毛利一族本領・吉田庄



俗に「吉田三千貫」と呼ばれ、このうち、元就は父の死後、多治比猿掛城周辺で三百貫を相続した。
しかし、幼少の身である元就に対し、後見役の井上一族がこれを横領。一時は猿掛城からも追い出される憂目に遭う。
元就の少年時代の挿話の多くは、この受難の時期のものであったろう。

<メモ> 吉田郡山へ行くには、電車の場合、広島から芸備線(三次行き)に乗り、向井原か吉田口で下車。
そこからバスかタクシーになる。どちらの駅で下りても距離的には同じくらい。吉田口は急行が停まらないので注意が必要。