朝倉義景の閨閥


朝倉義景の妻妾については、四名がほぼ判明している。


細川氏

義景正室。細川晴元女。女子一人を生み、早世したと伝わる。

近衛氏

義景後室。近衛稙家の女。『朝倉始末記』に「容色無双」とたたえられた。しかし、義景との間に子はなく、側室小宰相の局に子供が誕生すると、小宰相の局とその子を呪詛しているという噂が流れたため、間もなく離縁され京都に送り帰された。

鞍谷氏・小宰相の局?(?)―永禄四年(1561)

義景側室。鞍谷嗣友の女。母は義景の叔母(朝倉貞景四女)にあたる。鞍谷とは朝倉氏景が迎えた名目上の守護斯波氏の後裔。女子二人、男子一人(阿君)を生む。しかし、小宰相の局の死後、阿君も永禄十一年六月二十五日に死亡。この阿君の死について、『朝倉始末記』によれば、御サシという女房が阿君の乳母を妬み、毒を盛った。その乳を飲んでいた阿君も死んでしまった、という奇怪な話を伝えている。ただし、阿君は少なくとも七歳にはなっていたであろうから、この話をそのまま信じることはできないが、何らかの事件によって命を断たれたものと見ることもできる。

斎藤氏・小少将?(?)―天正元年(1573)

義景後室。家臣斎藤兵部少輔の女。男子一人(愛王)を生む。義景の寵愛ぶりは『朝倉始末記』が「忠なきに賞を与え、奉行も理あるを非とせり」といった有様であったという。一子愛王丸とともに京都へ護送される途中、丹羽長秀によって斬られた。



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