か、悪魔か、わからない信長。数々の傑出の人物を取り入れた(?)あるいは育てた完全無欠のカリスマ性。(ワッシー)


私は信長は素晴らしい人だと思っています。破壊好きなところをマイナスに取るとしても時代の洞察力のすさまじさで すべてを超越すると思います。彼の言動は今でも役に立つものばかりです。秀吉は信長の真似をしていただけだし信玄 にしたって旧時代にしがみついていた感がぬぐえませんが彼は時代を超えてます。その人間ばなれした才能が好きです。(和田義盛)


信長最高?そりゃ荘でしょう。火を見る夜明らか出す。難背ゲーム科してるんだよ。このやろー。当時としては珍しい完全実力主義。小屋の者と呼ばれる者を使って改革したのはすごすぎる。(武田元繁)


大好きだよ。(IZAWA)


信長のやってきたことすべてを見て気持ちいい。それまでの足利幕府体制下の社会を大掃除するような大胆さがいい。ただ、晩年の信長を見ると、成長したわが子らに畿内周辺の日本中心部を支配させ、未支配地域は重臣たちに切り取らせるだけ取らせて、あとは遠国の管領職や探題職を与えておくという意図がありありと見える。それでも重臣たちにとっては大出世には違いなかっただろうが、謀反を起こした明智光秀に限らず、常に家臣に対し遠国へと所領を配置する信長の手法を見て、ほとんどの軍団長クラスの部将は中心地域から追いやられることへの不安と寂しさを感じていたように見受けられる。やはり信長も人の子、子飼いの家臣も大事だか、血を分けた我が子は何ものにも代え難かったのだろう。魔王のように揶揄される信長だが、最後はお家繁栄のために親馬鹿ぶりを発揮するところなどは何か拍子抜けするような感じがしないでもない。(果心居士)


信長の残虐性が良く取り立たされているけれども、彼は必要で無くなった人間に対してあっさり切り捨てているだけで敵に対して容赦しないのは、昔も今も対して変わっているわけでもない。叡山焼却にしても、彼らが政治的行動を起こさなければ彼は何もしなかったであろう。ただ、裏切った人間に対しての姿勢はすさまじいものがあった。それは、彼のしようしていた偉業が余りにも困難であり、さらに彼自身の時間の制約があったからだと思う。彼自身は自分自身の後継者が誰にも務まるとは思っていなかった。秀吉にしても信長が考えていた天下の形とは結果としてずいぶん違ったものになっている。裏切り者さえでなければ、彼に与えられた時間の範囲内でほぼ確実に彼自身の理想系を作り上げていただろう。だが、彼の言動が部下に反逆の道へ走らせた事は否定出来ない。しかし、あの方法を取らなければそれだけの速度を保つのは不可能だったはずだ。戦国というものは時代の転換期であり、それまでの価値の崩壊を意味している。その変化にもっとも気付いていたであろう信長が、他の武将達に同じ理解を求めた結果が、彼の最期だったのだろうと思う。
好き嫌いに触れてない(^^;)
私は好きですよ。(影法師)


僕は、信長は、大好きです。信長は、まさしく正義の人だと思います。信長が比叡山などを、焼き払ったりしたのは、戦国の世を早く終わらせようとしたためだと思うからです。ちなみに、秀吉は、せっかく、平和を取り戻したのに、朝鮮に攻めたりしたので大嫌いです。(浅井長政サイコー)


もちろん信長は大好きですよ。何と言ってもこの男のすごいところは、今まで誰も考えたことのないことを平気で考えてしまうところだ。長槍の効能に気づき、楽市楽座を始め、そして鉄砲の三段撃ちを発明したなど、数えればきりがないが、当時の日本の大名、いや世界史的に見ても、ここまで進歩的な考えを持った人というのはそうはいない。そういう点で、信長は人より常に二歩も三歩も先に進んでいた人物だと言える。逆に言うと、先に進み過ぎているため、他の武将は彼についていけなかったのだと思う。それが結局、明智光秀の謀反につながったのだろう。信長が革命児とか風雲児と呼ばれるのもそのためだろう。歴史の中では、悲しいことに革命児は孤独になる。信長もまた時代を超越していたがために、おそらく孤独だっただろう。私ははっきり言って信長は世界史でも通用する日本の英雄だと思う。日本史全体から見ても、彼はかなり特異な存在だろう。信長がもっと長生きしていれば、日本はもっと国際化していたに違いない。そう思うと彼の早死にが残念でならない。(秋山如雪)


信長はすべてを発そうしたのではない!!かくだい、てんかいのてんさいなのだ!!(かしんこジ)



信長は合理主義者であり潔い死に方をした。だから好きである。(にゃん)


抜群の行動力が好き、あの行動力はいい意味でも悪い意味でも誰も真似することはできないと思う。(ヒトシ)


すごくスケールの小さいのが日本の歴史の中であって一番の激動期なので信長の時代は確かに面白い。ほかにも毛利元就、武田信玄、北条氏康、上杉謙信といった信長と同世代で名将とよばれる人がいるけれども彼らは名将であって革新家ではない。彼らは同じように古い体制、知識であった。それに比べ信長は名将であり革新家である。欠点は革新家は多いところでまず人のいうことを聞かない独裁者になる傾向があると思う。信長はスバリ当てはまる。だから謀反を起こされた。彼は日本の風土に適さない。事実日本は独裁者が生まれることがあまりなかった。(将軍や天皇はお飾りになるように)だから温和な人が愛される、今の小渕さんのように。やはりカリスマだけではだめで魅力も必要と思う。蜀の劉備、徳川家康のように。(劉備)


織田信長、大好きですよ。どこが好きかというと、やっぱいきざまかな。小説をよく読むんですがね、一番好きな場面が、お濃姫との会話なんですよね。歴史上の人物の中で一番好きです。(NATSUMI)


信長は好き派です。私の出身地名が信長によって命名された史実で思い入れも少々あります。自分の上司だったらと考えればいいことなしですが、あの破天荒ぶりは日本史上類をみないでしょう。知略・策略に富み、野望を叶えるだけの経済力・実行力を持ち合わせ、なおかつ鋭い洞察力もあるとは、そんな人物そうそういないです。確かに極悪非道、その点は本当に最悪だと思います。しかし魔王と呼ばれる男は確実に歴史を動かしました。それだけでも、十分好かれる要素はあるんじゃないでしょうか。(旅人)


信長は大好き!まず一つ目は「決断力」。この決断力がなければ桶狭間は乗り越えられなかったのでは...二つ目は「比叡山の焼き討ち」。宗教が政治に絡むとね・・・これは今の時代も同じでは。その辺のけじめ。3つ目は「潔さ」。明智光秀に攻められたときに、自害する。んーーー、男はこうでなくちゃ!。(トチ)


信長は好きです。だってかっこ良いから。あと斬新的な発想も好き。やっぱ天才でしょ。(景虎)


信長が嫌い

信長の執った政治的役割は計り知れないほど大きい。簡単にいうと日本の中世を終わらせ、近代の扉を開いた、日本では数少ない革命家であり、彼が本能寺で横死することがなければ、日本は軍事的にも経済的にも300年は進んでいただろうし、現代のように、長いものには巻かれろ的な日本の発想も変わっていただろう。だが、嫌いだ。彼は部下を、自分の目的に都合のよい道具としてしか見ていなかった。結局そのために死ぬことになるのだが・・・。もし現代に信長が居れば、今の腐りきった政治に活を入れるにはうってつけだが、自分の先輩や上司としてのさばられると、甚だ迷惑だ。つまり身近には居てほしくない。歴史上の人物だからこそ、信長は魅力的なのだ。(陣太郎)


どちらかというと、嫌いかも。常に新しいものを取り入れたりする先見の明はあの時代ではすばらしいと思う。でも少々運が良すぎたようなきがする。もし今川義元が桶狭間で休憩せずにそのまま攻め込んでいたらどうなっていただろう?とか、もし信玄が生きていて信長と直接対決していたならどちらが勝っていただろう?と、考えてしまうからだ。運も実力のうちという考えもあるけれど・・・信玄に天下を統一して欲しかった。信玄ファンとしては。(山中豚之介)


ここが嫌い:必要悪?常人では考えられぬ冷酷性。歴史を振り返ると一概に嫌いとは言えない不透明さ。(ワッシー)


信長は、怖すぎる。今の時代であんな、怖い奴が居たら、私は生きては居ないだろう。昔の事だから、笑って信長のことを、話せるが同じ時代にあんな奴が居たら、かなり迷惑だと思った。やはり、こんな怖い奴に仕えた人達は、みんなマゾだと思う。(古兵)


好きなところと嫌いなところですか?
・・・・・・
難しい質問ですね。突飛な意見かもしれませんが、ちょっと最後まで聞いて貰えたら幸いです。僕は、信長という人物の存在が本当にいたのかどうか?というところに疑問を持ってます。突然の本能寺での横死、彼のとってきた政策や軍事活動などの内容。どれも、絶対的な権力を持つ者であった・・・という事の証拠・・・っていう言い方は変かもしれませんが、彼のイメージを専制君主にしていますよね。だけど、彼は国内だけではなく、近隣諸国からも「うつけ者」と評判であったのに、突然、家督相続後にその中身が変わってしまったという事は考えにくいのです。彼が「うつけ者」のように装っていたのだとか、すべて計算しての事だとか言われていますが、それは後から作った逸話だったのではないでしょうか。いえ、むしろ後になって、付け足したと言うべきかもしれません・・・。信長という存在は飾りだけのもので、古い権威の象徴や遺産、堕落した宗教界、これらの陶汰を普通の人間がしたのでは問題があり過ぎます。しかし、誰か(複数かもしれないが)によって操られている(もしくは利用されている)としたら、彼の存在ほど好都合なものはなかったと思います。信長が生きているうちに、無理な政策も改革も、残虐の仕打ちも、すべて済ませてしまい、後はその存在を消してもらえれば、後を継いだ施政者(この表現は妥当ではないかもしれません)がほんのちょっと束縛を緩めてやるだけで、庶民だけではなく、武将たちにもその施政者が神様のように写ったのかもしれません。という事で、もっと書きたいのですが、要は、信長は本当の「うつけ者」であって、家督を継いだ信長は誰か(複数の可能性もあり)によって傀儡となっていただけなのかもしれません・・・勿論、演技の上手な傀儡であった事は言うに及ばず・・・その誰か・・・というのは未だに(というか、永久に)特定できません。織田の家臣団であったというのが、最も有力ではあるのですが・・・佐久間や林でしたか?追放されましたよね。表向きには合戦の際の不手際だったそうですが、織田家内部の権力争いに敗れて他の家臣団に放逐されたという可能性も考えられます。まあ、どれも可能性だけなので、証拠はまったくありません。そして、ここまで読んで頂けたのだろか?という心配があります。(きっと、怒ってらっしゃるんだろうな・・・)つまらない話だ・・・と思って下さって結構です。ちょっと、他の人にも言ってみたかった内容だったので・・・それでは・・・最後まで読んで下さって、ありがとう(HIDE)


理由はなんであれ、比叡山で非戦闘員に対する残虐行為を命じた信長は嫌いです。自分の信じる理想郷のためにはなんでもやるといった点はヒットラーと根底は同じでしょう。いい加減、信長や秀吉の様なヒットラー的存在を英雄視する風潮を改めないと海外から信用されないではありませんか。(春日山八郎)


信長は覇権主義者であり反民主的である。だから嫌いである。(にゃん)


僕は、信長は、あまり好きではありません。理由は、あまりに合理主義者すぎるからです。林道勝や美濃三人衆は使えなくなったからといって追放しています。これは現代のリストラと同じです。これでは、人間味を感じません。明智光秀はそれを恐れて信長を討ったという話しも残っています。家臣にとってもベターな君主とは思えないし、彼等も辛かったのではないでしょうか?(山口悠)


信長の一体どこが正義だというのでしょうか。 私は信長が嫌いです。 なぜなら、信長は天下太平を望んで天下統一を目指したとは到底思えないからです。 信長は、戦乱の世の底辺で苦しむ民衆のことなど考えていたでしょうか? 自分のエゴで天下を束ねようとしていたのではないでしょうか? 日本には古来からの秩序というものがありました。 それは天皇を頂点とする朝廷による律令政治です。 改新以来、日本の政治の基本は「天皇親政」でした。 それを蔑ろにした摂関政治、院政、そして幕府政治。 それら政権の中心にいた人々は、果たして天下国家のことを第一義にしていたでしょうか? 常に自分が中心にあることだけを望んでいたのではないでしょうか。 無論、天皇親政や律令政治が絶対であろうはずはありません。 時代は変遷します。ですから、その時代時代に即応した政治が常に求められます。 しかし、だからといって、国体までも変革する必要があったでしょうか。 天皇を中心に据えたままでも、政治改革は十分可能だったはずです。 少なくとも、信長による政治改革程度のものなら。 信長が旧来の権威を否定したのは、自分が最高の権威になるため。 唯我独尊。 信長はただの「独裁者」であって、決して「政治家」ではありえなかったのです。(chama)
文中、敬称略させていただきました。ご了承願います。