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 渋谷川よって浸食された谷筋が渋谷駅です。国道246号は大山道と言われ信仰の道で、道玄坂が旧道でした。大山道沿いには宮益町、道玄坂町ができ町奉行所支配でした。また、宮益坂は富士見坂とも言われていました。

  • 大山詣り
       大山詣りは、神仏習合の霊山である相模大山を信仰し、お盆に大山寺と阿夫利神社を参詣したことに始まります。江戸中期以降には「大山講」が組織され、五穀豊穣・家内安全・商売繁盛などを願う江戸庶民の間に広がりました。
  • 渋谷氷川神社
       かつての下渋谷村、下豊沢村の鎮守。鎮守の森が武蔵野の面影を伝えています。境内には江戸郊外三相撲といわれていた金王相撲跡があります。
金王八幡宮
金王八幡宮
 寛治6年(1092)創建、渋谷、代々木、赤坂、飯倉、麻布、一ツ木、今井など谷盛七郷の産土神として崇敬を集める。江戸時代は、江戸八所八幡の一つとして数えられ、春日局を始め幕府要人の崇敬が厚かった。
 金王丸は渋谷重家の嫡男で、源義家に従い保元の乱などに従い功をたてた。社殿は慶長17年(1612)の建立で、渋谷区内では最古の木造建築物です。
渋谷城跡
渋谷城跡
 金王八幡宮が本丸に当たり、平安末期から大永4年(1524)北条綱氏と戦って滅亡するまで居城した。
 城は東渋谷丘陵の西斜面に位置し、青山道、鎌倉道に面して中世交通の要衝であった。渋谷氏の子孫は紀伊徳川家の家臣となり続いたという。
道玄坂
道玄坂
 江戸時代は宮益坂に街道筋の休息所がありにぎやかであった。道玄坂には大山道に沿い渋谷道玄坂町があり周辺は田畑であった。渋谷氏の滅亡後、道玄がこの坂で盗賊をはたらき、坂の名前が有名になった。
渋谷川
渋谷川
 江戸時代は明治神宮(彦根藩下屋敷)や新宿御苑(高藤藩下屋敷)の池などを水源として流れ、周辺の田畑に灌漑用水を供給し、水車業が発展していました。今は渋谷駅東口から暗渠となり、原宿周辺まで遊歩道になっています。また、宇田川は支流です。

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