史跡・スポット
独断と偏見のおすすめ度
★★★★★・・・・・・マニアならば必見スポット。
★★★★・・・・・・・意外と知られていない穴場かも。買い物、名物、温泉を求める人には向かない。
★★★・・・・・・・・観光客うじゃうじゃのおきまりコース。買い物好きも大喜び。
★★・・・・・・・・・時間つぶしか他に予定がなければ。
★・・・・・・・・・・はずれ。話題にしたくもない。
龍福寺★★★★

瑞雲山龍福寺。建永元年(1206)、大内満盛の創建。大内氏の広大な館跡・大殿大路に建つ。本堂は弘治三年(1557)に建立されたが、明治十四年に焼失。しかしながら現在の本堂は新築ではなく、大永元年(1521)、大内義興が建立した興隆寺釈迦堂を移築したもの(重要文化財)。室町時代の代表的建築物だ。内部には大内義隆の位牌が安置されている。毛利隆元は大内家滅亡後、ここを菩提寺と定めた。山門はその当時のものであるという。山口県山口市。
龍福寺史料館★★★★

龍福寺境内にある史料館。大内氏館跡から出土した品々、大内義隆画像などが展示されている。3種類の大内義隆画像(1点は龍福寺蔵、他の2点は複製)が見られる。画像は大内義隆七回忌の折、施入したもの。義隆自刃の際、菩提戒を授けた大寧寺住職異雪慶珠の賛がある。そのほか、大内氏の遠祖といわれる琳聖太子から大内義隆までの歴代当主画像(写真)も圧巻。似た画題が何点か存在することから、やはり名流として畏敬された一族であったのだろう。中央にひときわ大きく描かれているのが百済の亡命王子琳聖太子である。蝋人形ファン(笑)には大内義隆・毛利元就・同隆元のそれがある。山口県山口市。
大内氏館跡★★★★
国指定史跡。現在も発掘が続く大内氏の遺跡。大内氏二四代弘世が京都を真似た町造りをし、この地に居館を構えた。龍福寺境内から発掘現場の様子がうかがえ、全容を示した案内板もある。昭和五十三年には金色の瓦が出土し、大内氏の財力をしのばせる物証ともなっている。当時の町並みは「山口古図」(マツノ書店復刻)などを見ると「大内御殿」と記されており、周囲には重臣たちの館が並んでいた。山口県山口市。
近所にお住まいのめごさんいわく、「ちなみに山口市の小学生はみんな『大内のお殿様踊り』が踊れます(たぶん)」とのことだ(笑)。
大内の〜、お殿様〜、恋をして〜、京の姫を嫁にした、
恋に〜燃えて〜る、築山御殿、殿様殿様お殿様、よいよ〜い
八坂神社★★

応安三年(1370)、大内弘世が京都八坂神社の分霊を勧請して創建したといわれる。祇園社ともいい、もとは大内館跡付近にあったが、その後、場所を転々とし、明治になって毛利敬親が現在地(上堅小路)に移した。三間社流造り、桧皮葺きの社殿は永正十七年(1520)のもので、重要文化財に指定されている。そのわりには、人気も少ないなあ。山口県山口市。
今八幡宮★★★★

位置的には、本堂の背面に野田神社・豊栄神社(毛利氏の項参照)が隣り合わせている。大内氏の入国以前からあったといわれる、おそらくは山口でももっとも古いのではなかろうか。その起こりは九州宇佐八幡宮に連なるという。現在の本殿・拝殿・楼門(いずれも重要文化財)は文亀三年(1503)、大内政弘によって建立された。大内義隆寄進の銅製鰐口(これまた重文!)もあり。ざっと見た中では、山口の寺社の中でもっとも気に入った。山口県山口市。
瑠璃光寺★★★

大内文化の粋をきわめた国宝五重塔。今や山口観光にははずせない名所となっている。瑠璃光寺は文明三年(1471)、陶弘詮が父弘房の菩提寺として創建したもの。当初は安養寺といい、仁保村にあった。現在の地に移ったのは元禄三年(1690)である。五重塔はもともとこの地にあった香積寺の遺構で、瑠璃光寺にしてみれば、移転先にとんでもないものが落ちていた(爆)わけである。資料館は全国各地の五重塔のミニチュア(すべて手作り)が陳列されている。その精巧さには驚かされるが、これは一度見ればいいかな、という感じ。それよりも本物が眼前にあるのだから、そちらを堪能したほうがいい。寺内には五重塔を創建した大内盛見の像もある。山口県山口市。
雲谷庵★★★★

絵師雪舟が庵を結んだ跡。雪舟は岡山の人だが、京都で禅と絵の勉強をした後、大内氏に庇護されて山口へ下ってきた。その後、明に渡って北京礼部院の壁画を描いて名をあげる。帰朝した後、文明十八年(1486)頃からこの地に住したという。最高傑作「山水長巻」(毛利博物館所蔵)はここで描かれた。現在は古材を利用して復元した草庵が建つ。内部には雪舟の絵の複製が飾られている。屋根の形(写真)がかわいいでしょ?。山口県山口市。
歴史民俗資料館★★
大内氏の遺跡出土品などが展示されている。金色の「大内瓦」も展示されている。しかし、戦国時代の逸品は少なく、幕末の大村益次郎関係の史料や農具などが多い。こじんまりとしている割には、上代から近世、と焦点が広すぎて、やや退屈。でも100円は安いか。山口県山口市。
ザヴィエル記念天主堂★★
山口県のシンボル。現在は残念ながら修復中。正面はザヴィエルの生地ナガラ王国のザヴィエル城をかたどったもの。ザヴィエル資料館が併設されている。そばには井戸の横で説教したというザヴィエルの立像がある。訪れた時はひどいどしゃ降りで、黒々とした像があわれであった。しかし、このところ、訪問先で工事中に出くわすことが多い(涙)。山口県山口市。
亀山公園★★
ザヴィエル記念天主堂の背後に位置する。もとは毛利秀元が慶長年間に築城中であった長山城の跡を整備したもの。サクラの名所。公園内には幕末の毛利藩主敬親の騎馬像、大内家最後の当主義長の布教許可状を彫った石碑などが見られる。山口県山口市。
ザヴィエル記念公園★★

天文二十年(1551)、山口を訪れたフランシスコ・ザヴィエルに、キリスト教布教を許可した大内義隆が与えた土地。日本で最初の教会が建てられた。公園の中央にはザヴィエルの肖像を彫った十字架が建っている。山口県山口市。
常栄寺★★

雪舟寺ともいわれる。大内政弘が京都の金閣寺を模して別荘を営んだ際、雪舟に命じて庭園を造らせたことに起因する。本堂に入ると、雪舟の画が掛けられていた。堂内をめぐって裏手へ出ると、有名な雪舟の庭園。園内には大内政弘の母の墓、および雪舟の筆塚などがある。寺号は毛利隆元の法名である。永禄七年(1564)、毛利元就が嫡男隆元の菩提を弔うために安芸吉田に創建したためである。現在の地と毛利氏とはもともと関係はない。山口県山口市。
厳島神社★★★

大内氏歴代が深い尊崇をよせた厳島神社。そのシンボル大鳥居には、かつて大内義隆が掲げた扁額があった。その書は正親町天皇の親筆といわれる。現在は厳島神社宝物館で見ることができる。広島県宮島町。