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 平安中期、葛飾地方は桓武平氏の葛西三郎清重が鎌倉幕府の重臣として領していた、敬神崇祖の武将で所領地の大半を伊勢・香取両神宮に寄進した。今でも天祖神社、香取神社が残るのはこのためです。清重は後に源頼朝に従い、大功を上げ奥州総奉行となり、岩手県南部と宮城県北部を所領とする大名となったが、小田原征伐に遅参して所領を没収された。
 江戸時代は関東郡代が支配した。また、「葛西3万石米所」と言われ江戸近郊の水田地帯であった。

香取神社
香取神社
 小松菜の産土神です。享保4年(1719)、八代将軍吉宗が鷹狩りの御膳所として使用したとき、餅のすまし汁に青菜を少々、彩りとしてあしらって差し出すと、吉宗は大変喜ばれ、この菜をこの地にちなんで「小松菜」と命名されたと伝えられています。それ以来、香取神社の祭事には必ず小松菜を神前に供えて氏子永代の反映を祈願しています。
江戸川区中央4

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